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//June 18//

昼休み。

学食に行こうとすると、陽菜が俺を呼び止めた。

【陽菜】「孝平くん、ちょっと話があるんだけどいいかな?」

【孝平】「話?」

【陽菜】「うん。すぐ済むから」

みんなの前では話しづらい内容のようだ。

俺はうなずいて、陽菜と一緒に教室を出た。

売店に寄ってパンを買い込んでから、公園にやって来た。

野外ランチを楽しんでいるグループがちらほらと目につく。

【陽菜】「ごめんね、急に」

【孝平】「俺は構わないよ」

【孝平】「たまには外で食べるのもいいもんだ」

俺たちは、池から少し離れたベンチに腰を下ろした。

今朝雨が降ったせいか、少し蒸し暑い。

しばらく世間話をしながら昼食を取っていたが、やがて陽菜は本題に入った。

【陽菜】「ねえ、最近お姉ちゃんとしゃべってる?」

【孝平】「……ああ」

やはり、かなでさんの話だ。

陽菜も気になっていたのだろうか。

【孝平】「まあ、しゃべることはしゃべるけど」

ただし、本当に最低限の会話だけだ。

朝の挨拶とか、夜の挨拶とか、それぐらい。

お茶会には参加するけど、顔を出すだけですぐに帰ってしまう。

最初は気のせいかと思っていたが、やはり気のせいではなかったのか。

【孝平】「陽菜から見て、かなでさんの様子はどう?」

【孝平】「元気がなさそうとか、悩んでる様子とか」

【陽菜】「うーん……」

【陽菜】「私には、わりと普通に見えるけど」

【孝平】「そっか」

ということは。

やはり、俺だけ避けられているのだろう。

あまり認めたくなかったけど、そう認めざるを得ない。

心あたりがあるとすれば。

陽菜と二人で中庭にいるところを見られたあの日。

あの日を境に、かなでさんの俺に対する態度が変化したように思う。

もちろん、あからさまに無視するようなことはしない。

それでも、今までと決定的に何かが違うのだ。

【孝平】「かなでさん、やっぱりまだ怒ってるのかな」

【陽菜】「怒る? ……孝平くんに?」

【陽菜】「お姉ちゃんは、何かを根に持つようなタイプじゃないよ?」

【孝平】「だよな」

かなでさんの性格は、多少なりともわかっているつもりだ。

あの人は怒りをため込んで、ねちねちと嫌味な態度を取るような人じゃない。

さっぱりとしていて、どちらかというと切り替えの早い性格だ。

じゃあ、なぜ俺と今までみたいに接してくれないんだろう?

……。

わからない。

嫌われたのならしかたないけど、はっきりとした理由がほしい。

【孝平】「悪いな、なんか気を遣わせちゃって」

【陽菜】「ううん」

【陽菜】「でももしかしたら、私にも理由があるのかなって……」

【孝平】「え?」

陽菜は言葉を切った。

その横顔からは、真意はくみ取れない。

【陽菜】「……私ね」

【陽菜】「誰よりも、お姉ちゃんに幸せになってもらいたいの」

【陽菜】「お姉ちゃんの幸せが、私の幸せなの」

【かなで】「わたしは、ひなちゃんが幸せになってくれればそれでいいんだ」

【かなで】「ひなちゃんを幸せにしてくれるんなら、わたしは、それで……」

かなでさんも陽菜と同じことを言ってた。

陽菜の真摯なまなざしに、姉妹の絆を感じる。

【陽菜】「もし、私のせいでお姉ちゃんが悲しむようなことがあったら……」

【孝平】「陽菜のせい?」

【孝平】「陽菜は何もしてないのに、なんでかなでさんが悲しむんだよ」

【陽菜】「……」

陽菜は答えに困っているようだった。

何か心当たりがあるのだろうか?

【孝平】「とにかくさ、様子を見てもう一度かなでさんと話してみるよ」

【孝平】「ひょっとしたら、単に機嫌が悪かっただけかもしれないしさ」

かなでさんに限ってそんなことはないと思うが、とりあえず言った。

【孝平】「あんまり心配するなって。な?」

【陽菜】「うん」

【陽菜】「ありがとう、孝平くん」

陽菜は視線を落としたまま、笑った。

【伊織】「なーんか湿っぽいんだよなあ」

下敷きでぱたぱたと自分を扇ぎながら、会長はぼやく。

【孝平】「それ、誰に言ってるんですか?」

【伊織】「気候だよ気候」

【伊織】「やだねえ、梅雨ってさ。気分も滅入るよ」

放課後。

監督生室には会長と副会長がいた。

また雨が降るのか、室内の湿度は極めて高い。

今ひとつ仕事に集中できないのは、この気候のせいだったのかもしれない。

【伊織】「じゃんっ。見てこれ」

パソコンのディスプレイが、会長の取り出した写真で遮られる。

【伊織】「なかなかよく写ってると思わないか?」

バーベキュー大会の時の写真だ。

女子たちに囲まれ、得意げに肉を焼いている会長の姿。

そんなに嬉しかったのだろうか。

【瑛里華】「見せびらかしてどうしたいわけ?」

【伊織】「見せびらかしちゃいけない理由なんてないだろ?」

【孝平】「ええと、いい写真だと思いますよ」

【伊織】「やっぱりそう思うか。じゃあ特別に、支倉君にもあげよう」

胸ポケットに差し込まれた。

今更いらないなんて言えない。

【伊織】「いやあ、楽しかったね。バーベキュー大会」

【孝平】「はあ」

【伊織】「またやろうって、悠木姉に言っといてくれよ」

【孝平】「……はあ」

確かに、バーベキュー大会は楽しかった。

低予算であそこまで充実した内容にできたのも、かなでさんの努力と人徳によるものだろう。

都合が悪くて参加できなかった生徒たちからの、リクエストの声も多いと聞く。

【孝平】「楽しかったですよね、本当に」

しみじみとつぶやいた。

あの時は、まだかなでさんと普通に会話できてたんだよな、と思う。

ひどく昔の出来事のように錯覚した。

【伊織】「この写真もあげるよ」

会長はもう一枚、俺に写真を差し出した。

それは、かなでさんと俺が一緒に肉を焼いている写真だった。

【孝平】「これ、どうしたんですか?」

【伊織】「写真部の人に、間違って焼き増し頼んじゃったんだ」

【伊織】「俺が持っててもしかたないから、進呈しよう」

【孝平】「……」

じっと写真を見る。

【伊織】「あれ? いらないのか?」

【伊織】「だったら俺が持っていてもいいんだけど」

会長は、俺からさっと写真を取り上げた。

【伊織】「悠木姉ってさ、なかなかいいよね」

【伊織】「……いろんな意味で」

会長の牙がきらりと光る。

俺は反射的に立ち上がり、会長から写真を奪った。

【孝平】「ありがたく進呈されます」

【伊織】「ははっ、欲しいなら欲しいって素直に言えばいいのに」

ドゴッ!

【伊織】「ぐあっ!」

【瑛里華】「いいから仕事に戻るっ」

極厚の辞書を片手に、副会長が眉をつり上げた。

角は、痛いだろ。

仕事が終わり、監督生室から寮へと向かう。

並木道は夕暮れ色に染まり、木々が長い影を作っていた。

【孝平】「?」

ひとけのない道の前方に、不審な物体を発見する。

茶色のでっぷりとしたそれは、明らかに人間ではない。

……タヌキ?

タヌキが二足歩行している!

俺は慌てて、その世にも珍しい動物に駆け寄った。

【タヌキ】「う……うぅっ……」

【孝平】「……」

【かなで】「重っ……」

【かなで】「……」

タヌキの正体は、かなでさんだった。

正確に言うと、バカでかいタヌキの置物を運んでいるかなでさん。

信楽タヌキと呼ばれる、酔っ払いの茶色いアレだ。

【孝平】「……なんの修行ですか?」

【かなで】「ひゃっ!」

俺に気づくと、かなでさんの表情がこわばった。

が、すぐに笑顔を作る。

【かなで】「あ、こーへー、今帰り?」

【孝平】「はい」

【孝平】「で、なんなんですか? それ」

【かなで】「うん、これね、用務員のおじさんにもらったの」

【かなで】「寮のイメージキャラクターにどうかなと思って」

いったいどんなイメージなんだ、白鳳寮は。

どちらかというと居酒屋チックになると思う。

【孝平】「それ、持ちますよ」

【かなで】「え?」

【かなで】「あっ、いいよいいよ。すごく重いから」

【孝平】「だから俺が持つんじゃないですか」

俺は、タヌキを抱いてぐいっと引っ張った。

しかし、かなでさんはなかなか手放してくれない。

【かなで】「ほんとにいいって!」

【孝平】「よくないですから」

【かなで】「いいんだってば!」

【孝平】「駄目です」

男の力にかなうはずもなく、タヌキ奪取に成功。

【孝平】「ぐうっ……」

これは、想像以上の重さだ。

腰にきた。

【孝平】「よくこんなの、ここまで運んでこられましたね」

【かなで】「……うん」

【孝平】「こんなの運んで転んだら、洒落になんないですよ」

【孝平】「かなでさん、ただでさえ小さいんだし」

【かなで】「……」

いつもならここで、かなでさんの鋭いツッコミが入るはずだ。

「こらー! 誰がコロボックルだってーっ?」

とかなんとか、そういうやりとりを期待していた。

しかし、かなでさんは居心地が悪そうにうつむくだけだ。

まるで張り合いがない。

……。

しばし、無言のまま歩く。

もちろんタヌキも黙ったままだ。

空気を読んで、冗談の一つでも披露してくれればいいのに。

【かなで】「どうもありがとう」

【孝平】「どういたしまして」

なんとかタヌキをかなでさんの部屋に運び込んだ。

死ぬほど重かったが、余裕の表情をキープする俺。

【かなで】「これ、お礼」

コーラの缶を渡された。

【かなで】「あとこれも」

「石狩ラーメン」と書かれたカップラーメン。

【孝平】「いいんですか、もらっちゃって」

【かなで】「うん。まあ大したものじゃないけどね」

【孝平】「……かなでさん」

【かなで】「え?」

俺は、かなでさんをじっと見た。

案の定、すぐに目を逸らされる。

【孝平】「最近忙しいんですか?」

【孝平】「お茶会でもあんまり見ないですけど」

【かなで】「えーっと、まあ、うん」

目が泳いでる。

【かなで】「ほら、わたし一応受験生でしょ?」

【かなで】「それに風紀委員の仕事もあるし、なにげに多忙なんだよ」

【かなで】「だからさ、お茶会は若い人たちで楽しんでよ。ね?」

【かなで】「あーもちろん、たまには顔出すけど」

一気にしゃべった。

まるで、自分に言い聞かせるみたいに。

【孝平】「そうなんですか」

【孝平】「忙しいなら、しかたないですよね」

【かなで】「うん、ごめんね」

【かなで】「逆に、わたしからお願いがあるんだけど」

【孝平】「え?」

【かなで】「わたしが忙しくなると、ひなちゃん寂しがっちゃうからさ」

【かなで】「だから、そのぶんこーへーが構ってあげてほしいんだ」

【孝平】「……」

どう返事をしていいのかわからない。

陽菜は友達だから、普通に会うし普通に話す。

そこに義務は発生しない。

友達って、そういうものだと思うからだ。

かなでさんだって、ただの希望として言ってるだけであって、強要してるわけじゃない。

なのに、なぜ違和感を覚えるのか。

俺は。

俺は、かなでさんに、そんなことを言ってほしいんじゃなくて──

【かなで】「じゃあ、今日は本当にありがとね」

【かなで】「おやすみ~」

【孝平】「おやすみなさい」

ばたんとドアが閉まる。

……。

…………。

帰ろうとして、やっぱり足を止めた。

五秒考えてから、かなでさんの部屋のドアをノックする。

【かなで】「は~い」

【かなで】「……あれ? どしたの?」

【孝平】「かなでさん、俺のこと避けてません?」

単刀直入に、言った。

これ以上、思い悩むのはうんざりだ。

【かなで】「え……?」

【孝平】「俺のこと、気にくわないならはっきり言ってください」

【孝平】「マジで、遠慮とかしなくていいですから」

【かなで】「さ、避けてなんか、ないよ」

【孝平】「

嘘だ」

【孝平】「かなでさんは嘘が下手すぎる」

【かなで】「なっ」

真っ赤になった。

【かなで】「嘘なんかついてないもん」

【かなで】「それに、気にくわないところなんてないっ」

【孝平】「じゃあなんで避けるんですか?」

【かなで】「だから……避けてないってば」

【孝平】「本当に?」

【かなで】「……っ」

かなでさんは言葉を詰まらせた。

「避けてない」と言われて、やっぱり避けられていたことを悟った。

かなでさんは嘘が下手だ。

だったらいっそのこと、完全に無視されてた方がよかった。

「こーへーなんか大嫌い」と言ってもらった方が、どれだけよかったことか。

こんな風に、少しずつフェイドアウトされるくらいなら。

無性に悲しくなる。

なんでこんなことになってんだろう。

【孝平】「かなでさん」

【孝平】「俺、なんかつまんないみたいなんですけど」

【かなで】「えっ?」

【孝平】「『横綱刑事』ですよ」

【孝平】「一人で観たって、ぜんぜん盛り上がらないんです。なんとかしてください」

自分でもよくわからないことを口走っている。

だが、止められない。

【かなで】「な、なんとかって言われたって困るよ」

【孝平】「かなでさんの解説とツッコミがなきゃ、つまんないんですよ」

【かなで】「し、知らない、そんなの」

【かなで】「そうだ、ツッコミ役ならへーじに頼みなよ。毎週観てるんだから」

【孝平】「あいつに? ツッコミ役を?」

どう考えても無理だと思う。

そんなマメなことを、かなでさん以外の誰がしてくれるものか。

【かなで】「とにかく、わたしはもうドラマなんか観ないの」

【孝平】「なんでですか」

【かなで】「受験生なんだってば!」

【孝平】「そういうことじゃないでしょうっ?」

【かなで】「……ぁ」

【孝平】「あ……」

ふと気づくと、周囲がざわついていた。

部屋着姿の女子たちが、俺たちを遠巻きに見ている。

【女子生徒A】「あれ? 5年生の子じゃない?」

【女子生徒B】「生徒会の男の子だよね?」

主に6年の先輩方が、からかうような、微笑ましいような視線を投げかける。

かなりいたたまれない。

たまに「年上キラー」なんて単語も耳に入ってくる。

【かなで】「ちょ、ちょっとみんなっ」

【かなで】「なんでもないから! ほら、解散!」

ざわめきは収まらない。

みんなだんだん、子供の成長を見守るような目になってきている。

【女子生徒A】「がんばれ~」

【女子生徒B】「応援してるぞ~」

……何を?

【陽菜】「孝平くん?」

【孝平】「あ、陽菜」

【かなで】「!!」

騒ぎに気づいたのか、いつのまにか陽菜が来ていた。

【陽菜】「ど、どうしたの?」

【孝平】「いや、それが実は……」

【かなで】「なんでもない! ほんとに、なんでもないの!」

【陽菜】「あっ」

かなでさんは陽菜の腕をつかみ、部屋の中に引き入れた。

【かなで】「おやすみ!」

ものすごい勢いでドアが閉まった。

【孝平】「……」

周囲の人々が、ぞろぞろと部屋に戻っていく。

いったい、なんなんだ?

不完全燃焼の気持ちを抱えたまま、俺はドアを見上げていた。

//Another view : Kanade//

【陽菜】「お姉ちゃん……」

【かなで】「あは、ごめんね、うるさくしちゃって」

反射的に、ひなちゃんを部屋に引き入れた。

まさかあんな騒ぎになると思わなかったから。

どうしよう。

みんなに誤解されたら困る。

ヘンな風に取られなきゃいいけど。

特に、ひなちゃんには。

【かなで】「こーへーに荷物持ってきてもらってさ」

【かなで】「ほら、そこのタヌキ。かわいいでしょ?」

【陽菜】「タヌキ?」

【陽菜】「……わぁっ!」

すぐ隣に立っていたタヌキに気づき、ひなちゃんは飛びのいた。

【陽菜】「な、何これ?」

【かなで】「いいでしょ。もらってきたんだ」

【陽菜】「もらってきたって……」

【陽菜】「大丈夫? 床抜けないかな?」

【かなで】「だいじょうぶだいじょうぶ」

【かなで】「床が抜けたって、どうせ下は」

……こーへーだった。

【陽菜】「抜けたら、困るでしょ?」

ひなちゃんはじっとわたしを見る。

痛いくらい、見る。

耐えきれずに目を逸らした。

【陽菜】「お姉ちゃん、最近ヘンじゃない?」

【陽菜】「お茶会にもあんまり来ないし」

【かなで】「今はちょっと忙しい時期なだけ」

【陽菜】「本当に?」

こーへーと同じ目で詰め寄られる。

【陽菜】「お姉ちゃん、孝平くんのこと避けてる」

【かなで】「ええっ、わたしが?」

【かなで】「あはは、そんなわけないって!」

【陽菜】「嘘つかないで、お姉ちゃん」

【陽菜】「わかるよ、私には……」

【かなで】「……」

ひなちゃんが、真面目に話をしようとしている。

わたしの本心を読み取ろうとしている。

それがわかったから、目を見ることができなかった。

【陽菜】「お姉ちゃん、私ね」

【陽菜】「お姉ちゃんには幸せになってもらいたいの」

【陽菜】「だからそのために、私に遠慮することなんて……」

【かなで】「やだな、遠慮なんかしてないってば~」

【陽菜】「じゃあどうして、お姉ちゃんはつらそうなの?」

【陽菜】「ほかのみんなは気づかなくても、私にはわかるんだよ?」

【陽菜】「お姉ちゃん、本当は孝平くんのこと……」

【かなで】「違うからっ」

思わず、大きな声を出してしまう。

自分の声の大きさに、自分が一番びっくりしてる。

【陽菜】「お姉ちゃん……」

【かなで】「ほんとに、違うから」

それだけは、認められない。

認めたらダメだ。

わたしの努力が水の泡になってしまう。

これ以上、こーへーに近づいたら。

これ以上、こーへーと仲良くしたら。

これ以上、こーへーのことを考えたら……。

……。

絶対に、好きになる。

こーへーのことを思わずにはいられなくなる。

それだけは、なんとしてでも阻止しなくちゃいけない。

だって。

ひなちゃんも、こーへーのことを──

【かなで】「あっ、もうこんな時間だ!」

【かなで】「わたし、そろそろお風呂に入ってくるね」

【陽菜】「……うん」

【かなで】「それじゃっ」

適当にタオルや着替えをかき集め、逃げるようにして部屋を出た。

わたし、何やってるんだろう。

だけど今は、ひなちゃんの顔をちゃんと見ることができない。

ひなちゃんを、裏切ってるような気分になる。

裏切る?

どうして?

……。

もう、こんな自分は嫌だ。

//Another view ends//

//June 24//

【瑛里華】「はぁ……最近、じめじめしてるわよね」

【瑛里華】「この雨、いつまで続くのかしら?」

お茶会タイムで、副会長がぽつりとつぶやく。

ここ数日ずっと雨が続いている。

梅雨真っ最中なのでしかたないといえばしかたない。

【瑛里華】「ぱきっと晴れたら、海とか行きたくない?」

【陽菜】「行きたい行きたい」

【白】「いいですね」

【司】「ああ」

俺もうなずいた。

海か。悪くない提案だ。

青い空と青い海のコンボで、きっと気分も上向くことだろう。

【瑛里華】「じゃあ、悠木先輩も……」

【瑛里華】「誘いたいけど、忙しいかしら?」

【陽菜】「う、うん。どうかな」

【瑛里華】「大変よね、寮長と風紀委員の仕事を掛け持ちしてるんだもの」

【瑛里華】「それに受験生だし」

【陽菜】「うん……」

【瑛里華】「じゃあ、期末テストが終わったら日にちを決めましょう」

【孝平】「そうだな」

7月に入ったらすぐに期末テストだ。

テストが終われば夏休みまであと少し。

早いもんだな、と思う。

もう何年もここで暮らしているような気分になる時がある。

……。

ここ1週間ほど、かなでさんの姿を見ていない。

以前は短時間でも顔を出してくれたのに、それすらもなくなってしまった。

事実、忙しいんだろう。

みんなもそう思ってる。

俺も、そう思いたかった。

お茶会終了後、一人で談話室へと歩き出す。

廊下の窓の外を見ると、雨はだいぶ小降りになっていた。

この分なら明日は晴れるかもしれない。

【孝平】「……」

中庭に、かなでさんがいた。

傘も差さずにケヤキを見上げている。

何をしているんだ?

小降りとはいえ、あんなところにいたら風邪をひいてしまう。

……。

十メートルほど歩いて、立ち止まる。

ここで声をかける理由もないが、通り過ぎる理由もなかった。

【孝平】「かなでさん」

【かなで】「ひゃっ」

中庭に入ってきた俺を見て、かなでさんはたいそう驚いた。

髪も肩も濡れている。

かなりの時間、ここにいたんじゃないだろうか。

【孝平】「雨だってのに、何してんですか?」

【かなで】「な、何もしてないよ?」

【かなで】「最近雨がずっと続いてたから、ケヤキの様子が気になって見に来ただけ」

【孝平】「だったら、傘ぐらい差してくださいよ」

【かなで】「ごめん……降ってたこと、気づかなかった」

そう言って、ふいと目を逸らす。

気まずそうな表情。

俺には、そう見えた。

……。

やっぱり、もう駄目なのかな、と思う。

俺がこうやって話しかけること自体、かなでさんにとっては迷惑なのかもしれない。

なんでこんなことになったのかよくわからないけど。

これ以上しつこくして、かなでさんに嫌われるのはいやだ。

かなでさんに嫌われるのは……。

かなり、こたえる。

自分が思っていた以上に、つらいかもしれない。

困惑しているかなでさんを見て、そう痛感した。

同時に、ひとつだけわかったことがある。

俺が、どれだけかなでさんとの時間を大切にしていたか。

どれだけ元気づけられていたか。

どれだけ励まされていたか。

そういったすべてのものを、どれだけ愛おしく思っていたか。

……今になって気づいてしまった。

気づかなければよかったのに。

【孝平】「かなでさん」

【かなで】「え?」

【孝平】「さっきみんなで、テストが終わったら海に行こうって話してたんです」

【かなで】「そ、そうなの?」

【かなで】「でも、わたしは……」

【孝平】「俺、忙しくて行けないんですよ」

かなでさんの言葉を遮った。

【孝平】「7月になると文化祭の仕事とか入ってきて、バタバタしちゃうんで」

嘘ではない。

【孝平】「うちの会長、人使い荒くって大変ですよ」

でも、まったく休みが取れないほどではなかった。

【孝平】「だから、俺のぶんまで楽しんできてください」

これは本心だ。

俺がいることでかなでさんが遠慮してしまうのは、よくないことだ。

お茶会メンバーにとっても、かなでさんの存在は大きい。

みんなから、かなでさんを遠ざけてしまうことはできない。

【かなで】「こーへー……」

【孝平】「たまには、みんなに元気な顔見せてあげてくださいよ」

【孝平】「かなでさんいないと、やっぱなんか寂しいですって」

【孝平】「俺、これからあんまりお茶会に顔出せなくなっちゃうんで、頼みます。マジで」

【かなで】「え……なんで?」

【孝平】「いやほら、生徒会の仕事が9月ぐらいまでギッチリなんです」

【孝平】「というわけで、約束ですからね」

俺はなるべく明るい口調で言った。

たぶん、いい笑顔ができたと思う。

作り笑いは得意な方だ。

これまでの転校人生が、俺にさまざまな処世術を身につけさせた。

【かなで】「……」

なのに。

なぜかかなでさんは、下唇を噛み締めてうつむいてしまう。

【孝平】「かなでさん?」

【かなで】「……ごめん」

【孝平】「え?」

【かなで】「ごめん」

はっきりと、そう言った。

【かなで】「わたし……こーへーに気を遣わせてるよね」

【かなで】「ひどいよね、こんなの」

雨のしずくが、かなでさんの頬を伝う。

そのしずくを指でぬぐってあげたかった。

でも、できなかった。

【孝平】「俺、別に気なんか遣ってないですけど」

かなりしらじらしい。

だけど、ほかになんて言えばいいかわからない。

沈黙が下りる。

かなでさんはいつも明るくて元気なのに。

その笑顔を、俺が奪っているのだろうか?

【かなで】「こーへー、ぜんぜん悪くないんだ」

【かなで】「こーへーのことが嫌いで、避けてるわけじゃないの」

【孝平】「じゃあ、どうして」

【かなで】「……それは」

再び沈黙。

俺は少なからず混乱した。

嫌いじゃないのに、避ける理由なんかあるのか?

【孝平】「かなでさんは、俺のこと嫌いじゃないんですよね?」

【かなで】「う……ん」

【孝平】「頼むから、嘘つかないでください」

【かなで】「嘘じゃないっ」

【かなで】「わたしは、こーへーのことが」

【かなで】「……っ」

【孝平】「え……?」

かなでさんの顔が真っ赤になる。

【かなで】「なんでもない!」

【かなで】「じゃっ!」

【孝平】「あっ、ちょっと待っ……」

出入口へと走り出すかなでさん。

俺は条件反射で、逃れていくその腕をつかんだ。

そして、そのまま引き寄せて──

【かなで】「あ……っ!」

──かなでさんを、抱きしめた。

【孝平】「……」

自分の行動に、自分が一番驚いている。

俺の腕の中には、かなでさんの小さな身体があって。

かなでさんもこれ以上ないほどびっくりしていて。

でも、抱きしめる力をゆるめることができなくて。

身動きできないまま、二人でその場に立ちつくしていた。

【かなで】「……」

うわ。

俺、何やってんだ。

そんなつもりじゃなかった。

じゃあ、どんなつもりだったんだ?

かなでさんを引き留めたかった。

かなでさんの気持ちを知りたかった。

それで……。

やっぱり、抱きしめたかったんだと思う。

抱きしめて、安心したかったんだ。

俺自身が。

【かなで】「こーへー?」

【かなで】「な、何してるの?」

【孝平】「何って……」

【孝平】「好きだから、抱きしめてるんですよ」

【かなで】「は!?」

驚愕、といった面持ちで俺を見上げた。

【孝平】「好きだから、抱きしめてるんです」

【孝平】「すみません」

ひとまず謝った。

【かなで】「す……き?」

【かなで】「う、嘘だよ」

【かなで】「だって、こーへーはひなちゃんが」

【孝平】「陽菜は、すごくいいヤツです」

【孝平】「友達として、大切に思ってます」

素直に言った。

陽菜は、俺にとってある意味恩人であり、特別な人だ。

とても大切な友達だ。

その気持ちと、かなでさんに対する気持ちは違う。

かなでさんもいい人で、いい先輩でいい友達だ。

でも、俺にとってはそれだけじゃないんだ。

【かなで】「……だ」

【かなで】「ダメだよ」

【孝平】「どうしてですか?」

【孝平】「俺は、かなでさんのことが」

【かなで】「言わないで!」

【かなで】「とにかく、ダメったらダメなの!」

かなでさんは小柄な身体を活かし、するりと俺の拘束から逃れた。

【孝平】「かなでさん!」

ばたんっ

まるで俺を拒絶するかのように、勢いよくドアが閉まる。

【孝平】「かなでさん……」

あとに残されたのは、俺と傘だけ。

そして、かなでさんの冷えた身体の感触が残っている。

……。

「ダメだ」と言われた。

これは、フラれたということか?

そういうことだよな。

やっぱり。

【孝平】「はぁ……」

ため息をつき、しばらくぼんやりとしていた。

すると、出入口のドアが開いて誰かが入ってくる。

【陽菜】「……孝平くん」

【孝平】「陽菜?」

笑っているような、泣き出しそうな。

なんともわかりづらい表情だった。

【孝平】「どうした?」

陽菜は何も言わない。

不思議に思って、尋ねた。

【孝平】「もしかして、見てた……?」

【陽菜】「……うん」

【孝平】「うわあ」

俺は頭を抱えた。

恥ずかしすぎる。

いろいろなことが。

【陽菜】「ごめんね。廊下の窓、開いてたから」

【陽菜】「孝平くんの声が聞こえて、それで……」

【孝平】「いや、いい。俺が悪い」

【孝平】「場所とか状況とか、いろいろとわきまえてなかった俺が悪い」

【陽菜】「そんなことないよ」

陽菜はきっぱりと言った。

【陽菜】「私、よかったと思って」

【陽菜】「孝平くんの本当の気持ち、知ることができて」

【孝平】「え?」

【陽菜】「孝平くん、お姉ちゃんのこと好きなんだよね?」

陽菜はまっすぐに俺を見た。

いまさら、隠すことはできない。

【孝平】「うん」

【孝平】「俺、かなでさんのことが好きみたいだ」

【陽菜】「そっか」

【孝平】「でも、フラれたけど」

【陽菜】「……え?」

陽菜は怪訝そうな顔になった。

【陽菜】「フラれてないよ」

【陽菜】「そんなわけないもん」

なぐさめてくれているのだろうか?

【孝平】「でもなあ……」

【陽菜】「お姉ちゃんも、孝平くんのこと……好きだよ」

確信を持った口調で、陽菜は言った。

さも当然の事実とでも言うように。

【陽菜】「私、知ってるの」

【陽菜】「お姉ちゃんが孝平くんのこと、好きってこと」

念を押すように言う。

俺は首を傾げた。

【孝平】「そりゃどうかな」

【孝平】「俺、どっちかっていうと今まで避けられてたんだけど」

【陽菜】「それはね、避けてたんじゃなくて……」

【陽菜】「お姉ちゃんが、私に遠慮してたんだと思うんだ」

【孝平】「遠慮?」

【陽菜】「そう」

【陽菜】「お姉ちゃんって、その……私がね、孝平くんのこと好きだって思い込んでて」

【陽菜】「だから、自分が身を引こうとしたんだと思う」

俺はさらに首を傾げた。

いつかここで、俺と陽菜が一緒にいるところをかなでさんに見られた。

あの時のこと、やっぱり誤解したままだったのか?

【孝平】「でも、そうは言ってもさ」

【孝平】「身を引くってのは、やっぱちょっと考えづらいよ」

【陽菜】「私がこんなこと言っても、ピンと来ないよね」

【陽菜】「じゃあ、最後の切り札」

【孝平】「?」

陽菜はいたずらっぽく微笑んだ。

【陽菜】「談話室に貼り出されてたバーベキューの写真、見た?」

【孝平】「ああ、見たけど」

写真部の人が撮ったスナップ写真。

俺も会長から、なぜか二枚もらったのだった。

女子たちに囲まれて肉を焼いている会長の写真。

それと、俺とかなでさんが二人して楽しそうに笑ってる写真。

【陽菜】「お姉ちゃん、すごく大事に持ってるんだよ」

【陽菜】「孝平くんと二人で写ってる写真」

【孝平】「……」

なんで?

一瞬、意味がよくわからなかった。

なんでかなでさんが、俺と写ってる写真を大切に持ってるんだ?

【孝平】「……それは、あれだろ」

【孝平】「単に自分が写ってるからだろ?」

【陽菜】「単に自分が写ってる写真を、写真立てに入れてベッドの下に隠したりしないでしょ?」

俺は黙った。

確かに、しないかもしれない。

あまりかなでさんらしいとは言えない行動だ。

うまく考えがまとまらない。

どうしたらいいのかよくわからない。

【陽菜】「私ね」

【陽菜】「子供の頃、病気で入院してたことがあるんだ」

陽菜は突然そんなことを話し始めた。

【孝平】「病気って……初耳だな」

【陽菜】「昔の話だし、そんなに大した病気でもなかったんだけどね」

【陽菜】「でも、しばらく入院生活が続いて、親がずっとつきっきりで看病してくれてたの」

懐かしそうに目を細める。

どことなく、寂しそうなまなざしにも見えた。

【陽菜】「私、お姉ちゃんがずっと羨ましかった」

【陽菜】「元気で、自由で、好きなことができるお姉ちゃんが」

【陽菜】「……もっと正直に言うと、憎んでた」

陽菜の口から、およそ陽菜らしくない単語が出た。

ちょっと、いや、かなり驚く。

「憎んでた」なんて、この姉妹にはもっとも縁遠い言葉に思える。

【陽菜】「私はその頃、ほとんど学校に行けなかったの」

【陽菜】「だから不公平だと思ってた。私ばっかり不幸だって、そう思って……」

【陽菜】「ある時ね、お姉ちゃんとケンカしたの」

【孝平】「陽菜とかなでさんが、ケンカ?」

【陽菜】「うん。お互い言いたいことぶつけあった」

【陽菜】「それからかな。わだかまりが消えたのは」

【陽菜】「なんでも言い合える、友達みたいな姉妹になれたんだ」

【陽菜】「……でも」

そこで言葉を切った。

しばらく、つぎの言葉を探している。

【陽菜】「仲はいいけど、なんでも言い合えるっていうのは違ったみたい」

【陽菜】「今、そう思った」

【陽菜】「あのケンカ以来、お姉ちゃんずっと私に遠慮し続けてきたんだよ」

【陽菜】「病気がちだった私に遠慮して、いろんなこと我慢して」

【陽菜】「……好きな人まで、譲ろうとして」

好きな人。

陽菜はそう言うけど、やっぱり俺にはピンと来ない。

【陽菜】「私、お姉ちゃんにひどいことしてきた」

【陽菜】「お姉ちゃんにいろんなこと我慢させたり、諦めさせたりしてきたんだよ」

【陽菜】「……そういうこと、ぜんぜんわかろうとしなかった」

【孝平】「陽菜……」

俺は、陽菜になんて声をかけていいのかわからなかった。

でも、少なくとも「ぜんぜんわかろうとしなかった」っていうのは違うと思う。

なんとなく、そう思った。

【陽菜】「ごめんね、孝平くん」

【陽菜】「お姉ちゃんが素直に自分の気持ちを認められないのは、私のせいなの」

【陽菜】「だから、孝平くんは、お姉ちゃんと……」

【孝平】「俺のことはいいんだって」

陽菜の言葉を遮った。

そう。俺のことはいい。

今は俺のことなんて問題じゃない。

【孝平】「あのさ」

【陽菜】「え?」

【孝平】「俺には、こんなこと言う権利ないかもしれないけど」

【孝平】「陽菜が『私のせい』って思っちゃうのは、かなでさんの本意じゃないと思うぞ」

姉妹の事情について、俺は詳しいことはよくわからない。

でも、陽菜が自分を追い詰めるような真似は、かなでさんの望むところじゃない。

それだけは確かなはずだ。

【孝平】「陽菜がそんなこと思ってるなんて知ったら、たぶんかなでさん悲しむと思う」

【孝平】「そうじゃないか?」

陽菜は、かなでさんにいろんなこと我慢してほしくない。

……でもかなでさんは、自分が我慢することで陽菜が幸せになると思ってる。

それじゃ、わだかまりが消えたとは言えない。

第三者として見るなら、そういうことになる。

【陽菜】「そう……なのかな」

俺はうなずいた。

【陽菜】「私たち、まだちゃんと仲直りしてないんだよね、きっと」

【孝平】「たぶんな」

【孝平】「陽菜は、ちゃんと仲直りしたいと思うんだろ?」

【陽菜】「もちろんだよ。私、お姉ちゃんには好きなように生きてほしいの」

【陽菜】「だから……ちゃんと話さなきゃダメだよね」

【陽菜】「お姉ちゃんと、孝平くんのためにも」

【孝平】「違う違う」

俺は首を振った。

【孝平】「俺じゃなく、陽菜とかなでさんのためだ」

もし陽菜が、かなでさんに距離を感じているなら。

できることなら、距離を縮めてほしい。

俺だけでなく、きっとお茶会メンバーも同じことを思うだろう。

俺たちはみんな、陽菜もかなでさんも大好きなのだ。

みんな、姉妹が仲よくしているのを見るのが好きだった。

【陽菜】「……わかった」

【陽菜】「ちゃんと話してみる。私とお姉ちゃんのために」

陽菜は、力強くそう言った。

//Another view : Kanade//

【かなで】「……ふぅ」

テレビを観ても、音楽を聴いても。

何も頭に入ってこない。

ただ雑音として、耳をすり抜けていくだけ。

……。

こーへーが、わたしを好き。

わたしのこと、好きだって言った。

嘘みたい。

さっきからずっと、胸がどきどきしてる。

でも、ダメだ。

嬉しいなんて思っちゃいけない。

思っちゃダメなのに。

……。

自分でも嫌になるほど、わたしの心は正直だ。

頭の中がばらばらになりそう。

もう、こーへーの顔をまともに見られない。

ひなちゃんのことも──

コンコン

【かなで】「っ!」

誰かがドアをノックした。

どうしよう。

今は、誰にも会いたくない気分だった。

【陽菜】「お姉ちゃん」

【かなで】「……ひなちゃん」

あぁ、どうしよう。

どんな顔をしてひなちゃんに会えばいいの。

【陽菜】「お姉ちゃん?」

【かなで】「あっ、ちょ、ちょっと待ってね!」

深く息を吸ってから立ち上がる。

普段通りにしなくちゃ。

いつものわたし通りに。

【かなで】「おーっす!」

【かなで】「どーしたの? ひなちゃん」

スマイルを作ってドアを開けた。

大丈夫。

ちゃんといつも通りにできてる。

【陽菜】「ごめんね、急に」

【陽菜】「ちょっと話があって」

【かなで】「なになにー? 話って」

【かなで】「もしかして、恋バナってヤツ?」

冗談めかして言った。

でもひなちゃんは、笑わなかった。

【陽菜】「うん。そういう話かも」

【かなで】「え……」

【陽菜】「入ってもいい?」

【かなで】「あ、う、うん、どうぞ」

なんだろう。

またどきどきしてきた。

普段通りにしなきゃと思えば思うほど、緊張する感じ。

しっかりしてよ、わたし。

【かなで】「どーしたー? 真面目な顔しちゃって」

ひなちゃんの向かい側に腰を下ろした。

【かなで】「お姉ちゃんでよければ、相談に乗るけどさ?」

……本当に?

相談なんて乗れるの?

こうやって作り笑いをしてることに、罪悪感を覚える。

なんでも言い合える姉妹になりたいって、ずっと思ってたはずなのに。

本当のことが言えない。

本当のことを言ったら、ひなちゃんが悲しむ。

【陽菜】「……」

【かなで】「ひなちゃん?」

思いつめたような顔をしている。

だんだん心配になってきた。

【かなで】「ひなちゃん、ほんとにどうしたの?」

【かなで】「……もしかして、こーへーとなんかあったんじゃ」

【陽菜】「どうして、孝平くんだと思ったの?」

ひなちゃんは、ぱっと顔を上げた。

【かなで】「それは……」

言葉に詰まった。

【陽菜】「お姉ちゃん、わたしが孝平くんのこと好きだと思ってるの?」

【陽菜】「そうなんだよね?」

ひなちゃんが、まっすぐにわたしを見据える。

わたしは相変わらず、言葉に詰まったままだ。

【陽菜】「だからお姉ちゃんは……わたしに遠慮してるんだよね」

【陽菜】「本当は、お姉ちゃんが一番孝平くんを好きなのに」

──違う。

違うってば、ひなちゃん。

わたしはどっちかっていうと、年上が好みなの。

年下の男の子なんて、興味ないんだから。

ましてや、こーへーなんて弟みたいなものだし。

【かなで】「……っ」

あれ? おかしいな。

頭の中ではスラスラと言葉が出てくるのに。

どうして何も言えなくなっちゃうんだろう。

自分を偽るための言葉は、たくさん用意しておいたはず。

【かなで】「……違うよ」

やっとのことでそう言った。

でもひなちゃんは、首を振るばかり。

【陽菜】「違わないよ」

【陽菜】「自分の気持ち隠したって、バレバレなの。お姉ちゃんの場合」

【かなで】「えっ……」

【陽菜】「お姉ちゃん」

【陽菜】「私ね、孝平くんのことが好き」

はっきりと、笑顔でひなちゃんは言った。

迷いのない声だった。

【陽菜】「でもね、最近になって思ったの」

【陽菜】「好きっていう気持ちにも、いろんな種類があるんだよ」

【陽菜】「私の、孝平くんに対する『好き』は……」

【陽菜】「一番仲のいい友達に対する、『好き』」

【陽菜】「お姉ちゃんが思ってるような気持ちとは、ちょっと違うんだ」

ゆっくりと、言い聞かせるように言う。

わたしの手を握り締めながら。

【陽菜】「もしかしたらこの気持ちが、いつかは恋愛感情になるかもしれない」

【陽菜】「でもそんなの、誰にもわからないでしょ?」

【陽菜】「そんなあやふやなものより、お姉ちゃんの今の気持ちを大切にしたいの」

【陽菜】「……大切に、してほしいの」

【かなで】「ひなちゃん……」

わたしの、今の気持ち。

一生懸命隠し通してきた気持ち。

でも、隠し通してきたと思っていたのは、わたしだけだったのかな?

ひなちゃんは、とっくに見抜いていたのかな。

……。

だとしたら、余計に自分が情けない。

気の利くお姉ちゃんの役回りを、全うすることができなかった。

ああもう、わたしのバカ。

誰よりもひなちゃんに気を遣わせてたのは、このわたしなんだ。

【陽菜】「お姉ちゃん」

【陽菜】「今まで我慢させちゃって、ごめんね」

【陽菜】「でももう、我慢なんてする必要ないからね」

【かなで】「どうしてひなちゃんが謝るの」

わたしはただ、ひなちゃんに笑っていてほしかっただけ。

謝らせたかったわけじゃない。

幸せになってほしかった。

……。

でも、この思いこそが、ひなちゃんにとって負担になっていたとしたら?

ひなちゃんを追いつめていたとしたら……?

【かなで】「……ごめん」

もう、それだけしか言えなかった。

【陽菜】「お姉ちゃんは、何も悪いことなんかしてないでしょ」

【陽菜】「お姉ちゃんはいつも、私の幸せだけを考えてくれてた」

【陽菜】「私が子供の頃に入院した時から、ずっと……」

──ふと、思い出す。

ひなちゃんが入院してた日々のこと。

あの頃、両親はつきっきりでひなちゃんの看病をする毎日だった。

両親の愛情を独り占めするひなちゃんが、許せなかったわたし。

元気で自由で、何不自由のないわたしが羨ましかったひなちゃん。

お互いの不満をぶつけ合って、仲直りしたあの日。

あの日を境に、なんでも言い合える仲良しな姉妹になったと思ってた。

でも、本当は……。

なんでも言い合えるなんて嘘だった。

一番大切な気持ちを、ずっと隠してた。

……。

こーへーを好きだって気持ちを、ずっとずっと隠してた。

【陽菜】「私の幸せはね、お姉ちゃんが幸せになることなの」

【陽菜】「だから、これからは自分が幸せになるために生きて」

【陽菜】「……ね?」

【かなで】「ぅ……」

泣くな。

泣かないでよ。

【かなで】「ごめん……」

【かなで】「ごめんね、ひなちゃん」

【かなで】「わたし、ずっと……」

【かなで】「こーへーのこと……好きだったみたい」

だから泣くなってば、わたし。

そう言い聞かせてるのに、目からぼろぼろと水が流れてくる。

気持ちを言葉にしたら、もう止められない。

──好き。

こーへーのことが、好き。

これがわたしの、本当の気持ちだ。

【かなで】「うっ……うぅ……ひな……ちゃんっ……」

【陽菜】「もう、泣かないでよお姉ちゃん」

【かなで】「だって……だってぇ……ううぅっ」

みっともないぐらいに泣いてしまう。

こんな姿、ほかの人には見せられない。

ひなちゃんにしか見せられない。

【陽菜】「ふふふ」

【陽菜】「お姉ちゃん、本当は私よりも泣き虫なんだよね」

【陽菜】「みんなは知らないだろうけど……」

ひなちゃんの温かい声が耳に届く。

わたし、泣き虫だったかな?

自分ではそんなつもりなかったんだけど……。

ひなちゃんが言うなら、そうなのかもしれない。

わたしの一番近くにいてくれたのは、いつだってひなちゃんだった。

【陽菜】「ほら、そろそろ泣きやまなくっちゃ」

ひなちゃんは手を伸ばし、わたしの涙をぬぐった。

まるでお母さんみたいな動作だ。

【かなで】「わかってるんだけど、わかってるんだけど……ひっく……」

【陽菜】「そんなに泣いたら目が腫れちゃうよ」

【陽菜】「孝平くんだって、びっくりしちゃう」

【かなで】「……こーへー?」

【陽菜】「うん」

【陽菜】「だって、お姉ちゃんは今から孝平くんに会いに行かないといけないんだよ」

【陽菜】「ね?」

ひなちゃんは、満面の笑顔でそう言った。

//Another view ends//