//Continuation from September 15//
屋敷が実在するのかいい加減不安になってきたころ、唐突にそれは現れた。
歴史の教科書に出てきそうな、古びた洋館だった。
壁面が月明かりに照らされ、ほの明るく光っている。
庭木はきちんと手入れされているから、人はちゃんといるようだ。
だが、夜にもかかわらず明かりはついていない。
【孝平】「……」
瑛里華は、ずっとここで生活してきたという。
いったいどんな毎日を送ってきたのだろう。
少なくとも、笑顔に溢れた生活ではない気がする。
そんなところに、また瑛里華を閉じこめさせるわけにはいかない。
地図を開き、裏手にあるという建物を目指す。
建物はすぐに見つかった。
その大きな建物は平屋建てで、手入れが行き届いている。
温泉地の高級和風旅館のようなたたずまいだが、漂う緊張感は旅館とはほど遠い。
悪寒をともなう汗が、じっとりと浮かんでくる。
行くしかない。
小さな門をくぐり建物に近づく。
玄関の戸に呼び鈴はない。
鍵はかかっておらず、戸は簡単に開いた。
【??】「お上がり」
名前も尋ねられず、突然家の奥から声がした。
予想以上に若い声だ。
高圧的な雰囲気もさほどない。
【孝平】「失礼します」
そこは広い和室だった。
お香だろうか、甘い香りが漂っている。
【??】「お座り」
部屋を仕切る御簾の奥から声がした。
奥のほうがこちらより暗いせいで、姿はほとんど見えない。
【孝平】「はい、失礼します」
部屋の中央に正座する。
【孝平】「はじめまして、支倉孝平といいます」
【孝平】「あの、瑛里華さんのお母さんですか?」
【??】「そうだ」
【??】「瑛里華が世話になったようだな」
【孝平】「いえ、こちらこそお世話になりっぱなしでした」
今のところ特に悪い印象はない。
ただ、俺の来訪を知っていたような雰囲気がある。
【??】「して、用件は?」
【孝平】「はい……」
//Switch to Erika's POV//
なんだろう。
戸が開く音がした。
あの人がいる、離れの戸の音だ。
こちらに用があるのか?
だとすれば、数年ぶりの快挙。
常識的に考えれば……来客。
兄さんか、
征一郎さんか、
【瑛里華】「まさか、ね」
そう言いながら、じっとしてはいられなかった。
もし孝平だったら──
//Switch back to Kouhei//
【孝平】「瑛里華さんを、もう一度学院に通わせてほしいのですが」
【??】「かまわんよ」
【孝平】「え?」
【??】「ただし、ヤツが眷属を作ればの話だが」
眷属?
瑛里華からも、会長からも聞いたことがない言葉だ。
【孝平】「人間から血を吸わないのが問題だって聞いてたんですが」
【??】「それもあるが、眷属を作ることの方が重要だ」
瑛里華は隠していたのか、屋敷に戻る本当の理由を。
【孝平】「あの、眷属というのはいったい?」
【??】「聞いておらぬのか?」
【孝平】「はい」
【??】「そうか」
//Switch to Erika's POV//
胸騒ぎが止まらない。
もし孝平だったら、
もし孝平があの人に会っていたら!
いつの間にか走り出していた。
裸足の足は、全力疾走には耐えられない。
皮膚が裂ける。
痛い。
だが、気にしてはいられない。
//Switch back to Kouhei//
【??】「……なればわかる」
【孝平】「?」
ふわりと、
御簾が浮いた、
【孝平】「がっっ!」
なんだ?
なんなんだ?
俺の、
腹から、
……。
…………。
腕が生えてる。
【孝平】「ごぽっ……」
喉を熱いものが駆けあがり、口から溢れ出た。
誰かが走って来ている。
誰だろう。
【??】「来たか」
だれ、だ……、
……ろう。
【瑛里華】「っっ!!!」
えり……か……。
【??】「さっさと済ませよ」
【瑛里華】「っっ!!」
【瑛里華】「いやあああぁぁぁっっっ!!!!」
まぶしい。
さっきまで夜だったよな。
何があったんだっけ?
……。
そうだ。
屋敷に行って、瑛里華の母親と話していたんだ。
そして……、
御簾が上がって……、
【孝平】「うあっっ!!」
【孝平】「はぁ……はぁ……」
俺の部屋だった。
寝巻姿の自分は、ベッドで上半身を起こしている。
掛け布団が床に落ちかけていた。
【瑛里華】「孝平……」
傍らには瑛里華が立っていた。
悲しげな視線を俺に送っている。
どうなってるんだ?
瑛里華は屋敷を出ていいのか?
俺はなんでここにいるんだ?
疑問が一気に浮かんでくる。
【孝平】「えーと……何がどうなったんだ?」
【瑛里華】「うん……」
瑛里華が視線を落とす。
【瑛里華】「順に話すから」
と、落ちかけの布団を上げてくれた。
俺は大人しく横になる。
【瑛里華】「どこまで覚えてる?」
【孝平】「瑛里華のお母さんに会って眷属の話をしたな」
【孝平】「眷属って言葉を知らなかったから、聞いたんだ」
【孝平】「そしたら、御簾が動いて……」
そうだ……。
俺、死にそうな目に遭ったよな。
布団の中で、おそるおそる腹部に手をやる。
……痛くない。
【孝平】「俺、怪我しなかったっけ?」
【瑛里華】「したわ」
【孝平】「死にそうだった気がするんだが」
瑛里華がぺたりと床に座る。
【瑛里華】「死にそうだったわ」
【瑛里華】「だから……助けたのよ」
【瑛里華】「……助けたとは言えないか」
どっちなんだ。
【孝平】「ちゃんと説明してくれ」
【瑛里華】「え、ええ……」
【瑛里華】「孝平はあの人に襲われて、大けがをしたの」
【瑛里華】「そのままにしておいたら、確実に死んでしまうほどの」
【瑛里華】「だから、あなたを眷属にして助けたわ」
眷属?
俺を眷属にした?
【孝平】「あの、眷属っていったい?」
【??】「ああ、知らないのであったな」
【??】「……なればわかる」
【孝平】「眷属ってなんなんだ?」
【瑛里華】「吸血鬼みたいなものよ」
【孝平】「……は?」
【瑛里華】「吸血鬼の血を飲んだ人間は、眷属になるの」
【孝平】「いや、あの、ちょっと……」
【瑛里華】「細かいことは後で説明するけど、いまのところは吸血鬼になったと思って」
【孝平】「……」
脳味噌をゆすられたような気分になった。
【瑛里華】「吸血鬼はケガしてもすぐ治るわよね」
【瑛里華】「だから、孝平は死んでいないの」
【孝平】「う、嘘だろ……」
起き上がる。
パジャマのボタンを外す。
腹を見る。
へその上あたりに、拳大の黒ずみがあった。
だがそれだけだ。
【瑛里華】「跡は、1日もすれば消えると思う」
信じられない。
俺はもう、人間じゃないのか。
【瑛里華】「何度も考えたわ……」
【瑛里華】「このまま死なせたほうがいいんじゃないかって」
【瑛里華】「でも結局、こうすることしかできなかった」
【瑛里華】「……ごめんなさい」
あーもー、しっかりしろ俺!
瑛里華がヘコんでるじゃないか!
頬を両手で叩く。
【孝平】「実感はないけど理解した」
俺は大けがをした。
そのままじゃ死んでしまうから、瑛里華が俺を眷属にした。
眷属は吸血鬼みたいなもんで、ケガがすぐ治る。
おかげで死なずに済んだ。
なら、いいじゃないか。
死ぬよりはマシだ。
【孝平】「ありがとう、助けてくれて」
【瑛里華】「お礼なんて言わないで」
【瑛里華】「私は……」
言葉に詰まって瑛里華がうつむく。
額に手を当て、くしゃりと前髪を握る。
何度か見た仕草だ。
【孝平】「いろいろ辛いかもしれないけど、死ぬよりはマシさ」
【孝平】「それに、瑛里華も外に出られるようになったんだろ?」
【瑛里華】「ええ」
【孝平】「良かった」
【瑛里華】「良くないわよ」
【瑛里華】「私はこんなこと望んでなかった」
【瑛里華】「あのまま、屋敷で生きていてもよかったのに」
うめくように言う瑛里華。
【瑛里華】「どうして屋敷に来たのよっ」
【瑛里華】「自分勝手よ、私の気も知らずに」
【孝平】「我慢できなかったんだ、瑛里華がずっと閉じこめられるなんて」
【瑛里華】「私だって嫌だったわ……」
【瑛里華】「でも、孝平を眷属にしたくはなかったから屋敷に戻ったのよ」
【孝平】「初耳だな」
【瑛里華】「言えるわけないわ」
【瑛里華】「そんな話したら、孝平は眷属になるって言いだすでしょ」
【孝平】「ははは、おそらくな」
【瑛里華】「バカっ」
涙目でにらまれた。
【孝平】「ごめんな」
瑛里華の気持ちはわかる。
でも……。
俺たちが付き合い続けるには、結局これしかなかったんじゃないか?
【孝平】「怒ってるか?」
【瑛里華】「怒ってるわ……自分に」
【瑛里華】「孝平をこれだけひどい目に遭わせて」
手を伸ばし瑛里華の髪を撫でる。
【瑛里華】「ごめんなさい、私のせいで」
【孝平】「いいよ……俺は後悔してない」
【孝平】「瑛里華が戻ってきたんだ、それで満足さ」
【瑛里華】「孝平……」
【孝平】「聞きたいことがあるんだけど」
【孝平】「眷属と付き合っちゃいけないっていう決まりとかあるのか?」
【瑛里華】「ないわ、そんなの」
【孝平】「じゃあ、眷属になった俺は嫌いか?」
【瑛里華】「そんなわけないじゃない」
【孝平】「なら安心した」
【孝平】「俺も不老不死なんだろ?」
【瑛里華】「ええ」
【孝平】「なら、ずっと一緒にいられるな」
【瑛里華】「……バカ」
瑛里華が立ち上がる。
そして、ゆっくりと俺を抱きしめた。
【瑛里華】「ほんと、バカなんだから」
相変わらずの柔らかさと、いつもの香り。
やっぱり、瑛里華なしの生活は俺には辛そうだ。
【孝平】「瑛里華、顔見せてくれ」
【瑛里華】「いやよ」
【孝平】「いいから」
瑛里華の体を起こす。
ぽろぽろと涙をこぼしていた。
【孝平】「目が真っ赤だ」
【瑛里華】「見ないでって」
【孝平】「じゃあ、目をつむって」
瑛里華がまぶたを閉じる。
肩を引き寄せ、唇を重ねた。
【瑛里華】「ん……」
【孝平】「瑛里華……」
瑞々しい唇。
頬に触れるかすかな吐息。
その感触に、いま瑛里華がここにいると実感する。
それだけで、無茶してよかったと思えてしまう。
瑛里華の言う通り、俺はバカなのかもしれない。
でも、そのおかげで今があるというのなら──
瑛里華がこの腕の中にいるというのなら──
これから、
永劫に続く人生も、
ずっとバカでいいと思う。