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//June 14//

週明け。

休日返上で完成させた企画書を提出した。

火曜日には職員会議を企画が通過。

そこからは怒濤の仕事ラッシュだった。

なにしろ、3日間で準備から告知までしなくてはならなかったのだ。

ポスター作成、学級委員への説明、賞品の交渉などなど……。

放課後の活動時間だけでは足りず、寮でこなした仕事も多い。

それでもなんとか作業を終え、土曜日の午後を迎えた。

【女子生徒A】「位置について」

【女子生徒A】「よーい」

スターターピストルの音が青空に響き渡る。

水しぶきが上がり、割れるような歓声がプールを包んだ。

次々と行われていく競技を、俺は本部テントから眺めていた。

隣には、水着に身を包んだ副会長。

組んだ足をときどき入れ替えるものだから、目のやり場に困る。

【瑛里華】「みんな気合い入ってるわね」

【孝平】「ああ。この調子でいってくれれば、ラストはもっと盛り上がるはずだ」

【瑛里華】「ふふふ、そうね」

笑って、プールに視線を戻した。

水面で乱反射する日射しに副会長は眼を細める。

【孝平】「副会長、本当は参加したかったんじゃないか?」

【瑛里華】「私はこれでいいのよ」

【瑛里華】「みんなが楽しんでいるのを見るのが、なにより嬉しいわ」

【孝平】「そんなもんかな」

そう言いながら、最近は副会長の気持ちがわかるようになってきた。

生徒会役員になり、行事に企画から関わってきたからだと思う。

企画者としては自分が競技に参加することより、みんなが楽しんでくれることの方がよっぽど大事だ。

【伊織】「はっはっは、まさに敵なしっ」

一着でゴールした人には見覚えがあった。

どう見ても楽しみまくってる。

【瑛里華】「兄さん、自分が泳ぎたかっただけなんじゃ」

【孝平】「それもあるかもな」

【伊織】「声援ありがとうっ、ありがとうっ」

会長が観衆に手を振ると、場が一気に沸き立つ。

【孝平】「でも、ああやって盛り上げてくれるのは助かるよ」

【瑛里華】「適材適所といえばそうね」

などと、二人で苦笑していると……

【かなで】「やっほー、元気してるかなー」

【孝平】「あ、かなでさん……それに陽菜も」

【陽菜】「こんにちは」

【瑛里華】「こんにちは」

【孝平】「何かあったのか?」

【陽菜】「ううん。陣中見舞いに来たの」

【陽菜】「これ、よかったら飲んで」

ビニール袋を渡される。

紅茶と麦茶のペットボトルが2本ずつ、合計4本入っていた。

【瑛里華】「ありがとう、悠木さん。ちょうど喉が渇いていたの」

【孝平】「見てるだけだと、ほんと暑いんだ」

【陽菜】「足らなかったらまた持ってくるから、言ってね」

【孝平】「ありがと。そうさせてもらうよ」

【かなで】「こーへー、いまんとこトラブルは起きてないかい?」

【孝平】「ええ。大丈夫です」

【かなで】「けっこう、けっこう」

【かなで】「なんかあったら風紀が出張るからねっ!」

【孝平】「よろしくお願いします」

【かなで】「うむうむ」

薄い胸を張るかなでさん。

胸については、まったく似ていない姉妹だ。

【陽菜】「お姉ちゃん、そろそろ次の競技の準備しないと」

【かなで】「あ、そうだった」

【孝平】「何に出るんですか?」

【かなで】「50メートル背泳ぎ」

【孝平】「できるんですか、背泳ぎ」

【かなで】「そりゃもう、アメンボのよーにね」

アメンボは背泳ぎしない。

【かなで】「二人とも、わたしの活躍を瞳に焼き付けておくといいよ」

【孝平】「ええ、頑張ってください」

【かなで】「任せとけっ」

【陽菜】「それじゃ、またね、孝平くん、千堂さん」

【瑛里華】「ええ。楽しんでね」

立ち去る二人に手を振る。

【瑛里華】「支倉くん、水着好きなの?」

【孝平】「いきなりなんの話だ」

【瑛里華】「二人のこと、じーっと見てたじゃない」

【孝平】「じーっとってのは人聞き悪いな」

【孝平】「男として自然な範囲は出てないぞ」

【瑛里華】「ふうん……」

【孝平】「な、なんだよ」

【瑛里華】「ん? 焦ってる?」

【孝平】「焦ってないから」

【瑛里華】「ふーん」

楽しそうな副会長。

まあ、水着やスタイルがどうのって話をしたら、副会長のそれは群を抜いてる。

口に出したら殺されるだろうが。

【孝平】「あ、そうそう。せっかくもらったんだし、差し入れ飲もうぜ」

【瑛里華】「ええ」

【瑛里華】「何が入ってるの?」

袋を開ける。

【孝平】「紅茶と麦茶だな」

【孝平】「副会長は紅茶だろ?」

【瑛里華】「あったりー」

副会長に紅茶のペットボトルを渡す。

【瑛里華】「あ、忘れてた」

【孝平】「どうした?」

【瑛里華】「持ってきたものがあるの」

副会長が自分の荷物をあさる。

……。

取り出したのはかわいい紙袋だった。

【瑛里華】「これ」

【孝平】「何?」

【瑛里華】「開けてみればわかるわ」

笑顔で促され、袋を開ける。

中にはサンドイッチが入っていた。

【瑛里華】「準備でお昼食べる時間がないと思ったから」

【瑛里華】「お腹空いたでしょ?」

【孝平】「ああ、ぺこぺこだ」

【瑛里華】「じゃ、遠慮なく食べて」

【孝平】「ありがたく」

さっそくタマゴサンドにかじりつく。

【瑛里華】「……」

【孝平】「お、うまいよこれ」

【瑛里華】「ホント? よかった」

胸に手を当てて息を吐く副会長。

【孝平】「これ、副会長が作ってくれたのか?」

【瑛里華】「そうよ」

【瑛里華】「といっても、出来合いの物をミックスしただけだけどね」

寮には調理施設がない。

工夫して作ってくれたのだろう。

【孝平】「でも、売ってるヤツより絶対うまいよ」

【瑛里華】「褒めすぎだって」

くすぐったそうに笑いながら、毛先を指に絡める。

【孝平】「もう一個いいか?」

【瑛里華】「もちろん」

【孝平】「じゃ、遠慮なく」

次は、ツナサンドを口に運ぶ。

【孝平】「こっちもうまいよ」

【瑛里華】「なら、作ったかいがあったわ」

サンドイッチを頬張る俺を、副会長はうれしそうに見ている。

【瑛里華】「全部食べちゃっていいからね」

よっぽどうまそうに食っていたのか、副会長が言う。

【孝平】「俺ひとりで食ったら気まずいだろ」

【孝平】「一緒に食おう」

【瑛里華】「あはは、そっか、そうだね」

副会長が、笑って手を伸ばす。

俺も3つめに手を出した。

……。

待てよ。

サラダサンドをくわえたとき、ふと思い当たった。

副会長って、腹減らないよな。

つーことは、俺のために作ってくれたのか?

【孝平】「……」

仕事仲間の俺に作ってくれたのか、ちょっと気になる俺に作ってくれたのか──

それはわからないが、どっちにしろ俺がうれしいのは本当だ。

うまさが3倍増しになった気がする。

約2時間に渡り続いた水泳大会も、いよいよ最終種目を残すのみとなった。

最後はもちろん、学食のタダ券をかけた鬼ごっこだ。

プールには、各クラス2名ずつ、計36名の代表選手。

プールサイドには、鬼役の屈強な男が4人、腕組みをして立っていた。

迫力を出すためか、顔に隈取りがしてあったり、額に『大往生』と書かれていたりする。

【孝平】「鬼の人、どっかで見たことないか?」

【瑛里華】「柔道部の人たちじゃない?」

【瑛里華】「鬼役を手配したの、悠木先輩だし」

【孝平】「かなでさん、こういうの好きそうだもんなぁ」

言ってるそばから、ちびっこい人影がスタート台に上った。

【かなで】「蒼天既に死す。黄天まさに立つべしっ」

意味不明だが、鬼たちは野太い雄叫びを上げた。

【かなで】「諸君の相手をするのは、この悠木かなでが召喚したジュードーマスターたちだ」

【かなで】「段位は合わせて6段」

【かなで】「チケットが欲しくば、5分間、己の帽子を守ってみせるがいいっ!」

プールの中からも雄叫びが上がる。

【かなで】「ではでは」

かなでさんが軍配を上げる。

一陣の風が吹き抜け、プールを静寂が包んだ。

【かなで】「レディーッ、ゴーーーッ!!」

柔道部員が飛び込み、ぶっとい水柱が上がった。

選手たちが一斉に動きだす。

だが、水の抵抗もあり、なかなか思うように動けない。

並外れた体格の鬼たちは、その重量に任せ一直線に水をかきわける。

小魚の群れを追うマグロみたいだ。

【かなで】「どうしたっ、その程度かっ」

かなでさんはスタート台の上で軍配を振っている。

【瑛里華】「ねえ、支倉くん」

飛んでくる水しぶきを避けながら、副会長が口を開く。

【孝平】「なに?」

【瑛里華】「紅瀬さん、なんで鬼ごっこに出てるの?」

【孝平】「目立たなくてすみそうだからって、立候補したみたい」

【瑛里華】「……やっぱり紅瀬さんは紅瀬さんね」

副会長は、不機嫌そうに紅瀬さんを見つめている。

そういえば、紅瀬さんとは試験がらみで因縁があるんだった。

問題の紅瀬さんはというと──

次々と選手が脱落していく中、静かな表情でプールに立っていた。

と、鬼の一人が紅瀬さんめがけて進みだした。

タンカーのような突進。

10メートルほどあった距離が、一瞬でつまる。

だが紅瀬さんは、じっと突っ立ったままだ。

鬼の丸太のような腕が振り上げられる。

【瑛里華】「危ないっ」

副会長が机を叩く。

ばしゃーんっ!!

鬼の腕が水面をなぎ払った。

……。

だが、その手に紅瀬さんの帽子は握られていない。

【瑛里華】「紅瀬さんがいないわ」

水しぶきの後には、鬼だけが立っている。

【孝平】「潜ったか」

【瑛里華】「そうらしいわね」

固唾を呑んでプールを観察する。

しばらくして、まるであさっての方向に紅瀬さんの上半身が浮んだ。

ざっと1分近くは潜水していただろう。

【孝平】「もぐってれば、そりゃ目立たないわな」

【瑛里華】「まあ、有効といえば有効な戦術ね」

クレバーだ、紅瀬さん。

【??】「ひゃああっ」

ひときわ、かわいらしい声が上がる。

【孝平】「これ……」

【瑛里華】「白じゃないかしら?」

【孝平】「誰だっ、代表に選んだ奴はっ」

今度は俺が机を叩いた。

迫り来る鬼に、白ちゃんはただか細い悲鳴を上げるばかり。

ほとんどその場を動けないでいる。

【征一郎】「ああ……白……」

東儀先輩が卒倒した。

【白】「こ、来ないでください~」

ヒグマのごとく両腕を掲げた鬼に、ぱしゃぱしゃと水をかける白ちゃん。

ぱしゃぱしゃ

ぱしゃぱしゃ

ぱしゃぱしゃ

鬼は申し訳なさそうに笑って、他のターゲットに向かった。

【孝平】「なんだそりゃ」

【瑛里華】「こらーっ」

紅瀬さんが地の利を生かしているとするなら、白ちゃんは自身のポテンシャルを存分に発揮していた。

【孝平】「意外に紳士だな、柔道部」

【瑛里華】「気持ちはわかるけど」

【かなで】「残り1分っ!」

そうこうしているうちに、かなでさんの声。

鬼たちの動きはいっそうキレを増す。

選手たちはあっという間に減り、残りは三人。

そんななか、紅瀬さんは水に潜ってそれっきり。

どこにいるかすらわからない。

白ちゃんは、ぱしゃぱしゃバリア。

不幸な残り一人は、あっという間に鬼の餌食になった。

【かなで】「しゅーりょー」

【白】「あ、あれ?」

【桐葉】「ぷはっ」

残ったのは、白ちゃんと紅瀬さんだった。

【かなで】「しろしろときりきりの勝利だーーっ」

テンションが上がりまくった奴らが、次々とプールに飛び込んでいく。

【伊織】「諸君、日頃の恨みを晴らすチャンスだっ!」

聞き慣れた声が聞こえ、続いて歓声が上がる。

【青砥】「ははははっ、こらっ、おまえらっ」

青砥先生が宙に舞った。

【シスター天池】「あっ、やめなさいっ、やめてっ、やめてーーっ」

シスターも宙に舞った。

【瑛里華】「兄さん……」

副会長は眉間を押さえていた。

【孝平】「日が延びたな」

【瑛里華】「ええ。夏が近い証拠だわ」

俺たちは、スタート台に並んで座っていた。

垂らした足が水面に着きそうで着かない。

なんかもどかしい。

【瑛里華】「行事って、何度やってもあっという間に終わってしまうわね」

【孝平】「楽しいことは、ちょっと足りないくらいがいいだろ?」

【瑛里華】「そうかもしれない」

撤収はすべて完了し、あとは施錠をするのみ。

プールサイドに人影はなく、大会の残響だけが耳の奥にある。

【瑛里華】「でも、支倉くんの企画、予想以上に盛り上がったわね」

【孝平】「安心したよ」

かなでさんの演出にも助けられたし、勝者が予想外の人物だったのも良かった。

最後の、先生ダイブは想定外だったが、青砥先生なら許してくれるだろう。

シスターは……

あとで数人、奉仕活動に出てもらおう。

【孝平】「けが人もなくて良かった」

【瑛里華】「ええ」

返事はか細かった。

副会長は、じっと夕焼けに染まる水面を見つめている。

光の加減か、その横顔には憂いが見て取れた。

なぜか気にかかる。

初めて見る表情なのに、よく知っている気がする。

どこで見たのか、なぜそう感じるのか、俺にはわからない。

【孝平】「なあ、副会長」

【瑛里華】「ん?」

【孝平】「俺と競争しないか」

【孝平】「見てばっかりだったし、最後くらい泳いでもいいだろ?」

企画者は、企画の成功を喜べばいい。

それはわかっている。

でも、副会長の顔を見たら、なんかじっとしていられなくなった。

【瑛里華】「……そうね」

先に立ち、副会長に手を差し出す。

柔らかな手をしっかりと握り、立ち上がるサポートをする。

【瑛里華】「クロールでいい?」

【孝平】「ああ。距離は、行って帰ってで」

【瑛里華】「OK」

飛び込みの姿勢を作る副会長。

いくつもの曲線が複雑に折り重なり、彼女の体を形作っている。

直線的な男の体とは大違いだ。

【瑛里華】「用意はいい?」

【孝平】「いつでも」

【瑛里華】「じゃ。よーい……」

……。

副会長の声と同時に、飛んだ。

【孝平】「速すぎだこらーっ」

【瑛里華】「そう? これでも加減したんだけど」

速いなんてもんじゃない。

俺がゴールしたとき、副会長はすでにプールを上がって伸びをしていた。

荒くなった息を落ち着けつつ、プール横にたどりつく。

【瑛里華】「ごめんね、支倉くん」

プールサイドから、笑顔で手を伸ばしてくる副会長。

そして気づく。

見上げるアングルは、かなりきわどい。

とりあえずTPOをわきまえるよう、水面下に念を送る。

【孝平】「ま、ともかく負けは負けだ。晩飯おごるよ」

副会長の手を取る。

【瑛里華】「いいからいいから」

【孝平】「どうせ後で、学食無料券もらえるから遠慮するなって」

【瑛里華】「あ、そっか」

【瑛里華】「だったら、贅沢させてもらおーっと」

手を引かれ、プールから上がる。

勢い余って、抱き合うように体が触れ合った。

互いに立ちつくす。

確かな体温を感じたころ、どちらからともなく離れた。

副会長に触れた右肩が、熱い。

彼女を意識しているからだけではない。

副会長の体が、実際に熱かったのだ。

【孝平】「副会長?」

【瑛里華】「……」

うつむいた額に汗がにじんでいる。

息も荒い。

【孝平】「副会長」

もう一度呼ぶ。

【瑛里華】「ごめん、なさい」

何度目だろう。

前回は確か、野球のボールを避けたとき。

記憶をさかのぼれば、初めて会ったときに行き着く。

女の子特有の体調のせいだと思っていた。

人によっては、重い人もいるだろう。

だが、副会長みたいな反応を見せる人はいただろうか。

【孝平】「なあ、体調悪いのか?」

【瑛里華】「だ、大丈夫よ」

【孝平】「大丈夫って顔してないぞ」

【孝平】「もしかして、初めて会ったときと同じになってるんじゃないか?」

【瑛里華】「……」

【孝平】「本当に体調の問題なのか?」

【瑛里華】「知って、どうするの?」

うめくような声だった。

【孝平】「俺にできることがあるなら、協力する」

【瑛里華】「できることがなかったら?」

【孝平】「……」

言葉に詰まる。

暗に、できることはないと言われている気がする。

できることがないなら、知っても知らなくても同じか?

いや……

【孝平】「それでも、副会長のことなら知りたい」

【孝平】「前提も理由もない」

それが、純粋な欲求だからだ。

【瑛里華】「支倉、くん」

傾きを増した西日が、副会長を赤く染めている。

その姿は、景色に溶けてしまいそうなほど、はかなく見えた。

【瑛里華】「なんでかな」

副会長が顔を上げる。

泣いているようにも、笑っているようにも見えた。

【瑛里華】「支倉くんには、隠し事がしにくい体質みたい」

【瑛里華】「さっきも、けっこう本気で泳いじゃったし」

【瑛里華】「なんか……取りつくろえない」

俺は、無言で次の言葉を待った。

握りしめた手のひらが、汗でじっとりと湿る。

【瑛里華】「騒ぐのよ」

【瑛里華】「あなたに近づくと、血が」

【孝平】「血……」

俺は、覚悟できていたのだと思う。

さほど驚きはなかった。

【瑛里華】「ずいぶん慣れてきたんだけど、最近、また影響が強くなってきてる」

【孝平】「どうして?」

【瑛里華】「わからない」

【孝平】「俺の血が、欲しくなるのか?」

【瑛里華】「欲しくないと言えば、嘘になるわ」

【瑛里華】「でも、それだけじゃないのよ、この感じは」

副会長が胸元に爪を立てる。

思うように動かない体の部位を、さいなむような仕草だった。

【孝平】「……」

常識的には存在するはずのない吸血鬼。

種に関する知識の集積もなく、ただ経験のみで自分を知り、生きねばならない。

それは、空の見えない真っ暗な森を、地図なしで歩くのに似ている。

その不安と恐怖は、どれほどのものだろうか。

ましてや、副会長は人間の社会で生活しているのだ。

【瑛里華】「いいのよ、そういうことは人間同士ですることだから」

副会長の言葉は、むしろ自然にも思える。

でも、そう思ってほしくはない。

人間にもいろいろいるってことを、知ってほしい。

【瑛里華】「あ、でも、大丈夫よ」

いきなり、副会長は笑顔を作った。

【孝平】「は?」

【瑛里華】「血が騒ぐと言っても、汗をかく程度だし」

【瑛里華】「それに、私は我慢できるわ」

【瑛里華】「人の血は絶対に吸ったりしないから、心配しないで」

大した問題じゃないわ、とでも言うような笑顔。

その表情に、胸がぎゅっと縮むような感覚を覚える。

この感覚は知っている。

転校生活の中で、俺がずっと避けてきた感覚。

そう、これは……

人との距離が遠ざかった瞬間の感覚だ。

副会長の言葉は、字面だけなら、俺を気遣っているようにも見える。

でも、本当の意味は違う。

彼女は言ったのだ。

あなたが私を怖がるのは悪いことじゃない──

それは私のせいだから──

私だけの問題だから──

つまりは、踏み込んできた俺から距離を取ったのだ。

【孝平】「待てよ」

【瑛里華】「え?」

試されてると思えばいい。

向こうが距離を取るなら、追いかけるだけ。

それが、俺の自分勝手な欲求だなんてことは百も承知だ。

【孝平】「俺は、何も心配なんてしてない」

【瑛里華】「え? え?」

【孝平】「血が飲みたくなったら、飲んでくれてもいい」

【瑛里華】「ちょっと、私はっ!」

【孝平】「ともかく、今日みたいになったら言ってくれ」

怒鳴られる前に言葉を遮る。

副会長の視線がさまよった。

【孝平】「前もって言ってくれてれば、大丈夫」

【孝平】「俺は、驚かないさ」

【瑛里華】「え、えと」

信じられないものを見るような目で、俺を見る。

そんな副会長の頭に手を載せる。

【孝平】「大丈夫だ」

そう言って、優しく撫でる。

【瑛里華】「あ、うん」

副会長は、赤くなってうつむいた。

【孝平】「歩けるか?」

【瑛里華】「うん」

うなずいてくれた。

半分、上の空っぽかったけど。

【孝平】「じゃ、着替えて監督生室に戻ろう」

【瑛里華】「そ、そうね」

副会長の手を引いて歩きだす。

なんとかなったのか?

確信はない。

でも、ま、手を振りほどかれてはいないし……。

なんとかなったと、思うことにしよう。

//Another view : Erika//

部屋に入るなり、うつ伏せにベッドへ倒れた。

頭の中がぐるぐる回っている。

プール開きは順調。

撤収も順調。

その後、支倉くんと泳いだ辺りからおかしくなってきて……

血が騒ぎ出してからは、完全にコースアウトした。

その後のことは、ろくに覚えてない。

なんか、叫ぼうとしたり、頭を撫でられたりした気がする。

予想だにしなかったことだ。

【瑛里華】「まったく」

うめいてみても、わけがわからないのはそのまま。

でも、変な直感だけは残っている。

彼は……

支倉くんは……

欲しかったものをくれたのではないか。

……。

そっか。

そうに違いない。

一人うなずいている自分は、かなり怖い。

でも気にしないことにする。

【瑛里華】「そうよね」

呟きつつ、仰向けになる。

天井を眺めながら、今後のことを考える。

ふと、夜露のように冷静さが下りてきた。

考えてはいけない。

その先にある結論に触れてはいけない。

【??】「謝る暇があったら、なすべきことをなせ」

【??】「さもなくば」

【??】「わかっておろうの?」

脳裏に浮かぶ、あの人の声。

そうだ。

私は抗うと決めたのだった。

支倉くんがいくら私を受け入れてくれたとしても、私が私であろうとする限り──

結果は、明白。

寒気が背筋から広がり、心地良い胸の火照りを追い出す。

頭が冷え冷えと冴えわたっていく。

【瑛里華】「支倉……くん」

その名を呼んだ瞬間、

【瑛里華】「……っ」

胸に、不安が押し寄せる。

【瑛里華】「あ……う……」

こんな感覚は初めてだ。

胸の中心が砂になり、風に散っていく。

残るのは、真っ黒な空洞。

突如として現われた虚ろは、ゆっくりと、確実に、拡大していく。

声も出ない。

考えることもできない。

頬を伝う涙を感じることさえできない。

闇を押さえ込むことだけで精一杯だ。

【瑛里華】「支倉、くん」

その人の名を呼ぶ。

虚ろの拡大は止まらない。

むしろ、速度が速まった気がする。

……。

でも同時に、

彼に会うことでしか、この空洞は満たされないと、

悟った。

//Another view ends//

//June 23//

昼休み。

いつものメンバーで食堂へ繰

り出した。

【司】「なんにすんだ?」

【孝平】「焼きそば」

【司】「またか」

【孝平】「まただ」

【陽菜】「孝平くん」

隣にいた陽菜が、頬を膨らます。

【孝平】「つ、付け合わせにサラダでも食うかな」

【陽菜】「そうそう。バランスよくね」

【陽菜】「八幡平くんもだよ」

【司】「へーい」

青椒肉絲にサラダをつける司。

【陽菜】「私はとろろソバにしよっと」

【孝平】「夏はいいよな、冷たい麺」

【陽菜】「食欲が落ちても食べられるしね」

6月も下旬。

珠津島はすでに梅雨に入っていた。

湿度が高いため、真夏より暑く感じる。

梅雨明けが待ち遠しい。

【陽菜】「そういえば、ちゃんと勉強してる?」

ソバを手繰る手を止め、陽菜が言った。

【孝平】「なんの?」

【陽菜】「き・ま・つ・し・け・ん」

【孝平】「お、おお~」

すっかり忘れてた。

【孝平】「そろそろ始めないとまずいな」

【司】「そうか?」

【孝平】「一般的には」

【司】「んじゃ、いいや」

まあ、司には司の生き方があるに違いない。

【孝平】「7月の1日からだよな」

【陽菜】「うん」

【陽菜】「今からなら十分間に合うよ」

【孝平】「よし、いっちょやるか」

【孝平】「変な点取ったら、副会長に殺されかねないし」

【瑛里華】「(あのねえ、役員がこの点数じゃ示しがつかないでしょう?)」

脳内で副会長の声が再生される。

【瑛里華】「私が何をするって?」

リアルに声が聞こえたぞ。

しかも背後から。

【孝平】「よ、よう」

振り向く前に、肩に手を置かれた。

マジで怖い。

【陽菜】「こんにちは、千堂さん」

【司】「おす」

【瑛里華】「こんにちは」

声しか聞こえないが、機嫌はよさそうだ。

【孝平】「副会長、もう飯食ったのか?」

【瑛里華】「ん? まだよ」

頭のすぐ上で声がする。

【孝平】「だったら、一緒にどうだ?」

【瑛里華】「これから寮に用事があるの。ごめんね」

【陽菜】「じゃあ、どうしてここに?」

【瑛里華】「外から姿が見えたから、挨拶しようと思って」

【司】「へえ」

コップの水を眺めながら、司がつぶやく。

【瑛里華】「なに?」

【司】「なんでも」

【瑛里華】「それじゃ、私はこれで」

【陽菜】「またね」

【瑛里華】「ええ」

肩から手が離れる。

どの指かの爪が、首筋をすっとかすめた。

【瑛里華】「勉強、ちゃんとね」

【孝平】「ああ」

【瑛里華】「よろしい」

そう言って、副会長は学食から出ていった。

……。

【孝平】「消されるかと思った」

【陽菜】「大丈夫」

【陽菜】「楽しそうな顔してたよ、千堂さん」

【司】「姉さん女房か」

【孝平】「勘弁してくれ」

言葉とは裏腹、心は少しだけ浮ついていた。

迷惑がってる素振りをみせるのも、単なる照れ隠しだ。

……。

水泳大会が終わり、俺と副会長の距離は少しだけ近づいた。

普通の生徒から見た彼女は、物事をぐいぐい進めていく、頼れる存在かもしれない。

もちろん、副会長としての彼女はそういう人だ。

でも、素の彼女はもっと複雑だ。

迷いも悩みもあるし、前進していたかと思うと急にバックしたりもする。

俺もまだ、彼女というパズルを解きはじめたにすぎないのだと思う。

【孝平】「こんにちは」

放課後。

いつも通り監督生室に到着する。

白ちゃんは、お盆を持って立っている。

【瑛里華】「あ、来たわね」

【伊織】「お疲れさん」

【征一郎】「白、お茶を」

【白】「はい、かしこまりました」

白ちゃんは、いつの間にかお茶担当になっている。

【孝平】「白ちゃん、いつもごめんな」

【白】「お気になさらないでください」

【白】「わたしはこの仕事が好きですから」

ま、本人が嫌じゃないならいいか。

【伊織】「ところで支倉君、期末試験が迫っているのはもちろん知っているね?」

【孝平】「はい」

【孝平】「今日も勉強しろってプレッシャーかけられました」

ちらりと副会長を見る。

【瑛里華】「私たちが悪い点を取ったら、示しがつかないでしょう?」

【伊織】「瑛里華の言う通り」

【伊織】「俺たちは、一般生徒の規範にならなくちゃいけないからね」

【伊織】「というわけで、今日から試験モードに入りたいと思う」

【孝平】「試験モード? 具体的には?」

【瑛里華】「試験が終わるまで、監督生室に顔を出さなくていいわ」

【瑛里華】「もちろん、何かあったら呼び出すけど」

【孝平】「勉強に集中しろってことか」

【孝平】「でも、監督生室を空にしていいのか?」

何かあったときに困る気がする。

【瑛里華】「その心配はないわ」

【瑛里華】「私は毎日、ここで勉強してるから」

【孝平】「そっか。なら安心だな」

【伊織】「支倉君も、ここで勉強してくれて構わないよ」

【伊織】「クーラーもお茶もあるし……瑛里華もいるからね」

ヒゲのない顎を、右手で撫でる会長。

【孝平】「なんでニヤニヤしてるんですか?」

【伊織】「さてね」

【伊織】「ま、ともかく、試験が終わるまでは好きにしてくれ」

【孝平】「会長はどうするんですか?」

【伊織】「好きにするさ」

質問に答えてねえ。

【孝平】「東儀先輩はどうするんですか?」

【征一郎】「すまないが、俺と白は別の場所で勉強させてもらう」

【孝平】「なるほど」

そうすると、ここで勉強するのは副会長だけか。

【瑛里華】「支倉くんはどうする? ここで勉強してみる?」

ほんの少しだけ上目遣いに、副会長が聞いてきた。

【孝平】「邪魔にならないか?」

【瑛里華】「ぜーんぜん」

【孝平】「なら、そうさせてもらうよ」

【瑛里華】「わかったわ、試験まで頑張りましょう」

【孝平】「ああ」

寮の部屋は、テレビや雑誌といった誘惑が多い。

ここならストイックに勉強できそうだ。

【征一郎】「二人とも、留守は頼んだぞ」

【瑛里華】「任せて」

【孝平】「わかりました」

副会長と顔を見合わせて、うなずく。

【伊織】「では、ただいまより試験モードに移行する」

【伊織】「みんな、がんばってね~」

言うなり、会長は部屋から飛び出していった。

どうみても勉強するテンションじゃないんだが……。

【孝平】「会長、どこに行くんだ?」

【瑛里華】「さあ」

わかるわけないわ、といった顔の副会長。

ホント、会長は謎だ。

【白】「支倉先輩、お待たせしました」

【孝平】「お、ありがとう」

氷の入ったグラスの中で、緑色の液体が涼しげに光っている。

【孝平】「冷たい緑茶?」

【白】「はい。もう梅雨ですから」

【征一郎】「季節を楽しむ心は大切だな」

【白】「は、はいっ」

嬉しそうに返事をする白ちゃん。

先生と生徒みたいな兄妹を見ながら、グラスに口をつける。

スッキリしてうまい。

【瑛里華】「時間も限られてるし、さっそく勉強しましょうか」

【孝平】「そうだな」

鞄から勉強道具一式を取り出す。

いまや俺も生徒会役員だ。

ひどい点数を取るわけにはいかない。

気合いを入れていこう。

午後8時45分。

門限ぎりぎりまで試験勉強をして、俺たちは帰途についた。

石畳に伸びる俺たちの影は、以前より近くなっている気がする。

【孝平】「そういえばさ、今日は大丈夫だったか?」

【瑛里華】「ん? 体調のこと?」

【孝平】「ああ」

【瑛里華】「特に変化はなかったわ」

【孝平】「よかった」

【孝平】「なんかあったら、遠慮しないで言ってくれよな」

【瑛里華】「そうするわ」

副会長が眼を細める。

【瑛里華】「やっぱりさ、ときどき怖いって思ったりする?」

【孝平】「いや、ぜんぜん」

【孝平】「どう見たって、普通の女の子だし」

かわいさは普通ではないが。

【孝平】「それに、人から血は吸わないんだろ?」

【瑛里華】「もちろんよ……絶対に」

【孝平】「エレガントじゃないから?」

【瑛里華】「そんなことも言ったわね」

苦笑する。

【瑛里華】「実際は、単に人から吸いたくないだけよ」

【瑛里華】「こうして一緒に生活してるのに、食べものだなんて思えないわ」

【孝平】「確かにな」

もし、牛や魚と話ができて、友達にすらなれるとしたらどうだろう?

絶対食えない。

【瑛里華】「ま、吸血鬼としては落第かもしれないわね」

声のトーンが、少し下がった。

そのせいか、軽い冗談には聞こえない。

【孝平】「どういうこと?」

【瑛里華】「吸血鬼は、人から血を吸うのが本道なんだって」

【瑛里華】「だから、血を吸ったことがない私は半人前なの」

誰がそんなこと言ったのか。

会長か親御さんか、まあ年長者だろう。

【孝平】「別に、吸わなくてもいいじゃないか」

【孝平】「輸血用血液があるんだし」

【瑛里華】「そうね」

【瑛里華】「でもまさか、こんなふうに話せる人ができるなんて思わなかった」

副会長は2、3歩先に進む。

そして、振り返った。

【瑛里華】「ありがと、支倉くん」

【孝平】「礼なんていいさ、別に」

【瑛里華】「なら、もうお礼はなしね」

冗談めかして言う。

【孝平】「それもどうか」

【瑛里華】「じゃ、どうして欲しいのよ」

【孝平】「さてね」

笑って言う。

副会長も笑った。

言葉に意味はない。

ただ、笑い合ってるのが本当に楽しかったのだ。

これはもう、よくよくだよな。

副会長の笑顔をもう一度見る。

梅雨の暗い夜なのに、なんだか輝いて見えた。

ほんと、まいったな。

//June 26//

監督生室で勉強するようになって、数日がたった。

試験モードに入ってから、東儀兄妹は姿を見せていない。

会長も、なぜか見当たらない。

【孝平】「あのさ」

【瑛里華】「なに?」

シャーペンを走らせながら、副会長が口を開く。

【孝平】「会長って、一人で勉強してるのか?」

【瑛里華】「どこかで遊んでるんじゃない?」

【孝平】「会長がそれじゃまずいだろ」

【瑛里華】「平気よ」

【瑛里華】「兄さんは、教科書程度のことなら全部覚えてるから」

【瑛里華】「だてに長生きしてないってことね」

【孝平】「ずるくは……ないか」

どこかの段階で勉強はしたのだろう。

吸血鬼だって、努力なくして優れた成績は取れない。

実際、俺と同年齢の副会長は、黙々と勉強に励んでいる。

特に数学は。

【孝平】「紅瀬さんに勝てるといいな」

【瑛里華】「絶対に雪辱を果たすわ」

【瑛里華】「そう何回も負けてたまりますか」

ガリガリと数式を書き連ねる副会長。

気合いが入ってる。

副会長は、総合得点でずっと学年トップだったらしい。

だが、数学だけは、いつも紅瀬さんの勝ち。

しかも紅瀬さんは、数学だけ高得点で、他は軒並み赤点スレスレ。

それがまた、副会長を刺激している。

【孝平】「副会長って、昔っから学年トップだったのか?」

【瑛里華】「去年からね」

【孝平】「じゃあ、その前は副会長よりデキるヤツがいたわけだ」

意外だ。

副会長が負けてるところは想像できない。

【瑛里華】「……」

ふいに、副会長の表情が固くなった。

【瑛里華】「違うわ」

【孝平】「え?」

【瑛里華】「私、学校に通い始めたの、去年からだから」

ぱきっ

無意識に、シャーペンの芯を折ってしまった。

この学校が初めてってことは──

それ以前は学校に行ってなかったってことで──

【孝平】「ま、まえ、文化部に入ってたって言ったよな?」

【瑛里華】「……」

無言の返答。

副会長は嘘をついた。

そう思っていいのだろう。

【孝平】「……」

【瑛里華】「言いたくなかったのよ」

【瑛里華】「あまりいい話じゃないし」

学校に行ってなかったのなら、何をしていたのか。

考えられるのは、せいぜい長期入院くらいだ。

【孝平】「聞いていいか? 学校に行ってないとき、何してたのか」

副会長がシャーペンを置き、椅子の背もたれに体を預けた。

表情は険しい。

【瑛里華】「屋敷にいたわ」

【瑛里華】「外に出してもらえなかったから」

一瞬、言葉を失った。

【孝平】「……な、なんでまた」

【瑛里華】「幼い吸血鬼を社会に出すのは危険だからよ」

【瑛里華】「暴走して、街中で血なんて吸おうものなら大変なことになるわ」

【瑛里華】「まず、自分の欲求を制御できるようになって半人前」

【瑛里華】「人から血を吸って、しかるべき処置が取れるようになって、ようやく一人前」

【瑛里華】「それまでは、外に出してもらえないの」

【孝平】「そりゃ、理屈はわかるが」

ずっと閉じこめられて生活してきたなんて。

友達と遊ぶこともなく、自然に触れることもない。

それはどんな生活なのか。

ふと、テントウムシに目を輝かせていた副会長を思い出す。

やけにハイテンションだと、俺は不思議に思ったけど……。

あれは、自然に触れた感動そのものだったのかもしれない。

普通なら、幼い頃に感じるものを、副会長はいま感じたのだ。

【瑛里華】「人間だって、独り立ちするには何年もかかるでしょう?」

【瑛里華】「私たちも、人間の中で上手くやっていけるようになるためには何年もかかるの」

【瑛里華】「正体がバレれば滅ぼされる」

【瑛里華】「でも、人間の近くでしか生きていけない」

【瑛里華】「天敵の群れの中で息をひそめて生きるのが、私たちの本質なのよ」

自嘲気味に言って、笑う。

なんだか気が遠くなってきた。

副会長は人間とたいして変わらない。

ずっと付き合っていける。

俺はそう思ってきた。

でもそれは、

もしかしたら、

俺がそう思えるよう、副会長が配慮してくれたからじゃないのか?

……。

俺が副会長の立場ならそうする。

意味なく相手を怖がらせたって仕方がない。

必要最低限のことは話し、不必要なことは言わない。

もしかしたら、副会長はもっとたくさんの秘密を持っているのかもしれない。

ならば、彼女はあとどれだけの秘密を持っているのか。

【瑛里華】「驚いたでしょ?」

少し寂しそうな目で、副会長は言った。

【孝平】「あ、ああ」

驚いた。

彼女が人間ではないと再認識した。

でも──

ここで俺が引いたら、副会長は話したことを後悔するだろう。

そんな思いはさせたくない。

【孝平】「でも、話してくれてよかった」

【孝平】「副会長のことわかるの、なんか嬉しいよ」

【瑛里華】「……馬鹿ね」

【孝平】「ひどいな」

【瑛里華】「ふふ、ほんと馬鹿」

副会長が穏やかに笑う。

【孝平】「そういや、副会長って人の血を吸ったことないって言ってたよな」

【孝平】「だったら、どうして外に出してもらえたんだ?」

【瑛里華】「無理言って出してもらったの」

【瑛里華】「輸血用血液があるこのご時世、人から血を吸う必要なんてないでしょ」

【瑛里華】「まあ、おかげで半人前だの出来損いだの言われたけど」

【孝平】「時代が変わったなら、それでいいと思うけどな」

【瑛里華】「私もずっとそう言ってたんだけどね、どうにも頭が固くて」

肩をすくめ、おどけた調子で言う。

吸血鬼のしきたりの中でも、おかしいと思うことには抵抗してきたようだ。

なんとなく安心した。

【瑛里華】「さて、勉強に戻りましょうか」

【瑛里華】「こういう話は、また時間のあるときにね」

【孝平】「ああ」

と、シャーペンを持とうとしたが……

ない。

【孝平】「あれ?」

【瑛里華】「どうしたの?」

【孝平】「いや、シャーペンがない」

【瑛里華】「気がつかなかったわ」

教科書やノートの下を探す。

ない。

【孝平】「おかしいな」

椅子から下りて、テーブルの下を確かめる。

向かい側に、副会長の足が見える。

膝はぴったりと閉じられている。

残念な気分になるのは、俺が特別なわけではなく、男の本能だ。

【瑛里華】「あった?」

副会長が、テーブルの下に顔を出す。

【瑛里華】「目の前にあるじゃない? どこ見てるのよ」

【孝平】「え? あ」

本当に目の前に落ちていた。

【孝平】「おかしいなぁ」

【瑛里華】「どっか余計なトコ見てたんでしょ」

【孝平】「失礼な」

【瑛里華】「どっちが失礼よ」

【瑛里華】「とにかく、さっさと拾って」

【孝平】「りょーかい」

シャーペンを拾い、席に着く。

向かいの副会長は、少しだけ顔を赤らめていた。

【瑛里華】「いやらしいことするなら、一緒に勉強しないからね」

【孝平】「はいはい」

【瑛里華】「まったくもう」

ぷんぷんしながら、副会長は勉強を再開する。

俺も教科書に視線を戻す。

が、

しばらくは勉強が手につかなかった。

副会長と一緒にいて何も考えるなってのは、難しいよな。

//June 27//

【青砥】「試験前、最後の週末だな」

【青砥】「みんな、遊びに行かずしっかり勉強してくれ」

という先生の言葉で、帰りのホームルームが終わった。

【陽菜】「いよいよ、迫ってきたね」

隣の席から陽菜が話しかけてくる。

【孝平】「ああ。勉強はバッチリか?」

【陽菜】「ん~、どうかな」

【陽菜】「やれることはやった気がするけど」

あいまいに笑う。

まあ、陽菜がそう言うなら、きっといい成績を取るのだろう。

【陽菜】「孝平くんは?」

【孝平】「そこそこかな」

実のところ、監督生室での勉強は順調だった。

副会長がいるから、わからないところはすぐに聞ける。

テレビなどの誘惑がないのもポイントだ。

【陽菜】「孝平くん、ずっと監督生室で勉強してるよね」

【孝平】「なんとなくね。あそこ静かで涼しいし」

【陽菜】「仲良くしてる?」

【孝平】「ああ……ってなんの話だ?」

【陽菜】「千堂さんの話」

【孝平】「そりゃ、仲悪くはないさ。仲間だし」

【陽菜】「なら良かった」

【陽菜】「女の子には優しくしてあげなくちゃダメだからね」

にこにこしている。

【孝平】「わかってる。いらん心配すんな」

【陽菜】「ふふふ、そうだね」

どうやら、陽菜は俺の気持ちを見抜いているらしい。

ま、幼なじみだしな。

陽菜と別れ、監督生棟に向かう。

雨は降っていないが、空は灰色の雲に覆われている。

【女子生徒A】「あ、あの、生徒会の方ですよね」

【孝平】「そうだけど、どうかした?」

息を切らせて走ってきたのは、知らない女の子。

ジャージを着てるし、運動部の子かな。

【女子生徒A】「はぁ、はぁ……良かった」

【女子生徒A】「ぶ、部室棟で……男の子が喧嘩してるんです」

【孝平】「喧嘩?」

【女子生徒A】「それで、あの、仲裁を……」

【孝平】「わかった。どこの部でやってるんだ?」

【女子生徒A】「テニス部と野球部です」

【孝平】「よし、わかった」

急いで部室棟に向かう。

走りながら携帯に手を伸ばす。

とりあえず、副会長に連絡しておいた方がいいだろう。

【孝平】「……」

と、思ったがやめた。

打倒、紅瀬さんに燃える副会長は、今ごろ勉強に集中しているはずだ。

邪魔はしたくない。

俺の手に負えない話だったら、そのときまた考えよう。

仲裁が終わり、監督生棟に着いた。

日は既に傾いている。

喧嘩の内容は本当に下らないものだった。

そもそもの原因は、グラウンドのエリア争い。

だったのだが……

日頃から不満がたまっていたのだろう。

どっちが先に手を出したのかすらわからないまま、両者は激突。

俺が仲裁に入ると、殴り合い自体はすぐに収まった。

だが、長かったのはそこから。

両者の苦情を延々聞かされるハメになった。

ほんと勘弁して欲しい。

とりあえず、相手に改善して欲しい点を書類で提出してもらうことにして、その場を収めた。

まあ、文章にしているうちに頭も冷えるだろう。

【孝平】「お疲れ~」

【瑛里華】「遅かったじゃない」

副会長が教科書から顔を上げる。

【孝平】「運動部でいざこざがあってさ、その仲裁してたんだ」

【瑛里華】「はあ?」

【孝平】「もう片づいたよ」

言いながら、椅子に腰を下ろす。

【瑛里華】「ちょっと、支倉くん」

副会長がにらんできた。

【瑛里華】「どうして私を呼ばなかったの?」

【孝平】「問題が難しけりゃ呼ぼうと思ったけど、そうでもなかったからな」

【瑛里華】「二人で対応すれば、もっと早く解決したでしょう?」

【孝平】「副会長には勉強頑張ってもらおうと思ってさ」

【孝平】「紅瀬さんに勝つんだろ?」

副会長は、大きなため息をついた。

【瑛里華】「気持ちはありがたいけど、試験前なのはあなたも一緒じゃない」

【瑛里華】「私としては、むしろ支倉くんに勉強を頑張って欲しいわ」

【孝平】「まあ、俺の方が成績は悪いな」

学年トップと比べりゃ、誰だってそうだ。

【瑛里華】「あ、ごめん、そう言う意味じゃないの」

【瑛里華】「ただ、そういう細かいトラブルは私の担当だから」

【孝平】「そりゃ初耳だぞ」

【瑛里華】「なんとなく、そういう分担になってたの」

副会長の視線が泳ぐ。

なんだろう?

副会長、ちょっと冷静じゃない気がする。

【瑛里華】「ホント言うとね、他の人には、もっと時間を有意義に使って欲しいのよ」

【孝平】「副会長は有意義に使えなくてもいいのか?」

【瑛里華】「私はいいの」

【瑛里華】「みんなに楽しんでもらえれば、それが一番なんだから」

ぴっと指を立てる副会長。

素晴らしい自己犠牲精神だとは思うが……

ちょっとばかり寂しい。

【孝平】「俺も生徒会役員なんだし、副会長だけが苦労することはないさ」

【孝平】「次に同じようなことがあったら俺もちゃんと連絡するから、一緒に解決しよう」

【瑛里華】「……そうね」

あいまいな笑顔を作る副会長。

【孝平】「さ、勉強しようぜ」

【瑛里華】「ええ」

再びシャーペンを握る副会長。

さっきの様子だと、しばらくは一人で苦労しようとするかもしれない。

でも、いつかは一緒に苦労するのが自然な関係が作れればと思う。

鞄から教科書を出しつつ、そんなことを考えた。