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//Another view : Erika//

前に、ここへ来たのはいつだったか。

母の居室であるにもかかわらず、はっきりと思い出せない。

漏れた苦笑に、周囲を漂うお香の煙が揺れた。

甘さと苦さが混然となった香気は、その筋では珍重されるものだろう。

だが、自分にとっては、母の苛烈な性格を思い起こさせるものでしかない。

【??】「いいのを見つけたそうじゃないか」

御簾の奥からの声。

部屋の温度がいくぶん下がった気がした。

【瑛里華】「はい」

【??】「まだなのか?」

【瑛里華】「今は様子を見ています。近いうちに必ず」

【??】「どう様子を見るというのだ?」

【瑛里華】「なにぶん学院でのことですから、慎重の上にも慎重を期さなくては」

ぱちりと、扇を畳む音が響いた。

【??】「餌一匹にご丁寧なことだな」

【瑛里華】「すみません」

【??】「謝る暇があったら、なすべきことをなせ」

【??】「さもなくば」

【??】「わかっておろうの?」

【瑛里華】「はい」

【??】「ふん、返事だけは一人前だな」

【??】「下がれ」

【瑛里華】「あの……」

母からの返事はなく、私の声は宙に散った。

別にいい。

そもそも、話したいことなど思い当たらない。

では、なぜ声をかけようとしたのか?

自問をすぐにもみ消した。

胸の奥が、また少し暗い色に染まる。

そのせいか、体はすぐに動かなかった。

【瑛里華】「失礼します」

時間をかけ、ゆるゆると立ち上がる。

脚には、畳の跡がくっきりと残っていた。

//Another view ends//

//June 6//

帰りのホームルームが終わった。

【司】「ったく、放課後だってのにあちーな」

【孝平】「ヤツが、あの調子だからな」

窓の外の太陽を指す。

午後3時を回っているというのに、遠慮なく頑張っている。

【司】「バイトだってのに、空気読めねえヤツだ」

【孝平】「寿司の配達だっけ?」

【司】「ああ。メットが暑いんだ」

【孝平】「メットって、お前チャリだろ?」

【司】「もちろんチャリだぜ」

自称、原動機ナシ自転車だろが。

【司】「ま、ここでクダまいてても仕方ねぇ」

【孝平】「おし、帰ろう」

【司】「んで、今日も生徒会か」

【孝平】「ああ」

【司】「クーラー入ってんの、あそこ?」

【孝平】「まさか」

【司】「命拾いしたな」

【司】「教室でも入ってねえ時期に、監督生室だけ入ってたら暴動もんだ」

【孝平】「ただでさえ暑いのに、暴動はご勘弁」

【司】「ははは、そうだな」

【孝平】「そういや、教室のクーラーはいつから入るんだ?」

【司】「7月だ。今が一番暑いってわけさ」

【司】「ん? あれは」

【孝平】「どうした?」

司が顎で差した先は体育館。

建屋の裏へ続く小道を、見知った姿が進んでいく。

【孝平】「副会長だな」

【司】「どうすんだ?」

【孝平】「何が?」

【司】「体育館裏っつたら、アレだろ」

放課後の体育館裏といえば、喧嘩か告白の殿堂。

季節柄、ちょっとしたヤブになってそうだ。

相手の男も、もうちょっと場所選べよ。

【孝平】「男にでも呼び出されたんだろ」

【司】「だから、どうすんだ?」

【孝平】「どうもこうもないさ」

【司】「つまんねーな」

【孝平】「邪魔することじゃないだろ」

そう言いつつも、ちょっと気になる。

下駄箱のラブレターを見たときは何も感じなかったのに。

【司】「んじゃ、さっさと帰るか」

【孝平】「お、おう」

監督生棟に向かって歩く。

たしか坂の手前から、体育館裏が見えてしまう場所があったような……。

近づきたくないが、監督生棟へ行くには通らなくちゃいけない。

【瑛里華】「支倉くん」

【孝平】「おわっ」

いきなり背後から声をかけられた。

【孝平】「お、おう」

【瑛里華】「今から監督生室?」

【孝平】「そっちも?」

【瑛里華】「もちろん」

いつも通りに見える副会長。

告白の結果は聞くまでもない。

なにせ、副会長には誰とも付き合う気がないのだから。

【孝平】「今日は暑いな」

【瑛里華】「まったく、げんなりするわ」

手をかざしつつ、空を見上げる。

【瑛里華】「でもま、暑くなってもらわないと困るのよ、これが」

【孝平】「なんでまた」

【瑛里華】「今月はプール開きがあるの」

【瑛里華】「去年は、寒いわ雨は降るわで大変だったわ」

【孝平】「プール開きって、生徒会で何かやるのか?」

【瑛里華】「ちょっとしたセレモニーをね」

【孝平】「ほんと、いろんな仕事あるな」

【瑛里華】「まーね」

そう言って歩き出す副会長。

揺れる彼女の肩に、何かが付着していた。

【孝平】「副会長、左肩のとこ」

【瑛里華】「え、なに?」

【孝平】「なんかついてる」

【瑛里華】「え? え?」

自分の肩を見ようとして、副会長は反時計回りに回る。

【孝平】「じっとしてて」

【瑛里華】「あ、うん」

【孝平】「テントウムシだな」

【瑛里華】「えっ!? 取って」

【孝平】「待ってろって」

副会長の肩に指先を伸ばす。

【瑛里華】「まだ?」

【孝平】「動くなって」

テントウムシの進行方向に人差し指を置く。

すぐに虫が乗り移った。

【孝平】「取れたぞ」

【瑛里華】「見せて見せて」

副会長がいつになくハイテンションだ。

【孝平】「こいつだ」

指を立てて見せる。

テントウムシが指先へ上っていく。

【瑛里華】「ふふっ、かわいいじゃない」

【孝平】「こいつは、高いところに行く習性があるんだ。ほら」

指先を下に向ける。

テントウムシは、Uターンして手首の方に上り始めた。

【瑛里華】「不思議だわ」

【瑛里華】「ねえ、また逆にして」

再び指先を上に向けると、虫は指のさきっちょ目指して歩きはじめた。

その様子を、副会長は好奇心に目を輝かせて見つめている。

虫なんて嫌がるかと思った。

【瑛里華】「でも、なんで肩についてたのかしら」

【孝平】「体育館裏行ってたからだろ。あそこ少しヤブになってるし」

【瑛里華】「……へえ、物知りじゃない」

風が吹いた。

指先に達したテントウムシが、薄茶色の羽を広げ飛び立つ。

俺も一緒に飛んで行きたかった。

【孝平】「空は青いなぁ」

【瑛里華】「覗くなんて、どういう趣味?」

【孝平】「すまん」

【孝平】「でも覗くつもりはなかった」

【孝平】「廊下から姿が見えたから、ちょっと気になって」

【瑛里華】「知ってたなら最初っから言いなさいよ」

【孝平】「ほんとごめん」

頭を下げた。

【瑛里華】「まったく」

腕組みをして、ふいと顔を逸らす。

【瑛里華】「恥ずかしいじゃない」

副会長の頬がかすかに染まる。

【孝平】「ごめん」

【瑛里華】「相手、見たの?」

【孝平】「遠かったから顔は見てない」

【孝平】「だいたい、体育館のとこは通りすぎただけで立ち止まってもいない」

【瑛里華】「信じていい?」

【孝平】「もちろん」

じっと見つめられる。

【瑛里華】「もういいわ」

【瑛里華】「テントウムシのかわいさに免じて許してあげる」

サンキュー、テントウちゃん(仮称)。

ピンチで、やや頭がゆだっていた。

【孝平】「えーと……じゃあ、行くか」

歩き出すが、副会長は動かない。

【瑛里華】「ねえ」

【孝平】「な、なに?」

【瑛里華】「結果」

胸が高鳴った。

もしかして、OKしたとか?

【孝平】「断った……んだよな?」

【瑛里華】「ええ」

【孝平】「だ、だろうと思った」

【瑛里華】「あはは、わかってるじゃない」

副会長の笑顔に、少しほっとした。

【孝平】「誰とも付き合わないって言ってたしな」

【瑛里華】「そうね」

ぎゅっと自らの腕を抱く副会長。

表情がかすかに憂いを帯びている。

【孝平】「でも、もったいないよな。ポテンシャル高いのに」

以前の副会長の言葉をそのまま返す。

もし自分が副会長を好きになったとして、そのとき芽があるのかないのか……。

【瑛里華】「ありがと」

【瑛里華】「でもま、無駄なポテンシャルだけどね」

【孝平】「寂しいこと言うなよ。そのうちいいやつ見つかるって」

【瑛里華】「いいのよ、そういうことは人間同士ですることだから」

【孝平】「……」

なんか、衝撃的な発言だったぞ。

【瑛里華】「さ、行きましょ。仕事が待ってるわ」

【孝平】「あ、ああ」

俺も歩きだすが、頭の中は副会長の言葉でいっぱいだ。

【瑛里華】「いいのよ、そういうことは人間同士ですることだから」

つまり彼女は──

吸血鬼は、人間相手に恋愛などしないと言ったのだ。

副会長は人間ではない。

彼女の生活があまりに人間と変わらないから、

生徒会役員になってからの生活があまりに楽しかったから、

そんなことまで忘れていた。

【瑛里華】「どうしたの?」

【孝平】「いや、なんでもない」

【瑛里華】「そう? ずいぶん汗かいてるけど」

【孝平】「平気だって」

【瑛里華】「早くも夏バテ?」

【孝平】「そんなヤワじゃないって」

あんなことを言った後だというのに、副会長は気楽な調子だ。

彼女が気楽でいられるのは、いつも考えていることを口にしただけだからだと思う。

『吸血鬼は恋愛をしない』

そんな考えを、彼女が胸の中に飼っているとしたら、ちょっと寂しい。

汗が額を滑り落ち、俺は空を見上げる。

強烈な日射しに、視界が一瞬白く飛んだ。

【孝平】「ちわー」

【瑛里華】「あ~、あつ~」

副会長は、パタパタと手のひらで顔を扇いでいる。

【伊織】「暑いところお疲れ」

【征一郎】「白、何か用意してやれ」

【白】「はい、お待ち下さい」

白ちゃんが給湯室に入る。

【孝平】「6月からこれじゃ、つらいですね」

【伊織】「7月になればクーラーが入るんだけどねえ」

【伊織】「そうだ。生徒会役員に立候補するときは、6月からクーラーを入れると公約したらいいんじゃないか?」

【瑛里華】「当選間違いナシね」

【孝平】「名案っすね」

ぐったりと椅子に座る。

ぐったりしているのは、もちろん暑さのためだけじゃない。

【伊織】「ときに支倉君」

会長がテーブルに手をつき、意味ありげに俺を見る。

【伊織】「この暑さの原因を知ってるかい?」

【孝平】「エルニーニョとかそういうのですよね」

【伊織】「違うね」

【瑛里華】「じゃあ何よ?」

【伊織】「君らが白昼堂々イチャついてるからだっ!」

びしっと指さされた。

【孝平】「と、唐突に何を?」

【伊織】「いやね、暑いから窓を開けたんだよ」

【伊織】「ついでに景色を満喫していたら、見えてしまったわけだ」

どんだけ目がいいんだ。

【伊織】「噴水のそばで手を握り合って『きゃっきゃうふふ』なんて、二人とも青春してるなあ」

遠目にはそう見えたらしい。

まあ、俺たちの距離が近かったのは事実だ。

【瑛里華】「殴っていいかな」

【孝平】「俺も参加する」

がたり

立ち上がった。

【伊織】「お、おい、なんだい?」

目標までの距離、

2メートル。

障害物、

なし。

【瑛里華】「こーのーっ!」

【瑛里華&孝平】「出歯亀がーーっ!!」

俺たちの拳がクリーンヒット。

【伊織】「てんとーむしぃっ!!!」

会長は、開け放たれた窓から飛び出していった。

【瑛里華】「ナイスパンチ」

【孝平】「そっちこそ」

【征一郎】「ふむ」

パソコンの画面を見ながら、東儀先輩がうなずいた。

【征一郎】「冷房はやはり、7月からが妥当だ」

【瑛里華】「え? どうして?」

【征一郎】「もし窓を閉めていたら、ガラスが割れていた」

静かに言って、東儀先輩はマウスをダブルクリックした。

【伊織】「いやー、飛んだ飛んだ」

少しして、会長が旅から帰ってきた。

首をぱきぱき鳴らしながら自分の席に座る。

【伊織】「あのねぇ、俺が吸血鬼じゃなかったら洒落にならないよ、ああいうのは」

【瑛里華】「吸血鬼じゃなきゃ殴らないから」

【伊織】「あ、そうそう」

【伊織】「空飛びながら考えたんだけど、水着解禁日ってもうすぐだよね」

【瑛里華】「もうちょっとマシなこと考えてよ」

【瑛里華】「あと、いやらしい言い方しないで」

【孝平】「つーか、水着解禁日ってなに?」

【瑛里華】「ただのプール開きよ」

【伊織】「まあそうとも言うね」

【伊織】「で、そのプール開きを二人で盛り上げてくれないかな?」

【白】「伊織先輩は盛り上げるのがお好きですね」

【伊織】「ああ、大好きだ」

【征一郎】「同じくらい高いところも好きだろう」

【伊織】「あんまり褒めるなよ」

【瑛里華】「でも、どうして私たちが?」

【伊織】「体育祭と一緒で、知名度を高めるためさ」

【孝平】「なるほど」

唐突だが悪くない。

むしろ面白そうだと感じるあたり、俺も変わったのかもしれない。

【孝平】「なあ副会長、やってみないか?」

【瑛里華】「いいわね」

副会長も即答する。

【孝平】「で、具体的にどうするかだけど」

【瑛里華】「そうねぇ」

腕を組む副会長。

【伊織】「はぁ、拍子抜けるねぇ」

ほおづえをつく会長。

【白】「どうされましたか? お加減でも悪いのですか?」

【征一郎】「放っておけ、すんなり話が進んで落胆しているだけだ」

【白】「む、難しいです」

【征一郎】「理解しようとしなくていい」

【孝平】「そういえば、副会長」

【孝平】「去年のプール開きはセレモニーをやったって言ってたよな?」

【瑛里華】「ええ」

【瑛里華】「具体的には、先生方の挨拶と、あとは安全祈願のお祓いね」

【孝平】「お祓いって、神主さんを呼んだのか?」

【伊織】「いや、俺がやった」

【孝平】「ぶっ」

【征一郎】「思い出させないでくれ」

東儀先輩でさえ、辛そうな顔をしてる。

【孝平】「じゃあ、今年は何する?」

【瑛里華】「お祓いはないわね」

【孝平】「そりゃまあ」

【孝平】「ぱっと思いつくとこだと、水泳大会なんてどうだ?」

【瑛里華】「水泳大会は夏休みに予定されてるけど」

【孝平】「だったら、前倒しして一緒に開催するとか」

【瑛里華】「時間割を動かさなきゃいけないし、けっこうハードル高いわよ」

【孝平】「やってやれないことはないだろ」

【瑛里華】「ヤル気十分じゃない」

【瑛里華】「わかったわ、やりましょう」

【孝平】「まずは企画を固めないとな」

【瑛里華】「そうね」

【瑛里華】「でないと、先生方に交渉できないわ」

【孝平】「じゃ、そいつは俺がやってみる」

【瑛里華】「大丈夫?」

【孝平】「ああ、任せといてくれ」

【瑛里華】「なら、私は簡単にタスクリストを作っておくわ」

【白】「お二人とも、頑張って下さい」

【孝平】「ああ」

【瑛里華】「楽しいプール開きにするわ」

【孝平】「よし、いっちょやるか」

【瑛里華】「ええ」

//Switch POV to student council//

【伊織】「たーだいまー」

【征一郎】「どこへ行っていた」

【伊織】「仕事さ。料理部の部長にせがまれてね。大・試食大会だ」

【征一郎】「遊んでいただけか」

【伊織】「失敬な。こういう地道な努力が生徒会の人気を作るのさ」

【伊織】「で、二人は?」

【征一郎】「30分ほど前に帰った」

【征一郎】「寮で続きをするらしい」

【伊織】「へえ、気合い入ってるじゃないか」

【征一郎】「あの二人、息が合ってきたな」

【伊織】「そうだな」

【伊織】「しかし、手がかからなすぎるというのも寂しいものだね」

【征一郎】「嘆くべきことではないだろう」

【伊織】「まあ、年寄りのグチだ」

【征一郎】「放っておいていいのか? あの二人」

【伊織】「なるようにしかならんさ、人の気持ちなんか」

【征一郎】「後悔することになってからでは遅いぞ」

【伊織】「後悔などしないさ」

【征一郎】「どうだかな」

//Switch back to Kouhei//

深夜1時を回った。

寮に帰ってすぐ机に向かったが、企画書はまだ形にならない。

たしか、体育祭の時もこんなことで悩んでたな。

ほんと生徒会は大変だ。

【孝平】「あ~~」

大きく背伸びをすると、こわばった関節が音を立てた。

ぴりりりっぴりりりっ

ぴりりりっぴりりりっ

携帯が鳴る。

【孝平】「はい、もしもし」

【瑛里華】「お疲れ様」

【孝平】「どうした?」

【瑛里華】「なんとなく電話してみただけ」

【瑛里華】「もしかして寝てた?」

【孝平】「まさか、ちゃんと頑張ってるさ」

【瑛里華】「あはは、感心感心」

【瑛里華】「で、どんな感じ?」

【孝平】「ぼちぼち、かな」

【瑛里華】「はっきりしないわねぇ」

苦笑が聞こえる。

電話越しに吐息がかかるようで、くすぐったい気分だ。

【瑛里華】「どこで詰まってるの?」

【孝平】「水泳大会はいいんだけど、普通の競技だけじゃ寂しいと思ってさ」

【孝平】「もう一声ほしいんだよな」

【瑛里華】「で、ネタが出ない」

【孝平】「ああ」

【瑛里華】「なんかあるかなぁ」

副会長がうなる。

俺もうなるが、ここ数時間考え続けたネタだ。

そう簡単には出てこない。

【瑛里華】「ぱっとは思いつかないわね」

【孝平】「しょうがないさ」

【孝平】「俺も、もうちょっと頑張ってみるよ」

【瑛里華】「あ……」

【孝平】「ん? なんか言ったか?」

【瑛里華】「う、ううん」

【孝平】「そっか」

【瑛里華】「あ、それじゃ、そろそろ切るわね」

【孝平】「電話ありがとな」

【瑛里華】「夜だからって恥ずかしいこと言わないの」

【孝平】「テレた?」

【瑛里華】「て、テレてないわよ」

【孝平】「んじゃ、またな」

【瑛里華】「ええ」

耳から電話を離す。

【瑛里華】「あんまり頑張りすぎないでね」

【孝平】「ん?」

再び携帯を耳に当てる。

ツーツー

なんか言ってた気がしたが。

明日にでも聞いてみよう。

【孝平】「さて」

このまま頭をひねってもラチがあかなそうだ。

テレビでも雑誌でも、とにかくヒントを探そう。

テレビの電源を入れると、見慣れたタレントの笑い声が響いた。

バラエティー番組なら、何かヒントが転がってるかもしれない。

//June 7//

【レポーターA】「東京地方の天気は晴れ」

【レポーターA】「昼は30℃近くまで気温が上がり、暑い一日になるでしょう」

【孝平】「ん……」

机に突っ伏していた。

最後に見た時計は、確か4時10分くらい。

そして今は8時19分。

4時間は眠れた計算だ。

……。

【孝平】「寝過ぎだろっ!」

机に散らばった書類を鞄に突っこむ。

ひらりと落ちたメモも、空中でキャッチ。

なによりこいつが大事だ。

寝ぐせ、洗顔は……

なんとかしよう。

【孝平】「はぁ、はぁ、はぁ」

額から水滴がぱたぱたと落ちる。

【陽菜】「どうしたの!?」

【司】「水でもかぶったのか?」

【孝平】「かぶった」

【孝平】「寝ぐせ直す時間がなくてな」

椅子にどさりと座る。

【孝平】「あー、久々に全力で走った」

【司】「夜忙しかったのか」

【孝平】「健全な意味でな」

【陽菜】「孝平くん、タオル、よかったら使って」

【孝平】「さんきゅ」

【陽菜】「あとこれも」

と、ウェットティッシュもくれた。

顔をふけってことだろう。

【孝平】「女の子は装備品が充実してるな」

【陽菜】「いろいろあるからね」

【孝平】「ははは」

背もたれに体をあずけ、頭をふく。

【桐葉】「水が飛ぶわ」

背後から、吹雪のような声がした。

【孝平】「あ、すまん」

【桐葉】「いいえ」

味気ない返事をして、紅瀬さんは手元の文庫に視線を戻す。

ちらりと見えたタイトルには、春琴抄とあった。

【陽菜】「タオル、いい?」

【孝平】「洗って返すよ」

【陽菜】「いいよ。干しておけばすぐ乾くから」

【孝平】「じゃ、悪いけど」

【陽菜】「気にしないで」

そう言って、俺が返したタオルを窓枠にぶら下げる。

続いて鞄から……

【孝平】「洗濯バサミッ!?」

【陽菜】「ん?」

【孝平】「あ、いや、なんでもない」

【陽菜】「そう?」

ぱちり、とタオルを留める。

どんだけ充実してんだよ。

【孝平】「ちわ」

【伊織】「お疲れさん」

【孝平】「あれ、副会長は?」

部屋には会長しかいなかった。

【伊織】「俺だけじゃ不満かね」

【孝平】「すみません、本音が漏れました」

【伊織】「まあいい。罰としてトイレブラシ買ってきて」

【孝平】「そんなもん、購買に売ってないですよ」

【伊織】「だから街で」

【孝平】「週末に買ってきますから、我慢してください」

【伊織】「嫌だね」

ぷつり。

【孝平】「困った駄々っ子ですね」

ぱきりと指を鳴らす。

【伊織】「まあ、そう言うな」

【伊織】「トイレブラシが君の人生を変えるんだ」

壊れた機械は、45℃の角度で叩くと直るらしい。

【孝平】「滅っ」

【伊織】「いやぁぁぁっ!」

会長につかみかかったところで、背後からドアの音。

【白】「どうかされましたかっ!?」

【伊織】「白ちゃん、ご覧の通りさ」

いつの間にかシャツのボタンを外している会長。

【孝平】「ちょっと会長!?」

【白】「え、えと……」

【白】「失礼しましたっ」

白ちゃんは、顔を真っ赤にして出ていった。

【孝平】「殺しますので遺言を」

【伊織】「まあ待ってくれ、めでたい日にそれはないだろう」

【孝平】「珍しい遺言ですが、責任をもってご遺族に伝えます」

【伊織】「今日は瑛里華の誕生日なんだよ」

【孝平】「はい?」

【伊織】「誕・生・日」

【孝平】「はあ」

胸ぐらをつかんだまま呆気に取られた。

【伊織】「だからトイレブラシを」

【孝平】「意味がわかりません」

【伊織】「瑛里華の誕生日と聞いたら、何かしたくなるのが人情だろう?」

【孝平】「そりゃまあ」

【伊織】「ところが、今のところそういう企画はない」

【孝平】「兄弟愛ゼロですね、見事に」

【伊織】「あーいや、それは誤解」

【伊織】「俺たちには誕生日を祝う習慣がなくてね」

【孝平】「え」

【伊織】「俺たちには寿命がない」

【伊織】「1年生きたところで、別にめでたくもなんともないからね」

言ってることはわかるが、それでいいのか?

【伊織】「征もそれを知ってるから企画は立てないし、瑛里華もおそらく気にしてない」

【伊織】「と、ここまでを踏まえた上で、君はどうしたい?」

【孝平】「俺は……」

千堂家の習慣に従うか──

無理やりにでも祝うか──

……。

【孝平】「何も聞かなかったことにして祝います」

【伊織】「それを瑛里華が喜ばないとしても?」

【孝平】「一回くらい誕生日やってみてもいいでしょ」

【伊織】「マーベラスっ!」

【伊織】「支倉君も、いい感じにテキトーになってきたね」

褒められたと思っておこう。

【孝平】「じゃ、何か買ってきます」

【伊織】「しかーし、週末までは外出許可が出ないのがこの学院さ」

【孝平】「そっか……くそ」

【伊織】「だからトイレブラシを」

【孝平】「結局、つながんないでしょうが」

【伊織】「おいおい、頼むよこーへーくん」

【伊織】「トイレブラシは、街でしか買えない監督生室の備品だろ」

【孝平】「……おお!」

【孝平】「会長、冴えてますね」

【伊織】「誰にものを言ってるんだい」

【孝平】「最初から話してくれれば、もっとよかったと思います」

【伊織】「ものには順序ってものがあるんだよ」

突っこむ気にもならない。

【孝平】「じゃ、トイレブラシを一つで」

【伊織】「領収書も忘れずに」

【孝平】「了解です」

鞄を引っつかみ、出口へ向かう。

【伊織】「あ、忘れてた」

【孝平】「?」

【伊織】「今日は君ら二人きりだから」

【孝平】「どういう気の回し方ですか」

【伊織】「仕方ないだろ、教師陣と会議なんだから」

【伊織】「なんでも、PTA関連でちょっとあったらしくてね」

【孝平】「しょっぱい話ですね」

【伊織】「代わりに支倉君が甘い時を過ごしてくれ」

【孝平】「そういう関係じゃないですよ」

監督生室を飛びだした。

//Switch to Iori's POV//

【伊織】「だったら、走って行くことはないだろうに」

【伊織】「……若いころ思い出す俺も、いい加減おっさんだな」

//Switch back to Kouhei//

【孝平】「ただいま」

【瑛里華】「どこ行ってたのよ」

副会長の声が飛んできた。

【孝平】「会長に買物頼まれて」

【瑛里華】「はあ? この忙しいときに?」

【孝平】「すまん。断れなかった」

【瑛里華】「で、何買ってきたの?」

【孝平】「トイレブラシ」

【瑛里華】「アホかーーーーっ!!」

大噴火した。

とりあえずトイレに逃げる。

ま、プレゼントのことは少し内緒にしておこう。

しばらくして、ようやく話ができる状態になった。

【瑛里華】「それで、企画書はまとまったの?」

【孝平】「一通りは」

朝方、鞄に突っこんだ書類を渡す。

【瑛里華】「拝見するわ」

ぺらぺらと紙をめくる。

【瑛里華】「なるほどね」

【瑛里華】「大まかな企画はいいと思うけど、結局、特別競技は思いつかなかったんだ」

【孝平】「ああ、その話な」

ふたたび鞄をあさる。

底に、メモ一枚を見つけた。

【孝平】「こっちに書いておいた」

【瑛里華】「えーと……」

【瑛里華】「ずいぶん達筆ね」

半ば睡魔に支配されつつ書いたらしい。

【孝平】「ちょっと待って、解読するから」

深夜番組から得たアイデアが書かれているはずだ。

水泳。

深夜番組。

【孝平】「ポロリ?」

【瑛里華】「はい?」

【孝平】「なんでもない」

【瑛里華】「しっかりしてよ、自分で書いたんでしょ?」

【孝平】「待ってろって」

【孝平】「……お、わかった」

【孝平】「鬼ごっこだ」

そう。

最後に見た番組でやってた企画だ。

【瑛里華】「プールでやるの?」

【孝平】「もちろん」

概要はこうだ。

各クラスから二人くらい選手を出す。

生徒会が鬼を何人か用意する。

全員をプールに入れて、あとはひたすら鬼ごっこ。

もちろんプールから出るのはNG。

制限時間まで逃げ延びた人たちで、賞品を山分けする。

【瑛里華】「なるほど」

腕組みする副会長。

【瑛里華】「でも、鬼ごっこって子供の遊びでしょ?」

【孝平】「確かに子供の遊びだ」

【孝平】「でも、子供の遊びを大人が本気でやると盛り上がるんだ、これが」

【瑛里華】「どうやって本気にさせるのよ?」

【孝平】「賞品をつけよう」

【孝平】「学食のタダ券なら、みんな欲しがるだろ?」

食事を学食に頼ってる俺たちにとって、タダ券は至高のアイテム。

食費が浮いた分だけ、小遣いが増えるからだ。

実質、賞金をもらえるのと変わらない。

【孝平】「代表が生き残れば、クラス全員が得するわけだし」

【瑛里華】「応援してる人も盛り上がれそうね」

【孝平】「そういうこと」

【孝平】「いけそうか?」

副会長は、少し考えて組んだ腕を解いた。

【瑛里華】「やってみましょう」

【孝平】「よしっ」

【瑛里華】「まずは企画書。そのあと先生方への交渉」

【瑛里華】「学級委員を集めて説明会、盛り上げるにはポスターも必要だわ」

【孝平】「忙しくなるな」

【瑛里華】「むしろ張り合いがあるわ」

二人でにっと笑う。

【孝平】「さっそく取りかかるか」

机に置かれた書類をまとめる。

【瑛里華】「あ、そうそう、これ」

副会長が、人差し指でメモを押さえる。

【孝平】「?」

【瑛里華】「遅くまで頑張ったのね」

【孝平】「ま、まあ」

【孝平】「自分でやろうって言って、アイデアなしじゃかっこ悪いしな」

くすぐったい気分だ。

あっさり嬉しくなってしまうのが悔しい。

【瑛里華】「ふふふ、そうね」

【孝平】「ま、まだ、企画が通ったわけじゃないし、頑張ろう」

そのうえ強がってしまう。

副会長を意識してないって言ったら……

嘘になるかもしれない。

ぴりりりっぴりりりっ

【孝平】「おっと」

部屋のすみに移動。

【司】「ちわ、寿司勝です」

【孝平】「いま行く」

【孝平】「すぐ戻るから」

【瑛里華】「え? どこ行くの?」

【孝平】「ちょっと」

入口のドアを開く。

【司】「人使い荒いぞ」

【孝平】「あとで埋め合わせするから」

【司】「頼むぜ」

「寿司勝」と書かれた“おかもち”から一辺30センチくらいの箱を出す。

両手でしっかり受けとった。

【司】「大将にバレそうでヒヤヒヤした」

【孝平】「すまん」

【司】「ま、いい」

【孝平】「ここまでチャリで来たのか?」

【司】「アホ、シスターに殺されるだろうが」

【司】「きっちりチャリで来たさ」

ちなみに、司の言うチャリは状況によって意味が違う。

【司】「んじゃ、またな」

【孝平】「助かった」

返事の代わりに、にっと笑って司は立ち去った。

【孝平】「よし」

両手の重量感を確かめる。

ほんのり爽やかな香りがした。

【孝平】「ただいま」

【瑛里華】「お帰り」

【瑛里華】「あら、それ何?」

俺の持ち物を見て言う。

【孝平】「ああ、ちょっと頼んでたもの」

【孝平】「開けてみろよ」

【瑛里華】「私が?」

怪訝な表情をしつつも、俺から箱を受けとる。

【瑛里華】「変な仕掛けがあるんじゃないでしょうね」

【孝平】「大丈夫だって」

【瑛里華】「まあ、なら」

箱を机に置き、副会長がふたを開いていく。

ゆっくりと。

少し警戒しながら。

【瑛里華】「あ……」

箱はフラワーボックスだ。

白、赤、ピンクのバラが敷きつめられ、格子模様を形作っている。

【瑛里華】「きれい」

副会長が箱を持ち上げ、香りを嗅ぐ。

【瑛里華】「素敵な香りね」

【瑛里華】「でも、これ」

どうしたの? と表情で聞いてくる。

【孝平】「今日、誕生日なんだろ」

【瑛里華】「え?」

【孝平】「プレゼント」

【瑛里華】「私に?」

【孝平】「他に誰がいるんだよ」

【瑛里華】「う、うん」

副会長の表情からは感情が読み取れない。

なんか不安になってきた。

【孝平】「もしかして迷惑だったか?」

【瑛里華】「違う、違うの」

【瑛里華】「ただ、こういうの初めてだから」

誕生日を祝う習慣がないのは本当だったようだ。

【瑛里華】「どうしよう……」

そう言ったっきり、副会長は黙る。

顔を見ていられなくて、俺は明後日の方向を向く。

時が過ぎてゆく。

【瑛里華】「……」

副会長の鼻がかすかに鳴る。

こんなに喜んでもらえるとは思えなかった。

人生初ってのが大きいんだろうな。

【瑛里華】「ありがとう、支倉くん」

副会長を見る。

俺を見ていた。

【瑛里華】「上手く言葉にできないけど、ありがとう」

【孝平】「ああ」

潤み、深みを増した瞳の色。

言葉がなくとも、それで十分だ。

【瑛里華】「ありがとう」

三度くりかえし、副会長は眼を細める。

俺も同じような顔をしているのかもしれない。

【瑛里華】「ふふっ」

副会長が白い歯を見せ、フラワーボックスを机に置く。

そして、しっかりとふたをする。

【孝平】「飾らないのか?」

【瑛里華】「飾るわ」

【瑛里華】「でも、部屋に置きたいの」

【孝平】「そっか」

【孝平】「じゃあ、袋あったほうがいいな」

戸棚を開け紙袋を取り出す。

【瑛里華】「ありがとう」

【孝平】「4回目だ」

【瑛里華】「変なこと数えないでよ」

苦笑する。

いつもの空気が流れ始めた。

【瑛里華】「でもこれ、どうしたの?」

【孝平】「買物に出たときに、一緒に頼んで来たんだ」

【孝平】「作るのが時間かかるらしくて、ここに届けてもらった」

【瑛里華】「親切な花屋さんね」

【孝平】「ああ」

正確にはこうだ。

プレゼントを何にしようか考えていた。

ふと、小洒落た花屋のフラワーボックスが目に入った。

店員に聞くと、オーダーが入ってから作るので、1時間くらい必要とのこと。

宅配だと、到着は早くて明日の午前中だという。

そんなに待てないし、明日じゃ時機を逸してる。

運良く(運悪く)友人がチャリで通りがかった。

無理やり受け取りと配達を頼んだ。

すまん、司。

【孝平】「さて、仕事再開するか」

【瑛里華】「ええ」

【孝平】「あ、ひとつ聞きたいことがあったんだった」

【瑛里華】「どうぞ」

【孝平】「昨日、電話くれたよな」

【孝平】「切るときに、なんか言いかけなかったか?」

【瑛里華】「いえ、何も」

【孝平】「そっか」

【瑛里華】「はいはい、仕事仕事」

【瑛里華】「さっさと企画書作って、職員会議通すわよっ」

【孝平】「よしっ」