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//Another view : ???//

畳に散らばった、翠の小石。

一刻前まで、猫をかたどっていた。

慣れ親しんだ物であったが、こうなればただの小汚い砂利でしかない。

【??】「……」

【??】「おい」

【征一郎】「はい」

【??】「さっさとこのゴミを片づけるのだ」

【征一郎】「承知しました」

【??】「ぬぅ……」

【征一郎】「どうやら、振られてしまったようですね」

【??】「口を動かさず、手を動かせ」

【征一郎】「両方動かしていますから、どうぞご安心を」

【征一郎】「……以前にも申し上げましたが」

【征一郎】「あの二人の時間は、そう長く続くものではありません」

【??】「わかっておる」

【??】「長くとも、せいぜい百年が関の山だ」

【征一郎】「仰る通りかと」

【??】「ふん」

【??】「まあよい。この一世紀は、あたしを楽しませた褒美にくれてやる」

【??】「犬のしつけは、飴と鞭が肝要だからな」

【征一郎】「はい」

【??】「どうせあの子は、またあたしと遊びたくなる」

【??】「あの小僧が逝くのを、楽しみに待つことにするか」

【征一郎】「……ふぅ」

//Another view ends//

//September 11//

【瑛里華】「……ない」

【瑛里華】「招待客用のパンフレットがどこにもないわ!」

【伊織】「えええっ!」

【征一郎】「なに?」

【白】「えっ」

【孝平】「え!」

【桐葉】「……」

【瑛里華】「ちょ、ちょっとどうするのよ」

【伊織】「どうすると言われてもね」

【瑛里華】「あのね、文化祭は明後日なのよっ」

副会長の声が、監督生室にむなしく響いた。

早いもので、夏休みはあっという間に過ぎ去り。

俺たちは文化祭を二日後に控えていた。

もちろん、準備はほとんど完了している。

と思うのは大間違いだった。

おそらくどこの学校でもそうであるように、この時期は地獄だ。

徹夜組が後を絶たず、売店の栄養ドリンクは連日完売。

どこを見ても阿鼻叫喚の図が広がっている。

寮が近くにあるだけ、うちはまだマシなのかもしれない。

【瑛里華】「早く、早く捜してっ」

【伊織】「まったく、どこ行っちゃったんだろうねえ」

【瑛里華】「さっきまでそこにあったのよ」

【瑛里華】「でも、ちょっと邪魔だったから横にどけて、それから……」

【伊織】「困ったもんだねー、うちの妹は」

【征一郎】「捨てたんじゃないか?」

【瑛里華】「そんなこと絶対に許さないわ」

【瑛里華】「こうなったら、連帯責任よ」

相当テンパッているのか、わけのわからないことを副会長は言う。

【瑛里華】「あーもう、どこ行っちゃったのよー」

【白】「あの……」

【瑛里華】「何?」

【白】「もしかすると、これじゃないでしょうか」

白ちゃんは桐葉の横に立った。

そして、桐葉の机の上にあった書類を、ひょいと持ち上げる。

【瑛里華】「あ!」

みんなの視線がそこに集まる。

書類の下に、まんまとパンフレットの束があったからだ。

【瑛里華】「ど、どういうこと?」

【瑛里華】「ちょっと紅瀬さん、どうして黙ってるのよ」

【桐葉】「気づかなかったわ」

【瑛里華】「なんですって?」

【桐葉】「貴方がここに移動させたんでしょう?」

【瑛里華】「ええ、そうよ」

あ、開き直った。

【瑛里華】「でも、人間誰でもミスはあるものだわ」

【桐葉】「……人間?」

【瑛里華】「ものの例えよっ」

ばんばんばんっ。

副会長が机を叩く。

相変わらず絶好調な二人なのだった。

【伊織】「まあまあ」

【伊織】「ところで支倉君、ミスコンの準備はどうだい?」

【孝平】「はあ」

俺は進行表を会長に手渡した。

ミス修智館コンテストの本選に残ったのは、全部で15人。

明後日、この中でグランプリが決まるのだ。

【伊織】「ふむふむ。いい感じだね」

【孝平】「あの」

【孝平】「会長、本当に司会進行やるんですか?」

【伊織】「あったりまえだろう」

【伊織】「俺はこの時のために、生徒会長を引き受けたと言っても過言ではないからね」

どんだけ志が高いのだ。

【孝平】「でも、リハーサルぐらいはやらないとまずいですよ」

【伊織】「大丈夫大丈夫」

【孝平】「ええー」

【征一郎】「支倉、無駄だ」

【征一郎】「そいつはリハーサルをやっても意味がない男だからな」

東儀先輩の指摘に、目からウロコが落ちた。

そりゃそうだ。

この人が、進行表通りに動いてくれると思えない。

【伊織】「ははは。俺は本番で実力を発揮するタイプだからね」

そういうことじゃないと思う。

【伊織】「で、紅瀬ちゃんのエントリーナンバーは?」

【孝平】「はい?」

【伊織】「あれ? 出るんだろう?」

会長は、俺と桐葉を交互に見た。

【孝平】「出ませんよ」

【孝平】「だいたい、予選にすら出てないし」

【伊織】「え、そうなの?」

【伊織】「せっかく水着審査を設けたのに?」

大真面目な顔だ。

【瑛里華】「……兄さん?」

【伊織】「あーあ、残念だなあ」

【伊織】「紅瀬ちゃん、特別ゲストで出る気ない?」

【桐葉】「出ません」

にべもなかった。

【伊織】「支倉君、なんとか説得してよ」

【孝平】「無茶言わないでください」

【伊織】「そこをなんとか」

【孝平】「無理なものは無理です」

【伊織】「いや、わかるよ?」

【伊織】「紅瀬ちゃんの水着姿を誰にも見せたくないって気持ちは、よーくわかる」

【孝平】「ぐっ」

【伊織】「だが、世間には独占禁止法という法律があって……」

ぽかっ

【伊織】「いてっ」

【瑛里華】「気にしないで作業を続けてちょうだい」

副会長の拳が飛んだ。

ちょっとだけホッとしてみたり。

【伊織】「じゃあ水着を着ない代わりに、こういうのはどうかな?」

まだ食い下がる。

【伊織】「紅瀬ちゃんには当日、俺のアシスタントをしてほしいんだ」

【孝平】「アシスタント?」

【伊織】「イエース」

【伊織】「舞台で俺の隣に立って、進行の手伝いをしてほしい」

【伊織】「それぐらいならいいだろ?」

俺は桐葉を見た。

【桐葉】「……」

【伊織】「難しいことはさせないからさ。オーケー?」

【桐葉】「はい」

しぶしぶといった様子だ。

【伊織】「やった!」

【伊織】「じゃあ、衣装は当日渡すからね」

【孝平】「衣装?」

嫌な予感。

【伊織】「そりゃそうさ」

【伊織】「ジャージ着て舞台に立つわけにはいかないだろ」

【孝平】「……水着はNGですよ」

【伊織】「わかってるって。マネージャー様」

ぽんぽん、と肩を叩かれた。

どうも信用できない。

まあ正直、俺だって、桐葉の水着姿が見たい気持ちはある。

だが、やはりそれを公衆の面前にさらすわけにはいかない。

【孝平】「水着ねえ……」

【桐葉】「見たいの?」

【孝平】「え」

桐葉が、俺をフローズンな目で見た。

【桐葉】「見たいのかと聞いているのよ」

【孝平】「見たくないと言えば、嘘になるな」

正直に言った。

【桐葉】「そんなに楽しいものとは思えないけど」

【孝平】「いや」

愉快だろう、いろんな意味で。

俺はビキニ姿の桐葉を想像し、すぐに邪念を打ち消した。

【桐葉】「では、考えておくわ」

【孝平】「……はい?」

【桐葉】「貴方が、見たいと言うのなら」

そう言って、桐葉は入力の作業に戻った。

俺は信じられない思いで、その横顔を見る。

【孝平】「水着って言ったら、やっぱり海かな」

【桐葉】「そうね」

【桐葉】「山や森で着る人は、あまりいないでしょうね」

【孝平】「だよな」

【孝平】「海じゃなく、プールでもいいけど」

【桐葉】「行ったことないからわからないわ」

【孝平】「じゃあ、プールにしよう」

【孝平】「雑誌で見たんだ。すごいウォータースライダーがあるとこ」

【桐葉】「そう」

【孝平】「じゃ、いつにしようか?」

【桐葉】「いつでもいいわ」

【桐葉】「でもその前に、水着を買わないと」

【孝平】「それなら、俺も付き……」

【瑛里華】「……」

【伊織】「……」

【征一郎】「……」

【白】「……」

【孝平】「あ」

みんなの視線を感じ、俺はただちに居住まいを正した。

【伊織】「よし、決まりだ」

【伊織】「これからこの部屋でいちゃついたら、一回につき100円罰金」

【瑛里華】「賛成ー」

【征一郎】「賛成」

【白】「えっと……」

白ちゃんは俺を、子ウサギのような目で見てから微笑んだ

【白】「わたしも、賛成です♪」

//September 13//

いよいよ文化祭当日。

雲一つない、見事な晴天だった。

満を持してのイベントだけあって、いまだかつてない盛り上がりを見せている。

まずオープニングセレモニーは、ダンス部によるリオ風カーニバル。

大きなダチョウの羽をつけた会長が出てきた時は、心臓が止まるかと思った。

スピーチ後、講堂が大きなダンスホールと化したのは言うまでもない。

ちなみに、3メートルのミラーボールはきっちり設置してあった。

やはり、あの人にはかなわない。

【司】「ういっす」

パイプ椅子を運んでいると、司にばったり会った。

【司】「仕事か?」

【孝平】「ああ」

【孝平】「なんだかんだで、人手が足りなくてな」

【孝平】「お前は何してんだ?」

【司】「アオノリのパシリ」

【孝平】「はあ?」

【司】「職員室でメイド喫茶やるんだと。その助っ人」

【孝平】「へえ……」

アオノリもメイドやるのか?

見たいような、見たくないような。

【孝平】「じゃ、また後でな」

【司】「おう」

司はのんびりとした足取りで行ってしまった。

お互い、ぶらぶらと文化祭を満喫してるわけにはいかなそうだ。

【陽菜】「孝平くん」

【孝平】「よう、陽菜」

【孝平】「お前もメイド喫茶か?」

【陽菜】「ええ?」

【陽菜】「私は違うよ。これからホットケーキを焼きに行くの」

【陽菜】「なんでもギネスに挑戦するらしいよ」

【孝平】「ギネス?」

【陽菜】「うん。何段重ねられるかやってみるんだって」

いろんなイベントがある。

【孝平】「そうか。がんばれよ」

【陽菜】「うん」

【陽菜】「後でミスコン見に行くからね」

【孝平】「おう、待ってる」

陽菜は小走りに行ってしまった。

周囲にはさまざまな出店が並んでいる。

呼び込みの声が飛び交い、ついそちらへと引き寄せられそうになる。

【桐葉】「……」

そんな俺を、そばで誰かさんが見ていた。

【孝平】「いや、違うぞ」

【孝平】「決してさぼってたわけでは」

【桐葉】「私は何も言ってないわ」

【桐葉】「ただタコ焼きの匂いにつられる貴方を見てただけ」

【孝平】「それはそれは」

【孝平】「で、何やってんだよ」

【桐葉】「別に」

桐葉は背中に何かを隠した。

匂いでわかるぞ。

「キムチたっぷり激辛お好み焼き」だ。

【桐葉】「……頼まれたのよ」

【孝平】「俺は何も言ってない」

【桐葉】「ふん」

そっぽを向いた。

小さく尖った唇が、妙にかわいかった。

【孝平】「後で時間が空いたら、一緒に回るか」

【桐葉】「……本当?」

【孝平】「もちろん」

【孝平】「手をつないで、いろんなところを見よう」

【桐葉】「……」

桐葉は頬を染めてから、小さくうなずいた。

【瑛里華】「ちょっといい?」

【孝平】「あ」

背後を振り返った。

半ばあきれ顔の副会長が、いた。

【瑛里華】「そろそろミスコンの準備しないといけないみたいよ?」

【孝平】「え? もう?」

【瑛里華】「ええ、そうなのよ」

【瑛里華】「ほら、戻った戻った」

そう言いながら、副会長は俺と桐葉の背中をぽんと叩いた。

やはりこうなるのか。

まあいい。

桐葉と一緒なら。

【桐葉】「行きましょう」

【孝平】「ああ」

俺たちは、講堂へと走り出した。

【伊織】「野郎ども、準備はいいかーっ」

【男子生徒たち】「おーっ!」

【伊織】「キレイなお姉さんは好きですかーっ」

【男子生徒たち】「おーっ!」

【伊織】「水着姿のお姉さんはもっと好きですかーっ」

【男子生徒たち】「おおおーっ!」

会場は大歓声の渦だった。

回るミラーボール。

飛び交うレーザー光線。

合図と共に、舞台の左右から噴き上げ型の花火。

ここは夏のロックフェスか。

【瑛里華】「……はぁ」

舞台の袖で、副会長はため息をついた。

それでも、この盛り上がりを前に満足げではある。

【孝平】「さすがカリスマだな」

【瑛里華】「あはは」

【瑛里華】「あのミラーボールの請求書、どこから来るのかしらね?」

俺に聞かれても困る。

【瑛里華】「あ、そろそろね」

【孝平】「だな」

俺は進行表を見た。

舞台上に、予選通過者たちが整列する。

一人ずつ自己アピールタイム。

【伊織】「おげおげ、じゃあアピールタイム、行ってみよーっ!」

割れるような歓声が返ってきた。

会長が舞台のそでに、ひょいと顔を出す。

【伊織】「照明と音響の方は大丈夫かな?」

【孝平】「問題ないです」

【伊織】「そうか。ありがとう」

【伊織】「紅瀬ちゃんは?」

【孝平】「今着替えてます」

俺は、すぐそばの簡易更衣室を指さした。

さっき会長から、アシスタント用の衣装を渡されていたようだ。

【伊織】「じゃあ準備ができ次第、俺の隣に来てって伝えてくれ」

【孝平】「わかりました」

【伊織】「よし」

【伊織】「あ~エントリーナンバー1、悠木かなで~っ」

【男子生徒たち】「おーっ!」

【かなで】「あ、どもども~」

歓声とともに、舞台に上がるかなでさん。

彼女がエントリーしてたと聞いた時は、驚いた。

本選に残ったのは、まあ妥当な結果だろう。

十分立派な素材をお持ちだしな。

【かなで】「みなさんこんにちはぁ、悠木かなでですぅ」

【かなで】「なんかぁ、妹に勝手に応募されちゃいましてぇ」

【かなで】「わたしはいいって言ったんですけどぉ」

……絶対、嘘だ。

かなでさんに続き、続々と候補者たちが上がっていく。

会場のボルテージは最高潮だ。

【桐葉】「行ってくるわね」

【孝平】「うん」

……。

ん?

今、何か幻覚を見たような。

俺は目をこすり、もう一度前を見た。

……。

え?

おおおおおお!?

【伊織】「エントリーナンバー16、紅瀬桐葉~っ!」

【男子生徒たち】「おおおーっ!」

俺はにわかに、その光景を認識することができなかった。

スポットライトが桐葉をとらえている。

ネコミミにメイド服姿の、桐葉を。

【瑛里華】「あぁっ!」

しまった。

見事にはめられた!

【桐葉】「……?」

が、時すでに遅し。

もう、完全に観客たちからは候補者の一人として見られている。

俺は舞台袖から、会長に中止するよう合図した。

もちろん、そんなことは今更不可能だと承知でだ。

【伊織】「それでは、紅瀬桐葉ちゃんのアッピールターイムッ!」

【桐葉】「……」

桐葉も、状況を悟ったのだろう。

半ばあきらめ顔だ。

【瑛里華】「ったくもー! 何やってんのよ!」

【瑛里華】「もうめちゃくちゃじゃない!」

【孝平】「……」

俺もため息をついた。

でも、会場はこれ以上ないほど盛り上がっている。

【伊織】「では、ここで紅瀬ちゃんに質問ターイムッ」

【伊織】「まずは身長と体重を教えてくださいっ」

ベタな質問だ。

【桐葉】「……」

いきなり無視ときた。

しかし会長はへこたれない。

【伊織】「じゃあ、スリーサイズは?」

【伊織】「言いにくかったら、みんなの代表である俺だけに教えてくださいね?」

【男子生徒たち】「ブー、ブー」

ベタベタすぎる質問展開だ。

無礼講な雰囲気が漂いまくってる。

やがて桐葉は、じろりと会長を見た。

【桐葉】「……ねえ」

【伊織】「はい、なんですかー?」

【桐葉】「好奇心は猫をも殺す、という言葉を知ってる?」

凍てついた目で、一瞥した。

一瞬、会場が静まりかえる。

が、歓声がさざ波のように起こり始めた。

【男子生徒たち】「おおお~~~っ」

桐葉を称えるようなまなざしが、舞台に集中する。

【瑛里華】「まー、すっごい人気ねえ」

【孝平】「……だな」

【伊織】「オーケーオーケー!」

【伊織】「それじゃみんな、候補者たちに盛大な拍手~っ!」

大きな拍手が響く。

【桐葉】「……」

舞台上のネコミミメイドと目が合った。

──やれやれだな、まったく。

俺としては、ちょっとだけフクザツだ。

これじゃ、桐葉の評判が全校生徒に広まってしまうではないか。

それでも。

やっぱり、誇らしい気持ちはあるわけで。

俺は舞台の上で不機嫌そうに立つ桐葉に、ずっと見とれていたのだった。

//September 16//

文化祭が終わり、片づけを終えた火曜日。

俺と桐葉は、副会長から呼び出しを受けていた。

何やら大事な話があるらしい。

【瑛里華】「ちょっと支倉くん、何嫌そうな顔してるのよ」

【孝平】「いや、そんなつもりは」

俺は取り繕った。

大事な話、というものが朗報である可能性は、全国的に低いと思う。

【瑛里華】「まだお祭り気分が抜けていないんじゃない?」

【瑛里華】「紅瀬さんも、ミスコンで好成績を取ったからって調子に乗らないこと」

【桐葉】「そんなに大した順位でもないわ」

【瑛里華】「あら、そう」

副会長は大げさに肩をすくめた。

文化祭で行われた、ミス修智館学院コンテスト。

その結果は、誰もが驚くものだった。

なんと、桐葉は飛び入りにも関わらず、4位を獲得。

ネコミミメイドの演出があったとはいえ、水着なしでこの得点はすごい。

ちなみにかなでさんは、3位というハイスコアだ。

本人は優勝じゃなかったのが不服のようだったが。

【瑛里華】「まあいいわ」

【瑛里華】「今回のイベント成功を踏まえて、私決めたの」

【瑛里華】「紅瀬さん。あなた、私の右腕になって」

【孝平】「は?」

【桐葉】「?」

副会長の発言は、かなり唐突だった。

そんな様子を見ていた東儀先輩が、立ち上がった。

【征一郎】「支倉も経験があると思うが……」

【征一郎】「新役員は、現役役員の指名制なんだ」

【瑛里華】「そう」

【瑛里華】「だから紅瀬さんを指名してるわけ」

俺と桐葉は、顔を見合わせた。

【伊織】「うちの妹は、紅瀬ちゃんラブだからねえ」

【伊織】「俺からも頼む。妹の愛を受け取ってもらえないかな?」

【瑛里華】「兄さんは黙っててっ」

【瑛里華】「で、どうするの? やる? やらない?」

【桐葉】「……」

【孝平】「ど、どうする?」

【桐葉】「貴方がいいと言うのなら」

桐葉はそんなことを言う。

【孝平】「副会長の部下になるってことだぞ? 嫌じゃないのか?」

【桐葉】「別に」

おおおおお。

俺は驚きを隠せなかった。

【瑛里華】「そう。じゃあ決まりね」

【瑛里華】「いいわね? みんな」

【伊織】「異議なし」

【征一郎】「異議なし」

【白】「異議なし」

みんなが声を揃えた。

そんな様子を見て、桐葉は小さく微笑む。

とても素直で、やわらかい笑顔だった。

【瑛里華】「支倉くん。あなたは?」

【孝平】「俺は……」

もちろん、答えは一つだ。

俺は桐葉を見つめた。

そして彼女の手を取り、はっきりと口にする。

【孝平】「異議なし!」

//March 6//

【陽菜】「孝平くん、こっちこっち」

校舎の前で、陽菜が手を振る。

そこにはすでに、司と副会長……いや、会長もいた。

【瑛里華】「おっそーい」

【孝平】「まだ撮るのか?」

【陽菜】「記念なんだから、何枚あってもいいでしょ?」

【孝平】「まあなぁ」

【陽菜】「はい、紅瀬さんは真ん中ね」

【桐葉】「……私は、いいわ」

【陽菜】「遠慮しないで。ね?」

しぶしぶといった様子で、桐葉は真ん中に入る。

陽菜はさっそくデジカメのタイマーをセットした。

【陽菜】「紅瀬さん、笑ってね」

【陽菜】「記念なんだから」

【孝平】「お前、そればっかだな」

【陽菜】「だってそうでしょ?」

【陽菜】「卒業式なんて、そう何回も味わえるものじゃないもの」

【司】「ぶわっくしょいっ」

カシャッ

【孝平】「あ」

【瑛里華】「あ」

【陽菜】「あ」

【桐葉】「……」

司の豪快なくしゃみが、シャッターの合図となった。

今日は、俺たちの卒業式だ。

修智館学院に転校して、早いもので二年の月日が過ぎたことになる。

学校のあちこちでは、別れを惜しむ生徒たちで溢れかえっていた。

……。

もちろんこの場には、かなでさんはいない。

元・会長もいない。

東儀先輩もだ。

あの人たちは、俺たちより一年早く新しい生活を始めていた。

そして俺たちも、その後に続こうとしている。

慣れ親しんだ部屋も、すっかり片づいた。

約束をしなくても、俺たちは同じ時間、同じ場所に集まる。

お互いの行動パターンなんて、お見通しだ。

それほどの時間を、一緒に過ごしてきた。

【陽菜】「卒業しても、たまにはみんなで会おうね」

【孝平】「そういうこと言うやつに限って、一番疎遠になるんだよな……」

【陽菜】「ひどい。そんなことないってば」

【瑛里華】「支倉くんが同窓会の幹事やればいいのよ」

【孝平】「げっ」

【司】「頼んだぞ、孝平」

【瑛里華】「頼んだぞー」

【陽菜】「頼んだぞー」

まったく他人事だ。

ま、いっか。

俺は生徒会役員の経験を通して、すっかり仕切り上手になってしまった。

その実力を発揮するのは、やぶさかではない。

……。

俺たちは、その場で別れた。

みんな、バラバラの方向に歩いていく。

ずっと一緒だった仲間たちが、違う方向を向いて歩いていく。

寂しいけど、悲しくはなかった。

俺には、二年間分の思い出がある。

そして、隣には──

【桐葉】「行きましょう」

──桐葉がいる。

【孝平】「どこに行くんだ?」

【桐葉】「内緒よ」

そう言って、桐葉は歩き出した。

毎日歩いていた場所なのに、今日は何もかもが新鮮に見えた。

黒猫を追いかけたこの道。

桐葉と帰ったこの道。

日々の一つひとつが、きらきらと蘇っていく。

ここでもいろんなことがあった。

俺が生徒会に入るきっかけとなった場所だ。

転校した頃は、まさか吸血鬼たちと友達になるとは思わなかった。

今なら思う。

やっぱりあの時、記憶を消さないでもらってよかった。

それだけは、はっきりと言える。

なるほど。

そういうことか。

【孝平】「なあ、いったいどこに連れていくんだ?」

白々しく聞いてみた。

【桐葉】「もうすぐわかるわ」

桐葉も白々しく答える。

慣れた道なのに、少しだけわくわくした。

初めてこの道を通った時みたいに。

【桐葉】「着いたわ」

桐葉は丘の上に立った。

遠くには大海原。

絶え間なく吹く潮風。

揺れる木々。

すべてが、変わらずそこにあった。

桐葉は目を細め、水平線を見つめる。

【桐葉】「最後に、ここに来たかったの」

【桐葉】「貴方と一緒に」

【孝平】「俺も」

【孝平】「俺も桐葉と、ここに来たかった」

この二年間、いろんな思い出を作ってきた。

教室で。

校庭で。

寮で。

監督生室で。

でも一番思い出深いのは、やはりこの丘なのだ。

これから先。

俺の命が尽きるまで。

一番多く思い出す場所が、ここなのだと思う。

【孝平】「なんか、本当にお別れの日みたいだな」

俺たちは4月から、同じ大学に進学する。

一段落ついてアルバイトを始めたら、一緒に暮らすつもりだ。

なのに、なぜ切ない気持ちになるのだろう。

ずっと一緒にいられる道を選んだのに。

……。

幸せなのに、怖い。

俺は、いつか桐葉を置いていくだろう。

生きるということは、その日に向かって歩くということだ。

逃れられない別れが、俺たちの向かう先に横たわっている。

怖い。

桐葉を置いていくのが怖い。

その日のことを考えると、たまに震えが止まらなくなる。

桐葉に悲しい思いをさせるのが、何よりもつらい──

【桐葉】「……私」

桐葉は髪を耳にかけ、俺を見上げた。

【桐葉】「今までずっと、自分の身の上を呪っていた」

【桐葉】「みんな、私を置いて逝ってしまう」

【桐葉】「残された者が、どれだけ悲しいかも知らないで……」

目を伏せる桐葉。

だが、すぐに顔を上げた。

【桐葉】「でも……私思うの」

【桐葉】「本当は、置いていく方がつらいんじゃないかって」

【桐葉】「大切な人を残して逝く方が、悲しいかもしれないって」

【桐葉】「そう思ったの」

【桐葉】「貴方に出会ってから」

【孝平】「……」

俺には、わからない。

どちらの悲しみが大きいかなんて、そんなことはわからない。

ただ……。

いつか俺の死が、二人を分かつ時。

桐葉に降りかかる悲しみが、なるべくささやかなものであるように。

安らかなものであるように。

彼女の未来につながるように。

そう、祈るだけだ。

【孝平】「二人で一緒に生きていこう」

【孝平】「ずっと、ずっと一緒だ」

【桐葉】「……」

桐葉は目を閉じる。

まつげの先が、日差しを浴びて光っている。

形のいい唇が、少しだけ震えている。

世界で一番かけがえのないもの。

水晶のように確かなもの。

【桐葉】「……了解」

俺は彼女の手を握り、そっとキスをした。

この丘に、また一つ大切な思い出が、生まれた。

//Kiriha route ends//

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