FANDOM


放課後の監督生室。

部屋には、俺と副会長と白ちゃんがいた。

会長と東儀先輩は、さっそく文化祭関連の仕事で外に出ている。

副会長は、黙々と書類に向かっている。

そこそこ会話はするものの、やはり素っ気ない。

というか、素っ気なくしようとしている。

【白】「夏休み、支倉先輩はご自宅に帰られるのですか?」

棚を整理しながら、白ちゃんが聞いてくる。

【孝平】「ずっと寮だな。今の自宅は海外だし」

【孝平】「白ちゃんは?」

【白】「わたしは定期的に戻ります。近所ですから」

【孝平】「副会長は?」

【瑛里華】「戻らないわ」

【孝平】「じゃあ、もし時間ができたら海にでも行こう」

【孝平】「せっかくの夏休みだし、きれいな砂浜もあるんだろ?」

【白】「珠津島には、小網代浜という海水浴場があります」

【白】「鳴き砂が有名なのです」

【孝平】「お、鳴き砂なんて珍しいね」

【孝平】「どう? 副会長」

【瑛里華】「時間があれば」

【孝平】「まあ、忙しいかもしれないしな」

【瑛里華】「そうね」

【白】「??」

白ちゃんが副会長を見る。

いつもと反応が違うのに気づいたのだろうか。

【白】「あ、わたし、お茶を淹れてきます」

ぱたぱたと白ちゃんが出ていく。

【孝平】「なあ」

【孝平】「俺、怒らせるようなことしてないよな?」

【瑛里華】「ええ」

【孝平】「だったら、どうして俺を避けるんだ?」

【瑛里華】「なんの話?」

【孝平】「今朝から、様子おかしいぞ」

【瑛里華】「そんなつもりはないけど」

顔も上げずに、ボールペンを走らせている。

ちなみに、使っているのは海岸通り商店街謹製の配布用ボールペンだ。

白地の本体に、青い字で「海岸通り商店街」と書いてあるだけの、経済的なデザイン。

監督生室に100本ほど積みあがっている、謎の備品だ。

【孝平】「昨日のこと、気にしてるのか?」

【瑛里華】「ここで話すことじゃないでしょ」

【孝平】「じゃあ、今夜、時間を取ってくれ」

【瑛里華】「宿題があるから、難しいわね」

【孝平】「だったら明日」

【瑛里華】「明日も宿題」

【孝平】「おまえなあ」

苦笑してしまう。

【瑛里華】「なんで笑うのよ」

【孝平】「わかりやすいぞ」

【瑛里華】「意味がわかりません」

【孝平】「俺も」

【瑛里華】「はあ?」

副会長が顔を上げる。

【瑛里華】「あっ、ミスっちゃったじゃない」

【瑛里華】「仕事してるんだから、話しかけないで」

書類に修正テープを貼る。

【孝平】「意味不明だ」

【瑛里華】「話しかけないでって」

【孝平】「聞いてくれ」

副会長が俺を見る。

俺が、声のトーンを重くしたからだ。

【孝平】「俺の勘違いかもしれないが、何かあるなら聞かせてくれ」

【孝平】「うやむやにするのは嫌だ」

【瑛里華】「……」

無言で俺を見ている。

つと、視線を外した。

【瑛里華】「わかったわ」

【瑛里華】「今日は最後までここに残って」

【孝平】「ああ」

とりあえず会話の機会は確保した。

二人きりになったのは、午後5時46分だった。

鬼のように時計を見ていたから間違いない。

部屋は、西日で真っ赤に燃えている。

【孝平】「お茶、淹れてくる」

【瑛里華】「できるの?」

【孝平】「ま、それなりに」

こう見えても、お茶会の会場提供者だ。

今も週一ペースでお茶会は続いている。

陽菜の華麗なテクニックを見てきた俺だ。

やれる(はず)。

【孝平】「お待たせ」

【瑛里華】「ありがとう」

副会長の前に紅茶を置く。

【孝平】「味見してみてくれ」

【瑛里華】「ええ、いただくわ」

副会長が紅茶に口をつけた。

がらにもなく緊張する。

【瑛里華】「うん、合格点ね」

【孝平】「良かった」

【瑛里華】「なかなかやるじゃない」

【孝平】「まあな」

ありがとう陽菜。

心の中で合掌。

【瑛里華】「それで、話があるんだっけ?」

【孝平】「ああ」

副会長の向かい側に座る。

【孝平】「副会長、今朝からおかしいぞ」

【瑛里華】「どこが?」

【孝平】「俺のこと、避けようとしてるだろ?」

【孝平】「朝も、昼休みも、放課後も」

【瑛里華】「避けてなんていないわ」

【孝平】「そうか?」

【瑛里華】「そうよ」

ぷいっとそっぽを向く副会長。

【孝平】「そういうところが、わかりやすいんだ」

【瑛里華】「なんですって?」

【孝平】「確かに副会長は避けてない」

【孝平】「避けようと頑張ってたけど」

【瑛里華】「大した自信ね」

【瑛里華】「それって、私が支倉くんに近づきたいって思ってるのが前提でしょ?」

【瑛里華】「私たちはただの友人よ。違う?」

【瑛里華】「私はいつも通りにしているだけだわ」

【孝平】「そう思いたいのか?」

【瑛里華】「事実を言ってるだけよ」

【孝平】「いつも通りなら、こんな話しない」

【孝平】「違うと思うから、わざわざ話を聞いてるんだ」

【瑛里華】「別に聞いてくれなくてけっこうよ」

副会長が席を立つ。

俺は、ドアの前に立ちふさがった。

【孝平】「待ってくれ」

【瑛里華】「嫌」

【孝平】「じゃあ聞いてくれ」

【瑛里華】「いーや」

手のひらで耳に栓をする副会長。

べーっと舌を出した。

話を続ける。

【孝平】「昨日の夜、部屋に帰ってから何考えたんだ?」

副会長は聞こえないふりで、つんとしている。

【孝平】「瑛里華、聞いてくれ」

【瑛里華】「瑛里華って呼ばないで」

【孝平】「聞こえてるんじゃねーか」

だったらいい。

勝手にしゃべろう。

【孝平】「これは、俺の勝手な想像だ」

【孝平】「副会長さ、このままじゃ俺の血を吸っちまうって思ったんじゃないか?」

【孝平】「今までは理性が残ってたけど、昨日はそうじゃなかった」

【孝平】「自分に制御できない自分がいる、だから俺から離れようって考えたんだろ?」

副会長は、口を真一文字に結んで俺をにらんでいる。

【孝平】「あの時、何があったか教えるよ」

【孝平】「副会長が倒れそうになって俺は抱きとめた」

【孝平】「目を覚ました副会長は正気を失ってて、俺の首を狙ってきた」

副会長が目を固くつむる。

【孝平】「血を吸われてもいいと思った」

【孝平】「俺の血で、いつもの副会長に戻るなら、それでいいと思った」

【瑛里華】「やめてよ」

【瑛里華】「それが嫌なの。わからない?」

【孝平】「わかるさ」

【孝平】「俺が逆の立場だったら、やっぱり血は吸いたくない」

【孝平】「だから、俺は吸われないようにした」

副会長が視線を落とす。

耳を塞いでいた手が力無く下ろされた。

【瑛里華】「どうやって私を止めたの?」

【瑛里華】「力、強かったでしょう?」

【孝平】「キスした」

【瑛里華】「はあっ!?」

【孝平】「口を塞げば、血を吸われないだろ」

【瑛里華】「あなたって人は……」

1、2歩よろめきつつ、副会長は口を押さえた。

【孝平】「冗談だ」

【瑛里華】「殺すっ」

【孝平】「本当は、副会長の首に顔をうずめた」

【瑛里華】「えっ」

今度は首を押さえた。

【孝平】「ごめん」

副会長がじっと俺を見る。

【瑛里華】「……いいわ」

【瑛里華】「ごめんなさい。お礼を言わなくちゃいけないくらいなのに」

【孝平】「いや、こっちこそ」

会話が途切れる。

副会長は、沈黙から逃れるように窓辺へ向い、外を眺める。

焼けつくような夕日に、メリハリのあるシルエットが浮かぶ。

【孝平】「副会長が俺を避けようとしたのは、そういうことなんだろ?」

【瑛里華】「ええ」

やっと認めた。

【瑛里華】「だから、もう先はないの」

【瑛里華】「私の気持ちは変わらないから」

【孝平】「血を吸うくらいなら親しくならないって、そういうことか?」

【瑛里華】「そうよ」

【孝平】「副会長らしくないな」

【瑛里華】「あなたに何がわかるのよ」

少しだけ語気が強くなった。

【孝平】「わからないさ」

【孝平】「話してくれないことは、わかるはずないだろ」

【瑛里華】「言えないことだってあるわ。あなただってそうでしょ?」

【孝平】「俺はたいして深い人間じゃない。たいていのことはしゃべっちまった」

【瑛里華】「嘘よ」

【孝平】「……ああ」

【孝平】「たしかに、一つだけ言ってないことがある」

副会長が振り返る。

じっと、俺を見つめた。

【孝平】「副会長を、人間とは別ものだと思ってる」

【瑛里華】「なっ!」

ぴくりと、かたちのいい眉が動く。

【瑛里華】「あ、改めて言うことじゃないでしょ?」

【孝平】「最後まで聞け」

【孝平】「俺は、副会長を、人間とは別ものだと思ってる……」

【孝平】「でも好きだ」

副会長が、完全に凍った。

まったく動かない。

【瑛里華】「……ふふっ」

自嘲気味に口の端を歪める。

【瑛里華】「また冗談? よくよく質が悪いわね」

そしてまた、俺に背を向けた。

シルエットが、わずかに震える。

【孝平】「冗談だと思うか?」

【瑛里華】「もうしゃべらないで」

副会長に近づく。

あと3メートル。

あと2メートル。

【瑛里華】「近づかないで」

あと1メートル。

副会長の肩に手を置いた。

確かな熱と、震えが伝わってくる。

【瑛里華】「やめて、よ」

【孝平】「副会長が好きだ」

窓に映った副会長の表情が歪む。

痛切な中にも甘やかさのある表情に、なぜか女性らしさを感じた。

【瑛里華】「無責任に気持ちをぶつけないでよ」

【孝平】「自分勝手なのはわかってる」

【孝平】「でも、わかっててもどうしようもない」

【瑛里華】「余計、言えなくなるじゃない」

【孝平】「それでも、知りたい」

【孝平】「教えてくれ、副会長の気持ちを」

【瑛里華】「言えないわ」

【孝平】「どうして?」

【瑛里華】「怖いのよ。自分の気持ちが自分のものだって、自信がないの」

俺に向き直り、副会長が自分の胸を押さえる。

【瑛里華】「いるのよ、この中に」

【瑛里華】「血を吸っておいしいって感じるものが」

【瑛里華】「初めて会ったときから、あなたの血が欲しいって言い続けてるヤツが」

【瑛里華】「あなたと一緒にいた私も、笑った私も、仕事した私も……」

【瑛里華】「全部、この胸にいるヤツの仕組んだことかもしれないの」

泣きそうな声で副会長が言う。

俺が聞きたかったのは、こういうことなんだ。

【瑛里華】「わからないでしょう、自分のことが何一つ理解できない怖さを」

【孝平】「今なら、想像できるさ」

彼女を苦しめるもの。

他者には、絶対にさらさないカセ。

割れたガラスのように鋭く、副会長の血が乾きもせず付着している、苦悩。

触れれば、彼女の何分の一かは痛みを感じる。

それゆえに彼女という不確かな存在が、少しだけ確信を持って感じられのだ。

【瑛里華】「私に、どうしろって言うのよ」

副会長が額に手をあて、前髪をくしゃりと握る。

【孝平】「どうもしなくていい。そばにいてくれれば」

【瑛里華】「無理よ」

【孝平】「難しいこと考えるなよ」

【孝平】「俺のことが嫌いか?」

【瑛里華】「……す、好きよ、悪い?」

【孝平】「嬉しいさ」

【瑛里華】「バカ」

【瑛里華】「付き合って、どうしようって言うのよ」

【孝平】「できれば、幸せになりたい」

射抜くような視線で、副会長が俺を見た。

今までの目とは、まったく違う。

【瑛里華】「ねえ支倉くん」

【瑛里華】「そんなもの、この先にはないわ」

【孝平】「どうして?」

また俺に背を向け、窓の外を見る。

【瑛里華】「私の生活は、あと1年半で終わり」

【孝平】「は?」

【瑛里華】「卒業と同時に屋敷へ戻るの」

一瞬、平衡感覚がなくなった。

【瑛里華】「学院に入る前からわかってた」

【瑛里華】「初めから私には未来なんてない、ただ終わりを待つだけなのよ」

【孝平】「……副会長」

喉から苦しげな声が漏れた。

最初、それが自分の声だとわからなかった。

【孝平】「どういうことなんだ?」

【瑛里華】「前に、私はずっと屋敷で生活してきたって言ったわよね?」

【孝平】「ああ、聞いた」

【瑛里華】「私、どうしても学院に行ってみたくて……」

【瑛里華】「三年間だけって約束で、通わせてもらったの」

【瑛里華】「だから戻るのよ。屋敷に」

【孝平】「そんなの、ありかよ」

いつだったか、彼女の心をパズルだと思った。

今、俺の頭の中でバラバラだったピースがはまっていく。

いや違う。

すべてのピースをくっつけ合わせてしまう、インチキみたいなピースが現われたんだ。

今まで、俺が見てきた副会長──

日々を大切にする彼女。

学院生活をより楽しくしようとする彼女。

自分だけは苦労しても構わないという彼女。

生徒たちの笑顔を眩しそうに見つめる彼女。

将来の進路を答えなかった彼女。

人間と恋愛はしないといった彼女。

そこにあったのは、最初から終わることが決まっている日常への、諦め。

そして、近づきたくても近づけない人たちへの、羨望。

わかりすぎるほど、わかる。

かつての俺と似ているからだ。

転校が決まっている学校。

別れが決まっているクラスメイト。

俺は、積極的に関わることをやめた。

満たされない欲求をなかったことにして。

副会長は、まったく逆だった。

関わって関わって、自分が存在した証を残そうとした。

満たされない欲求の代償として。

彼女が口癖のように言う「みんながより楽しめる学院」という言葉。

その「みんな」に、彼女自身は含まれていなかったんだ。

【孝平】「アホだ」

今度は、俺が前髪を握りつぶす番だった。

自分に腹が立つ。

俺は、ほとんど同類みたいな副会長に救われ、毎日を楽しんでいた。

同時に、彼女の身勝手さにも腹が立つ。

自分のことは棚に上げて、俺を救い、勇気づける。

私にはかなえられないから、あなたに託すわ、と言わんばかりに。

【孝平】「無責任だ」

【瑛里華】「お互いさまだわ」

副会長が振り向く。

【孝平】「副会長、ウソついたよな」

【瑛里華】「なんのこと?」

【孝平】「俺が生徒会に入った日の夜」

【孝平】「言っただろ、夜景見ながら」

【瑛里華】「学院は、いわばステージよ」

【瑛里華】「私たちは裏方として、みんながよりよい生活を送れるよう働いているの」

【瑛里華】「それと、もう一つ忘れないで欲しいことがあるわ」

【瑛里華】「私たちも、生徒だってこと」

【孝平】「自分たちも含めて楽しめる学院生活とか、聞こえのいいこと言って」

【孝平】「副会長、ホントは自分を含めてないだろ」

副会長が目を見開く。

【瑛里華】「な、何をいうのよ」

【孝平】「だから、自分だけが苦労しても平気……」

【孝平】「いや、むしろそのほうがいいんだろ?」

【孝平】「自分の手に入らない生活を、自分が良くしてる」

【孝平】「そういう実感が欲しかったんだろ?」

副会長は、窓枠に手をつき自分の体を支えた。

【瑛里華】「幻滅した?」

【孝平】「しねえ」

【孝平】「ただ、ちょっと腹が立つ」

【瑛里華】「……」

【孝平】「どうせ離れる学院だから、自分はステージに上がれないから、裏方に徹するなんて……」

【孝平】「なかったことにするなって、自分で言ったじゃないか」

【孝平】「逃げすぎだ。全力疾走で逃げてるぞ」

【瑛里華】「なんで、そこまで言われなくちゃならないのよ」

【孝平】「俺が、副会長に救われてるからだ」

【瑛里華】「私に?」

【孝平】「そうさ」

【孝平】「今の副会長は、昔の俺と変わらない」

【孝平】「そりゃ俺は人間だし、つらいっていっても転校がせいぜいだから、副会長より楽だったと思う」

【孝平】「でも、諦めて、自分を押し殺してるのは一緒さ」

【瑛里華】「そ、それは」

俺は副会長の手を握る。

その手は冷たく、ほとんど力が入っていない。

【孝平】「副会長自身が楽しまなきゃウソだ」

【瑛里華】「無理よ」

【瑛里華】「そこまでわかってるなら想像つくでしょ」

【孝平】「無理じゃない」

【孝平】「最後には全部失うかもしれない」

【孝平】「でもさ、今、楽しもうとするのは無理じゃないだろ?」

【瑛里華】「支倉くん……」

【孝平】「俺は副会長に救われたんだ。生徒会に入ったあの日に」

【孝平】「だから今、毎日を楽しめてる」

【孝平】「無責任で身勝手なのはわかってる」

【孝平】「でも、副会長と一緒にいたい」

相手の痛みに共感できた分だけ、離れられなくなると言うなら──

今の俺には、この人から離れるなど考えられない。

【瑛里華】「だ、だめよ」

苦しげに首を振る。

彼女の手を、俺の胸の高さまで持ち上げた。

【瑛里華】「やめて」

力無い言葉を紡ぐ、その唇を塞いだ。

最後に、一瞬だけ見えた副会長は、泣いていたようだ。

【瑛里華】「ん……っ……」

何かを言おうとする唇に、より強く唇を重ね合わせる。

【瑛里華】「っ……」

柔らかな両手が俺の胸を押さえ、はねのけようとする。

だがその力は、昨夜のものに比べてあまりに弱い。

彼女を抱く手に力を少しだけ込める。

唇の隙間から副会長の息が漏れ、俺の顔にかかる。

俺は目を開く。

目があった瞬間、副会長がまぶたを閉じる。

こんな時も、逃げていく副会長。

逃がしたくない。

右腕を副会長の腰に回す。

【瑛里華】「っ……う……」

ちょっと乱暴かもしれなかった。

唇を離したら、何を言われるのだろう。

殴られるか。

蹴られるか。

まあ、いまさら心配しても仕方がない。

結局、先のことは何も確定していない。

何もかもが闇の中。

ただ、闇の中に道しるべがあるとしたら──

今、この瞬間の衝動なのかもしれない。

彼女がもし、同じように考えてくれるのなら、それが一番嬉しい。

【瑛里華】「っ……くっ……」

副会長が息を継ぐ。

俺も息を継いだ。

まだ、離れたくない。

できることなら、ずっと。

先のことはわからないのだから。

【瑛里華】「っ……」

唇が離れた。

一瞬だけ視線を交わし、副会長はすぐに目を伏せる。

【孝平】「好きだ」

【瑛里華】「……わかったわよ」

【孝平】「好きだ」

【瑛里華】「わかってるって」

副会長が俺の胸に額を当てた。

【瑛里華】「頭の中がめちゃくちゃ」

【孝平】「ああ」

副会長の頭をかき抱く。

髪の奥が少し汗ばんでいて心地好かった。

この汗は甘いのだろうか?

いや、しょっぱいに決まってるが、甘く感じてもおかしくない。

そのくらい、俺の頭の中もめちゃくちゃだった。

【瑛里華】「ねえ、これからどうするのよ?」

【孝平】「わからん」

【瑛里華】「無責任ね」

【瑛里華】「でもいいわ。今は気分がいいから」

【瑛里華】「少なくとも、自分の気持ちが信じられるし」

【孝平】「そうなのか?」

【瑛里華】「ええ。自分のことを知ってもらって嬉しいのは、血が欲しいのとは関係ないでしょ?」

【瑛里華】「だから、私の気持ちは血に支配されていないわ、おそらく」

【孝平】「ええと、それって……」

なんか、いいことを言われた気がする。

【瑛里華】「わかるでしょ?」

【孝平】「わからん」

【瑛里華】「なんでよ」

【瑛里華】「自分のことを知ってもらって嬉しいの」

【孝平】「つまり?」

【瑛里華】「な、なに言ってるのよ?」

副会長の耳が真っ赤になる。

顔は見えないが、真っ赤に違いない。

【孝平】「いや、わからないから」

【瑛里華】「す、好き……」

【瑛里華】「うあぁぁぁぁっっ!!」

ガスガス頭突きされる。

【孝平】「うがっ、ごはっっ!!」

体が軽い。

【孝平】「……」

宙を飛んでいた。

【孝平】「おぶっ」

書類棚に激突した。

彼女になった女の子は、あんまりからかっちゃいけない人らしい。

【瑛里華】「は、支倉くんっ!?」

駆け寄ってきた。

【孝平】「洒落になってねえ」

【孝平】「あと、これからは孝平って呼んでくれ、瑛里華」

【瑛里華】「あ、そ、そうね」

瑛里華が頭の近くに立つ。

スカートがひるがえり、中が見えた。

【孝平】「……白か」

【瑛里華】「は?」

【孝平】「いや、東儀先輩の妹が、さ」

……。

瑛里華のつややかな髪が軽やかに舞う。

【瑛里華】「孝平のスケベッ!」

拳が無慈悲に振り落とされた。

//July 16//

爽快な目覚め。

洗顔を済ませ、制服に袖を通す。

瑛里華に殴られた部分には、見事なアザができていた。

さすが吸血鬼。

【孝平】「ふぁぁ~」

朝日を受け、大きく伸びをする。

【瑛里華】「だらしないわよ、孝平」

【孝平】「え?」

朝日を背に立っている人がいた。

その均整の取れたシルエットは、見間違えることはない。

【孝平】「おはよう、彼女」

【瑛里華】「あ、朝からなに言ってんのよっ」

いきなり噴火させてみた。

【孝平】「冗談だ」

【孝平】「おはよう、瑛里華」

【瑛里華】「あ、う、うん」

恥ずかしそうにうなずいて、すぐに俺の横へ並んだ。

なんだかテレる。

それでいて嬉しい。

周囲の生徒に言いふらしたくなるくらい、嬉しい。

まあ、今のやり取りで、すでに何人かは俺を凝視しているが。

【孝平】「そういや、昨日殴られたとこ、アザになってたぞ」

【瑛里華】「自業自得、覗くのが悪いんでしょ」

【孝平】「すまん」

【瑛里華】「あんまり恥ずかしがらせないでよね」

【瑛里華】「手加減できなかったら危ないから」

心配してくれてるらしい。

【孝平】「悪かった」

【瑛里華】「よろしい」

晴れて付き合うことになった俺たち。

呼び方が変わったくらいで、これといった変化はない。

でも、瑛里華が彼女だというその事実だけで、俺は嬉しかった。

【孝平】「しかしさ、昨日の俺たちって変だったよな」

【瑛里華】「何が?」

【孝平】「告白ってさ、もっとちゃんとしてるっていうか、行事っぽいもんだと思ってたよ」

【瑛里華】「ええ」

【瑛里華】「私も、あんなの初めてだったわよ。ほとんどケンカみたいだったじゃない」

苦笑する。

【孝平】「俺たちらしいってことにしとこう」

【瑛里華】「そうね。あんなのが一般的だったら困るし……」

【瑛里華】「なんだか、悔しい気もするじゃない?」

【孝平】「まあな」

自分たちは特別だと思いたい。

そんな子供っぽい自尊心すら、受け入れることができる。

すごいっていうか、やばいぞ今の俺。

【瑛里華】「でも、私は感謝してるのよ」

【瑛里華】「あんな風に気持ちをぶつけてくれて」

【孝平】「意識してやったわけじゃない。いつの間にか、ああなっただけさ」

【瑛里華】「だからいいのよ」

瑛里華に真正面から感情をぶつける人なんて、この学院にはいないだろう。

俺以外には。

そんなところが、彼女には嬉しかったのかもしれない。

【瑛里華】「♪~♪~」

【孝平】「ご機嫌だな」

【瑛里華】「もちろん」

【瑛里華】「こんないい朝、今までなかったわ」

軽くステップを踏む瑛里華。

【孝平】「なんか、いいな、すごく」

【瑛里華】「何が?」

【孝平】「今の状況」

ちょっと考える瑛里華。

【瑛里華】「そうね、すごくいいわ」

【瑛里華】「監督生室に行ったら、なに言われるかしら?」

【孝平】「会長なんか、大喜びでからかってくるぞ」

【瑛里華】「こういうの大好きだから、兄さん」

【孝平】「東儀先輩はいつも通りだろうけど、白ちゃんは気を失いかねないな」

【瑛里華】「あはは、そうね」

ちょっと楽しみになってきた。

ハイテンションでしゃべりながら、俺たちは校舎に向かう。

周囲が驚いた目で見ているが──

気にすることなんかない。

教室に入った瞬間、クラスメイトの視線が俺に集中した。

瑛里華との噂は、すでに広まっていたらしい。

恐ろしい伝染力だ。

さすがの迫力にびびりつつも、気にしないフリで自分の席へ向かう。

【陽菜】「おはよう、孝平くん」

【孝平】「おはよ」

【陽菜】「やったね」

ぐっと親指を立てる陽菜。

【孝平】「ま、まあな」

万歳したくなる欲求を抑えて、答える。

【陽菜】「こうなるんじゃないかなーって思ってた」

【孝平】「いつから?」

【陽菜】「役員になってすぐだよ」

【陽菜】「なんとなく、波長が合ってる感じだったから」

【孝平】「エスパー並の洞察力だ」

【陽菜】「外から見てると、意外にわかるんだ」

【司】「まったくだ」

司も会話に入ってきた。

【司】「途中から俺ですらわかった」

【孝平】「司にはいろいろ世話になったな、ありがとう」

【司】「ま、気にするな」

いつもとほとんど表情が変わらない司。

それでも、喜んでくれている気がする。

【陽菜】「でも、これからが大変だね」

【陽菜】「勉強頑張らないと、同じところに進学できなくなっちゃうよ~」

【孝平】「……」

そうだよな。

普通は、彼女に未来がないなんて知らないからな。

【孝平】「なーに、頑張ればいいだけのことさ」

【司】「言うねえ」

【孝平】「おうよ」

笑顔を作って席に着く。

頑張ってどうにかなる問題なら、軽いもんだ。

頑張ってどうにかなるなら。

【桐葉】「あなた」

【孝平】「おう」

めずらしく、後ろの席から声がかかった。

【桐葉】「変わった趣味してるわね」

【孝平】「余計なお世話だ」

【桐葉】「そう」

言ったきり、紅瀬さんは小説に目を落とした。

紅瀬さんだけは本当にわからない。

放課後。

瑛里華と待ち合わせてから、監督生室に入った。

パンパパンッ

【孝平】「おわっ」

【瑛里華】「きゃっ」

驚く俺たちの上に、カラーリボンや紙吹雪が降ってくる。

【伊織】「おめでとうっ」

【白】「おめでとうございますっ」

満面の笑みを浮かべる二人の手には、クラッカーがあった。

【孝平】「ど、どうも」

【瑛里華】「ありが、と」

クラッカーの煙が薄く漂う中、俺たちはちょっとあっけに取られた。

【伊織】「めでたい、本当にめでたい」

【伊織】「では、お二人に現在の心境を語っていただきましょう」

マイクを突き出される。

【孝平】「か、会長、恥ずかしいですから」

【瑛里華】「大げさに祝うようなことじゃないでしょ」

瑛里華は頬をかすかに染めている。

【伊織】「いいからいいから、コメントを」

【孝平】「え、えーと……いろいろあって、瑛里華と付き合うことになりました」

【孝平】「な?」

【瑛里華】「う、うん、そうそう」

【瑛里華】「というわけで、よろしくね」

【伊織】「支倉君、瑛里華を頼んだよ」

【伊織】「こう見えて、引っ込み思案なところがあるからね」

【瑛里華】「ちょっと、やめてって」

【孝平】「頑張ります」

【伊織】「瑛里華に何かあったら殺すからね」

【孝平】「明るく言わないでください」

【伊織】「これで、カップルは二組目かな?」

【孝平】「は? 一組目は?」

【伊織】「俺と征」

【征一郎】「違う」

黙々と仕事をしていた東儀先輩が、こっちを向く。

【征一郎】「支倉、瑛里華」

【孝平】「はい」

【征一郎】「責任ある行動を頼むぞ」

【瑛里華】「大丈夫よ」

【征一郎】「あと一番大切なことだ」

【征一郎】「仲良くしろ」

表情も変えずに言って、東儀先輩はまた仕事に戻った。

クールというかなんというか。

【白】「兄さまは喜んでいるのです」

【孝平】「そうなのか?」

【白】「もちろんです」

【白】「最初にお伝えしたときには……」

【征一郎】「余計なことは言わなくていい」

【白】「は、はい」

【瑛里華】「まったく、不器用なんだから」

【征一郎】「二人とも仕事はどうした」

【征一郎】「文化祭まで日がないぞ」

瑛里華と顔を見合わせ、苦笑した。

【瑛里華】「さ、ガンガンやりましょう」

【孝平】「いっちょ頑張るかっ」

みんなの祝福がこんなに嬉しいなんて思わなかった。

やる気がバリバリ出てきた。

【伊織】「さーて、ちゃんと録音できてるかな?」

机の下からデジタルレコーダーを取り出す会長。

【孝平】「なに、さりげなく録音してんですか」

【伊織】「いや、明日の昼休みに、全校放送で流す予定なんだが」

【瑛里華】「没収っ!」

顔を真っ赤にしている瑛里華。

そんな姿が、どうしようもなくかわいく見えてしまう。

【瑛里華】「なに、ニヤニヤしてるのよ」

【孝平】「してないって」

【瑛里華】「絶対してる」

【孝平】「ど、どこが」

【瑛里華】「こ・こ」

ほっぺたをつつかれた。

【孝平】「やめろって」

【瑛里華】「あれ? テレてる?」

【孝平】「テレてない」

【白】「兄さま、お二人とも仲睦まじいですね」

【征一郎】「あれは悪い例だ。真似するな」

【白】「はい」

【孝平】「じゃ、お先に失礼します」

【征一郎】「ああ、お疲れさま」

【伊織】「また明日ね~」

ばたん

【瑛里華】「ねえ、星がきれいよ」

瑛里華の言葉に夜空を見上げる。

無数の星が輝いている。

天の川までは見えないが、それでもかなり多くの星が見えた。

【孝平】「すごいな、都会の夜空とは大違いだ」

【瑛里華】「都会では星が見えないらしいわね」

【孝平】「ああ、街の光で空が白っぽく見えるくらいだからな」

【瑛里華】「ちょっと寂しいかな、それは」

手の甲に、瑛里華の手の甲が軽く触れる。

瑛里華は無言だ。

手をつなぎたいってことかな?

こっちからも手の甲に触れてみる。

特に嫌がる様子はない。

そのまま指をからめ、手を握った。

【孝平】「行こうか」

【瑛里華】「ええ」

やや上気した表情の瑛里華。

俺の顔も赤くなってるかもしれない。

ふわふわした気分だ。

瑛里華の手の感触にばかり意識が行ってしまう。

向こうも同じ気分なのか、ほとんど無言。

俺たちは、うつむきがちに石畳を歩いていた。

何か話さないとな。

【孝平】「あ、そうそう」

【瑛里華】「え、な、何?」

ハッとしたような返事が返ってきた。

【孝平】「昨日は返事もらえなかったけど」

【孝平】「夏休みに海でも行かないか?」

【瑛里華】「海水浴?」

【孝平】「まあ」

【瑛里華】「そっか」

瑛里華が少し考え込む。

何を考えているのか。

やっぱり水着の心配かな。

【瑛里華】「いいわ、行きましょう」

【孝平】「よしっ」

頭の中を、瑛里華の水着姿が駆け抜ける。

現物を目にしたら、きっと見惚れてしまうに違いない。

【瑛里華】「な、なんでそんな嬉しそうなのよ」

【孝平】「あ、いや、なんとなく」

【瑛里華】「また、いやらしいこと考えてたんじゃない?」

くすりと笑う。

【孝平】「またってどういうことだ」

【瑛里華】「さあ、自分の胸に聞いてみたら」

聞くまでもない。

【孝平】「なんのことやら」

【瑛里華】「それにしては、手が汗ばんでるみたいだけど」

【孝平】「ぬお」

手を引き離そうとする。

でも、しっかりとからみついた指が俺を離さない。

【瑛里華】「甘く見てもらっちゃ困るわよ」

【孝平】「くそ、これが吸血鬼のパワーか」

【瑛里華】「別に嫌じゃないから、このままにしてなさいよ」

【瑛里華】「そういうこと考えるのは普通でしょ。男の子なんだから」

【孝平】「ま、まあ」

【孝平】「女の子も考えるのか?」

【瑛里華】「か、考えるわけないでしょっ」

【孝平】「あだだだっ」

手を思いっきり握られた。

【瑛里華】「女の子にそういうこと言わないの。いい?」

【孝平】「りょーかい、りょーかいっ」

【瑛里華】「よろしい」

骨が砕けるかと思った。

【孝平】「力技は勘弁だぞ」

【瑛里華】「恥ずかしがらせる方が悪いのよ」

【瑛里華】「前にも言ったじゃない、変なこと言わないでって」

【孝平】「言われた気もする」

【瑛里華】「言ったわよ、まったく」

【瑛里華】「孝平にしろ、兄さんにしろ、なんでこうなのかしら」

【孝平】「恥ずかしがる瑛里華がかわいいからだ」

【瑛里華】「ちょっと、なに言うのよ、バカ」

うつむいてしまう瑛里華。

でも、顔が赤くなっているのは隠しようもない。

【孝平】「まあなんだ」

【孝平】「夏休みも忙しいと思うけど、時間見つけて海行こう」

【瑛里華】「うん」

瑛里華がぎゅっと手を握ってくる。

痛くはない。

俺もしっかりと握りかえした。

//Switch POV to student council//

【伊織】「いやー、当てられた当てられた」

【伊織】「俺にもあんな時代があったかと思うと、十字架を抱いて海に飛び込みたくなるよ」

【征一郎】「何年前の話だ」

【伊織】「あっはっは」

【伊織】「しかし、瑛里華もああなってしまうと、ほんと可愛いもんだ」

【征一郎】「いい笑顔だったな」

【伊織】「おや、征がそんな穏やかな顔できるなんて知らなかったよ」

【征一郎】「いつも、しかめ面にさせているのはお前だ」

【伊織】「ひどいこと言うね」

【征一郎】「自覚しろ」

【征一郎】「しかし、彼は知っているのか?」

【伊織】「ある程度は聞いてるんじゃないの」

【伊織】「瑛里華が、何も話さないで人と付き合うなんて思えない」

【伊織】「アイツはそこまで強くないさ」

【征一郎】「とすれば、支倉の肝が据わっていたということになるな」

【伊織】「さしずめ、魔女の手を逃れ、茨の森を走り抜ける王子様とお姫様ってとこだね」

【征一郎】「茨か」

【伊織】「ま、そんなもんさ」

【伊織】「ぜひ、駆け抜けて欲しいもんだね」

【征一郎】「本当にそう思っているのか?」

【伊織】「もちろん」

【伊織】「吸血鬼が、普通に恋愛してもいいじゃないか」

【白】「……」

【征一郎】「白」

【征一郎】「おい、白」

【白】「あ、はい……お茶ですか?」

【征一郎】「違う」

【征一郎】「あの二人のこと、お前が気にする必要はない」

【伊織】「征の言う通りだよ」

【伊織】「白ちゃんが気にすることじゃない」

【白】「は、はい……」

//Switch back to Kouhei//

瑛里華と別れ、部屋に戻った。

瑛里華という彼女ができて初めての一日。

長かったような、あっという間だったような一日だった。

胸にはまだふわふわした感覚が残っている。

こんな感覚が自分の中に眠っていたなんて、想像もつかなかった。

【孝平】「お」

鞄の中で携帯が鳴った。

ディスプレイには「千堂瑛里華」の文字。

脊髄反射のように胸が高鳴る。

【孝平】「もしもし」

【瑛里華】「あ、私。こんばんは」

【孝平】「おう、どうした?」

【瑛里華】「えーと、特に用事はないんだけど、なんとなく寂しくなっちゃって」

ちょっと口ごもっている。

【孝平】「そっか。俺も電話しようと思ってたんだ」

【瑛里華】「そ、そうなんだ」

【孝平】「今日は、いろいろあったけど、楽しかった」

【孝平】「これからもよろしくな」

【瑛里華】「ええ、こちらこそ」

【孝平】「……」

【瑛里華】「……」

いきなり話のネタに詰まる。

電話越しだからだろうか、変に相手を意識してしまう。

【孝平】「なんか困ったな」

【瑛里華】「あはは、そうね」

【瑛里華】「電話、迷惑だった?」

【孝平】「え!? んなことない」

【孝平】「声が聞けるのは嬉しいんだ」

【孝平】「ただなんつーか、声が聞ければ満足って言うか……なんて言えばいいんだ」

電話越しにつながってる感覚が重要で、それがすべてというか。

ともかく迷惑なんてことはなくて、むしろ今は嬉しい。

【瑛里華】「なんとなくわかる」

【瑛里華】「電話してればそれでいいって感じでしょ?」

【孝平】「そう、それ」

【孝平】「だから、ネタが途切れても嫌じゃないし、電話が迷惑なんてことないから」

身振り手振りを交えて熱弁をふるう俺。

【瑛里華】「ならよかった」

【瑛里華】「じゃあ、これからも電話していい?」

【孝平】「もちろん」

【瑛里華】「ありがと」

【瑛里華】「私ね、けっこう寂しがり屋なのかもしれない」

【孝平】「それは俺もだ」

【孝平】「大丈夫だから、いつでも電話してきてくれ」

【瑛里華】「うん、わかった」

電話の向こうの瑛里華は、いつもとは別人のようにしおらしい。

【瑛里華】「あー、これで眠れそう」

【孝平】「よかった」

【瑛里華】「それじゃ、お風呂入るから」

【孝平】「ああ、俺もそうするよ」

【瑛里華】「また明日ね。今日はありがと」

【孝平】「おやすみ」

【瑛里華】「おやすみなさい」

言葉を切る。

……。

しかし、通話をやめるのが惜しい。

向こうからも電話は切られない。

さーっというノイズ音だけがかすかに聞こえる。

【孝平】「切るからな」

【瑛里華】「あ、うん、そうして」

【瑛里華】「なんか切りにくいよね」

あはは、と苦笑している。

よくわかる。

俺だって終わりにしたくない。

【孝平】「だったら、電話切るときは、いつも俺からって決めよう」

【孝平】「じゃないと、いつまでも電話しっぱなしになっちまうからな」

【瑛里華】「うん。じゃお願いね」

【孝平】「よし。おやすみ」

【瑛里華】「おやすみ」

2秒ほど置いて、携帯を閉じた。

部屋に静寂が訪れる。

別世界から帰ってきたかのような気分だ。

世の中のカップルは、みんなこの気分を味わってるのだろうか?

【孝平】「さて、風呂入るか」

わざわざ声に出す。

でないと、気持ちが切り替わらない。

それくらい、浮ついた気分だった。

ほんと、怖いくらい不思議だ、恋愛ってのは。