夜9時。
ようやく宿題も一段落した。
寝るにはまだ早い時間だ。
俺はベッドに寝そべり、そこらへんにあった雑誌を手に取る。
……と、ベランダから物音が聞こえた。
起き上がって、ベランダの窓を開ける。
【かなで】「ちぃーっす」
かなでさんが、非常用はしごで下りてくるところだった。
【孝平】「こんばんは」
【孝平】「……で、何してんですか?」
【かなで】「うん」
【かなで】「こーへーに、ちょっと大事な用があってさ」
大事な用?
なんだろう。
疑問に思っていると、かなでさんははしごを下りて部屋に入ってきた。
【かなで】「まあ、座りたまえよ」
【孝平】「はあ」
言われるまま、かなでさんの向かい側に腰を下ろす。
いったい、どうしたんだ。
【かなで】「いやー、今日は暑いね」
【孝平】「そんな前置きはいいんで、本題に入ってくださいよ」
【かなで】「んもう、せっかちだなぁ」
【かなで】「実は、この件なんだけどね」
そう言いながら、かなでさんは持参したビニール袋から何かを取り出した。
カップラーメンだった。
鮭の絵が描いてある、あまり見かけないタイプのものが二つ。
【孝平】「これが何か?」
【かなで】「見ての通り、石狩ラーメンです」
【かなで】「小腹が減ったので、一緒に食べようかなと思って」
【孝平】「もしかして、それが大事な用?」
【かなで】「そうだよ」
【孝平】「……」
眉間に皺を寄せると、かなでさんは唇を尖らせた。
【かなで】「だって、小腹が減っちゃったんだよ?」
【かなで】「そんなの緊急事態じゃない」
【孝平】「俺は減ってませんが」
【かなで】「減るって、絶対。賭けてもいいね」
【かなで】「このラーメンの匂いを嗅いだら、お腹の虫がよさこいダンスを踊り出すから!」
熱弁された。
そこまでうまいのか、この石狩ラーメンってヤツは。
【孝平】「だいたい、これどっから仕入れてきたんですか?」
【かなで】「それは秘密だよ」
【かなで】「まあ、国家絡みのルートとだけ言っておこうかな」
ぴらりっ。
ビニール袋から小さな紙が落ち、拾い上げる。
【孝平】「珠津ストア、428円」
【孝平】「ああ、そういえば物産品フェアやってますよね」
【かなで】「あ!」
かなでさんは身を乗り出し、俺からレシートを取り上げた。
【かなで】「国家機密だって言ってるのに!」
どこがだ。
【孝平】「今、お湯沸かしますから」
【かなで】「ありがと♪」
満面の笑顔。
俺は電気ポットに水を入れて、スイッチを押した。
お茶会用のティーコーナーからフォークを二本取り出す。
【孝平】「でも、ほんとに俺が食っちゃってもいいんですか?」
【孝平】「国家絡みのルートでしか手に入れられない、貴重な品なのに」
【かなで】「いーのいーの。一人で食べたっておいしくないし」
【孝平】「じゃあ、今度は俺が何かごちそうしますよ」
【かなで】「そんなこと気にしなくていいってば」
【かなで】「あ、お湯沸いた!」
かなでさんは立ち上がり、意気揚々とカップラーメンにお湯を注いでいく。
味噌のいい匂いが、周囲に漂った。
【孝平】「わ、マジで腹減ってきた」
【かなで】「ほら、わたしの言った通りでしょ?」
鬼の首を取ったかのような口調だ。
ちょっと悔しい。
【かなで】「あと2分です」
【かなで】「やわらかめが好きな人は、さらに延長1分でーす」
【孝平】「俺はやわらか派です」
【かなで】「おおっ、奇遇だね。わたしもだよ」
【かなで】「さて、ラーメンができるのを待っている間に……」
かなでさんは、ビニール袋から四角いものを取り出した。
保存ケースに入れられたバターらしきものだ。
それと、キムチ。
【かなで】「このセットをトッピングしていきたいと思いまーす」
【かなで】「題して、ピリ辛石狩バターラーメン♪」
【孝平】「おおお」
まさか、そんな隠し球があったとは。
【孝平】「かなでさん、何気にカップラーメン通?」
【かなで】「通ってほどじゃないよ」
【かなで】「一人分の食事作るのが面倒な時、たまに作ってたんだ」
【かなで】「でも普通に作るんじゃつまんないから、よくトッピングの研究してたの」
【孝平】「ふうん……」
それは、俺にも身に覚えのある話だった。
親が留守がちだったので、作るのが面倒な時はだいたいカップラーメン。
バターを入れたり、牛乳を加えてみたりと、あれこれアレンジしたくなるのだ。
……てことは。
かなでさんも、実家にいる時は一人で食事することが多かったのだろうか?
【かなで】「はい、お時間です」
【かなで】「フタを開けて、大胆にトッピングしちゃってください」
【孝平】「うぃーす」
勧められるまま、バターとキムチを投入していく。
何気に、かなりうまそうだ。
【かなで】「いっただっきまーす」
【孝平】「いただきます」
ずずずずずっ。
【孝平】「おおっ?」
【孝平】「なんかうまいんですけど」
石狩フレーバーの中に、ピリリとした辛み。
バターの風味がコクを引き出している。
【かなで】「うーん、大成功!」
かなでさんは満足げだ。
【かなで】「どう? わたしの手料理、まんざらでもないでしょ?」
【孝平】「……手料理?」
俺は首を傾げた。
【孝平】「バターとキムチを入れただけにしか見えませんでしたけど」
【かなで】「だってしかたないよ。キッチンないんだもん」
【かなで】「限られた設備でここまでのものができるってことを、知ってほしかったの」
【孝平】「はあ」
わかったような、わからないような。
【かなで】「ねえ、偉い?」
【孝平】「はい?」
【かなで】「もう、偉いかどーか聞いてるの」
【孝平】「まあ……どちらかといえば、偉いんじゃないですかね」
【かなで】「あはっ、そう?」
【かなで】「じゃあ、ご褒美お願いしまーす♪」
かなでさんは嬉々として、俺に頭を向けた。
……。
これは。
頭を撫でてくれ、という解釈でいいのか?
【孝平】「よ、よしよし」
【孝平】「よくできました」
【かなで】「ふっふふ~っ」
頭を撫でると、まるで子供のように笑う。
俺より先輩なのに、ぜんぜん先輩っぽくない。
むしろ、妹みたいだ。
【かなで】「やっぱさ、カップラーメンは一人より二人で食べた方がおいしいね!」
【孝平】「ですね」
それから俺たちは、「うまい」を連呼しながらカップラーメンを完食した。
一人より、二人で。
その言葉をしみじみと噛み締めながら。