FANDOM


//September 7//

めっきり人が少なくなった学食。

司と昼飯を食べていると、窓の外を東儀先輩らしき姿が横切った。

【孝平】「っ」

【司】「どうした」

【孝平】「あ、いや、司はそのまま食っててくれ」

慌てて残りのメシをかっこむ。

東儀先輩は、どうやら本敷地への階段に向かったようだ。

追いかけなくては。

【司】「嬉しい出来事……じゃあなさそうだな」

【孝平】「いふぁ、ふぇっふぁひらいら(いや、結果次第だ)」

【司】「いいからしゃべらず食え」

【司】「食器は俺が下げといてやるから」

すまん恩に着る、とアイコンタクトで伝える。

【司】「あ? 明日の昼飯をおごってくれる? 悪いな」

言ってねえ!

デザートだけ司に残して、席を立つ。

……とにもかくにも、東儀先輩を追いかけて外に出た。

どこに行ったのだろう。

監督生棟か、図書館の可能性が高いか。

あと可能性としては……礼拝堂くらいだ。

//Choices//

監督生棟に行く

図書館棟に行く

礼拝堂に行く

//First choices//

監督生棟に向かう長い石段を駆け上る。

タッタッタッタッ

だんだん息があがってきた。

苦しい。

はあ、はあ、はあ、はあ

やっと監督生棟の玄関についた。

……鍵が掛かっている。

しかし、後から人が入ってこないように、中から鍵をかけた可能性もある。

かちゃ

ぎいぃ

扉を開け、2階の監督生室への階段を上る。

ばたんっ

……。

そこは、無人の監督生室。

淀んでいた空気が、もわっと廊下に出てきた。

ここにはいない。

戻ろう。

//Back to choices//

//Second choices//

ぎいぃ

図書館の扉を開ける。

ずらっと並んだ机と椅子と書棚。

本の香り。

図書館の中には、あいかわらず人の姿は無い。

かろうじて、カウンターに一人だけ司書の人がいる。

また、誰か来なかったか話を聞いてみよう。

ダメだ。

今日は俺以外の人は来ていないらしい。

ここにはいない。

戻ろう。

//Back to choices//

//If both first and second choices have been chosen//

監督生室にも図書館にもいない。

こうなると……

とりあえず、礼拝堂に行ってみるしかないか。

礼拝堂に来るのも久しぶりだ。

//Go to third choice//

//Third choice//

あと可能性としては……礼拝堂くらいだ。

監督生棟に行く監督生棟に行く図書館棟に行く図書館棟に行く礼拝堂に行く礼拝堂に行く

礼拝堂に来るのも久しぶりだ。

誰かいるのだろうか。

がちゃ

あれ?

がちゃがちゃ

礼拝堂の入り口の扉には、鍵が掛かっていた。

これじゃあ、中には誰もいないだろう。

俺も礼拝堂の鍵は持っていない。

……諦めるか。

そう思い、礼拝堂を離れる。

その時。

礼拝堂の裏手から何かの気配がした。

雪丸かな。

お盆の間は、シスター天池に世話を頼むと白ちゃんは言ってたけど、無事だろうか。

確認の意味を込めて裏に回る。

するとそこに、東儀先輩がいた。

すっと立ち上がったが、しゃがんでいたようだ。

雪丸のいるウサギ小屋を見ていたのだろうか。

東儀先輩とウサギの雪丸。

妙な取り合わせだ。

【孝平】「東儀先輩」

【征一郎】「支倉か。どうした」

【孝平】「あ、あのっ」

ずっと話をしようと決めていたのに、とちってしまう。

【孝平】「あの、東儀先輩と話をしたいんです」

【孝平】「白ちゃんについて、大事な話です」

……なんだか“お嬢さんを僕に下さい”みたいなノリだ。

東儀先輩も、微妙な表情だ。

【征一郎】「大事な話、か」

【征一郎】「こちらも、いくつか聞いておきたいことがあったところだ」

東儀先輩が、正面から俺を見据える。

二人の視線が絡んだところで見えない火花が散ったような錯覚。

でも、視線は逸らさない。

【孝平】「ここじゃ暑いですから、どこかに行きませんか?」

【征一郎】「そうだな」

【征一郎】「監督生室だと、伊織や瑛里華が来るかもしれんな」

【孝平】「図書館はどうですか。いつも誰もいませんし」

【征一郎】「それがいいだろう」

二人、黙ったまま歩く。

図書館まで1分ほどだっただろうか。

一歩一歩が重い。

それでも、急ぎすぎることなく、遅れることもなく足を運ぶ。

とてつもなく長い時間に感じた。

例によって、奥のカウンターの司書さん以外は誰もいない図書館。

俺たちは、話している内容が司書さんに聞こえないよう、端の席へと進んだ。

向かい合って座る。

東儀先輩は眼鏡を外し、しばらく目を閉じて何かを考え、再び眼鏡をかけた。

【征一郎】「さて」

【征一郎】「どちらから話したものかな」

【征一郎】「支倉の話は長いのか」

【孝平】「そこそこです。いや、ええと……」

白ちゃんの両親の話は、反応次第で長くなるかもな。

【孝平】「もしかしたら、長くなるかもしれません」

【征一郎】「ふむ」

【征一郎】「では、先に俺の方から話すとするか」

【孝平】「はい」

【征一郎】「支倉は……」

【征一郎】「白との仲はどこまで進んでいるんだ」

ぶほっ

ストレートど真ん中だ。

あまりにもど真ん中すぎて、ちょっとうろたえる。

正直に言っていいものなのか、それともわずかの間だけでもごまかしていた方がいいのか。

【孝平】「……」

【征一郎】「……」

だめだ。

この沈黙が、既に雄弁に語っている気がする。

【孝平】「ええと……」

【孝平】「男女としてのお付き合いを、させてもらってます」

……。

…………。

沈黙。

空気が重い。

【征一郎】「……………………そうか」

【征一郎】「わかった」

ほっ

胸をなで下ろす。

機嫌が悪くなったりは……してなくはないだろうけど……

とりあえず爆発は避けられたようだ。

【征一郎】「で、そっちの話というのは?」

【孝平】「お二人の、両親についてです」

【征一郎】「……ふむ」

【征一郎】「聞こう」

椅子を引いて、東儀先輩が姿勢を正した。

俺は東儀先輩に、これまで考えてきたことを語った。

白ちゃんと二人で話し合ってきたこと。

東儀先輩に伝えられなかったこと。

俺なりに解釈して、誤解をゆっくりとほどいていくように。

東儀先輩は、俺が話し終わるまで、じっと耳を傾けて聞いてくれた。

白ちゃんが、舞のことをとても大切に思っていたこと。

白ちゃんにとって舞とは、母親とのつながりの象徴であること。

白ちゃんが、決して東儀家のしきたりを軽んじてはいないこと。

そして──

白ちゃんは両親が本当に亡くなったのか疑問を持っていること。

隠し事をされていることに、白ちゃんが傷ついていること。

傷ついているのみならず、東儀先輩のことも信じられなくなっていること。

東儀先輩を信じられない自分も嫌いになりそうなこと。

……。

【孝平】「俺が、東儀先輩に伝えようと思っていたことは、以上です」

【孝平】「俺と白ちゃんがどうなるにせよ……」

【孝平】「東儀先輩と白ちゃんのわだかまりは、解消したいと思っています」

【孝平】「白ちゃんが、悲しんでいるので」

【征一郎】「……」

【征一郎】「なるほどな」

俺の話を聞いていた時と同じ姿勢、表情のまま、東儀先輩は軽くうなずいた。

【孝平】「……どうでしょうか、東儀先輩」

【征一郎】「今の件について、俺なりの見解を話しておきたい」

【征一郎】「少し長い話になるかもしれないが……」

【孝平】「かまいません」

迷うはずがなかった。

東儀先輩の本音が聞きたい。

【征一郎】「さて、どこから話したものか」

【征一郎】「まず今の俺の率直な感覚として、自分の不甲斐なさに呆れている」

東儀先輩でもヘコむことなんてあるんですね、などと軽口を叩ける雰囲気ではない。

【征一郎】「ずっと面倒を見てきた、いや、俺としては面倒を見てきたつもりだった白が……」

【征一郎】「俺に言えないことを、支倉、おまえには言えていたとはな」

恐縮することしかできない。

【征一郎】「さきほどの話を聞いていても、やはり支倉はできる男だと思う」

【征一郎】「俺に白のことを話してくれたことも含めて、悪い人間ではない」

【征一郎】「公平に見て……白と支倉の交際には、喜んで賛成したいところだ」

……。

【征一郎】「白が、東儀の人間でなければ」

俺は、何も言わずに東儀先輩の話の続きを待つ。

──図書館には、あいかわらず誰も来ない。

冷房は、軽く効いている程度。

汗をかくほどではないが、涼しさは感じない。

館内の書棚で、島の時の流れを見つめてきた本の香り。

その香りが似合う先輩は、話の続きを口にした。

【征一郎】「俺の父は古風な人間だった」

【征一郎】「俺には、とても厳しく接していたものだ」

遠くを見るような目をする東儀先輩。

どんな感情を持って思い出しているのかは、わからない。

【征一郎】「東儀家の当主としてふさわしい人間になれ」

【征一郎】「一貫して、父はこう言っていた」

目を閉じる。

【征一郎】「俺は、幼い頃から文武に励み、それなりの成績をあげた」

【征一郎】「褒められなければ、さらに良い成績を修め続けた」

【征一郎】「だが、その程度で満足するなと、怒られることが常だった」

【征一郎】「そんな父に、反発したものだ。心の中ではな」

東儀先輩が、一瞬だけ自嘲気味に笑う。

その自嘲は、反発が心の中だけだったことに対してなのか、それとも別のことに対してなのか。

【征一郎】「父は、俺と白が仲良くしているときだけは機嫌がよかった」

【征一郎】「それが、嬉しかった。子供の頃の俺には」

【征一郎】「だから俺は、白を大切にするようになった」

【征一郎】「俺にとっては……」

【征一郎】「白を可愛がることが、父に褒められる唯一の道だったから、だろうな」

【征一郎】「……ふう」

淡々とした口調の中に、少し苦い響きを混ぜながら語る。

普通、自分の中に隠しておきたくなることだと思う。

なぜ、俺に話して聞かせてくれるのか。

俺のため? 白ちゃんのため?

それとも。

どういう意味を持っているのかは、東儀先輩にしかわからない。

そして、この人は、それを語らないだろうという気がする。

俺が受け止め、俺が考えなくては。

【征一郎】「少し疲れたな」

【征一郎】「何か飲み物でも買ってくるか?」

【孝平】「あ、いえ。俺は」

【孝平】「東儀先輩さえ良かったら、話の続きが聞きたいです」

【征一郎】「……では、そうするか」

【征一郎】「父がいなくなってから、俺はさらに白の面倒を見るようになった」

【征一郎】「もう褒められたり叱られたりすることも無いのに、だ」

【征一郎】「恥ずかしい話だが、そこに自分の価値を見つけたせいだろう」

【征一郎】「……これでも、白には申し訳ないと思っている」

【征一郎】「傍から見ていると白が俺に支えられているように見えるかもしれないが」

【征一郎】「実際には、俺にとっても白が支えになっている」

【征一郎】「だから……本当に白のことを考えて面倒を見ているのかと問われるのが辛い」

【征一郎】「俺自身のためにやっているようなものだからな」

【征一郎】「そして、そんな生き方を変えられない自分の不甲斐なさに落ち込んでいる、というわけだ」

聞いているだけで、胸がわしづかみにされたように痛い。

淡々と語られているから、なおさらだ。

東儀先輩がここに考え至るまでの道のりは、きっと平坦なものではなかっただろう。

弱さや、醜さや、すべての目を背けたいものをじっと見つめて初めて至れる境地だと思う。

その強さに、迫力すら感じてしまう。

【征一郎】「しきたりとはどういうものだと思う?」

【征一郎】「長年、自分の家に伝わってきたしきたりだ」

【孝平】「しきたり、ですか」

俺は、白ちゃんのこともあって、少し反発の意を込めて答えた。

【孝平】「今に生きる者を縛るものだと思います」

【征一郎】「縛る、か」

【征一郎】「俺の考えでは、少し違う」

【征一郎】「しきたりというのは、生き方そのもののことだ」

【孝平】「……」

眼鏡を直し、俺を見る。

【征一郎】「人が生きていく中では、誰でも、大切にすべきだと思うことがある」

【征一郎】「精一杯に生きること、他人に迷惑をかけないこと」

【征一郎】「知識や教養を身につけること、礼儀を守ること、口だけではなく行動を伴わせること」

【征一郎】「十人いれば十通りの『大切にすべきこと』と『忌避すべきこと』がある」

確認するように、東儀先輩は俺を見る。

俺はうなずいた。

【征一郎】「この考え方は、その人の人生に反映される」

【征一郎】「志の強さが際立っている人ほど、生き方は凜としている」

【征一郎】「その生き方を美しいと思い、志の強さを敬う者がいたら、考え方を受け継ごうとするのは自然なことだ」

【征一郎】「そして、敬う対象が自分の親であったとしたら、それはとても幸せなことだと思う」

【征一郎】「支倉はどう思う?」

【孝平】「……その通りだと思います」

【征一郎】「それが、代々繰り返された中で残っているのが、東儀家のしきたりだ」

【征一郎】「自分の尊敬する人たちが守ってきた生き方が、そのまましきたりとなっている」

【征一郎】「良い悪い、正しい正しくない、というようなものではない」

【征一郎】「当然、縛るようなものでもない」

【征一郎】「祖先たちが代々守ってきた価値観を敬う気持ちが、しきたりを守らせるのだ」

東儀先輩から発せられる言葉と周囲の空気の重さに、みじろぎ一つできない。

これが、名家の当主が持つ信念か。

そんな空気がふと緩む。

【征一郎】「俺自身、子供の頃はあれほど嫌がっていたが……」

【征一郎】「もし将来、自分が跡継ぎを育てる立場になったら、父と同じことをする気がしている」

【征一郎】「実際、分家や島の人間からは、父に似てきたと言われるようになった」

【征一郎】「父は、俺にとっては大きな目標だ。東儀家当主としての」

【征一郎】「だから、似てると言われれば、嬉しく感じる」

【征一郎】「俺は今、東儀一族……家族を守ることが、使命だと思っている」

【征一郎】「自らを犠牲にしても、だ」

【征一郎】「学業やスポーツ、社会的な地位も、東儀家を守るための手段の一つに過ぎない」

【征一郎】「父は何も言わなかったが、東儀の当主として生きるというのは、きっとそういうことなのだろう」

【征一郎】「その厳しいまでの意志の強さを持った父を、いつしか俺は敬うようになっていた」

【征一郎】「もちろん、白も東儀の人間として、東儀の考え方を敬ってくれればと思っている」

【征一郎】「これは、俺の願望だが」

……“東儀の人間でなければ”って言っていたのは、そういうことだったのか。

東儀先輩の言葉が重くのしかかってくる。

しかし。

それでも……

俺は一つだけ聞いておかなくてはいけないことがあった。

【孝平】「ご両親は、どうされているんですか」

【孝平】「さっきは『いなくなって』と言ってたと思うんですが」

【征一郎】「……」

【征一郎】「そうだったな」

かすかに、苦渋の表情。

重苦しい沈黙の後、東儀先輩が口を開いた。

【征一郎】「一族の長たる父は……」

【征一郎】「しきたりに殉じた」

え?

【孝平】「殉じたって……」

【征一郎】「死んではいない。ただ、生きているとも言えない」

【征一郎】「ただの、物言わぬ人形となっている」

【孝平】「それは……」

【征一郎】「かつて俺が叱られ、島の人々に敬われた姿は見る影もない」

【征一郎】「あるのは、ただ光を失った瞳だけだ」

【征一郎】「父も母も、俺はおろか互いのことすらも認識できていない」

なんで……

そんな状態になってしまったんだろう。

【孝平】「東儀家のしきたりとは関係があるんですか?」

【征一郎】「あるとも言える。厳密には違うかもしれないが」

【征一郎】「それは、東儀の問題だ」

そう言われては、俺には何も言えない。

【征一郎】「正直に言うと、俺は、その父の姿に深いショックを受けた」

【征一郎】「あれだけ父に叱られてきたが、父がそんな状態になっても楽になどならなかった」

【征一郎】「なんとか元に戻らないかと、四方手を尽くした」

【征一郎】「……が、すべて徒労に終わった」

【征一郎】「生きる意欲を失いそうになった時期すらあった」

【征一郎】「……白には、これを伝えていない」

……。

途中経過を無視した正論がいくつか頭の中に浮かんでは消える。

自分が、いかに何も考えていなかったかを思い知らされ、打ちのめされる。

俺は……どうすべきなんだ?

【征一郎】「白は……支倉には心を許しているようだ」

【征一郎】「この話を、白に話すかどうかは支倉に任せる」

【征一郎】「俺は、支倉がどちらを選んでも、文句を言う立場にない」

【孝平】「あ……」

【征一郎】「時間を取らせたな。俺の話は終わりだ」

そう言うと、俺の考えがまとまりきらないうちに東儀先輩は席を立ち、図書館を出ていってしまった。

//Another view : Seichiro//

精一杯張った虚勢。

支倉には、何か伝わっただろうか。

こんなに語ったのは、いつ以来だろう。

それも、あんな内容を。

思い出すと、羞恥に顔が歪む。

……俺は、それを打ち消すように、監督生棟への階段を駆け上る。

監督生室には誰かいるかもしれない。

千年泉に行こう。

泉のほとりに立つ。

速まっていた鼓動は、すぐにいつもの落ち着きを取り戻した。

──この泉はいつ来ても澄んでいる。

澄んだ水を見つめていると、心が落ち着く。

東儀家が私財を投じて行った事業としてよく紹介される東儀上水も、水源はこの泉だ。

自分の中に流れる血、そしてそのルーツを思うと、この場所には何か惹かれるものがあるのかもしれない。

……。

白は、ここに来たときに同じことを思うだろうか。

東儀家の人間としての生き方をどう考えているのだろうか。

しかし。

白には幸せになって欲しいとも思う。

さっきは、白の面倒を見ていたのは親によく見られたいためだったと口走ったが……

もちろん、白のことを考えていないわけがない。

白が幸せになるために、そう思うばかりに。

俺は、俺の考える「白の幸せ」を押しつけているということだ。

面と向かって白にそう伝えられるだろうか。

いや、俺には難しいだろう。

それを支倉に託したのは、俺自身が逃げたと言うことなのかもしれない。

東儀家の人間としての生き方を白に忘れてほしくないということ。

白に幸せになってほしいということ。

これは、両立するのだろうか。

泉の水面をいくら眺めても、この疑問への答が出ることは無い。

出ないからこそ、なおのこと澄んだ水に心が惹かれるのかもしれない。

//Another view ends//

//September 11//

東儀先輩と話はできた。

白ちゃんには、まだそのことを話していない。

ここ何日か、どうすべきかを考えていた。

俺にとって、白ちゃんにとって、どうするのがいいのか。

そして、東儀先輩や、東儀先輩が聞かせてくれた東儀家の話も併せて考えたとき、どうするのが一番いいのか。

東儀先輩は、本心や、白ちゃんに隠していたことを話すのか、俺に任せた。

俺が東儀先輩の話を理解しないまま、白ちゃんに伝えることはできない。

何が最善なのか、真剣に考えなくては。

……白ちゃんと東儀先輩の話を聞いていて強烈に思ったのは、二人の絆の強さだ。

あの二人は、互いに、互いの存在があってこその生き方をしてきた。

普通の兄妹とは比べられない。

もしかしたら、今の白ちゃんに聞けば「兄さまよりも大切なものがあります」と言うかもしれない。

でも、それは本心だろうか?

深層心理を表に出してないだけなんじゃないか。

そうじゃなければ、当たり前すぎて気づいていないのかもしれない。

白ちゃんが、東儀家や東儀先輩のことを大事に考えていないはずがないのだ。

俺は、その“表に出ない気持ち”を、大事にしてあげないといけない。

白ちゃんがしっかり自覚してないのをいいことに、その気持ちを無かったことにしちゃいけないと思う。

おせっかいだろうか。

一歩間違うと、「白ちゃんのために」自分のエゴを押しつけることになるかもしれない。

それは、東儀先輩と同じパターンだ。

だが……これは、たぶん正しいことだと思う。

白ちゃんが見失っていること、見失っているものを見つけること。

俺は、まずその手助けをしなくちゃいけない。

例え俺が何を失おうとも、白ちゃんのためにはそれが一番のはずだ。

白ちゃんと、東儀先輩の、仲直りが。

──考えて、考えて、考えて、俺が出した結論だ。

//September 12//

【瑛里華】「ラストスパートよ」

副会長の目の前には、文化祭関係の書類が山積みだ。

【瑛里華】「これ、支倉くんの分ね」

【孝平】「りょーかい」

【瑛里華】「これは兄さんの分」

【伊織】「やれやれ、征もいないし真面目にやるか」

気合いを入れて、書類のチェックを始めた。

文化祭直前、生徒会の仕事もフルスロットルだ。

……白ちゃんは、今日から登校している。

ただ、ここ数日でローレル・リングの準備が遅れ気味とのことで、監督生室には来ていない。

今頃は、礼拝堂で準備をしているに違いない。

一方東儀先輩は、特例の休学をもらって実家で祭りの準備をしているそうだ。

珠津島神社の祭りまでに、白ちゃんと落ち着いて話をするタイミングが取れるかどうか……微妙だ。

【瑛里華】「さ、ちょっと早いけど、そろそろ上がりましょう」

【瑛里華】「今日までにできることはしたわ」

【伊織】「そうだな」

【伊織】「体を休めるのも仕事だ」

……夏休みが終わってからは、あっという間だった。

毎日、文化祭当日に向けての準備をしているだけで、二週間が飛ぶように流れていった。

この間ずっと、門限ギリギリに帰っていた。

充実はしていたし、やりがいもあったけど、体はくたくただった。

【瑛里華】「当日は、私たちが一番元気に迎えるくらいじゃなきゃだめよ」

【伊織】「ほら支倉君、飲むかい?」

会長が、ドリンク剤を渡してくれる。

【孝平】「いただきます」

【瑛里華】「さて、じゃ、戸締まりして行きますか」

【孝平】「あ、俺ちょっと、礼拝堂に寄って帰ります」

【瑛里華】「ローレル・リングを手伝って徹夜とか、そういうのは駄目よ」

【瑛里華】「私たちは、全体が上手く回るようにするのが仕事だからね」

【伊織】「ま、そういうことだ。ほどほどにな」

【瑛里華】「上手くやるのよ」

【伊織】「上手くやれよ」

これは……

二人が俺を励ましてくれたに違いない。

【瑛里華】「じゃ兄さん、行きましょ」

【孝平】「お疲れさまでした」

二人はそのまま階段を下りて行った。

ローレル・リングでは、バザーと、修智館学院での礼拝堂やローレル・リングの歴史の展示を行う。

展示の方は毎年ほぼ使い回しで済むそうだ。

バザーも、商品を並べて売るだけ。

準備と言えば、写真を並べることと、商品の値付けがほとんど。

そして、それらも昨晩にはほぼ形になったと、白ちゃんがメールで教えてくれた。

【孝平】「ちわーす」

【白】「あ、支倉先輩」

白ちゃんが、とてて、と走ってくる。

【孝平】「白ちゃん」

【孝平】「シスター天池は?」

【白】「もう準備を終えられて、帰りました」

【孝平】「白ちゃんはまだまだかかりそう?」

【白】「あとは、値札をつけて終わりです」

【白】「支倉先輩は?」

【孝平】「ああ、生徒会も今日は早めに上がって、当日に向けてしっかり休めってさ」

【孝平】「もしまだ手間取ってるようなら、手伝おうかと思ってきたんだけど……」

【白】「あと5分くらいで終わります」

【孝平】「じゃ、一緒に帰ろう」

【白】「すみません、では雪丸の散歩をお願いできますか?」

【孝平】「わかった」

ウサギ小屋に行き、おとなしくしてる雪丸にリードをつける。

おとなしいフリをしてるのは、学習の成果だ。

リードをつけるときに騒いでいると、散歩が無くなることを経験から学んだようだ。

ウサギ小屋から、雪丸を出す。

夕方だし、白ちゃんもそんなに遅くならないようだし、礼拝堂の周りをぐるっと回ればいいかな。

時計回りに、歩き始める。

ぴょこぴょこ

雪丸が、案外俊敏に歩く。

遠くの草が気になってみたり、俺の脚にまとわりついてきたり。

急に走ったかと思えば、丸くなってしゃがんでみたり。

【白】「お待たせしました」

白ちゃんが礼拝堂から顔を出した。

【孝平】「これで散歩は終わりだ、雪丸」

抱えて、ウサギ小屋へと入れた。

時間が少ないせいか、不満そうにも見える。

【孝平】「また今度出してやるからな」

【白】「ありがとうございました」

【孝平】「いいよ。俺も雪丸の散歩好きだし」

【孝平】「じゃあ、帰ろうか」

【白】「はい」

空が、オレンジから紫色に変わりつつあった。

噴水まで来る。

【白】「あ……」

この高さから見下ろすと、校舎がよく見える。

文化祭の前日ということもあって、まだまだ生徒が残って、作業をしていた。

今日は門限も緩くなる。

屋外でもライトを使っての装飾作業などが続いており、ここから見るととてもきれいだ。

【白】「成功するといいですね」

【孝平】「ああ」

これまで積み重ねてきた準備が花開く日。

最後の一瞬に華々しく命を燃焼させる蝉の一生のように、二日後には使命を終える展示や装飾。

今まさに、眼下で行われている営みは、地上に出かけている幼虫なのだ。

祭りというのは、そういうものだから美しく、楽しいのかもしれない。

祭り。

……祭りといえば。

白ちゃんは、神社や舞のことを一度も口にしない。

どうするつもりなんだろう。

もう明後日だ。

行かないということにしたのだろうか。

それで本当にいいのか。

【孝平】「白ちゃん」

【白】「はい?」

【孝平】「舞は、どうするんだ?」

思い切って、聞いた。

【白】「舞は……」

【白】「兄さまとは……結局、一度も合わせていません」

【白】「兄さまからは、支倉先輩か舞かどちらかを選べと言われています」

【白】「東儀家のしきたりを守れない者には、祭りで舞わせることはできないとも言われました」

【白】「ここで兄さまと舞ってしまったら──」

瞳には、かすかに苦しげな色が浮かんでいる。

【白】「支倉先輩より、しきたりを選んだことなってしまう気がして……」

そう言って、うつむいた。

【白】「東儀家のしきたりを、破りたいわけではありません」

【白】「でも、支倉先輩と離れるくらいなら……」

このまま、時間が過ぎるのを待つのか。

それが白ちゃんの選択。

【孝平】「……そっか」

【白】「はい……」

白ちゃんに、祭りのことや東儀先輩との仲直りについて話そうとした。

話そうとしたのだが……

今にも泣きそうな顔を見て、それ以上何も言えなくなってしまった。

白ちゃんにとっては、とても大切な問題だ。

軽率には動けない。

【白】「生徒会の仕事で忙しいかもしれませんが……」

【白】「文化祭、一緒に回れるといいですね」

【孝平】「ああ」

生徒たちの手作りの祭りを見る白ちゃんの横顔は。

今にも消えてしまいそうなほど、儚げに見えた。

早く寝て体調を整えなさいよ、と副会長に言われていたのに、なかなか眠れなかった。

……。

白ちゃんが、苦しんでいる。

迷っている。

俺にできることは、せめて楽しい思い出を作ること……なんだろうか。

いや、違うはずだ。

諦めちゃだめだ。

白ちゃんの気持ちを、しっかり見極めなくちゃいけない。

//Another view : Seichiro//

【征一郎】「!」

これは……!

【征一郎】「くっ」

壁により掛かり、膝をつく。

何も、こんなときに。

あと二日。

あとたった二日でいい、なんとかもってほしい。

ここで、俺が抜けるわけにはいかないのだ……。

俺が止めるわけにはいかないのだ。

鉛のような脚を引きずり、部屋へ向かう。

一歩ごとに体力を削られているような感覚。

転ぶ。

立ち上がる。

誰かに見つかる前に、早く部屋へ戻らねば。

なんとか部屋にたどり着き、ベッドに体を横たえる。

しかし、こんな時に来なくても。

この感じだと……

あと二日、もつかもたないかギリギリといこうところだろう。

急速に意識にモヤがかかってくる。

【征一郎】「ふう」

秋季例大祭が迫っている。

二人で舞う舞も、今年は一人か。

しかし、それでもやらねばならない。

もう白はいない。

……。

分家や氏子も、情けない当主と笑うだろう。

だが、たとえ一人でもやらないわけにはいかない。

それは俺にとって大切なもののために、許されない。

たとえ、胸に大きな穴が開いていても。

【征一郎】「ふっ」

自嘲気味の笑いが漏れる。

今まで、白と正面から向き合ってこなかった罰か。

白を心の拠りどころとして利用していたのだ。

白が自立したことで喪失感を覚えるのも当然かもしれない。

【征一郎】「は……」

目を閉じる。

暗闇の中、一人の人間の姿が像を結ぶ。

父さん。

申し訳ない。

俺は家を守れなかった。

貴方に教わったことを、結局果たすことはできなかった。

……白は、東儀としての生き方を捨ててしまった。

つなぎ止めることができなかった俺が悪い。

貴方から受け継いだ、当主としての責務。

全うすることもできず、無為に過ごしている。

申し訳ない。

これでは当主失格だ。

……結局俺は、貴方に褒められることはなさそうだ。

//Another view ends//

//September 13//

文化祭が始まった。

幸い、天候は開催にふさわしい晴天となった。

ぱんっ! ぱんっぱぱぱんっ!

早朝に打ち上げる音だけの花火が、決行の合図。

山腹にある学院で鳴れば、島内にもかなり聞こえたことだろう。

ちょっとわくわくしてきた。

【瑛里華】「さあ、始まるわ!」

腕まくりでもしそうな勢いの副会長。

花火に点火して、盛り上がっているようだ。

今の花火を合図とするように、寮から生徒が登校し始める。

この時間だと、昨晩、準備をやり残したクラスか。

もしくは、最後の詰めの装飾に来た部活か。

いずれにせよ、わずかな疲労感と、それを吹き飛ばすくらいに輝いた瞳が印象的だった。

──数時間後、校内放送による会長の華々しい開会宣言が、祭りの幕を開いた。

ちょうど昼あたりに、一度顔を出した東儀先輩も、神社の祭りの準備があるといって謝りつつ抜けていった。

白ちゃんも、今頃はローレル・リングで一日目のまとめと二日目の準備をしているはずだ。

【瑛里華】「おっ疲れさまーっ!」

紙コップにジュースで乾杯。

【伊織】「一日目は無事に終了したねえ」

【伊織】「ああっ。僕が在学中の文化祭も、明日で最終日か」

【瑛里華】「6年生は誰だってそうでしょ」

俺と同い年の副会長はともかく「人間だったら長寿新記録」という会長が今回初めての在学なのかどうかは、聞かないでおく。

【伊織】「支倉君。覚えておいた方がいい」

【伊織】「祭りというのはね、始まったときは既に終わっているようなものなんだ」

【孝平】「はあ」

わかったような、わからないような。

【伊織】「例えば一年間の農業の収穫を祝う祭り、というものがあったとしよう」

【伊織】「豊作だったらその感謝を、凶作だったら来年の豊作を祈るわけだが……」

【伊織】「本当に誰もが飢えて生きるか死ぬかという状態だったら、祭りなんてできないだろう?」

【伊織】「どんな状態でも、せめて祭りを行える一年だったということが重要なのさ」

【孝平】「……」

会長が、ほんの一瞬だけ、ちらっと俺を見た。

【瑛里華】「文化祭の方がわかりやすいんじゃない?」

【瑛里華】「日頃生徒が文化的な生活をしているから、文化祭が成り立っているわけだし」

【瑛里華】「普段は非文化的なのに、文化祭の時だけ文化的に振る舞うのは無理ってものよ」

【孝平】「なるほど……」

副会長はともかく……

会長は一般論ではなく、俺に向けて話をしたように思えて仕方ない。

今日一日で疲れた頭を必死に回す。

つまり、この話を珠津島神社に置き換えると……

普段から、神社を支えてくれている氏子さん。

神社を訪れる人たち。

神社を保守する人たち。

そういった、多くの人に支えられて東儀家は御輿の一番上に乗っている。

御輿を担ぐ日に、御輿の上に乗るかどうかよりも……

御輿を担いでくれる人がいることが重要だということだろうか。

……違うな。

違うような気がする。

【瑛里華】「でも、普段積み重ねてきたことの成果が確認できるのも文化祭なんでしょうね」

【瑛里華】「養分だけため込んで、花や実をつけない植物はないもの」

【伊織】「花や実は次代を残すための生存活動だろう?」

【瑛里華】「前期課程の子たちが、今日もたくさん来ていたじゃない」

確かに、ぞろぞろと連れだって歩いているのを見た。

【瑛里華】「各部活動にとっては、来年の新戦力へのアピールの意味もあると思うの」

【瑛里華】「それは生存活動に近いんじゃない?」

【伊織】「クラスごとの出し物は?」

【瑛里華】「それは……」

【瑛里華】「徒花、とは言いたくないわね」

【孝平】「そうだな」

【孝平】「目標と到達すべきポイントが見えるからこそ、人は努力するものなんじゃないかな」

【孝平】「あとは、非日常の共有体験が団結力を高めるとか」

【伊織】「そう。神事じゃないフェスティバルの要素も重要だ」

【伊織】「ま、なんにしても……」

【伊織】「参加者がいい祭りだった、と思えるのが一番さ」

【孝平】「無理矢理まとめましたね」

【瑛里華】「あら、でも真実だと思うわ」

【伊織】「祭りに外部から参加する人も、実際に祭りを執り行う人も、その上の御輿に乗ってる人もね」

【孝平】「それはつまり、今日の開会宣言が楽しめたので良かったと」

【伊織】「閉会宣言は更なる脱皮を予定中だ」

【瑛里華】「だからあの案はボツだって言ったでしょ!」

【伊織】「それは残念」

【孝平】「いったいどんな案を?」

【瑛里華】「校舎屋上から、サーチライトに照らされた兄さんがパラシュートでグラウンドに降臨」

【伊織】「しかも真っ赤な服を着て歌いながらね」

【孝平】「それは……やめた方がいいと思います」

【伊織】「格好いいと思うんだがな」

【伊織】「それにきっと盛り上がるよ」

【瑛里華】「ダメったらダメ!」

固くなりかけた空気を、一発で溶かすことができるのは会長の特技だと思う。

そして俺は。

会長が何かを言わんとしてた内容を、完璧に理解できたとは言わないけど。

少し、背中を押された気がした。

二日目に向けて、ある集団は今日のミスを取り戻そうと、別の集団はより成功を膨らまそうと。

今晩も、教室棟周辺は遅くまで情熱のるつぼとなっているようだった。

俺たちは彼らに声をかけたりしながら、寮への道を歩いている。

……そこに、見慣れた人影が現れた。

【孝平】「白ちゃん」

【白】「あ、皆さん」

【孝平】「そっち、終わったのか?」

【白】「はい」

【白】「今そちらに行こうとしていたのですが」

【瑛里華】「今日は、こっちも終わりよ」

【伊織】「一緒に帰ろうじゃないか」

【白】「はい」

~♪

あ。

これは……楽器の名前は知らないけど、祭りでよく聞く笛の音色だ。

珠津島神社から、風に乗って聞こえてきたのだろうか。

明日の例大祭を前に、あちらでも準備が進んでいるようだ。

白ちゃんが、ぴくっと緊張したような気がする。

~♪

【伊織】「篠笛だね」

【白】「……そうですね」

【伊織】「明日は……そうか、秋の例大祭だ」

【白】「はい」

会長は、あまり気を遣っていないように、普通に切り出した。

俺と副会長は、こっそり安堵のため息をつく。

【伊織】「こちらも向こうも、大盛り上がりだと一番いいね」

会長が、そう言ったところで寮に着いた。

部屋の窓を少し開けてみる。すると、ときおりさっきの音色が聞こえてきた。

華々しい舞台の裏には、地道な準備がある。

今、珠津島神社の祭りもその地道な準備が結実しようとしているところなのだ。

……。

白ちゃんだって、夏休みからずっと、舞の練習をしていた。

それも、地道な準備の一つのはずだ。

実を結ぶことを、許されない木。

想像してみると、それはとても物悲しい感じがした。

//September 14//

文化祭の二日目。

そして最終日。

今日は、関係者や前期課程の生徒だけではなく、島の内外からの多くのお客様に来ていただく日だ。

ぱんっ! ぱぱんっぱぱぱんっっ!!

昨日と同じ花火を鳴らす。

近くの森から、驚いた鳥が二三羽飛び立った。

心なしか、音が大きくなったようにも聞こえる。

【瑛里華】「さっ、今日はおもてなし精神全開で行くわ」

そう気勢を上げながら、落ちているゴミを拾うのも忘れない副会長。

俺たちも後に続いた。

今日は、白ちゃんと一緒に校舎内を先に見て回る。

もちろん仕事だ。

ただ……俺はこのとき、今日俺がやるべきことを一つ、しっかりと胸に抱いていた。

でもそれは一時忘れて、文化祭を楽しむつもりで歩き始める。

……。

喫茶店やお化け屋敷は、ありきたりなものでは人気が出ない。

そのため、良し悪しはともかく様々な工夫があって楽しめた。

執事・メイド喫茶はまだマトモな方。

延々と列車が走る音を流していたのはボックスシート喫茶。

窓の下に小さなテーブルがあるだけで、とても飲み物が置ききれないのが人気のようだ。

ちなみに冷凍みかんが一番売れたメニューだという。

ウェスタンバーカウンター喫茶は、カウンターの上で必ずコップを滑らせて注文品を出す。

当然のように、三回に一回はこぼすという有様。

しかし、わざとこぼして客が大喜びする図式ができつつある。

校外からの来場者を案内したり、出展中のクラスや部活のトラブルを解決したりしていると昼になった。

【孝平】「白ちゃん、せっかくだから何か食べようか?」

【白】「そうですね」

【孝平】「どこかおいしそうなところはあったかな」

【孝平】「昨日、かなでさんから『ここはやめとけリスト』はもらったけど」

【孝平】「うちのクラスの激辛喫茶で出すロシアン・タコヤキと、某国からの留学生があまりに本格的に作りすぎた謎スープがS級なんだってさ」

【白】「支倉先輩のクラスは、あそこですよね?」

行列ができている。

【孝平】「あれ?」

【孝平】「おかしいな。並んでみる?」

【白】「リストをよく見た方がいいのでは……」

あ。

よく見ると『紅瀬仕様』のみがS級と注意書きがあった。

【孝平】「うちのクラスに、紅瀬さんっていう人並み外れた辛い物好きの子がいるんだけど」

【孝平】「彼女が作ったのだけがS級なんだってさ」

【白】「あ」

【桐葉】「何か失礼なことを言っている?」

【孝平】「わあっ」

背後に現れた紅瀬さん。

【桐葉】「クラスの手伝いはまったくしていなかったのに、陰口は叩くのね」

【孝平】「いやっ、陰口とかじゃ……ってかほら、俺は生徒会が」

【桐葉】「一つ食べて行きなさい」

目の前に出される、ロシアン・タコヤキ(S級)。

ゴゴゴゴゴゴ

タコ焼きに威圧されるのは初めてだ。

【孝平】「食べなきゃ……だめか?」

【桐葉】「(にこっ)」

これは……食べないわけにはいかない流れだ。

【孝平】「……いただきます」

爪楊枝を適当に突き刺し、口へ運ぶ。

【孝平】「てやっ」

ままよ、とばかりに一つを口に放り込む。

【孝平】「む……」

もしゃもしゃと咀嚼。……そして、飲み込む。

【孝平】「む、むむむ、むむむむむっ、むぐわあああああああああああっ!!!」

舌から火が!

喉からも火が!

火と火で炎!!

つか辛いというより痛い!

【桐葉】「残念。一番辛くないハズレを選んだのね」

これでかよ!!

【孝平】「ほわわわわわあわあああああああっっ!!」

俺は水道の蛇口まで全力で疾走した。

すぐに、白ちゃんが不安そうに来てくれた。

【白】「大丈夫ですか?」

【孝平】「だっ、大丈夫」

【孝平】「たぶん。もう少しで……」

俺は何十回目かのうがいをした。

【孝平】「あ、白ちゃんは食べさせられなかったんだ」

【白】「あ、はい」

【白】「『あなたはいいわ』って」

【孝平】「劇物だって知ってて人に食わせてるのか紅瀬さんは……」

【白】「あ、でも」

【白】「紅瀬先輩、残りは全部ご自分で食べていらっしゃいましたよ」

これがS級の実力か……。

【孝平】「もう一つの謎スープは絶対に避けような」

【白】「そ、そうですね……」

俺たちはリストの信憑性を学んだ。

学習の成果は生かさなくては。

【孝平】「……さて、じゃあ何を食べようか?」

【白】「あ、おいしそうな香りが」

【孝平】「ほんとだ」

ハーブの混じったスパイシーな香りは、空腹への攻撃力が抜群だ。

ふらふらと引き寄せられていく白ちゃん。

……こんな食べ歩きも、文化祭らしくて楽しいよな。

そんなことを思いながら、白ちゃんのあとをついていく俺。

『某国の謎スープ』

なんだこの看板。

【孝平】「このリスト、名前をボカしてあるのかと思ったら、まんまなのか……」

【孝平】「びっくりだな、白ちゃん」

ぽん、と白ちゃんの肩に手を置くと、振り返った白ちゃんは泣きそうな顔をしていた。

手には、いつの間にか何かの器を持っている。

それは……謎スープ!?

【孝平】「なんで持ってんだ!!」

泣きそうな顔の白ちゃんが、看板を指さす。

そこには“無料サービス中”の文字が書いてあり、にこやかな顔をした留学生が通りかかる人みんなに謎スープを配っていた。

【瑛里華】「悠木先輩のリストは、信憑性抜群なのに」

【白】「でも、どちらも不意打ちで……」

【孝平】「……ぅぅぅ……」

俺たちは、トラブル対応の待機と見回りを交代するため、監督生室に戻ってきていた。

胃腸と舌があまりにショックを受け、俺は机に突っ伏している。

【伊織】「それも文化祭の醍醐味さ」

【白】「それは、そうかもしれませんが」

俺を心配そうに見ている。

【孝平】「……ぅぅぅ……」

だらしない俺。

【白】「ごめんなさい。わたしが受け取ってしまったばかりに」

【孝平】「いや、日本人として国際交流のためにもあのスープは完食する義務がゲホッゲホッ!」

むせた。

【瑛里華】「まあいいわ。ここで閉会近くまでのんびりできるでしょ」

【伊織】「そうだな。もう起こるべきトラブルはあらかた起きただろうし」

【伊織】「俺の勇姿が必見な閉会式までには具合、治しといてくれよ」

【瑛里華】「じゃ、行ってくるわね」

【孝平】「りょ、りょうかい~」

俺と、白ちゃんが残る。

【孝平】「S級の二つは、すごかったな……」

【白】「わたしは、タコ焼きの方は食べませんでしたが、謎スープだけでも泣きそうになりました」

二人で一杯のスープを分けて食べた。

普通なら、ちょっといい雰囲気でいちゃついてるカップルというシチュエーションだ。

実態はタッグマッチに近かった。

近くの流しにはデカデカと『謎スープ流したら風紀シール!』というかなでさんの文字。

トイレは行列。

似たような顔をして、似たような器を持った人たちが何人も戦っていた。

【孝平】「でも、まあ、いい思い出にはなった……かな?」

【白】「あはは……そうとも言えますね」

二人とも弱々しい笑顔。

【白】「……思い出……」

小さい声で、白ちゃんがつぶやく。

その横顔は、様々な感情が交じり合った複雑なものに見える。

──日が傾いてきていた。

開け放たれた窓。

そこから入ってくる風。

~♪

ああ、そうなんだ。

かすかに、聞こえるんだな。ここでも。

【白】「……」

それは、ほんの一瞬だった。

白ちゃんが、本当に悲しそうな顔をした。

――舞いたい。

やっぱり、そうなんだ。

伝わってくる気持ちに、胸が締めつけられた。

【白】「……ちょっと、涼しくなってきましたね」

そう言って、窓を閉めようとする。

【孝平】「窓は、開けておいて」

【白】「そ、そうですか」

一瞬だけ辛そうな顔をするが、すぐに笑顔を作る。

【白】「じゃあ、お茶を持ってきます」

そう言って、白ちゃんは給湯室に行く。

何かから逃げるように。

【孝平】「白ちゃん」

俺は、給湯室へ行こうとする白ちゃんを呼び止めた。

話を切り出すのは、今しかない。

【白】「……はい」

白ちゃんは、振り返らない。

【孝平】「白ちゃん」

もう一度呼びかける。

【白】「……」

【孝平】「白ちゃん……」

白ちゃんの肩に手を載せ、そっと、こっちを向かせる。

【白】「は、支倉先輩……」

白ちゃんの瞳が、涙に沈んでにじんでいる。

下まぶたは、決壊寸前だ。

こぼれそうになるしずくを、必死に必死にこらえている。

【孝平】「話があるんだ」

【孝平】「そのまま聞いてくれ」

白ちゃんは、小さく、本当に小さくうなずいた。

【孝平】「前に、東儀先輩と話をしたんだ」

【孝平】「俺に何かできることはないかと思って」

【白】「……」

白ちゃんは、少しだけ意外そうな顔をした。

【孝平】「それを白ちゃんに伝えるのがいいのか悪いのかわからなかった」

【孝平】「白ちゃんが、どうしても聞きたくないっていうなら、言わない方がいいとも思ってた」

【孝平】「それに、本来は東儀先輩が白ちゃんに直接話すべきことなんだ」

【白】「……」

【孝平】「でも、ここ数日……」

【孝平】「特に、祭り囃子が聞こえてきた時の白ちゃんを見ていると、辛かった」

【白】「そ、それは」

【孝平】「さっきだって、俺が初めて見るほど悲しそうにしてた」

【白】「ぅ……そうでしたか……」

【孝平】「だから、話した方がいいんじゃないかと思った」

【孝平】「というより、話してほしいんじゃないかと思ったんだ」

【孝平】「それがたとえ東儀先輩から直接じゃなくても」

【白】「……はい」

白ちゃんは、もう泣きそうな顔をしてはいなかった。

代わりに、瞳に宿る強固な意志の光。

俺は、順に、東儀先輩から聞いた話を白ちゃんに聞かせていった。

白ちゃんが、東儀先輩に言えないことも俺に話していた──この事実に、東儀先輩が自分を不甲斐ないと思っていたこと。

古風で厳しい父親に、東儀家の当主としてふさわしい人間になれと言われて育ってきたこと。

文武に励んでも褒められず、そんなことで満足するなと逆に怒られたこと。

しかし、白ちゃんの面倒を見ている時だけは、父親の機嫌が良かったこと。

そして……その父親が亡くなってからも、東儀先輩は白ちゃんの面倒を見ることに自分の価値を見いだしてきたこと。

──ここまでを一気に話す。

白ちゃんは、そんな東儀先輩の話があまりに意外だったのか、声も発せず聞き入っていた。

促されるように続きを語り始める。

「しきたり」というものに対する、東儀先輩の考え方。

大切にすべきだと思ったことを守る志の強さ、その凜とした生き方を美しいと思い、敬うこと。

それを代々繰り返していく上で研ぎ澄まされたものが、しきたりであること。

そして東儀先輩はいつしか父親を東儀家当主としての目標とするようになったこと。

今では、自らを犠牲にしても東儀家を守ろうと考えていること。

……この話をしてくれた時の東儀先輩のことを思い出しながら、俺は白ちゃんに話した。

東儀先輩の思いが、ちゃんと伝わるように。

……一度は泣くのをこらえた白ちゃんの瞳から、涙がこぼれた。

白ちゃんの両親のこと。

東儀先輩の苦悩。

その苦悩の大きさに白ちゃんが泣いている。

東儀先輩が、ちゃんと白ちゃんのことを考えていたことに泣いている。

【白】「わっ、わたっ……し……」

【白】「兄さまのおかげで……楽をして、生きていたんですね……」

嗚咽混じりの、白ちゃんの声。

【白】「兄さまに迷惑をかけないように、かけたくない……と思っていました」

【白】「なのに、もう……迷惑ばかりかけて……」

【白】「……ぅ……っく……ぐす……」

【孝平】「白ちゃんは、どうしたい?」

【白】「え?」

【孝平】「舞いたいか、舞いたくないのか」

【白】「舞いたい……です」

白ちゃんが、そう望むなら。

舞台は、俺が整えよう。

生徒会で散々やってきたことだ。

【孝平】「白ちゃん、行こう」

【白】「え?」

【孝平】「お祭りにさ」

【白】「えっ? えっ?」

驚いている白ちゃんの手を引き、監督生棟を出る。

~♪

外に出ると、日が傾いているのに気づく。

祭り囃子もよりはっきりと聞こえる。

【孝平】「祭りが始まるのは何時から?」

【白】「あ、えと……5時です」

【白】「でも」

きっと、着替えたりするのに、もっと時間が必要となるだろう。

そう考えると、もう時間はない。

いいとこギリギリだろう。

……俺は、携帯電話を取り出した。

階段を駆け下りながら、呼び出し音をじれったく聞く。

【司】「どうした」

【孝平】「チャリを借りたい」

【司】「俺が使ってるチャリってことか」

【孝平】「ああ。原動機付きのやつだ」

【孝平】「頼む」

【司】「……わかった」

【司】「あまり校門には近づけないから、曲がった角のところでいいか」

【孝平】「できるだけ急いでくれ」

【司】「おう」

通話を切る。

【白】「?」

【孝平】「すぐに、神社に着けるからな」

金角銀角のいる校門を駆け抜ける。

司が来てくれる警備員に見つからない位置まで、白ちゃんの手を取って走る。

【白】「でも、もう」

【孝平】「間に合う」

【孝平】「間に合わせるから」

【司】「よう」

ちょうど、司も到着したようだ。

バイト中だろうに、早い。

これで、なんとかなるかもしれない。

【司】「特上原チャリ『コスタリカ号』お待ち。お代は時価だ」

【孝平】「助かる」

【司】「出前機は外したが、シートはない」

【孝平】「ワイシャツでも丸めて座布団がわりにするさ」

何も言わずにバイト先の出前用原付を貸してくれた親友に礼を言い、またがる。

白ちゃんも司にぺこりと頭を下げた。

司は、今日の出前は普通の自転車で行うことになるのだろう。

【孝平】「じゃ、恩に着る」

【司】「おう。こかすなよ」

【司】「あと、終わったあとでいいから事情を聞かせろ」

【孝平】「わかった」

返事はしたものの、田舎の畑で親戚のに乗らせてもらって以来、数年ぶりの原付だ。

しかも2ケツ。

自信は無かった。

司のヘルメットは、白ちゃんにかぶせる。

俺は、グリップを捻った。

司がどんどん遠ざかっていき、すぐに見えなくなる。

俺たちは、学院から続く下り坂を疾走していた。

自転車とは明らかに違う速度で、景色が後ろに飛んでいく。

白ちゃんは、俺に必死にしがみついていた。

そもそも二人乗りするようには作られてないから、狭い。

幸い、学院から島の東の外れにある珠津島神社へ向かう道は、交通量がほとんど無かった。

おかげで信号なども無く、どんどん坂を下りていく。

パワーのない原付49ccエンジンでも、下り坂なら問題ない。

──平地に降りてからは、小網代浜の脇の道を駆け抜けていった。

防砂用の松沿いに走るコスタリカ号。

夕焼けに海が染まっている。

静かな波。

~♪

祭り囃子が近づいてきた。

神社はもうこの辺なのか?

【孝平】「白ちゃん、どこで下ろせばいい!?」

大声で叫ぶ。

【白】「もうそろそろです!」

白ちゃんも叫んで返事をする。

その時、脇道から神社へ向かっていると思しき人の群れが現れた。

神社に近づけば、当たり前だが祭りに向かう人も増える。

こっちは無免許の原付に二ケツ。おまけにノーヘル。

あまり目立つところは走れない。

【白】「次の左の脇道へ!」

【孝平】「わかった!」

ハンドルを左に切る。

白ちゃんの指示した脇道は、すぐにまた砂浜沿いに出た。細かい砂利道だ。

がくがく揺れながらも疾走する。

神社らしき建物の屋根が見えた!

珠津島神社は、島の東の岬の先にあるとは聞いていた。

どうやら、海沿いに神社の裏手まで来たようだ。

【白】「支倉先輩! ここで!」

【孝平】「おう!」

ブレーキ。

滑る後輪。

【白】「きゃああっ!」

危なく転倒するところだったが、なんとか止まる。

【孝平】「はあ、ふう……危なかった……」

【白】「ありが……」

【孝平】「いいから早くっ」

【白】「は、はいっ」

白ちゃんが、神社の裏手から鎮守の森をかき分けて、お社の方へと駆けていく。

時計を見る。

のんびり歩くと一時間近くかかる道のりを、わずか数分で走破したようだ。

これも司とコスタリカ号のおかげだ。

俺はこっそり原チャリを隠して駐め、神社へと向かった。

神社の祭りとしか聞いていなかったが、派手な露店や装飾はまったく無かった。

祭り囃子が鳴り響く。

学院の一番奥の監督生棟ですら聞こえたのだ。

島の旧市街側には、十分その音は届いているだろう。

人々が、神社に集まってくる。

その流れは、途切れることが無かった。

神社のさほど広くない境内は、やがて人で埋め尽くされた。

やがて、祭り囃子は止まり、集まった人たちのざわざわという声だけが聞こえるようになる。

……はたして、白ちゃんは間に合ったのだろうか。

そして、白ちゃんは舞に出してもらえることになったのだろうか。

舞は、祭りの一番最初に行われるという。

大勢の人たちと一緒に、その舞の開始を待つ。

白ちゃんは、5時に開始と言っていたはずだ。

その5時を回った。

まだ始まらない。

少し、周囲もざわついてきた気がする。

その時だった。

響き渡る笛の音。

人々のざわめきに満ちていた境内が、一瞬で水を打ったように静まり返った。

神楽殿の幕が上がる。

楽器を持った人たちが並ぶ中、真ん中に立っているのは、東儀先輩。

幕がゆっくり上がりきるまで、東儀先輩は微動だにしない。

白ちゃんは……どうしたんだ?

くるり

東儀先輩が音もなく回る。

すると、背中合わせに立っていたのであろう。

白ちゃんが、姿を見せた。