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//Continuation from June 9//

//Another view : Kiriha//

「あれ」が来るのを感じる。

私は細く息を吐き、下唇を噛んだ。

どうにかこの場を、無事に切り抜けるために。

【シスター天池】「前々から、あなたには話したいことがたくさんあったのです」

【シスター天池】「いいですか? そもそも学院生活というのは……」

どうする。

「あれ」はもうすぐそこまでやって来ている。

このままでは、彼女の前で意識を失うことになるだろう。

そうなったら、かなり面倒だ。

もし寝ている間に病院にでも連れて行かれたりしたら……。

【シスター天池】「紅瀬さん、聞いているのですか?」

【桐葉】「はい」

手のひらに汗がにじむ。

どうする?

いっそのこと、強行手段に出てしまおうか。

人間を気絶させる手段なら、いくつか知っている。

「あれ」が来る前に、この部屋を出ることができればそれでいい。

……。

だけど。

そんなことをしたら、問題になるのは避けられない。

私はもう、この学校にはいられないだろう。

退学処分になること自体は構わない。

学生を演じる以外にも、方法ならたくさんあるだろうから。

そう。

捜す方法はいくらでもある。

もともと私は、この学校に未練なんて──

【シスター天池】「……ですから、一秒でも時間を無駄にしてはいけないのです」

【シスター天池】「学生時代は、毎日が思い出の積み重ねなのですよ?」

未練なんて、ない。

なのにふと、彼の顔が頭をよぎった。

あの丘まで、私を捜しに来た彼。

ずぶ濡れだった私に、傘を差しだした彼。

なんでこんな時に思い出したりするのだろう。

どうでもいいことなのに。

【シスター天池】「紅瀬さん、ちゃんと聞きなさい!」

【シスター天池】「紅瀬さん?」

私の顔をのぞき込む。

眠い。

意識が途切れそうだ。

決断するなら今。

今。

決めないと……。

【シスター天池】「く・ぜ・さ・んっ」

彼女が私の肩に触れようとした、その時だった。

ガッシャーン!

【桐葉】「!」

【シスター天池】「きゃああああっ!」

突然、生徒指導室の窓ガラスが割れた。

シスター天池は耳をふさぎ、その場で身を屈める。

いったい、何が起こった?

ガッシャーン!

【シスター天池】「きゃあっ、な、なんですかっ!」

ガッシャーン!

【シスター天池】「きゃーーーー!」

立て続けに、窓ガラスが三枚割れた。

外から石を投げられたようだ。

【シスター天池】「だ、誰、こんなことを……!」

シスター天池は血相を変えて、廊下へと飛び出していく。

【桐葉】「……っ」

──今しかない。

どの道、逃げ出すなら今だ。

あれこれ考えている暇はない。

私は立ち上がり、走り出した。

【桐葉】「はぁ……はぁ……」

早く、早く。

早くあの場所に行かなければ。

【桐葉】「はぁ……はぁ……」

早く。

早く行かなければならないのに。

思うように足が動かない。

こんなところで倒れては駄目だ。

誰かに見つかったらどうするの。

【桐葉】「あぁ……っ」

ドサッ

全身から力が抜けた。

その場に、顔面から倒れ込む。

頬が痛い。

土と血の混じった味がする。

どうやらタイムリミットが来たようだ。

あと少し。

あと少しで、あの丘にたどり着いたのに。

ああ──

鼻先に、風の気配を感じた。

指先から少しずつ感覚が戻ってくる。

【桐葉】「ぅ……」

最初に目に入ったのは、黄金色の光だった。

懐かしい色。

胸を締めつけられるような色。

やがて、緑の匂いが少しずつ濃くなっていく。

私はゆっくりと目を開けた。

肌を撫でる風が気持ちいい。

このままもう少し、眠っていたいような……。

……。

【孝平】「よう」

【桐葉】「!」

私は目を見開いた。

視界の中に、唐突に彼が現れたからだ。

【桐葉】「……どうして?」

【桐葉】「ここ、どこ?」

【孝平】「いつもの丘」

【孝平】「ったく、あんなとこで寝るなよ。迷惑なヤツだな」

遠くで波の音が聞こえる。

そう、ここはあの場所だ。

私だけの秘密の場所。

おそらく彼が、私をここまで運んできてくれたのだ。

【桐葉】「……」

安堵したことで、また身体の力が抜けた。

まぶたが熱い。

私は涙がこぼれないように、大きく息を吸い込んだ。

//Another view ends//

【孝平】「はぁ……はぁっ……」

背中に感じる重み。

死体を運ぶのって、こんな感じなのかもしれない。

などと不謹慎なことを考えてみる。

女の子とはいえ、背負いながら山道を登るのはけっこう骨だ。

あの丘までもう少しなのに、なかなか辿り着けない。

【孝平】「……なんでこんなとこで力尽きてんだよ」

小径の真ん中で、彼女が倒れているのを発見した時は驚いた。

顔から突っ伏した状態で、全身泥だらけだ。

もうちょっと場所を選べよ。

まあ、そんな余裕もなかったんだろうが。

【孝平】「も、もう着くからな」

だんだん道が開けてきた。

あと少しだ。

さすがにシスター天池も、こんなところまでは追ってこないだろう。

ガッシャーン!

生徒指導室の窓ガラスめがけて、思いきり石を投げた。

もっと他に、いい方法があったのかもしれない。

でもその時の俺は、それしか考えつかなかったのだ。

【シスター天池】「きゃああああっ!」

シスター天池の甲高い悲鳴が聞こえる。

よしっ。

ここまで来たら、大サービスだ。

ガッシャーン!

【シスター天池】「きゃあっ、な、なんですかっ!」

ガッシャーン!

【シスター天池】「きゃーーーー!」

立て続けに三枚も割ってやった。

端から見れば、キレやすい現代っ子の典型例だろう。

五時間目の授業が始まったばかりだから、周囲に誰もいなくて助かった。

【シスター天池】「だ、誰、こんなことを……!」

首尾は上々。

もうしばらくしたら、シスター天池がここまで降りてくるだろう。

その隙に、なんとか生徒指導室から逃げ出してくれればいいが。

……。

…………。

まだ来ない。

だんだん不安になってきた。

額に汗が滲み始めたその時。

ばたばたと慌ただしく走る音が聞こえてくる。

【シスター天池】「成敗ーーーー!」

【孝平】「ひっ」

顔を真っ赤にしてこちらに向かってくる。

すまん、シスター天池。

でも今はこうするしかないんだ。

罰なら、あとでたっぷり受けてみせる。

俺は本敷地とは逆の方向に向かって、一目散に逃げ出した。

【孝平】「よいしょっ」

倒れ込むようにして、丘に辿り着いた。

いつも紅瀬さんが座っている場所に、そっと身体を横たえる。

彼女はぴくりとも動かない。

その白い頬が、土と血で汚れていた。

顔面から倒れたのか?

俺はハンカチを取り出し、汚れを取り払ってやることにした。

【孝平】「あーあ、女の子が顔に傷なんか作っちゃ駄目だろ」

すりむいた頬をぬぐう。

痕にならなけりゃいいけど。

……。

【孝平】「あ……っ」

汚れをぬぐう手を止めた。

いや、動けなかった。

紅瀬さんの頬にできたすり傷が。

……嘘だろ?

少しずつ、ゆっくりと消えていく。

血が止まり、なめらかな皮膚が蘇る。

やがて痛々しかった傷は、ほとんどなくなってしまった。

【孝平】「……マジかよ」

カラカラに乾いた唇でつぶやいた。

もう、疑う余地もない。

【伊織】「眷属にはいくつか特徴があってね」

【伊織】「俺たちほどではないが、それなりに身体能力は高い」

【伊織】「怪我をしても、すぐに治る」

【伊織】「あと、味覚が鈍い」

【伊織】「この中で、どれか心当たりはあるかい?」

紅瀬さんは──

眷属だったんだ。

この尋常でない治癒力が、何よりの証拠だ。

もしかすると、とは思っていたけど。

こう目の当たりにすると、かなりショックだ。

俺は深くため息をつきながら、紅瀬さんを見下ろす。

……。

そっと、手を伸ばす。

安らかな寝顔。

大人びていて、でもどこかあどけない表情。

頬についた泥を再びぬぐった。

一刻も早く、もとの綺麗な顔にしてやりたかった。

……。

紅瀬さんが起きたら、なんて言おう。

聞きたいことがたくさんある。

まず、どうして眷属になったんだ? とか。

何年生きてるんだ? とか。

いくつサバ読んでんだよ、とか。

……。

家族は、いるのか?

今までどんなふうに暮らしてきたんだ?

辛いことも悲しいことも、いっぱいあったんだろう。

たくさんの人と出会い、別れを繰り返してきたはずだ。

俺の転校人生なんか、比べものにならないくらい。

……。

どれほどの思い出を抱えているのか。

その一つひとつを、紅瀬さんはちゃんと覚えているのだろうか。

俺は──

これまで、思い出の上書きを繰り返してきた。

昔のクラスメイトたちの顔なんて、ほとんど覚えちゃいない。

でも。

この学校のことは、忘れたくないと思う。

転校してきてから、毎日とんでもないことばかりだけど。

忘れたくない。

日に日にその思いは強くなった。

紅瀬さんと話すようになってから。

紅瀬さんのことを一つ知るたびに。

【孝平】「紅瀬さん……」

どうしようもなく目が離せない。

やっぱり俺は、紅瀬さんのことを……。

【桐葉】「ぅ……」

やがて、紅瀬さんがゆっくりと目を覚ました。

【孝平】「よう」

【桐葉】「!」

俺を見て、目を見開く。

驚くのも無理はない。

【桐葉】「……どうして?」

【桐葉】「ここ、どこ?」

【孝平】「いつもの丘」

【孝平】「ったく、あんなとこで寝るなよ。迷惑なヤツだな」

そう言うと、紅瀬さんは困ったような顔をした。

いつもの冷ややかなまなざしが、潤んで揺れる。

唇が震えている。

なぜか、とても心細げに見えた。

【桐葉】「……」

【孝平】「おい、大丈夫か?」

俺は、信じられないものを見た。

紅瀬さんの目から、大粒の涙が溢れたのだ。

【桐葉】「くっ……」

【孝平】「おいおいおいおい」

予想外のリアクションにうろたえる俺。

あのクールで一匹狼でブリザードビームを放つ紅瀬さんが。

こらえきれず、といった様子で泣いている。

その姿は、まるで小さな子供のようだ。

思わず抱きしめてしまいたくなるから困る。

【桐葉】「……どうして、助けたの」

【孝平】「たまたま通りかかっただけだ」

【桐葉】「嘘」

【桐葉】「貴方が窓ガラスを割ったんでしょう?」

【桐葉】「無謀にもほどがあるわ」

【孝平】「そうかもなあ」

【桐葉】「真面目に答えて」

紅瀬さんは身体を起こし、俺に向き合った。

真剣な目だ。

なんで助けたかって?

俺は本能のままに、自分の気持ちに対して正直に動いただけだ。

【孝平】「本当に真面目に答えていいのか?」

【孝平】「かなりとんでもないことを口走ることになるけど」

【桐葉】「どういうこと?」

【孝平】「だからさ」

【孝平】「俺の気持ちを正直に話したら、それを受け止めてくれるのかって聞きたいんだ」

【桐葉】「……」

紅瀬さんは沈黙した。

俺はいたたまれなくなって、頭を掻いたり咳払いをしてみたり。

【孝平】「つか、まだわかんない? 俺の気持ちっていうか、言いたいこと」

【桐葉】「……っ」

【桐葉】「わ」

【孝平】「わ?」

【桐葉】「わかってるわ。それぐらい」

わかってんのかよ!?

いや、絶対わかってないだろ。

むしろ、そんな簡単にわかられてたまるか。

【孝平】「……」

恥ずかしさのあまり、脇に変な汗をかいてきた。

紅瀬さんはふいと目をそらし、地面を見つめる。

とても気まずい時間が流れていく。

【桐葉】「あの」

【桐葉】「私をここに運んできた時のことだけど」

紅瀬さんが口火を切った。

【桐葉】「顔に怪我、していたでしょう」

【桐葉】「意識を失う前に顔から転んだの」

【孝平】「ああ……」

いきなり核心を突いてきた。

本人も薄々気づいているのか。

ならば、正直に答えるしかない。

【孝平】「怪我してた」

【孝平】「でも、すぐに治った」

【桐葉】「……!」

紅瀬さんの顔に、あからさまな困惑の色が浮かぶ。

そこにはポーカーフェイスなど皆無だ。

【孝平】「紅瀬さん?」

よく見ると、その細い肩が震えている。

短い呼吸の音。

まるで怯えているみたいだ。

この俺に対して。

【桐葉】「お……驚いたでしょう?」

【孝平】「そうだな」

【桐葉】「気持ち悪いと思ったわよね」

【孝平】「そんなことは……」

【桐葉】「私、人間じゃないのよ」

潤んだ目と、確かな声で紅瀬さんは言った。

人間じゃない。

言葉にすると、ずしりと重い。

【桐葉】「こんなこと言われても、信じられないとは思うけど」

【桐葉】「私には寿命がないの。永遠に生き続ける化け物なのよ」

どこか自虐的な物言いだった。

俺には、眷属というものがなんなのか、今ひとつよくわからない。

でも、化け物なんて言い方はするな。

そう言いたかった。

【桐葉】「心配しないで」

【桐葉】「危害を加えるつもりはないわ」

【孝平】「そんな心配してないだろ」

【桐葉】「そうかしら」

伏し目がちにつぶやいてから、紅瀬さんは立ち上がった。

【桐葉】「できれば今の話は忘れて」

【桐葉】「……私のことも」

くるりと背中を向け、丘を下りていく。

俺も立ち上がった。

【孝平】「ちょっと待てって」

【孝平】「そんなに忘れてほしいのかよ」

【桐葉】「……っ」

【桐葉】「忘れて、ほしいわ」

じゃあなぜ声が震えている?

俺には、彼女が嘘をついているようにしか思えない。

本当に忘れてほしいなら、そんな悲しそうな横顔を見せないはず。

俺は信じたいのだ。

紅瀬さんと同じクラスになって、これまで積み重ねてきたことを。

俺たちは、ちゃんと関わることができたはずだ。

たった二ヶ月やそこらの短い期間だったけど。

【孝平】「俺は忘れない」

【孝平】「紅瀬さんとの思い出を、そんな簡単になくしてたまるかよ」

【孝平】「これからだって、もっともっと紅瀬さんのことを知りたいんだ」

【桐葉】「貴方、何言ってるの?」

【桐葉】「私は貴方とは違うの。人間じゃないと言っているでしょう」

【孝平】「二回言われなくてもわかる」

【孝平】「だけど、別に今まで通りだっていいじゃないか」

【孝平】「現に俺は、他のやつらともそうやってきた」

そう言うと、紅瀬さんはわずかに首を傾げた。

【桐葉】「どういうこと?」

【桐葉】「他の?」

【孝平】「……」

あ。

紅瀬さんは、会長たちの正体を知らないのか?

【桐葉】「貴方、何を知っているの?」

紅瀬さんはつかつかと俺の方に戻ってきた。

言ってもいいのだろうか。

ま、ここまで来たら今更だよな。

【孝平】「実は、他にも人間じゃない友達がいるんだ」

【孝平】「いわゆる吸血鬼って呼ばれてる友達が」

【桐葉】「えっ……!」

これ以上ないというくらい、驚いた顔。

今日は紅瀬さんの意外な顔ばかり見ている気がする。

【孝平】「実は彼らの正体を知った時、記憶を消されそうになったんだ」

【孝平】「でも俺は、消さないでくれと頼んだ」

もう切り捨てるばかりの生き方は嫌だったからだ。

【桐葉】「それで……?」

【孝平】「それで?」

【孝平】「今は別に、何も変わらず普通に付き合ってるけど?」

【桐葉】「……」

紅瀬さんは唖然とした様子だ。

そんなに驚くことか?

【孝平】「さらに言うと、紅瀬さんのことは前から少し疑ってた」

【桐葉】「?」

【孝平】「ひょっとすると吸血鬼なんじゃないかって」

【孝平】「もしくは、それと似たような……」

【桐葉】「そうなの?」

【桐葉】「だからあまり驚かなかったのね?」

【孝平】「まあ、そういうこと」

【桐葉】「なっ……」

さっきまで涙を見せていた瞳が、氷点下の鋭さを取り戻す。

怒ってる、のか?

【孝平】「いや、確信があったわけじゃないんだ」

【孝平】「疑問に思ったのも、つい数日前のことで」

【桐葉】「私はまったく知らなかったわ」

【桐葉】「貴方がそんな風に私を見てたなんて」

【孝平】「そりゃしょうがないだろ」

【孝平】「お前が俺に注目してなかったのが悪い」

【桐葉】「……見事な開き直りね」

【孝平】「事実を言ったまでだ」

【桐葉】「それで? 私のことを知ってどうするつもりだったの?」

【孝平】「どうもしない」

【孝平】「やった、紅瀬さん情報ゲット!」

【孝平】「以上」

【桐葉】「ばっ……」

馬鹿じゃないの?

紅瀬さんはきっとそう言いたかったんだろう。

だが、そう毒づく代わりに、彼女はその場に座り込んだ。

へなへなと、脱力したように。

【孝平】「おい、しっかりしろ」

【桐葉】「私、とても驚いたのよ」

【桐葉】「あなたに傷が癒えたのを見られて、混乱して……」

【孝平】「そうだよな。悪かった」

【孝平】「もっと早く、紅瀬さんに確かめておけばよかったよな」

【孝平】「談話室で聞こうと思ったんだけど、なんか切り出しづらくて」

ドゴッ!

【孝平】「いでっ!」

弁慶の泣き所をグーで殴られた。

的確なパンチだ。

【桐葉】「本当に驚いたのよっ」

【桐葉】「寿命が縮んだわっ」

【孝平】「はぁ?」

【孝平】「お前、寿命なんて……」

【桐葉】「……」

……。

ツッコミ待ちかよっ。

【桐葉】「とにかく」

【桐葉】「私は、考えを変えるつもりはないの」

【孝平】「考えって?」

【桐葉】「だから……」

【桐葉】「私のような、人外の者には関わらない方がいいということ」

【桐葉】「それが貴方のためでもあるわ」

淡々と、真面目な口調で紅瀬さんは言う。

【孝平】「そりゃ無理だ」

【孝平】「もう十分関わっちまった」

【桐葉】「今からでも引き返せる」

【桐葉】「いいえ、引き返してほしいの」

【孝平】「どうして?」

俺もその場に座り、紅瀬さんと向き合った。

【桐葉】「だから言ってるでしょ? 人間じゃないからよ」

【孝平】「そんなの関係ないだろ」

【桐葉】「関係あるから忠告してるのよ」

【桐葉】「私がもし人間だったら、こんなことは」

【桐葉】「……っ」

そこで言葉を切った。

悲痛な声だった。

風が、紅瀬さんの前髪を揺らしている。

膝を抱えて座り込んでいる彼女はとても弱々しかった。

【孝平】「……今までみたいな付き合いでも、駄目か?」

【孝平】「今までと同じ、鬱陶しいクラスメイトとして」

……。

リアクションがない。

【孝平】「本当はそれ以上になれたら、嬉しいけどな」

【桐葉】「……それ以上」

やっと反応があった。

【桐葉】「貴方の気持ち、わからないわけじゃないのよ」

【桐葉】「だけど、これだけは確か」

【桐葉】「人間は、人間同士で付き合うのが一番幸せになれる」

【孝平】「断言できるのか?」

【桐葉】「できるわ」

【孝平】「俺は構わない」

【孝平】「俺は紅瀬さんのことが……」

【桐葉】「言わないで」

言葉を遮った。

とても強い声だった。

【桐葉】「本当は、私がつらいのよ」

【桐葉】「貴方は……いえ、人間はいつか……」

【桐葉】「私を置いていくから……」

自分に言い聞かせるように、紅瀬さんはつぶやく。

俺も、その言葉の意味をゆっくりと噛みしめた。

そうか──

残す者より、残される者の痛み。

今になって気づいた。

俺はいつも、残していく方だったから。

これまで繰り返してきた紅瀬さんの痛みなんて、わかるはずがない。

……。

だけど。

引き下がれない自分がいる。

ここまで往生際の悪い男だと思わなかった。

一縷の望みに賭けたいと思う相手は、紅瀬さんだけなのだ。

【孝平】「俺は……」

【孝平】「紅瀬さんが眷属だと知っても、気持ちは変わらなかった」

【孝平】「ちょっと驚いたけど、それだけだったし」

【孝平】「不老不死って聞いた時も、すげえなって思っただけで……」

【孝平】「紅瀬さんのことをまた一つ知ることができて、嬉しかったぐらいだ」

一つひとつ、言葉を連ねていく。

そういや俺、人間だとか人間じゃないとか、そういう風に思ったことはなかったな。

命が有限かそうでないか。

人間と眷属の最たる違いなんて、要はそれぐらいだ。

まあ、その部分が一番でかいわけだけど。

【孝平】「じゃあ、こう考えてくれ」

【孝平】「仮に、俺と紅瀬さんが付き合ったとする」

【桐葉】「……」

【孝平】「例え話だよ」

【孝平】「そうなったとしても、紅瀬さんが俺に愛想を尽かさない保証はないだろ?」

【孝平】「一ヶ月もしないうちに、やっぱこいつ駄目だってなるかもしれない」

【孝平】「むしろ、そうなる可能性の方が高い」

自分で言ってて悲しくなってきた。

【桐葉】「……もし」

【桐葉】「もしも、愛想を尽かさなかったら?」

【孝平】「そりゃ最高のパターンだな」

【孝平】「少なくとも、俺は幸せな気持ちであの世に逝ける」

【桐葉】「では、私は?」

【孝平】「紅瀬さんはどうだろうな」

【孝平】「あんな馬鹿と無駄な時間を過ごした、と思うかもしれない」

【孝平】「不摂生してたわりには長生きしやがって、とかな」

【桐葉】「無責任な妄想ね」

【孝平】「無責任にならざる得ないだろ。何十年先のことなんてわかんねえよ」

【孝平】「それでも、俺と一緒にいてほしいんだ」

【桐葉】「……」

ああ、ついに言ってしまった。

でも後悔はしない。

俺はたぶん、この気持ちを伝えるために、今日ここに来たんだ。

【桐葉】「……貴方、本当に勝手な人ね」

【孝平】「だよな」

俺はうなずいた。

【孝平】「でも、考えて考え抜いた末に、こういう結果が出た」

【孝平】「だから紅瀬さんも、もう一度よく考えてくれ」

【孝平】「この先苦労するかもしれないけど、俺は紅瀬さんと一緒に苦労したいんだよ」

正直な気持ちを言い切った。

紅瀬さんは長い髪を手で押さえ、俺を見上げる。

相変わらず温度の低いまなざし。

でもその中に、わずかな揺らめきを見た。

……。

しばし見つめ合う。

恥ずかしくて目をそらしたいのに、そらせない。

俺はいつの頃から、この瞳に囚われてしまったんだろう。

この無謀な恋に飛び込んだのは、どの瞬間だったんだろうな。

【桐葉】「……ふぅ」

紅瀬さんは小さく息を吐いた。

【桐葉】「ごめんなさい。まだ混乱してるの」

【孝平】「そりゃ悪かった」

【孝平】「俺、紅瀬さんを追いつめるつもりはないんだ」

【桐葉】「わかってるわ。そんなことは」

【桐葉】「伊達に二ヶ月間、貴方の背中を見てきたわけじゃないのよ」

【孝平】「……」

【桐葉】「へ、変な意味ではないわ」

【桐葉】「ただ単に、席が後ろだったというだけ」

【孝平】「ああ」

それだけでも、十分に嬉しい。

俺は、少なくとも紅瀬さんの視界の中に存在していたんだ。

紅瀬さんは少し憮然とした様子で、続けた。

【桐葉】「貴方に、一つ聞きたいことがあるの」

【孝平】「なんだ?」

【桐葉】「その、さっき言ってたでしょう?」

【桐葉】「吸血鬼の友達がいる、と……」

【孝平】「うん」

【桐葉】「この学院の人なの?」

【孝平】「そうだ。紅瀬さんもよく知ってる人」

【桐葉】「……え?」

【桐葉】「まさか、悠木さん?」

そう来たか。

俺は静かに首を振った。

【孝平】「会長と副会長だよ」

【孝平】「おそらく、近日中に向こうからリアクションがあると思う」

【孝平】「あの人たちはかなり紅瀬さんのこと怪しんでたから」

【桐葉】「千堂さんたちが……」

やっぱり知らなかったのか。

なんだか複雑そうな表情だ。

【孝平】「気になる?」

【桐葉】「……そうね」

【桐葉】「とても説明しづらいのだけど、私には主と呼んでいる人がいるの」

【桐葉】「その人は、吸血鬼」

【桐葉】「おそらく私の近くにいるはず……」

【孝平】「?」

俺は首を傾げた。

「おそらく」とは、どういうことだろう。

紅瀬さんは、自分の「主」を知らないのか?

以前会長は、吸血鬼と眷属は主従関係にあるような説明をしてた。

だとしたら、従者が主のことを知らないなんておかしな話だ。

【孝平】「ちょっと話がよく見えないんだけどさ」

【孝平】「紅瀬さんは、その主とやらを知らないのか?」

紅瀬さんは一瞬間を置いてから、こくりとうなずく。

【桐葉】「貴方にこんな話をしても、しかたないと思うけど」

【桐葉】「私は、ずっと自分の主を捜しているのよ」

【桐葉】「この島に主の存在を感じている。だから私はここにいるの」

【孝平】「この島に?」

ますます謎が深まってきた。

この島には、二人しか吸血鬼がいないはずだ。

【孝平】「でも紅瀬さんの主は、会長たちじゃないだろ?」

【孝平】「あの二人は眷属を持っていないって言ってたし」

【桐葉】「え……」

その時の、紅瀬さんの落胆ぶりといったら。

見ていてこっちが苦しくなるほどだった。

【桐葉】「……そう」

【桐葉】「千堂さんではなかったのね」

【孝平】「相手が主かどうか、会っただけじゃ判別できないのか?」

【桐葉】「どうなのかしら」

【桐葉】「相手が本当の主なら、何か感じるものがあるかもしれないけど」

他人事のような口ぶりだ。

想像以上に落ち込んでいるのかもしれない。

【孝平】「く、紅瀬さん?」

【桐葉】「……」

駄目だ、反応なし。

彼女をここまで一喜一憂させる主とは、いったい誰なんだ。

もったいぶらずに、とっとと名乗りでてやればいいのに。

何か事情はあるのかもしれないけど。

【桐葉】「……そろそろ、学院に戻りましょう」

【桐葉】「私も貴方も、今頃逮捕状が出ているかもしれないわよ」

【孝平】「あっ」

すっかり忘れてた。

それから俺たちは、二人で大人しく学校に戻った。

生徒指導室の窓ガラスは、生徒会の指示ですでに入れ替え済み。

処置が早かったせいか、大した騒ぎにはならなかったらしい。

だが、当然のようにシスター天池の説教タイムが待ちかまえていた。

「蜂の巣を石で落とそうとしたら、窓ガラスにあたってしまいました」

こんな馬鹿げた言い訳が、さらに彼女の逆鱗に触れたのだと思う。

【シスター天池】「不届き千万です!!」

【シスター天池】「罰として今日から1週間、放課後の奉仕活動を命じます!」

ちなみに奉仕活動とは、校内の草むしり、ゴミ拾い、礼拝堂の清掃などなど。

ボルテージの上がるようなイベントでないことは確かだ。

不幸中の幸いなのは、紅瀬さんはお咎めなしだったこと。

説教だけで済んでよかった。

ただ、学校に戻るなり、クラスメイトたちには大いに冷やかされた。

あの、五時間目が始まる直前。

紅瀬さんを追って、俺が教室を飛び出したのをみんなが見ていたからだ。

【クラスメイトD】「紅瀬さんをかばいに行ったんだって? やるなあ」

【クラスメイトB】「紅瀬さん、愛されてるぅ~」

【クラスメイトC】「彼女を叱るなら俺を倒してからにしろ! って言ったらしいよ」

【クラスメイトF】「マジで? 名言じゃん」

【クラスメイトA】「カッコよすぎるだろ孝平! 俺もパクろ」

この短時間で、噂は尾ひれをつけまくっていた。

すでにカップル認定してくる輩もいたり。

誤解を受けて、紅瀬さんもかなり迷惑していることだろう。

……いや、あの人は周囲のノイズに惑わされるタイプじゃないな。

結局、冷やかされてどぎまぎしてるのは俺だけなのだ。

悲しいことに。

【孝平】「疲れたあぁぁ」

奉仕活動を終え、俺は転がるようにして談話室に辿り着いた。

自業自得とはいえ、なかなかハードな仕事だ。

礼拝堂の周りを掃除していると、白ちゃんが水ようかんをくれた。

明日は梅が枝餅をくれるという。

このささやかな喜びを胸に、明日もがんばっていこう。

【孝平】「はぁ……」

やけに長い一日だった。

あの丘での出来事が、夢のことのように思い出される。

紅瀬さんが吸血鬼の眷属だったこと。

俺が、紅瀬さんに自分の気持ちを告白したこと。

まさかこんなに早く、告白することになるとは思わなかった。

紅瀬さんも戸惑っているように見えたし。

いや、俺自身が一番驚いているのかもしれない。

……。

でも。

改めて自分の気持ちを確認した。

俺は紅瀬さんが好きだ。

人間だとか眷属だとか、そういうのはひとまず置いとくことにする。

無責任かもしれないが、今はこの気持ちだけを大切にしたい。

【桐葉】「こんばんは」

【孝平】「わっ!」

突然声をかけられ、ソファーから滑り落ちそうになった。

いつのまにか、紅瀬さんがいた。

【孝平】「いつ入ってきた?」

【桐葉】「今」

そう言いながら、俺の向かいに座る。

いつもの紅瀬さんの特等席だ。

【孝平】「……」

【桐葉】「……」

紅瀬さんはいつものように、外を見下ろす。

俺の存在など、まるで気にも留めていないかのように。

あまりにもいつも通り過ぎて、逆に清々しいくらいだ。

……。

ここにいると邪魔か?

帰った方がいいんだろうか。そろそろ。

【桐葉】「貴方……以前私に聞いたわよね」

【孝平】「へ?」

腰を浮かしかけたところで、紅瀬さんが話しかけてきた。

【桐葉】「ここでいつも何してるんだって、私に聞いたでしょう」

【孝平】「ああ、聞いたな」

誰とも談話したがらない人が毎日ここにいるから、ずっと不思議に思ってた。

【桐葉】「ここからは、寮の玄関がよく見えるの」

【桐葉】「毎日大勢の人々が行き交うでしょう?」【孝平】「それを見てたのか?」

【桐葉】「ええ」

【桐葉】「その中に、私の主がいるんじゃないかと思って」

淡々と紅瀬さんは言う。

そういうことだったのか。

何かを捜しているように見えたけど、実際その通りだったんだな。

【孝平】「でも、紅瀬さんはその主が誰だかわからないんだろ?」

【桐葉】「そうね」

【桐葉】「唯一わかるのは、主が女だということだけ」

【孝平】「女……」

男じゃなく、女だったんだ。

なぜかほっとした自分がいた。

【桐葉】「だから私は、貴方の話を聞いて、千堂さんが主かもしれないと考えたの」

【桐葉】「でも、彼女は眷属を持っていないのでしょう?」

俺はうなずいた。

【孝平】「がっかりさせちゃったみたいで、なんか悪かったな」

【桐葉】「貴方が謝る必要はないわ」

【桐葉】「私もそう簡単に見つかるとは思っていないの」

【桐葉】「でも……いつか必ず」

声が、少しだけ低くなる。

膝の上に置かれた手が、ぎゅっとこぶしを握った。

【桐葉】「いつか必ず、見つけてみせるわ」

ぞくり、とした。

主に対する強い感情。

それはおそらく、好意と呼べるものではない。

むしろ正反対の感情に近いはずだ。

まなざしの奥に揺れるものを見て、直感的にそう思った。

二人の間にいったい何があったんだろう。

……。

でも、こうやって外を眺めているだけで見つかるものなのか?

人捜しの方法としては、あまりアクティブではない気がする。

どう捜していいのかわからないだけかもしれないけど。

【桐葉】「貴方、怖くないの?」

【孝平】「何が?」

【桐葉】「吸血鬼よ」

【桐葉】「血を吸われるかもしれないでしょう」

【孝平】「はは、そりゃ向こうがお断りだろ」

【孝平】「俺はよくわかんないけど、やっぱ美女がいいんじゃないか?」

【桐葉】「ずいぶん呑気なのね」

【孝平】「まあ仮に吸われたとしても、そんなに害はなさそうだし」

できれば吸われたくないけど。

【孝平】「紅瀬さんだって、血は吸わないんだろ?」

【桐葉】「そうね」

【桐葉】「私は吸血鬼ではなく、吸血鬼の眷属」

【桐葉】「似て非なる者よ」

【孝平】「じゃあもっと怖くないな」

【桐葉】「……はぁ」

【桐葉】「そんなこと言う人、貴方が初めてよ」

【桐葉】「やっぱり普通じゃないわね」

【孝平】「それをお前が言うか?」

【桐葉】「もう少し警戒心を持った方がいいと思うけど」

【桐葉】「いつガブッとやられるかわからないわよ」

【孝平】「大丈夫だろ、きっと」

【孝平】「紅瀬さんも副会長たちとゆっくり話してみればわかる」

【孝平】「それに、あの人たちなら力になってくれるかも」

そうだ、副会長たちなら、何かヒントを持っているかもしれない。

「主」に一番近いのは、この島の中であの二人しかいないのだ。

【孝平】「明日、監督生室に来てみないか?」

【孝平】「こうやって外眺めてるよりはいいと思うぞ」

【桐葉】「……」

少し考えているようだ。

断らないということは、了承したものと取るぞ。

【桐葉】「でも……」

ばたんっ

元気よくドアが開き、そちらを振り返った。

【陽菜】「あ」

【かなで】「あっ」

陽菜とかなでさんだった。

【かなで】「おーやおやおや、噂のこーへー君じゃない」

【陽菜】「お姉ちゃんってば」

【かなで】「聞いたよ聞いたよ、窓ガラス割って逃げたんだって?」

【かなで】「君、もう少しで賞金首になるところだったんだからねっ」

【孝平】「す、すみません」

【かなで】「よーし、わかればよろしい」

【かなで】「で、なになに? これが今流行の談話室デートってやつ?」

かなでさんは、にやにやしながら俺たちを見た。

完全に誤解されている。

【孝平】「別に、ただ話していただけですよ」

【孝平】「ここは談話室ですから」

【かなで】「ほ~お?」

【陽菜】「もう、お姉ちゃん」

【かなで】「わかってるわかってる。お姉ちゃんに任せなさい」

【かなで】「はい、きりきり。これ使って」

そう言って差し出したのは、例の風紀シールだった。

【桐葉】「は?」

【かなで】「あ、誤解しないで。これはきりきりのペナルティじゃないよ」

【かなで】「もしこーへーがヘンなことしようとしたら、おでこにぺたっと……」

【孝平】「かなでさーんっ!」

【かなで】「あはははは、じゃあね~んっ」

【陽菜】「姉がお騒がせしました」

【陽菜】「お姉ちゃん、待ってよもうー」

……。

行ってしまった。

微妙な沈黙。

紅瀬さんは、じっと風紀シールを見ている。

【孝平】「……ないから」

【孝平】「そのシールを使う機会なんてないから、安心してくれ」

【桐葉】「そう」

そっけない返事。

信用されてなさそう。

訂正。

どうでもよさそう。

【孝平】「あ」

【桐葉】「?」

【孝平】「い、いや」

そういや俺、紅瀬さんに告白したんだよな?

返事もらってないんだけど。

そこらへんのことって、どうなってるんだろう。

//June 10//

翌日。

俺はせっせと奉仕活動に励んでいた。

今日は礼拝堂の窓ふきと草むしり。

蒸し暑さと相まって、汗が噴き出してくる。

まあここなら人目も少ないので、からかわれることもない。

ストイックに任務を遂行するまでだ。

【白】「今日もおつとめご苦労様です」

礼拝堂から、白ちゃんが出てきた。

【白】「これ、よかったら食べてください」

差し出されたのは、アイス抹茶と梅が枝餅。

疲れた身体に染み渡るラインナップだ。

【孝平】「ありがとう」

【孝平】「でも、こんなことして怒られないか?」

【白】「罪を憎んで人を憎まず、です」

【白】「それに、人は甘いものを食べないと元気が出ません」

白ちゃんはにっこり笑う。

【白】「では、がんばってくださいね」

【孝平】「おう」

再び礼拝堂へと戻っていく。

白ちゃんの笑顔で、十分疲れが取れた気がした。

作業を中断し、おやつタイムを設けることにする。

【孝平】「はああぁぁぁー」

こんな重労働があと五日間。

運動不足の解消になると思えばいいか。

……。

ん?

アイス抹茶を飲んでいると、誰かが向こうから歩いてくるのが見えた。

少しずつ大きくなる人影。

見慣れたロングヘア。

【孝平】「紅瀬さん?」

ぴんと張った背筋をキープしながら、こっちに向かってくる。

やがて、俺の前で立ち止まった。

【桐葉】「こんにちは」

【孝平】「……ちわ」

【孝平】「礼拝堂に用か? 珍しいな」

【桐葉】「貴方に用があるのよ」

【桐葉】「貴方と、生徒会の人たちに」

【孝平】「それって……」

副会長たちと話してみる気になったのか。

そういうことでいいんだよな。

【孝平】「ちょっと待っててくれ、もうすぐ終わるから」

俺は大慌てで立ち上がった。

【桐葉】「急がなくていいわ」

【桐葉】「これ、草むしりのゴミ?」

紅瀬さんは、そばにあったゴミ袋を持ち上げた。

【孝平】「そうだけど」

【桐葉】「捨ててくるわね」

【孝平】「あ……」

髪をなびかせ、来た道を戻っていく。

手伝ってくれるのか?

それから三十分後。

奉仕活動が終わり、俺たちは監督生室に向かった。

紅瀬さんは玄関で立ち止まり、小さく息を吐く。

少し緊張しているように見えた。

【孝平】「大丈夫」

【孝平】「いきなりは噛みつかないって」

【桐葉】「そんなこと心配してると思ってたの?」

【孝平】「冗談だよ」

緊張をほぐそうと思ったのだが、失敗に終わったようだ。

【伊織】「おぉ、来たれ若人!」

その時、聞き慣れた声が頭上から響いた。

監督生室の窓から、満面の笑顔の会長が身を乗り出している。

【伊織】「待ってたよ! ほらほら上がって上がって!」

なんでそんなに嬉しそうなんだ。

監督生室には会長と副会長がいた。

東儀先輩は出かけているようだ。

陽気な会長に比べ、緊張気味な面持ちの副会長。

顔を合わせると、いつも敵対心に近い感情をあらわにする二人なのに。

紅瀬さんも副会長も、今日は妙によそよそしい。

……。

それから俺は、紅瀬さんのことについて、二人に説明した。

会長の見立て通り、紅瀬さんは眷属だった。

主は女性というだけで、他は一切わからない。

紅瀬さんはその主をずっと捜している。

おそらくこの島か、島の近くにいるような気がする。

そこまで話すと、会長は興味シンシンといった顔でうなずいた。

【伊織】「そうか。そんな事情があったのか」

【伊織】「でも残念だったね。瑛里華が君の主じゃなくて」

【桐葉】「いえ……それは……」

【伊織】「逆に安心したかな? こんな生意気なのが主とか言われてもねぇ」

【瑛里華】「兄さん!」

【伊織】「しかし不思議だな。どうして主は君の前に姿を現さないんだろう?」

【伊織】「それじゃ眷属にした意味がないのに……」

【孝平】「意味?」

俺は首を傾げた。

【孝平】「すみません、素朴な疑問なんですけど」

【孝平】「そもそも吸血鬼は、どうして眷属を作るんですか?」

確か、人間が吸血鬼の血を飲むと眷属になるという。

眷属になったら、主の命令は絶対だ。

その契約は、未来永劫続く、らしい。

【伊織】「その理由は吸血鬼によっていろいろだと思うけどさ」

【伊織】「吸血鬼って、寂しがりやなんだよ。たぶん」

自嘲気味に会長は言う。

【伊織】「仲間が欲しいんだ。永遠を一緒に歩いてくれる仲間がね」

【伊織】「身体は頑丈でも、心は脆弱なもんさ。人間と同じだ」

【伊織】「で、紅瀬ちゃんはどうして眷属になったの?」

【桐葉】「私は……」

それは、俺も気になっていたことだ。

聞きたかったけど、なんとなく聞くのがはばかられたのだ。

【桐葉】「よく……覚えてないんです」

【伊織】「え」

【瑛里華】「?」

【桐葉】「記憶がないんです。主のことも、自分が眷属になった時のことも」

【桐葉】「それ以外にも、ところどころ記憶が抜け落ちているみたいで」

【伊織】「ふうん、そうか」

大して驚きもせず、会長はうなずく。

いやいや、驚くところだろ。そこは。

謎が謎を呼ぶとは、こういう状況を指すのか?

……。

紅瀬さんの力になりたい。

そう思って、ここまで来た。

でも、事態は俺の力じゃどうこうできない次元にある。

今の会話を聞いて、その事実をまざまざと見せつけられた思いだ。

なんだか、自分がひどく場違いなところにいるような気がしてきた。

【伊織】「ここまで打ち明けてくれたなら、手ぶらで帰すわけにはいかないな」

会長は素直な笑顔で続ける。

【伊織】「実はさ、俺に心当たりがあるんだ」

【桐葉】「え?」

【瑛里華】「兄さん?」

【伊織】「いるんだよ。この島にもう一人吸血鬼が」

【桐葉】「!」

【瑛里華】「ちょ、ちょっと……!」

予想外の発言に、みんなの動きが固まる。

俺もそのうちの一人だ。

【孝平】「だ、だって」

【孝平】「この島には二人だけだって」

【伊織】「うん。あれは嘘だ」

【伊織】「ははは、悪い悪い」

会長はメキシコ人みたいに陽気に笑う。

そんなに明るく開き直られても。

【瑛里華】「な、何言っちゃってんのよ……っ」

【瑛里華】「違うのよ支倉くん、騙すつもりはなかったの、ホントに」

【瑛里華】「これにはその、ちょっと事情があるのよ」

副会長がわたわたと弁明する。

心底すまなそうな様子だ。

【瑛里華】「ごめんなさい。本当に」

【孝平】「いや、事情があったんならしかたないし」

【伊織】「うん。あのね、その人ちょっと難しいタイプなんだ」

【伊織】「人見知りで、加えて愛想も悪いときた」

【伊織】「まあ、俺たちの母親なんだけどね」

【孝平】「母親?」

驚きの連続だった。

会長たちの母親が、この島にいる。

普通に考えれば、吸血鬼の親だって吸血鬼だ。

【桐葉】「この島の、どこにいるの?」

紅瀬さんは一歩踏み出した。

真剣な表情だ。

【伊織】「ごめん。今は言えない」

【伊織】「でも折を見て、母親と会えるようにセッティングしてみようか?」

【瑛里華】「なっ!」

【伊織】「もちろん、あっちがいいと言えばの話だけど」

【桐葉】「……っ」

紅瀬さんはためらっているようだ。

少なくとも、俺にはそう見えた。

【伊織】「まあ、君としては、断る理由はないよね?」

【桐葉】「……はい」

【伊織】「よし決まりだ。今度会う時に聞いてみるよ」

【伊織】「さっきも言ったけど、あの人ちょっと特殊でさ」

【伊織】「俺たちが真相を追求するより、紅瀬ちゃんが実際に会った方がいいと思う」

【瑛里華】「兄さんっ」

【伊織】「大丈夫大丈夫」

副会長の様子を見る限り、あまり大丈夫そうじゃない。

が、会長なりに算段はついているのだろう。

あれは何か企んでいる時の顔だ。

【伊織】「話がまとまったところで、今度は俺から紅瀬ちゃんにお願い」

【伊織】「文化祭実行委員の件、もう一度考え直してくれないかな?」

【桐葉】「え?」

【瑛里華】「えっ」

【孝平】「え」

話がかなり飛躍した。

つーか強引だろ。

紅瀬さんは怪訝そうに眉根をひそめる。

【桐葉】「それは、交換条件?」

【伊織】「まさか。そんなのエレガントじゃないだろ?」

【伊織】「もし実行委員を断っても、俺は君に対する協力の姿勢を崩さない」

【伊織】「でも、そのためには俺たちのそばにいてくれた方が何かと助かるなぁー」

【伊織】「ってだけの話」

強引なこじつけっぽくもあったが、まあ一理ある。

この件に関しては、一匹狼でいるのは不利だ。

会長たちが近くにいることの恩恵は、それなりにあるはず。

【桐葉】「……でも、文化祭に出る気はないわ」

【伊織】「いいよ。できる範囲でやってくれれば」

【桐葉】「私が力になれるとも思えないけど」

【伊織】「わからないことは、支倉君がばっちりフォローするよ」

【伊織】「そうだよね?」

【孝平】「はあ」

そう言わざるを得ない流れだ。

ふと、紅瀬さんはちらりと俺を見た。

目が合う。

反射的に、うなずく俺。

【伊織】「どう?」

【桐葉】「……」

【伊織】「どうどう?」

【桐葉】「…………」

【伊織】「悪い話じゃないだろ?」

【桐葉】「……じゃあ」

【桐葉】「やります」

【孝平】「マジ?」

【瑛里華】「うっそ」

【伊織】「やったー! Vゴーーーール!」

場が色めき立つと、紅瀬さんは戸惑いの表情を見せた。

いくら会長の口がうまいからといって、こんなに早く了承するとは思わなかった。

どんな心境の変化だ?

【孝平】「なあ、ほんとにやんのか?」

【孝平】「きっとすげー面倒だぞ? めいっぱいこき使われるぞ?」

【桐葉】「貴方がフォローしてくれるんでしょう?」

【孝平】「そりゃそうだけどさ」

【桐葉】「それに、貴方には借りもあるし」

【桐葉】「それに……」

【孝平】「?」

【桐葉】「……とにかく、決めたからにはやるわよ」

前向きな響きを持った返事だった。

俺にはそう聞こえた。

こんなこと、二ヶ月前の自分に想像できただろうか?

クラス一取り扱いの難しい女の子に恋をした俺。

その彼女と、今度は文化祭実行委員をやることになった。

……。

さっきからずっと、胸が高鳴っている。

今日ばかりは、会長の取り計らいに感謝だ。

//Another view : ??//

【??】「……許せんっ」

最初は、少しからかってやるだけのつもりだった。

そのためにあの男を利用した。

真実を知れば、必ず逃げていく。

それは長い間繰り返された予定調和。

絶望の淵は、すぐそこまで見えていた。

……。

だが、逃げなかった。

あの男は、禍々しいはずの真実を受け入れた。

こんなことは筋書きにはなかったはずだ。

【??】「おのれ、逃がすものか」

【??】「主はあたしだっ」

鬼ごっこをやめることは許さない。

いつまでも幻影を追い続けるがいい。

それがお前の使命だ。

//Another view ends//