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//June 3//

昼休みになり、俺たちは学食に来ていた。

日替わり定食が売り切れていたので、焼きうどんをオーダーする。

と見せかけて、やはり焼きそばをオーダー。

鉄人の料理はなんでもうまいが、どうしても焼きそばに戻ってきてしまう。

【陽菜】「孝平くんって、本当に焼きそばが好きなんだね」

目の前に座っていた陽菜が言う。

【孝平】「そっちこそ」

陽菜の昼食は、味噌ラーメンだった。

俺の見ている限り、陽菜の味噌ラーメンオーダー率は高い。

【陽菜】「私は毎日食べてるわけじゃないよ?」

【陽菜】「たまにはパスタだったりパンだったりすることもあるんだから」

【孝平】「そうだっけ?」

【陽菜】「そ、そうだよ」

ちょっとムキになって陽菜は言う。

【孝平】「はは、冗談だって」

【陽菜】「もう、意地悪」

【陽菜】「……あれ?」

陽菜は首を傾げ、一点を見つめた。

俺の、胸元辺りだ。

【陽菜】「孝平くん、シャツのボタン取れそうだよ?」

【孝平】「え?」

見ると、糸一本だけでつながったボタンがぶらぶらと揺れていた。

ぜんぜん気づかなかった。

【陽菜】「あとでシャツを貸してくれたら、夜までに直しておくけど」

【孝平】「いや、いいよ。悪いし」

【陽菜】「でも孝平くん、自分でできる?」

【孝平】「……」

言葉に詰まる。

ボタン付けなんて、ほとんどやった記憶がない。

【孝平】「すみません、お願いします」

【陽菜】「うん」

【陽菜】「そのボタンなくすといけないから、取っちゃってね」

【孝平】「わかった」

陽菜はにっこり笑ってから、味噌ラーメンに取りかかった。

その日の夕方。

かなでさんと副会長と司が、お茶菓子片手に俺の部屋へとやって来た。

【司】「ちーす」

【孝平】「ちっす」

【孝平】「あれ? 白ちゃんと陽菜は?」

【瑛里華】「白は宿題やってるわ」

【かなで】「ひなちゃんは美化委員の仕事で遅くなるって」

【孝平】「ふうん」

【かなで】「あれれ?」

【かなで】「何か気になるのかな?」

かなでさんが意味深な表情で聞いてきた。

【孝平】「ただ聞いただけじゃないですか」

【かなで】「ふーん、そう?」

ニヤニヤしてるし。

【瑛里華】「?」

【瑛里華】「白? それとも悠木さん? どっち?」

【孝平】「副会長までそんなことを……」

【かなで】「こーへー、お姉ちゃんはね、二股はよくないと思うな」

【孝平】「なんでそうなりますか」

からかわれてるだけだとわかっていても、リアクションに戸惑う。

もっとさらりと受け流すことができればいいのだが、まだまだ修行が足りない。

【かなで】「さて、今日はわたしがお茶を淹れようかな」

【かなで】「みんな、ホットのウーロン茶でいいよね」

【孝平】「そこに選択肢はないわけですね?」

【かなで】「ないっ」

【かなで】「なぜなら、ティーバッグで楽ちんだからだっ」

【孝平】「なるほど」

茶葉から淹れる紅茶は、それなりのテクニックがいる。

お茶会メンバーの中で一番上手に紅茶を淹れられるのは、陽菜だった。

【かなで】「へーじ、そういえば8日どう?」

【司】「あー」

【司】「バイトが早番になったんで、なんとか」

【かなで】「ほんと?」

【かなで】「よしよし、でかしたぞへーじ」

かなでさんは手を叩いて喜んだ。

6月8日。

寮主催の、バーベキュー大会が行われる日だ。

【かなで】「8日、楽しみにしててね」

【かなで】「すっごいバーベキューコーナーを作ってもらったんだから」

バーベキュー大会のバックアップを提案したのは、東儀先輩だった。

もちろん、そんな楽しげなイベント情報を聞いて、会長がスルーするわけもなく。

あらゆる方面から、鉄板や鉄アミやコンクリートブロックなどを調達。

有志の男子生徒たちであっという間に簡易バーベキューコーナーを設営し、今に至る。

大変な作業ではあったが、なかなか楽しかった。

【瑛里華】「参加希望者も増えてるみたいですね」

【かなで】「えへへ、おかげさまで」

【孝平】「あとは8日を待つだけか」

実は俺も、バーベキュー大会を楽しみにしていた。

生徒会の仕事は、8日までに前倒しでやればなんとかなるだろう。

コンコン

【かなで】「おっ? ひなちゃんかな?」

ノックの音がして、かなでさんは玄関へと急いだ。

ガチャッ

【陽菜】「ただいまー」

【かなで】「おっかえりー♪」

【瑛里華】「お帰りなさい」

【司】「ういっす」

【孝平】「お疲れ」

【孝平】「美化委員の仕事、終わったのか?」

【陽菜】「うん。すっかり遅くなっちゃった」

最近の陽菜は、いつもこんな感じだ。

今は美化週間なので、何かと忙しいらしい。

【陽菜】「あ、そうそう。孝平くん」

【孝平】「ん?」

【陽菜】「ボタン、直しておいたよ」

そう言って、陽菜は持っていた紙袋からシャツを取り出した。

【孝平】「おお、早いな」

帰る前に、Tシャツに着替えてから陽菜に託したことを思い出す。

【陽菜】「念のため、他の取れそうだったボタンも補強しておいたよ」

【孝平】「ありがとう。忙しいのにごめんな」

【陽菜】「ううん。簡単だったから気にしないで」

【陽菜】「他にもやってほしいシャツがあったら、いつでも言ってね」

【孝平】「うん、わかった」

シャツを受け取ると、ほのかに温かい。

どうやらボタン直しだけでなく、洗濯して乾燥機にもかけてくれたらしい。

気が利きすぎるぞ、陽菜。

【かなで】「……」

【瑛里華】「……?」

【瑛里華】「支倉くん、悠木さんにいつもそんなこと頼んでるの?」

【孝平】「そんなこと?」

【瑛里華】「ボタン直しとか、洗濯とか」

【孝平】「いやっ、そういうわけじゃ」

【陽菜】「ううん、私が勝手にやっただけなの」

【陽菜】「今日、たまたまボタンが取れそうだったから、ついでにね」

【瑛里華】「ふ~ん」

副会長の口角が、くいっと上がる。

【孝平】「なんだ?」

【瑛里華】「いえ、なんでも?」

にやにやにやにや。

これ以上突っ込まなくても、なんとなく考えていることはわかる。

だが俺は、あえて気づかないフリをした。

ここであれこれ言い訳すると、逆に疑わしくなるのは目に見えている。

【孝平】「ところで、バーベキューの話だけど」

強引に話題を戻した。

【孝平】「かなでさん、買い出しは午前中に済ませとけば大丈夫ですよね?」

【かなで】「……」

【孝平】「かなでさん?」

【かなで】「え?」

弾かれたように立ち上がった。

その拍子にテーブルにぶつかり、マグカップが派手に倒れる。

【かなで】「ああっ! ご、ごめん!」

【瑛里華】「八幡平君、そこのティッシュ取って!」

【司】「おう」

【陽菜】「お姉ちゃん、大丈夫?」

【孝平】「火傷しませんでした?」

【かなで】「うん、テーブルにこぼれただけだから大丈夫」

【かなで】「ほんとにごめんね~。ちょっとボーッとしてたよ」

【陽菜】「働き過ぎで疲れてるんじゃない?」

【かなで】「まさか。毎日8時間睡眠を心がけてますから」

【かなで】「寮長は身体が資本!」

こぼれたお茶をすべてふき取り、かなでさんは笑ってみせた。

ぼんやりしてたみたいだけど、どうしたんだろう。

いつも元気な人だけに、ちょっと気になる。

//June 8//

バーベキュー大会当日。

今日は朝から晴天だった。

買い出しを終え、有志たちがさっそく準備に取りかかっている。

午後三時。

バーベキューが始まるまで、あと二時間だ。

【伊織】「お疲れ、支倉君」

【孝平】「あ、会長」

さわやかな顔で会長が現れた。

脇に大きな黒い物体を抱えている。

【孝平】「それ、なんですか?」

【伊織】「バーベキューには欠かせないダッチオーブンだよ」

【伊織】「食後に、シナモンをたっぷり振った焼きリンゴを作ろうと思ってね」

【伊織】「アツアツのリンゴに、バニラアイスを添えるんだ。うまそうだろ?」

【孝平】「へえ。なんかおしゃれですね」

【伊織】「まあね」

【伊織】「男は肉があればいいけど、女子はいろんなものをちょっとずつが、原則だからさ」

さすが会長、サービス精神旺盛だ。

会長にデザートをサーブしてもらったら、女子たちも喜ぶだろう。

【伊織】「ところで、悠木姉は?」

【孝平】「かなでさんなら、そこに」

いない。

さっきまで、ハイテンションで食材を分けていたように思うのだが。

【伊織】「あ、来た」

【孝平】「?」

会長が大きく手を振る。

その視線の先には、大量のビニール袋を下げているかなでさんの姿があった。

【かなで】「お~、いおりん!」

【孝平】「かなでさん、どうしたんですかそれ?」

【かなで】「もう一度買い出しに行ってきたの」

【かなで】「当日になって参加人数が増えたから、食材が足りないかと思って」

テーブルの上に、どさっと荷物を置いた。

ビニール袋の中には、たくさんの肉、肉、肉。

しかも米まで入ってる。

【孝平】「これ、一人で運んできたんですか?」

【かなで】「うん、そうだよ」

けろりとした顔で言う。

【孝平】「なんで声かけてくれないんですか」

【孝平】「言ってくれれば、荷物持ちしたのに」

【かなで】「だって、お供を連れていくほどの量じゃないもん」

【かなで】「それにわたし、こう見えても力持ちなんだよ?」

などと胸を張るが、その小さな手は荷物の重みで真っ赤だ。

【伊織】「悠木姉」

【かなで】「ん?」

【伊織】「トップに立つ人間は、人を動かしてナンボだよ」

【伊織】「自分が苦労してちゃ、なんのためにトップになったのかわからないだろ?」

【かなで】「誰がトップ?」

【伊織】「君だよ君。『寮』の後ろに『長』がついてるじゃないか」

【伊織】「君は寮長、俺は会長。つまり今は、首脳会談の真っ最中ってことだ」

【かなで】「ええっ? そうなの!?」

【孝平】「いや、俺に聞かれても」

【かなで】「もしかして今、歴史的瞬間だったりする?」

【伊織】「その通り!」

【征一郎】「伊織」

冷ややかな顔をした東儀先輩が、声をかける。

【征一郎】「うろうろしてないで、火を起こすのを手伝ってくれ」

【伊織】「はいはい」

【伊織】「……火起こしも悪くないが、俺はもっとエレガントな仕事がしたいな」

などとぼやきながら、会長は東儀先輩の方へと歩いていった。

エレガントな仕事ってなんだろう。

肉をフランベしたり、ロブスターを盛りつけたりするような仕事だろうか。

【かなで】「いおりんってデキる人だけど、地味な仕事嫌いだよねえ」

【孝平】「ですね」

そう思うのは、俺だけではなかったようだ。

【かなで】「さーて、そろそろご飯でも炊いちゃおっかな」

【孝平】「あ、持ちます」

米袋を抱えようとするかなでさんを制して、俺はひょいっと自分の肩に乗せた。

10キロの米袋なんて、女の人にはかなりの負担だろう。

というか、こんなに小さな身体でよくここまで運んできたな。

【かなで】「……あ」

【孝平】「?」

かなでさんは不思議そうな顔で俺を見上げた。

【かなで】「それ、重くないの?」

【孝平】「まあ、軽くはないですけど、普通に持てますよ」

【かなで】「そうなんだ」

【かなで】「簡単にひょいって持ち上げるから、ちょっとびっくりした」

【孝平】「そりゃ、これでも男ですから」

【かなで】「それはわかってるけどさ」

【かなで】「子供の頃のこーへー知ってるから、なんか不思議な感じ」

【かなで】「昔は確か、わたしよりも背低くなかったっけ?」

親戚のお姉さんみたいなことを、かなでさんは言う。

【孝平】「俺もかなでさんと6年振りに再会して、びっくりしましたよ」

【かなで】「なんでなんで?」

【孝平】「あんまり変わってなかったから」

【かなで】「え~そんな~、照れちゃうなぁ」

【かなで】「……あれ? それ褒め言葉?」

【孝平】「も、もちろん、いい意味で」

かなでさんは昔からチビっ子でした、とは言わないでおこう。

【かなで】「とか言ってさ、こーへーぜんぜん気づかなかったくせに」

【かなで】「わたしが名乗らなかったら、一生他人のままだったよね」

【孝平】「そんなことは……」

正直、否定はできないかもしれない。

何かきっかけがなければ、簡単には思い出さなかっただろう。

【孝平】「すみませんでした。昔はいろいろ世話になったのに」

【かなで】「あはは、やだなあ。急にかしこまらないでよ」

【かなで】「無理もないって。こーへー、この島には一年しかいなかったんだから」

【孝平】「そうですけど、かなでさん、よく俺と遊んでくれましたよね」

かつてこの島にいた頃のことを思い出す。

俺と陽菜と、かなでさん。

放課後はこの三人で遊ぶことが多かった。

山を探検したり、虫をつかまえたり。

山奥の池に俺が飛び込んで、大人にこっぴどく叱られたこともあったっけ。

率先して無茶な遊びをするかなでさんと、それをたしなめる陽菜。

俺はそんな二人を見るのが好きだった。

こんな楽しい日々がずっと続けばいいと思ったけど、やはり願いは叶わなかった。

【かなで】「まあいいって。結果的には思い出してくれたんだからさ」

【かなで】「それに、わたしの願いも叶ったことだし」

【孝平】「え?」

【かなで】「え?」

【かなで】「……あはは、なんでもない!」

【かなで】「それより、ほんとにお米重くないの? だいじょうぶ?」

【孝平】「大丈夫ですって」

【孝平】「なんなら、かなでさんも抱えて運びますけど」

【かなで】「ええっ、無理無理!」

【かなで】「そんなことしたら、こーへーの腰が再起不能になるって」

【孝平】「まさか。かなでさん軽そうだし」

【かなで】「ところがどっこい、そうでもないんだなあ」

【かなで】「でもそーゆーサービスはさ、特別な子だけにやるもんだよ?」

【孝平】「はあ?」

かなでさんは肩をすくめた。

【かなで】「だからさ、誰にでも優しくしちゃダメってこと」

【かなで】「そんな風に、わたしの代わりに荷物なんか持たなくていいんだから」

【孝平】「いや、持つでしょう。普通は」

【孝平】「でもそんなこと言ったら、かなでさんだってみんなに優しいじゃないですか」

【かなで】「それは寮長だからであって、わたしは……」

【かなで】「そういう意味で言ったんじゃ、ないっていうか」

【孝平】「え?」

よく聞こえなかった。

するとかなでさんは、あははと笑ってみせる。

【かなで】「やっぱこーへーって、昔とぜんぜん変わってないかも」

【孝平】「はい?」

【かなで】「なんでもありませーん」

【孝平】「??」

鼻歌を歌いながら、スキップするかなでさん。

……わからん。

【かなで】「肉焼けたよ肉ー!」

【男子生徒A】「おおお、うまそー!」

【女子生徒A】「いただきまーすっ!」

バーベキュー大会が始まり、公園にはかなりの人数が集まっていた。

網の上に、大量に投じられる肉や野菜。

学食からカニやエビなどの魚介類も差し入れしてもらった。

食欲をそそる匂いが周囲に立ちこめている。

【瑛里華】「こっちも焼けたわよ」

炭火の上に並べられた焼き鳥の串を、くるくると回している副会長。

【孝平】「……」

【瑛里華】「何?」

【孝平】「いや、ものすごく貴重なビジュアルだなあと思って」

副会長with焼き鳥。

写真でも撮っといた方がいいだろうか。

【瑛里華】「何よ、私の焼き鳥が信用できないってこと?」

【孝平】「そうじゃないって」

【孝平】「とりあえず、モモをタレで一本頼む」

【瑛里華】「はーい」

【瑛里華】「通は塩を頼むんだけどね」

もっともらしいことを言いながら、俺に焼き鳥を渡した。

【孝平】「……うまい。ジューシーだ」

【孝平】「普通に店を出したら儲かりそうだな」

【瑛里華】「ありがとう」

【瑛里華】「でも、そういうこと兄さんの前で言わないでね」

【瑛里華】「本当にやりかねないから」

【孝平】「了解」

一方、会長といえば。

【伊織】「焼き加減はどのように?」

【女子生徒B】「ミディアムレアでお願いします」

【伊織】「かしこまりました」

女子たちに囲まれながら、鉄板でステーキを焼いている。

実に楽しそうだ。

【瑛里華】「支倉くんもちゃんと食べてる?」

【瑛里華】「手伝いばっかりしてると、あっという間になくなっちゃうわよ」

【孝平】「ああ、それなら心配ご無用……」

あれ?

さっきまでここで焼いていた肉がない。

隅の方で、個人的にじっくりと育てていた肉が、ない。

【孝平】「お、俺の肉が」

【かなで】「?」

【かなで】「どしたの、こーへー」

【孝平】「ここで焼いてた肉が、一瞬のうちに神隠しに遭ったんです」

【かなで】「!」

かなでさんの顔色が変わる。

【かなで】「それはもしや……骨付きカルビ?」

【孝平】「そうです。脂ののった大きめの」

【かなで】「!!」

崖っぷちに追いつめられた殺人犯のように、狼狽する。

こんなにわかりやすいホシもそうそういないだろう。

【かなで】「そ、その肉は」

【孝平】「何か心当たりでも?」

【かなで】「スタッフがおいしくいただきました」

【孝平】「なるほど」

【孝平】「つまり、かなでさんが食べたんですね」

【かなで】「ごめん!」

手と手を合わせて、深々と頭を下げる。

【かなで】「悪気はなかったんだよ! ちょうど焼けてたから、つい……」

【孝平】「いやいや、冗談です」

【孝平】「名前書いてたわけじゃないし、誰の肉ってもんでもないし」

【かなで】「え~でもさ、育ててた肉取られるのってショックじゃない?」

【かなで】「わたしだったらバックドロップお見舞いするね」

力強く言う。

俺としては、そこまでの情熱はない。

【かなで】「じゃあお詫びに、わたしが肉焼いてあげるよ」

【かなで】「さっきハラミのおいしそうなところ見つけたんだ」

【孝平】「お、ラッキー」

【かなで】「ちょっと待っててね。今やるから」

かなでさんはにっこり笑って、網に肉を載せる。

【陽菜】「孝平くん」

【孝平】「おう、陽菜」

その時、皿を持った陽菜がぱたぱたとやって来た。

【陽菜】「これ、よかったら」

【孝平】「ん?」

皿には、おにぎりが3つ乗っている。

醤油の香ばしい匂いが立ち上る、焼きたてのおにぎりだ。

【孝平】「え? 俺に?」

【陽菜】「うん」

【陽菜】「前に、おにぎり食べてもらう約束したでしょ?」

【孝平】「約束……」

したようなしてないような、したような。

【孝平】「律儀だな、陽菜は」

【陽菜】「ふふ、そう?」

【孝平】「じゃ、ありがたくいただきます」

【陽菜】「どうぞ、召し上がれ」

おにぎりを取り、かぶりつく。

まさに見た目を裏切らない味だ。

【孝平】「最高」

【陽菜】「ほんと?」

【孝平】「ああ。プロ級って噂は本当だな」

【陽菜】「それは言い過ぎだけど」

【陽菜】「よかった。がんばって作った甲斐があったよ」

【孝平】「わざわざありがとな」

【陽菜】「ううん。足りなかったらもっと作るからね」

【陽菜】「ふふふ」

陽菜が嬉しそうに笑うので、俺も笑った。

裁縫も料理も上手だなんてすごすぎる。

陽菜は将来、きっといいお嫁さんになるだろう。

【かなで】「……」

【かなで】「あ、あのさ、ひなちゃん」

【陽菜】「え?」

【かなで】「こーへーったら、どーしてもハラミが食べたいんだって」

【かなで】「だから、ひなちゃんが焼いてあげてくれない?」

【陽菜】「うん。いいけど」

【かなで】「だって。こーへー、よかったね!」

【孝平】「え、でも」

ばんばん、と背中を叩かれる。

【かなで】「こーゆーのは、やっぱプロに任せなくちゃ」

【孝平】「はあ」

【かなで】「じゃ、あとよろしくね~」

ひらひらと手を振って、かなでさんは行ってしまった。

【陽菜】「……」

【陽菜】「孝平くん、まだまだたくさん食べられそう?」

【孝平】「ああ、うん」

【陽菜】「じゃあ、いっぱい焼いちゃうね」

【孝平】「サンキュ」

返事をしながら、考える。

なんか今、違和感を覚えた。

その違和感の正体がわからなくて、俺はずっと、かなでさんの行方を目で追っていた。

//Another view : Kanade//

【かなで】「今日は、ほんとにありがとう」

【伊織】「いえいえ、どういたしまして」

【征一郎】「悠木も疲れたんじゃないのか?」

【かなで】「ううん。ぜーんぜん」

バーベキュー大会は無事終了。

すべての片づけが終わり、寮に帰ってきた。

生徒会のみんなには、何度お礼を言っても言い足りない。

今日のイベントの立役者は、いおりんたちだ。

【かなで】「そーいや、焼きリンゴおいしかったよ」

【伊織】「だろう?」

【かなで】「あれさ、お店出したら絶対人気出ると思うな」

【伊織】「やはりそう思うか?」

【伊織】「実は今、学食に第一号店を出そうかと画策中なんだ」

【伊織】「なあ、征?」

【征一郎】「初耳だな」

【伊織】「というわけで、オープンしたらぜひ常連になってくれ」

いおりんはきらりと歯を光らせた。

隣でせいちゃんが苦々しい顔をしてる。

【かなで】「あ、あはは、うん、楽しみにしてるよ」

【かなで】「ところでさ」

【伊織】「ん?」

【かなで】「今日、みんな楽しんでくれたかな?」

そう尋ねると、二人は一瞬きょとんとした顔になった。

【伊織】「見ててわからなかったのかな?」

【伊織】「みんな喜んでたじゃないか」

【かなで】「そ、そう?」

【征一郎】「ああ」

【征一郎】「成功と言ってもいいだろう」

【かなで】「……そっかぁ」

嬉しい。

心があったかくなる。

寮長になってよかったと思うのは、こういう時だ。

【かなで】「それならいいんだ」

【かなで】「あーよかった。安心した」

【伊織】「悠木姉でも、不安になることなんてあるんだ」

【かなで】「あのね、それって失礼じゃない?」

【かなで】「半年に一回ぐらいはあるっつーの」

【伊織】「あははは、そうか」

【伊織】「じゃああと半年は、心穏やかに暮らせるな」

【かなで】「うん、きっとね」

【かなで】「それじゃ、今日はお疲れ様!」

【伊織】「ああ、お疲れ」

【征一郎】「お疲れ」

【かなで】「おっやすみ~」

わたしは二人に手を振って、寮に入っていった。

//Switch to Iori and Seichiro's view//

【伊織】「う~~ん」

【征一郎】「なんだ?」

【伊織】「今まで、あまり気にしたことなかったけどさ」

【伊織】「悠木姉の血って、けっこうおいしそうな……」

【征一郎】「……不謹慎なことは言うな」

【伊織】「何が不謹慎なものか」

【伊織】「吸血鬼として、率直な褒め言葉を述べようとしたまでだ」

【征一郎】「それ以上言うと、支倉に殴られるぞ」

【伊織】「ああ、そうだったな」

【伊織】「しかたない、他をあたるか」

【征一郎】「……」

//Switch back to Kanade//

【かなで】「はぁ~、楽しかった」

中庭に来て、ケヤキを見上げる。

夜空にはまんまるのお月様。

しんとした空気の中で、ひとり余韻に浸っていた。

……。

わたしが寮長でいられるのは、あと三ヶ月。

9月になったら、次の代の寮長にすべてを引き継ぐことになる。

それまで、わたしには何ができるのかな?

あと何回、みんなで楽しいことを共有できるのかな。

あと何回、思い出を作ることができるんだろう。

一年なんて、ほんとにあっというまだ。

来年の3月には卒業だなんて、ぜんぜんピンと来ない。

【かなで】「卒業か……」

卒業式の日は、きっと泣いてしまうかもしれない。

ひなちゃんと離れて暮らすのは寂しい。

クラスのみんなと別れるのも寂しい。

もうあんな風に、気軽にお茶会できなくなるのも悲しい。

それに。

こーへーと離れるのも──

……。

ふと、ひなちゃんの顔が頭をよぎる。

こーへーにおにぎりを渡す時の、あの幸せそうな横顔。

どこからどう見たって、恋する女の子だった。

ひなちゃんの幸せは、わたしの幸せ。

ひなちゃんを応援することが、姉の務めだ。

それに、わたしは一足お先にこの学校を離れる身。

遠い場所から見守るって決めたんだ。

あの二人のことを。

……。

それが、わたしの幸せ。

//Another view ends//

//June 9//

放課後。

監督生室では、生徒会メンバーが忙しく働いている。

俺も9月の文化祭に向けて、少しずつ準備を始めていた。

備品管理やパンフレット制作など、やることはいくらでもある。

この調子でいくと、夏休みもフル出勤となりそうな予感がして怖い。

ジリリリリリ ジリリリリリ

【白】「はい、監督生室です」

【白】「……はい、千堂ですね。少々お待ちくださいませ」

【白】「伊織先輩、樹木医の武田先生からお電話です」

【伊織】「ああ」

樹木医?

俺は作業の手を止め、会長を見た。

【伊織】「はい、お電話代わりました。千堂です」

【伊織】「いえいえ、こちらこそありがとうございます」

【伊織】「はい、診察の件ですよね」

【孝平】「?」

俺は近くにいた副会長に、小さな声で尋ねた。

【孝平】「なあ、診察って?」

【瑛里華】「うちの学院の造園業者に、樹木医の先生を紹介してもらったのよ」

樹木医とはその名の通り、樹木専門のお医者さんだ。

【孝平】「なんでまた」

【瑛里華】「ちょっとね、前から気になってる木があって」

【瑛里華】「ほら、寮の中庭にある穂坂ケヤキ」

【孝平】「……ああ」

願いが叶うとされている、あのケヤキ。

歴代の寮長たちが大切に守ってきた木だ。

【瑛里華】「しばらく様子を見てたんだけど、春になっても芽吹かなかったでしょ?」

【瑛里華】「だから、この機会にちゃんと診てもらおうって話になったの」

【孝平】「そうだったのか」

俺もここ最近、一日一回は必ずケヤキの様子を見るようにしていた。

毎日見てると、だんだん愛着が湧いてくるから不思議なものだ。

祈るような気持ちで芽吹くのを待っているのだが、なかなかその気配を見せてくれない。

【孝平】「診察してもらったら、原因とかはっきりするよな」

【瑛里華】「たぶんね」

【孝平】「そしたら、病気も治るってことだろ?」

【瑛里華】「そう願いたいわ」

【瑛里華】「寮生たちにとっても、思い入れの強い木だし」

【孝平】「だよな」

かなでさんの顔が思い浮かぶ。

専門医が来ると知ったら、かなでさんもきっと喜ぶだろう。

早くこのニュースを知らせたい。

とりあえず、この仕事をさっさと終わらせよう。

生徒会の仕事が終わり、寮に帰宅。

部屋に戻る前に、中庭に寄った。

ケヤキは相変わらず元気がない。

比較的、強くて寿命の長い木だと聞くのだが。

【陽菜】「孝平くん?」

出入口のドアから、陽菜がひょっこりと顔を出す。

【孝平】「よう」

【陽菜】「そんなところで何してるの?」

【孝平】「いや、ちょっとケヤキの様子を見に来ただけ」

陽菜もこちらに来て、ケヤキを見上げる。

【陽菜】「……やっぱり、元気ないよね」

【孝平】「うん」

【孝平】「でも、近々樹木医が来て、診察してくれるらしいぜ」

【陽菜】「そうなの?」

【孝平】「ああ」

【孝平】「ところで、かなでさんもう帰ってるか?」

【陽菜】「まだみたいだけど」

【孝平】「そっか」

あとで俺の部屋に茶でも飲みに来るだろうから、その時に報告しよう。

【陽菜】「そういえば、談話室にバーベキュー大会の写真が貼り出されてるよ」

【陽菜】「写真部の人が、希望者に焼き増ししてくれるんだって」

【孝平】「へえー」

【陽菜】「孝平くんも、けっこう写ってた」

【孝平】「ヘンな顔で?」

【陽菜】「そ、そんなことないってば。すごくいい顔してたと思うよ?」

【孝平】「ははっ、じゃああとで見てみるよ」

写真か。

そういや、俺は自分が写ってる写真というものをあまり持っていない。

思い出なんか残しても、無意味だと考えていたのだろうか。

……。

今になって、写真でもなんでも、ちゃんと形に残しておけばよかったと思う。

以前は、こんな風に考えたことなんてなかった。

この学校に来てから、俺は昔のことを少しずつ思い出そうとしている。

ろくに口も聞いたこともないクラスメイトの顔や、思い入れのない行事。

そんなものの一つひとつが、今の俺を形成してるのだ。

なかったことにしたくない。

今までも、これからも。

【孝平】「……」

【陽菜】「な、何?」

俺は陽菜の顔をまじまじと見た。

【孝平】「陽菜、背伸びたな」

【陽菜】「えっ?」

【孝平】「6年前に比べると」

【陽菜】「当たり前じゃない。伸びなかったら困るよ?」

【孝平】「そりゃそうだ」

俺は笑った。

【孝平】「今、身長何センチぐらい?」

【陽菜】「155.9センチ」

【陽菜】「……実は、あんまり伸びてないんだけどね」俺との身長差は20センチ弱といったところか。

昔は同じくらいだったような気がするのに、いつのまに差がついたんだろう。

【陽菜】「私も、あと10センチくらいは伸びたかったな」

【陽菜】「そうしたら、ジーンズやロングスカートだってかっこよく着こなせたのに」

【孝平】「そうか? 今ぐらいでもいいと思うけどな」

【陽菜】「うーん、そうかな」

そう言いながら、陽菜は俺に向かい合ってつま先立ちをした。

【陽菜】「これぐらいが理想かな?」

陽菜の目線が上がり、ぐっと顔が近づいた。

【孝平】「う、うん」

【孝平】「いやでも、やっぱ今ぐらいでいいと思うぞ」

【孝平】「もしくはヒールの高い靴履くとか」

【陽菜】「それでもいいんだけど、足がすぐに痛くなっちゃうんだよね」

【孝平】「じゃあ、今からがんばってカルシウム取るしかないな」

【孝平】「間に合うかどうかわかんないけど」

【陽菜】「……間に合わないよね、きっと」

【孝平】「間に合わないだろうな、たぶん」

陽菜はちょっと悲しそうにため息をつく。

とその時、出入口のドアがばたんと開いた。

【かなで】「こーへ……」

【かなで】「っ!」

入ってきたのは、かなでさんだった。

俺たちを見るなり、驚いたように目を見開く。

【孝平】「あ、かなでさん」

【かなで】「……あ……えと……」

【かなで】「ご、ごめんっ!」

【陽菜】「お姉ちゃんっ!?」

かなでさんは何を思ったのか、逃げるようにして中庭を出て行ってしまう。

俺と陽菜は、顔を見合わせた。

【陽菜】「ど、どうしたんだろ、お姉ちゃん」

【孝平】「さあ、わからん」

【陽菜】「……」

【孝平】「……」

しばし、見つめ合う。

俺は冷静にこの状況を分析した。

向かい合い、つま先立ちをして俺を見ている陽菜。

傍から見れば、かなり意味深なポーズにとられるかもしれない。

例えば……。

例えばだが、キスする寸前のポーズのような。

そう取られてもおかしくないような、誤解を招く体勢ではあった。

【孝平】「どうしよう」

【陽菜】「え?」

【孝平】「かなでさん、俺たちのこと誤解してるかも」

【陽菜】「えっ? ええっ?」

陽菜は慌てた様子で、俺からズザザザーッと離れる。

そんなに勢いよく離れなくても。

【陽菜】「どういうこと? どういうこと?」

【孝平】「いやまあ、その、なんだ」

【孝平】「たぶん大丈夫だろ」

【陽菜】「だ、大丈夫じゃないよ」

【陽菜】「だってお姉ちゃん、孝平くんのこと」

【陽菜】「……っ」

言いかけて、やめた。

【孝平】「え?」

【陽菜】「う……とにかく、大丈夫じゃないと思う」

【陽菜】「私、ちょっとお姉ちゃんのところに行ってくる」

【孝平】「おい、待てって」

ドアに回り込み、陽菜を制した。

【孝平】「とりあえず、ちょっと落ち着け」

【孝平】「俺が話すよ、かなでさんに」

【陽菜】「孝平くんが?」

【孝平】「ああ」

【孝平】「話して、誤解を解いてくるから」

言いながら、考える。

でも、はたして何を話せばいいのだろう?

「俺と陽菜はなんでもない」って?

だいたい、かなでさんが本当に誤解してるかどうかもわからないのに。

ここで必死になると、逆に不自然な気がしないでもない。

だけど。

【孝平】「とりあえず、話すよ」

【孝平】「話すっていうか、様子を窺ってみる」

【陽菜】「うん。わかった」

【陽菜】「がんばってね、孝平くん」

【孝平】「ああ」

がんばるって、何をがんばればいいのか謎だ。

とりあえず俺は、中庭をあとにした。

さて、どうしたものか。

ひとまず部屋に戻って考える。

携帯を取り出し、かなでさんの電話番号を表示させた。

……まではいいが、そこで躊躇した。

もしかすると、かなでさん怒ってるかもしれない。

かなでさんにとって、陽菜は大事な妹だ。

そんな妹に手を出した不届き者、イコール俺。

いや、手なんか出してないけど、とにかく怒ってる確率は限りなく高いだろう。

やっぱり、ここはなんとしてでも誤解を解いておかねば。

俺は意を決して、かなでさんに電話をかけた。

プルルルル……プルルルル……

【孝平】「あ、もしもし、孝平ですけど」

【かなで】「ただいま電話に出ることができません。ご用のある方はピーーーーッという音のあとに」

【孝平】「いや、バレてますから」

【かなで】「……」

携帯越しに、憤りが伝わってきた。

やっぱり、怒ってる。

【かなで】「何? なんか用かな?」

【孝平】「ええ、ちょっと話が」

【かなで】「ひなちゃんなら、ヨメにはやらないよ」

【かなで】「なぜなら、わたしのヨメだから!」

【孝平】「それはわかってます」

【かなで】「ほう、わかってるんだ」

【かなで】「わかってるのに手を出したのか、おのれはーっ」

【孝平】「だから~」

俺はため息をついた。

どうやら盛大に誤解されてるようだ。

【孝平】「とにかく、ちゃんと話させてくださいよ」

【孝平】「今、忙しいですか?」

【かなで】「忙しいよ」

【かなで】「今から、友達に借りてるマンガ読まなきゃいけないんだ」

【孝平】「めちゃめちゃ暇じゃないですか」

【かなで】「忙しいったら忙しいのっ」

【孝平】「そこをなんとか」

【かなで】「むぅ……」

【かなで】「じゃあ、10分だけだよ」

【かなで】「10分経ったら、カラータイマーが点滅する仕様だから」

【孝平】「はあ」

【かなで】「それじゃ、ベランダの窓開けて」

【孝平】「え?」

ブツッ

……切れた。

すると、すぐにベランダの方からガタガタと物音が聞こえてくる。

非常用はしごを使ってくるようだ。

俺は立ち上がり、窓を開けた。

【かなで】「とああああーーーっ!」

【孝平】「うわあっ!」

突然、かなでさんが俺を目がけてジャンプしてきた。

逃げるのも間に合わず、二人してベッドに倒れ込む。

【かなで】「いたたたたた」

【孝平】「お、重いっ……」

【孝平】「げほっ、げほっ」

【かなで】「ごめん! 大丈夫?」

俺の背中に乗っていたかなでさんは、転がり落ちるようにしてベッドから下りた。

【かなで】「ちょっと待って? 重いって失礼じゃない?」

【孝平】「人間が一人乗ったら、重いに決まってるじゃないですか」

【かなで】「むぅ」

納得したようなしてないような顔で、かなでさんはちょこんと床に座る。

【かなで】「で、話って?」

【孝平】「あー……」

【孝平】「さっきのことなんですけど」

【かなで】「さっき?」

【孝平】「ほら、中庭で」

【かなで】「中庭で?」

【孝平】「……」

なんて言ったらいいんだろう。

「キスなんかしてませんよ」ってのも、ちょっと露骨すぎる。

【孝平】「とにかく、何もありませんから」

【孝平】「俺と陽菜は、そういうんじゃ……」

【かなで】「別に、言い訳なんかしなくてもいいのに」

【孝平】「はい?」

かなでさんは、言葉を選んでいるようだった。

【かなで】「あのさ」

【かなで】「さっきの、ヨメにやらない! っていうのは冗談だから」

【かなで】「わたしは、ひなちゃんが幸せになってくれればそれでいいんだ」

【孝平】「……はい」

俺はうなずいた。

そりゃ俺だって、陽菜には幸せになってもらいたいと思う。

友達として。

【かなで】「だから……」

【かなで】「こーへーは、姉のわたしに遠慮なんかしなくていいんだよ」

【かなで】「ひなちゃんを幸せにしてくれるんなら、わたしは、それで……」

【かなで】「……」

【かなで】「以上!」

【孝平】「へっ?」

かなでさんは立ち上がり、ベランダへと向かった。

【かなで】「わたしからの話はそれだけ。じゃあね」

【孝平】「ちょ、ちょっと待ってください」

【かなで】「待てないよ。マンガ読まなきゃいけないんだってば」

かなでさんは、はしごに足をかけた。

俺は慌ててそのあとを追い、がしっと腕をつかむ。

【孝平】「あの、俺の話は終わってないんですけど」

【かなで】「わたしは終わったもん」

【孝平】「俺は終わってないんですって」

ぐいっ。

【かなで】「ちょっ、ちょっと」

【かなで】「わああぁっ!」

【孝平】「あっ!」

腕を引っ張った瞬間、かなでさんはバランスを崩した。

俺はなんとかその身体を受け止め、再びベッドに倒れ込む。

【孝平】「いてっ……」

【孝平】「だ、大丈夫ですか?」

【かなで】「……っ」

ベッドに仰向けになり、かなでさんは俺を見上げている。

図らずも、俺はかなでさんを組み敷くような姿勢になっていた。

一瞬だけ、時が止まる。

お互いの息があたるほどの距離。

みるみると、かなでさんの顔が赤くなっていく。

【かなで】「ぁ……」

小さく、唇が動く。

俺はなぜか身動きを取ることができなかった。

いつも元気なかなでさんの目が、やけに弱々しく震えている。

初めて見る表情に、どきっとした。

【かなで】「う……」

【かなで】「ごめんっ……!」

【孝平】「かなでさんっ」

かなでさんはするりとベッドから抜け出し、逃げるようにはしごを上っていった。

//June 10//

翌日。

いつものお茶会メンバーが俺の部屋に集合していた。

が、一番元気な人の姿がない。

【瑛里華】「ねえ、悠木先輩は?」

【陽菜】「お姉ちゃんは、用事があるって言ってたけど」

【瑛里華】「ふうん、そうなの」

【孝平】「……」

別に、かなでさんがこの場にいないことは、不自然でもなんでもないはずだ。

ただその時ヒマな人が、適当に集まってるだけのお茶会だ。

ほかのみんなは気にしてないようだが、今日はいつもより静かに感じた。

お茶会が終わったあと、部屋を出て談話室に向かった。

今日は「どすこい! 横綱刑事」の日だ。

かなでさんと一緒に観てからというもの、続きが気になって毎週追いかけてる俺。

まんまとかなでさんの思惑に乗せられた気がしないでもない。

談話室のドアを開けると、かなでさんが立っていた。

こちらに背を向けているので、まだ俺には気づいていない。

いったい、何を見ているのだろう?

【孝平】「かなでさん?」

【かなで】「っ!!」

かなでさんは、恐る恐るといった様子で振り返った。

【かなで】「あ……こーへー」

【孝平】「そんな、人を化け物みたいに」

【孝平】「?」

俺は、壁に目をやった。

たくさんの写真が貼り出されている。

写真部が撮った、バーベキュー大会のものだ。

【孝平】「写真見てたんですか?」

【かなで】「う、うん」

【孝平】「かなでさん、けっこう写ってますね」

どの写真も、かなでさんはみんなの真ん中にいる。

かなでさんを中心にして、笑顔の輪が広がっている感じだ。

寮生たちから慕われているのが、写真を通して伝わってきた。

【孝平】「今日、なんか用事あったんですか?」

【かなで】「え?」

【孝平】「いや、お茶会来なかったから」

【かなで】「あぁ、ケヤキの世話とか、いろいろあって」

【孝平】「そうなんですか」

【かなで】「うん」

……。

会話が途切れた。

なんか、いつもの雰囲気じゃない。

今日のかなでさんは元気がないように見えた。

もしかして昨日の陽菜の件、まだ引っかかってるのか?

【孝平】「かなでさん、そろそろ『横綱刑事』が始まりますよ」

【孝平】「確か先週は、野菜ソムリエ探偵との一騎打ちで終わったんですよね」

ドラマは佳境に差しかかっていた。

先週も二人で、わーわー言いながら観ていたのだ。

【かなで】「えっと……」

【かなで】「今日は、ちょっと用事があって観られないんだ」

【孝平】「えっ」

【孝平】「でも、あんなに楽しみにしてたのに」

【かなで】「うん、そうなんだけどさ」

【かなで】「あ、でも大丈夫。ちゃんと録画してるから」

【かなで】「というわけで、ごめんね」

そう言って、かなでさんは足早に談話室を出て行ってしまった。

【孝平】「……なんだよ」

つい、ひとりごちる。

かなでさんは用事があるのだから、しかたがない。

わかってはいるのだがモヤモヤしてしまう。

【孝平】「ふぅ」

俺はソファーに座ってテレビをつけた。

別にドラマなんて、部屋で観ればいい。

でも俺は、談話室に来た。

理由は一つ。

かなでさんと一緒に観た方が楽しいからだ。

二人であーだこーだ突っ込みながら観ることに、意味があるのだ。

でも、どうやらそう思っていたのは俺だけだったらしい。

……なんて、これじゃただの駄々っ子みたいだ。

俺はテレビを消して、立ち上がる。

【孝平】「……」

ふと、バーベキュー大会の写真の前で足が止まった。

得意げにステーキを焼いている会長。

仲良く野菜を切っている白ちゃんと副会長。

真剣な顔で火を起こす東儀先輩。

その隣で、前髪を焦がして慌てる司。

おにぎりを握っている陽菜。

……。

肉を焼いているかなでさんと、その隣に立つ俺。

写真の中の俺は、馬鹿みたいに楽しそうだ。

こんなに笑ってる俺の写真って、けっこうレアかもしれない。

俺はしばらくその写真を眺めてから、談話室を出た。