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//July 17//

ピピピピッピピピピッ

【かなで】「わっっっっ!!」

目覚し時計の音と、誰かの叫び声で目が覚めた。

俺は慌てて、ベッドから起き上がる。

【かなで】「どこ? ここ、どこ!?」

【かなで】「わぁっ、こーへー!」

【孝平】「おはようございます」

あくびをしながら、朝の挨拶。

……そうだ。

昨夜はあのまま、かなでさんと一緒に眠ってしまったのだ。

まさか朝までノンストップで寝てしまうとは。

【かなで】「あああああ、どうしよう」

かなでさんは頭を抱えた。

【孝平】「どうしたんですか?」

【かなで】「どうしたんですか、じゃないよ」

【かなで】「わたし、風紀委員なんだよ?」

【孝平】「はあ」

【かなで】「それなのに、それなのに……」

【かなで】「男の子の部屋に、泊まっちゃうなんて!」

【孝平】「……」

【孝平】「黙ってりゃ、誰にもわかんないじゃないですか」

【かなで】「こらー!」

ぺたしっ

おでこになんか貼られた。

風紀シールだった。

【かなで】「わたしにも貼って」

【孝平】「はい?」

【かなで】「いいからわたしにも、これ貼って!」

もう一枚、風紀シールを渡された。

これをかなでさんに貼れというのか?

【かなで】「早く、早くしないと遅刻しちゃうよ」

【孝平】「じゃあ、いきます」

【孝平】「えいっ」

ぺたしっ

遠慮なくおでこに貼った。

【かなで】「はあぁ~」

【かなで】「風紀委員が風紀シールもらっちゃうなんて、終わってるよ」

【かなで】「白バイがスピード違反で捕まるようなものだよ」

微妙に間違ってるような。

【かなで】「こうしちゃいられないっ」

かなでさんはばたばたと身支度を整えてから、ベランダの窓を開けた。

【かなで】「邪魔してごめんね! さらば!」

【孝平】「あっ」

非常はしごを下ろし、瞬く間に消えてしまった。

……忍者かよ。

【孝平】「ちわーす」

【瑛里華】「あら、支倉くん」

放課後、いつものように監督生室にやって来た。

にっこにこの笑顔で俺を出迎える副会長。

【孝平】「なんだ?」

【瑛里華】「ふふふっ、ちょうどよかった」

【瑛里華】「このリスト、全部データベース化してもらえる?」

【孝平】「全部……」

20ページはありそうな書類を渡された。

頭がくらくらする。

【瑛里華】「ごめんなさいね、急に」

【瑛里華】「ほかに仕事が入っちゃったのよ」

【孝平】「わかったよ。いつまで?」

【瑛里華】「今日」

【孝平】「はあ?」

副会長はスマイルを崩さない。

【瑛里華】「厳密に言うと、あと4時間くらい」

【孝平】「超特急コースじゃねえか」

【瑛里華】「そこで支倉くんに白羽の矢が立ったわけなのよ」

【瑛里華】「私もあとで手伝うから。頼んだわよ」

【孝平】「……了解」

副会長の命令には逆らえまい。

なにせ、生徒会役員の中では俺が一番下っ端なのだ。

俺はさっそく席につき、パソコンの電源を入れた。

……。

今日はやけに監督生室が静かだ。

と思ったら、俺と副会長しかいない。

【孝平】「ほかのみんなは?」

【瑛里華】「白はシスター天池のお手伝い」

【瑛里華】「兄さんと征一郎さんは、穂坂ケヤキを見に行ってるわ」

【孝平】「ケヤキ?」

【瑛里華】「ええ」

【瑛里華】「樹木医の武田先生がいらっしゃってるのよ」

【孝平】「あぁ」

そういえば会長が、今週診てもらうと言ってたような。

【孝平】「俺も行きたいな」

【瑛里華】「その仕事が終わったらね」

【孝平】「10分だけでもいいんだけど」

【瑛里華】「却下」

【孝平】「じゃあ15分」

【瑛里華】「息の根止めるわよ」

副会長の目が赤く光った。

俺は大人しくパソコンに向き直り、ストイックに数値を入力していく。

……。

【孝平】「なあ」

【瑛里華】「何?」

【孝平】「あのケヤキ、大丈夫なのかな」

【瑛里華】「大丈夫じゃないと思うわよ」

さらりと返された。

【瑛里華】「もう生命力が感じられないもの」

【瑛里華】「生きようとしてないのよ、あの木」

副会長はそう言って、再び書類に目を落とした。

結局、帰りはとんでもない時間になってしまった。

でも、残業手当代わりに晩飯をごちそうしてもらったからよしとする。

【孝平】「……はぁ」

日に日に仕事量が増えているような。

夏休みもこんな感じなのだろうか。

忙しいのは構わないが、かなでさんと会えなくなるのは正直つらい。

とはいっても、俺以上にあの人の方が忙しいわけで。

俺が暇になったところで、なかなか会えない現実は変わらないのだ。

……。

まあ、しかたない。

自分の責任を全うする人だからこそ、好きになった。

俺を優先して仕事をサボるような人だったら、たぶん今みたいな関係になっていない。

だから俺も、自分の仕事を頑張ろうと思えるのだ。

部屋に帰る前に、中庭へと足を向ける。

さすがにこんな時間には、会長たちもいないだろう。

そうは思いつつも、ちょっと気になっていた。

【瑛里華】「もう生命力が感じられないもの」

【瑛里華】「生きようとしてないのよ、あの木」

副会長の口調は、諦めを多分に含んでいた。

確かに、あのケヤキには生命力がない。

それは素人目に見ても歴然だ。

では、どうするのだろう?

あのケヤキに再び生命を与えられるような、いい方法があればいいのだが。

中庭へと続くドアを開ける。

すると、そこに見慣れた人の姿があった。

【孝平】「かなでさん」

【かなで】「?」

【かなで】「あ、こーへー」

薄闇の中で、目が合う。

……。

ふいにフラッシュバックする、昨夜の出来事。

かなでさんの肌の感触や、甘い吐息。

乱れた髪や、細い腰のライン。

そういったパーツが断片的に浮かんでは、消えた。

【孝平】「……」

緊張からなのか、照れ臭いからなのか。

一瞬、声が出なかった。

【かなで】「……ど、どしたの?」

【孝平】「い、いえ」

言葉少なく、かなでさんの隣に並ぶ。

かなでさんも、言葉を探しているような様子だった。

なぜか無言になってしまう二人。

【かなで】「今日、帰り遅かったね」

口火を切ったのはかなでさんだった。

【孝平】「生徒会の仕事が立て込んでまして」

【かなで】「そうだったんだ」

【孝平】「はい」

……。

ぎこちない空気。

でも、決して不快ではない。

恥ずかしくて、くすぐったくて。

大事な秘密を共有しているような感覚。

ちらり、とかなでさんの横顔を盗み見る。

……耳が赤い。

かなでさんも、俺と同じような気持ちでいるのだろうか?

【孝平】「身体、大丈夫ですか?」

【かなで】「身体?」

【かなで】「ぜんぜん元気だよ?」

【孝平】「いや、そうじゃなくて、昨夜の……」

【かなで】「……ぁ」

俺の婉曲な表現に、かなでさんはさらに頬を赤らめる。

【かなで】「うん、大丈夫」

【かなで】「まだちょっと……痛い感じもするけど」

【孝平】「すみませんでした」

【かなで】「平気平気。ほんとにちょっとだけだから」

破瓜の痛みばかりは、男にはわからない。

ひたすら申し訳ない気分になる。

【孝平】「そういえば、会長たち来ませんでしたか?」

【かなで】「いおりん?」

【かなで】「どうだろ。わたしが来たのは10分前ぐらいだから」

【孝平】「そうですか」

やっぱり、とっくの前に帰ったんだろう。

明日にでも診察の結果を聞いてみるか。

【かなで】「いおりんがどうしたの?」

【孝平】「あぁ、実は今日、樹木医の先生が来たんです」

【孝平】「このケヤキの診察をしに」

【かなで】「えっ、そうなの?」

かなでさんの顔が、にわかに輝いた。

【かなで】「診察の結果はまだ出てないのかな」

【孝平】「明日聞いてみますよ」

【孝平】「もしかしたら、ケヤキを元気にする方法がわかるかもしれませんね」

【かなで】「だよね?」

【かなで】「ああ……よかった」

かなでさんは一歩踏み出し、ケヤキに触れた。

愛おしむような、温かい目だ。

【かなで】「この子に何かあったら、寮生のみんなが悲しむもんね」

【かなで】「絶対元気になってもらわなくちゃ」

自分に言い聞かせるようにつぶやく。

俺はケヤキをゆっくりと見上げた。

カラカラに乾いた幹と、丸坊主の枝。

腐朽によって生じた空洞化。

植物は、愛情を注げば注ぐだけ応えてくれるというけど。

かなでさんの愛情は、この木にちゃんと届いているのだろうか。

それとも──

【孝平】「かなでさん」

【かなで】「ん?」

【孝平】「前から聞こうと思ってたんですけど、どうしてかなでさんは寮長になったんですか?」

俺は尋ねた。

正直、寮長という仕事は、みんなが進んでやりたがるような類のものではない。

雑用も多いし、寮生たちのクレームにも耳を貸さなくてはならない。

面倒といえば面倒なことばっかりだ。

少なくとも、俺なら立候補しないだろう。

【かなで】「憧れてたからだよ。寮長の仕事に」

【孝平】「えっ」

予想外の答えが返ってきた。

【かなで】「おかしい?」

【孝平】「いや、おかしくはないですけど」

【かなで】「素敵な先輩がね、いたの」

かなでさんは微笑んだ。

【かなで】「今年卒業した、前寮長なんだけどね」

【かなで】「わたし、その先輩が大好きだった」

懐かしむようにケヤキを見上げる。

【かなで】「こーへーは今年転校してきたから、知らないと思うけど」

【かなで】「その先輩、身体が弱くて学院休みがちだったんだ」

【かなで】「でも学院が大好きで、寮のみんなが大好きで……」

【かなで】「このケヤキを、誰よりも大切にしてた」

……かなでさんは、その先輩のことを本当に慕っていたんだろう。

話し方で、その思いが伝わってきた。

【かなで】「先輩がいた頃は、葉っぱもついてたんだよ」

【かなで】「でもぜんぜん元気がなくて、先輩も困っててさ」

【かなで】「それでね、わたしも一緒に世話をするようになったの」

【かなで】「世話っていっても、水あげたり掃除したりとか、それぐらいしかできないんだけどね」

【孝平】「じゃあその仕事を、かなでさんが受け継いだってことですか?」

【かなで】「まあ、そういうこと」

【かなで】「大好きだった先輩の代わりに、この寮とケヤキを守りたかったの」

【かなで】「寮で生活する、みんなのためにもね」

そういうことだったのか。

なんとなく、納得した。

誰に頼まれたわけでもなく、押しつけられたわけでもなく。

かなでさんはかなでさんの意志で、この役割を志願したのだ。

やりたいから、やる。

自分のやりたいことがみんなの幸せにつながるから、やる。

ただそれだけのこと。

【かなで】「だからね、この子を枯れさせたくないんだ」

【かなで】「歴代の寮長みんなの願いが、この子に込められてるから」

【孝平】「……」

俺は、かなでさんの手を握り締めた。

幸いなことに、中庭に来る人はめったにいない。

ここは薄暗いので、廊下からもよく見えないだろう。

【孝平】「あの、質問なんですけど」

【かなで】「えっ?」

【孝平】「……その先輩って、男ですか?」

【かなで】「?」

かなでさんは不思議そうな顔をした。

俺という男は、なんて器量の狭い人間なのだろう。

かなでさんが真面目な話をしているのに、そんな些末なことが気になってしまう。

恋人同士になったというのに相変わらず余裕がない。

【かなで】「女の人だけど、なんで?」

……はぁ。よかった。

【孝平】「だったらいいんです。気にしないでください」

【かなで】「気になるよ」

【孝平】「そこをスルーしてくれと頼んでるんです」

【かなで】「むむ?」

かなでさんは俺の顔を覗き込んだ。

【かなで】「むむむ?」

【孝平】「や、やめて」

【かなで】「むむむむ?」

【かなで】「もしや、そなた妬いておるのか?」

【孝平】「誰なんですか、いったい」

【かなで】「ええい、こっちを向けーい」

にやにやにやにや。

絶対からかわれてるし。

【孝平】「ほんとに勘弁してください」

【かなで】「勘弁しないよ?」

【かなで】「だってこーへーがヤキモチ焼いてくれるなんて、激レアな体験だもん」

【孝平】「レアでもなんでもないですよ」

【孝平】「俺、そんなにクールな男じゃないですから」

きっと、嫉妬深い方だと思う。

かなでさんを好きになって初めて、そういう部分に気づいた

【かなで】「心配しなくてもだいじょーぶ」

【かなで】「わたしはずっと、こーへーだけのものだよ」

ぎゅっ。

かなでさんも、強く手を握り返してくる。

【かなで】「こーへーのことが好き」

【かなで】「こーへーじゃなきゃ、だめ」

【かなで】「……ずっと、愛してね?」

背伸びをして、俺の耳元で囁いた。

温かい息がかかり、膝から崩れ落ちそうになる。

【孝平】「……」

【かなで】「あらら? 赤くなった」

まったく、けしからん人だ。

たった一言で俺をとろけさせるとは。

【孝平】「こっちだって、やられっぱなしじゃないですよ」

【かなで】「へ?」

【かなで】「……ぁっ」

不意を突いて、唇を奪う。

ケヤキの木に隠れるようにして。

【かなで】「んん……」

舌で唇を割り、腰を引き寄せる。

【かなで】「んっ……ぁ……んふぅ」

【かなで】「だめ、誰か来ちゃうよ……」

そんなこと構わない。

いつでも、どこででも。

かなでさんと触れ合っていたい。

【かなで】「はう……んっ、んちゅ……」

たくさんのキスを降らせて、髪を撫でて。

月が一番高いところで輝くまで。

俺はずっとずっと、かなでさんを抱きしめていた。

//July 18//

終業式が終わり、明日からいよいよ夏休みだ。

クラスメイトたちの顔は皆明るい。

遊びや旅行の計画に、心躍らせていることだろう。

俺にはあまり縁のない話だ。

【孝平】「司ー」

【司】「あ?」

【孝平】「おまえ、夏休み何してんの?」

【司】「バイト」

【孝平】「だよな」

聞くまでもなかった。

【孝平】「陽菜は?」

【陽菜】「私は、委員会の仕事とか夏季講習とか」

【陽菜】「女の子たちで、遊園地に行こうっていう話もあるよ」

【孝平】「楽しそうだなあ」

【陽菜】「孝平くんだって、楽しい夏休みでしょ?」

【孝平】「どう思う?」

【陽菜】「うーん……」

陽菜の目が泳ぐ。

【陽菜】「そうでも……ないかな?」

【陽菜】「まあしかたないよ。お姉ちゃん受験生だもん」

そうなのだ。

この夏休みは、6年生にとって一番大事な時。

進学を志す者は、うかうかと遊んでる場合じゃない。

【陽菜】「元気出してね。孝平くん」

【陽菜】「よかったら、一緒に遊園地行く?」【孝平】「女装して?」

【陽菜】「ふふっ。美化委員のユニフォーム貸してあげよっか」

【孝平】「遠慮しときます」

美化委員のユニフォームは、すごくファンシーだという噂だ。

きっと俺が来たら通報される。

修智館学院の名を汚すわけにはいかない。

【男子生徒A】「孝平ー」

【孝平】「ん?」

【男子生徒A】「生徒会長がお呼びだぞ」

出入口の方を見ると、会長が手を振っていた。

俺のクラスに来るなんて、珍しいこともあるものだ。

俺は立ち上がり、会長へと歩いていった。

【伊織】「やあ、支倉君」

【孝平】「どうしたんですか?」

【伊織】「今日、監督生室に来るだろ?」

【孝平】「そのつもりですけど」

【伊織】「じゃあ、悠木姉も連れてきてもらえないかな」

【伊織】「ちょっと話があるんだ」

【孝平】「はあ……」

会長は真面目な顔をしていた。

なんだろう、話って。

【伊織】「じゃあ、よろしく頼んだからね」

【孝平】「はい、わかりました」

会長はひらひらと手を振ってから、去っていった。

なんだろう。

……あ。

もしかして、あのケヤキのことか?

放課後。

【かなで】「やっほーっ!」

かなでさんの元気な声が、監督生室に響いた。

部屋にいたみんなが、一斉にこちらを見る。

【瑛里華】「こんにちは、悠木先輩」

【白】「こんにちは」

【征一郎】「……こんにちは」

【伊織】「やあ、よく来たね」

【伊織】「支倉君、ご苦労様」

会長は笑顔で俺たちを出迎えた。

かなでさんは楽しそうに室内を見回す。

【かなで】「監督生室って、なんか居心地いいよね」

【伊織】「よかったら生徒会役員になる?」

【伊織】「といっても、任期はあと二ヶ月くらいしかないけどね」

二ヶ月。

そう言われて、改めて気づく。

6年生の公務活動は9月末までだ。

会長が会長でいられるのも、かなでさんが寮長でいられるのも、あと約二ヶ月しかない。

【かなで】「お誘いは嬉しいけど、ここにわたしは必要ないみたい」

【かなで】「だってほら、こんなに優秀な若者がいるもんね!」

ばんばんばんっ。

背中を叩かれた。

【伊織】「はは、確かに」

【伊織】「支倉君は、今年一番の拾い物だったよ」

拾われたのか、俺は。

フクザツな気分だ。

【征一郎】「伊織」

【伊織】「ああ、そうそう」

【伊織】「悠木姉に、穂坂ケヤキのことで話があったんだ」

【かなで】「?」

【かなで】「あっ、そういえば樹木医さんに診てもらったんだよね?」

【伊織】「うん」

うなずいてから、会長は続けた。

【伊織】「あれね、切ることになったよ」

……。

【かなで】「え?」

俺とかなでさんは、呆然と会長を見つめていた。

何を言われているのか、理解できなかった。

【伊織】「思った通り、樹病を患っていてね」

【伊織】「樹木医の先生が言うには、もう手の施しようがないところまできてるんだってさ」

淡々と会長は話す。

かなでさんを見た。

肩が、唇が、震えている。

【伊織】「このまま放置すると木が倒れる危険性があるから、早めに切った方がいい」

【伊織】「いや、切らざるを得ない。寮生たちの安全のためにもね」

【かなで】「そんな……」

【孝平】「あの、ちょっと待ってください」

【孝平】「ほかに、方法はないんですか?」

【孝平】「幹を補強するとか、肥料をあげるとか……」

【伊織】「無駄だよ」

断定的に言葉を遮られた。

【伊織】「枯死してるんだ。見ればわかるだろ?」

【孝平】「……っ」

何も言えなくなってしまう。

会長の言ってることは、たぶん正しい。

いや、全面的に正しい。

寮生たちに危険が及ぶ可能性のあるものは、排除しなくちゃならないのだ。

当然の選択だった。

だけど──

【伊織】「寮長」

会長は腕を組んだ。

【伊織】「わかってもらえるよね?」

【かなで】「……わかる」

【かなで】「わかるけど、でも……」

ぎゅっと、小さく拳を握る。

かなでさんの気持ちが、痛いほど伝わってきた。

歴代の寮長から受け継いできた、大切なケヤキ。

あのケヤキを元気にすることがかなでさんの願いだった。

寮長になる前から、ずっと。

【瑛里華】「……」

【白】「……」

【征一郎】「……」

沈黙が続く。

誰もかなでさんに、声をかけることができなかった。

【かなで】「わたし……」

【かなで】「それでも、切ってほしくない」

【かなで】「切らないでほしい」

【伊織】「……」

【かなで】「あのケヤキは、みんなが大切にしてたものなの」

【かなで】「願いの叶う木だって、ずっと言い伝えられてきて」

【伊織】「困ったなー」

【伊織】「こう言っちゃなんだけど、願いなんて叶うわけないじゃないか」

【伊織】「女の子は、そういう噂とか伝説とか好きだけどさ」

【かなで】「……」

会長は身も蓋もない言い方をする。

願いが叶うかどうかなんてことは、さして重要ではないのだ。

大切なのは、寮生たちの気持ち。

あのケヤキに思いを託してきた、みんなの気持ちだ。

【伊織】「もう夏だってのに、今年は芽吹いてもないだろ?」

【伊織】「いい加減、現実を見てほしいもんだな」

【瑛里華】「兄さん、そんな言い方しなくても」

【伊織】「ああ、悪い」

【伊織】「でも、間違ったことは言ってないつもりだけどね」

間違ってない。

間違ってないんだ。

【孝平】「でも、会長……」

【かなで】「少し、時間をくれないかな」

かなでさんは、ぱっと顔を上げた。

決意を秘めたまなざしだ。

【伊織】「時間? なんのために?」

【かなで】「できる限りのことをするために」

【かなで】「このまま何もしないで、ただ切られるのを待つなんてできない」

【かなで】「お願い、もう少しだけ待ってください」

そう言って、深々と頭を下げた。

【孝平】「……会長、俺からもお願いします」

【孝平】「もう少しだけ時間をください。決断するのはそれからでもいいでしょう?」

【伊織】「……」

会長は苦々しい表情を浮かべた。

それでも、すぐに断らなかった。

ということは、まだ可能性はあるってことだ。

【孝平】「会長、お願いします」

【かなで】「お願いします」

【伊織】「ああもう、頭を上げてくれよ」

【伊織】「これじゃ俺が悪者みたいじゃないか」

ため息をつき、俺とかなでさんを交互に見る。

【伊織】「何をしても無駄だと思うけどね」

【かなで】「わかんないよ。やってみなくちゃ」

【かなで】「だって、願いの叶う木だもん」

【伊織】「ああ、そうだったね」

棒読みで言った。

【伊織】「言っとくけど、そんなに長くは待てないよ」

【伊織】「それでもよければ、どうぞご勝手に」

【かなで】「ありがとう!」

【かなで】「ありがとう、いおりん!」

【孝平】「ありがとうございます、会長!」

俺とかなでさんは会長に駆け寄った。

【伊織】「わっ、来るな」

【かなで】「さすがいおりんだねっ」

【孝平】「さすが会長です」

勝手に会長の手を握り、ぶんぶんと振った。

ものすごく嫌そうな顔をされるが、気にしない。

【伊織】「いいから。もうわかったから」

【かなで】「ほんとなら、お礼のチューでもしたいところだけどさ」

【かなで】「ごめんね、わたしにはこーへーという心に決めた人が……」

【瑛里華】「……さりげなくのろけてるわね」

【白】「そのようですね」

【伊織】「ああそう、そりゃよかったね」

【伊織】「君たちの愛情は十分伝わってきたから、もう帰っていいよ」

【かなで】「ほんとにありがとね、いおりんっ」

【孝平】「ありがとうございます、会長」

【伊織】「やれやれ……」

やっとかなでさんに笑顔が戻った。

先のことはどうなるかわからないけど。

俺たちには、きっとやれることがあるはずだ。

だって、あのケヤキは願いの叶う木だから。

きっと──

//Switch POV to student council//

【伊織】「……二人とも帰った?」

【征一郎】「ああ」

【伊織】「はぁ、まったく」

【伊織】「無駄だって言ってるのに」

【征一郎】「そう思うなら、なぜ約束なんかするんだ」

【征一郎】「期待を持たせるな」

【伊織】「俺は約束なんかしてないよ」

【伊織】「ただ、待つと言っただけだ」

【征一郎】「……」

//July 19//

翌日から、本格的に「ケヤキ救出大作戦」が開始された。

シャベルやバケツを手に、俺とかなでさんは中庭に集合する。

【かなで】「……とまあ、そこで考えられることは」

【かなで】「まず第一に、水はけをよくすることだと思うんだ」

【孝平】「なるほど」

中庭を見渡すと、水はけのよい高床の植物はすこぶる元気だ。

それに対し、ケヤキは比較的排水の悪い低床にある。

位置関係がすべての原因かどうかはわからないが、改善してみる必要はありそうだ。

【かなで】「とはいっても、わたしたちじゃ植え替えまではできないもんね」

【孝平】「でも、雨水がたまらないように工夫することはできるんじゃないですか?」

一日や二日では、決してできない作業だ。

それでも、何もしないよりはずっといい。

【かなで】「……そっか。そうだよね」

【かなで】「地面をならしていけば、少しはよくなるかも」

【孝平】「はい」

力強くうなずくと、かなでさんは俺を見上げた。

【かなで】「こーへー」

【かなで】「ありがとうね」

【孝平】「え?」

【かなで】「こーへーだって忙しいのに、手伝ってくれて」

【孝平】「そんなこといいんです」

【孝平】「俺が好きでやってるんですから」

そう、誰に頼まれたわけじゃない。

かなでさんのことが好きで、かなでさんに悲しい思いをさせたくない。

それだけの単純な理由で、俺はここにいるのだ。

【孝平】「二人で、できる限りのことはやっていきましょう」

【孝平】「きっとこのケヤキも、かなでさんの気持ちに応えてくれるはずです」

【かなで】「うんっ」

……よかった。

今日初めて見る、かなでさんの笑顔だった。

ざくっ。ざくっ。

木の根を傷つけないよう、周囲の土を掘っていく。

水の流れを変えるために、溝を作るのだ。

ざくっ。ざくっ。

【孝平】「ふぅ……」

中庭の地面は、まるで鉄板のように固い。

さっきから一時間ほど掘り続けているが、芳しい成果とはいえなかった。

これは思った以上に苦戦しそうだ。

【かなで】「こーへー!」

中庭の出入口から、かなでさんが入ってくる。

【かなで】「用務員のおじさんから、肥料もらってきたよ」

【かなで】「ケヤキだったら、この液肥がいいんじゃないかって」

【孝平】「おっ、いいですね」

かなでさんは、用務員のおじさんと仲がいい。

こういう時に助けてもらえるのも、かなでさんの人徳だと思う。

【かなで】「それとね、おじさんが消毒もやってくれるって言ってた」

【かなで】「素人が薬剤使うのは危ないらしいから」

【孝平】「ですね。それがいいと思います」

【孝平】「むやみに薬をまくと、害のない虫まで殺しちゃうかもしれませんし」

それに、これだけ大きな木となると、使用する薬剤の量も半端ではないだろう。

さすがに俺たちも、そこまで独断で手配することはできない。

【かなで】「こーへー、土掘り代わろうか?」

【孝平】「いえ、大丈夫です」

【孝平】「かなでさんは、余分な土をバケツに入れてってもらえますか?」

【かなで】「了解っ」

俺は土掘りの作業を再開した。

女の子の力じゃ、この仕事は無理だ。

もっと効率的な方法があればいいのだが。

……まあ、ゆっくり考えていくことにしよう。

//July 23//

ざくっ。ざくっ。

【孝平】「はぁっ……はぁ……」

午前中に生徒会の仕事を終わらせ、午後はひたすら土掘りの作業。

この生活パターンが日課になってきた。

相変わらず地面は固いが、なんとか溝っぽいものができつつある。

我ながら頑張った。

夏休みが過ぎる頃には、かなり素敵な上腕二頭筋に成長することだろう。

【陽菜】「孝平くん、お姉ちゃん」

しばらくして、中庭に陽菜がやって来た。

水筒とバスケットを抱えている。

【陽菜】「これ、差し入れ」

【陽菜】「紅茶とサンドイッチが入ってるから、食べてね」

【孝平】「お、サンキュ」

【かなで】「ありがとう、ひなちゃんっ」

【かなで】「愛してる!」

かなでさんは子犬のように、陽菜へと飛びついた。

【陽菜】「お、お姉ちゃんってば」

【陽菜】「そういう台詞は、私じゃなくて孝平くんに言わなきゃ」

【かなで】「え」

【かなで】「あはは、あはははは、やだなーひなちゃんてば」

わかりやすく照れている。

そして、俺も。

【陽菜】「ケヤキの具合、どう?」

【かなで】「……うん」

【かなで】「今後に期待って感じかな」

俺たちはケヤキを見上げた。

まだ作業を開始して幾日も経っていない。

こんな短期間で結果など出るわけもないが、それでも期待せずにはいられなかった。

たった一つでも、新芽が出てくれれば。

希望が持てる。

寮生のみんなに、明るいニュースをもたらすことができる。

そのためなら、筋肉痛になろうが血豆ができようが構わない。

……かなでさんさえ笑ってくれれば。

//July 24//

【司】「うぃーす」

翌日。

今度は司がやって来た。

【かなで】「あれ? へーじ」

【かなで】「どしたの? バイトさぼり?」

【司】「今日は休みです」

司の手には、大きなシャベル。

軍手も着用だ。

【司】「暇だから手伝う」

【孝平】「マジで?」

【孝平】「時給出ないぞ」

【司】「いらねえ」

【司】「つか、わかめうどんおごってくれ」

【孝平】「司……」

不覚にも感動した。

なんて無欲な男なのだろう。

ここは特製カツカレーぐらいねだってもいい場面なのに。

【孝平】「ありがとな」

【孝平】「トッピングで、イカ天つけてやるからな」

【司】「ラッキー」

ラッキーなのかよ。

//July 28//

ザザザザ────ッ

その日は朝から豪雨だった。

目覚めてから身支度もそこそこに、部屋を飛び出した。

【かなで】「ひゃーーーっ!」

【孝平】「かなでさんっ!」

壊れた傘を持ったかなでさんが、中庭でくるくる舞っている。

獅子舞の練習?

いや、違う。

風に飛ばされそうになってるのだ。

俺は慌ててかなでさんの腕をつかみ、持参した雨合羽を頭にかぶせる。

【孝平】「何やってんですか。危ないでしょう?」

【かなで】「だって、心配だったんだもん」

【かなで】「もしかしたら、ケヤキが倒れてるんじゃないかって……」

【孝平】「気持ちはわかりますが、その前に自分の心配をしてください」

【かなで】「うぅ……」

俺はケヤキの根元を見た。

俺たちが作った溝は、雨水でがっつりと溢れかえっている。

【かなで】「大丈夫かなあ……」

大丈夫かどうかは、俺にもわからない。

だが、今は祈るしかなかった。

俺たちのやったことが、どうか無駄にならないように。

【孝平】「……俺、ビニールシートで根元を覆います」

腐朽している部分は、とりあえずなんらかの処置をしておいた方がいい気がする。

確か物置にビニールシートがあったはずだ。

【孝平】「かなでさんは、危ないから部屋に戻っててください」

【かなで】「やだ、戻らない」

【かなで】「わたしも一緒にやる」

【孝平】「でも……」

【かなで】「足手まといにならないようにするから」

【かなで】「お願い」

まっすぐな目。

一歩も譲らないぞ、という決意が伝わってくるようだった。

実際、かなでさんがこういう目をすると、誰も意志を曲げさせることはできない。

【孝平】「……わかりました」

【孝平】「じゃあ、一緒に取りに行きましょう」

【かなで】「うんっ」

──二時間後。

嵐のようだった天気が、嘘のように晴れ渡った。

溝にたまっていた水も、少しずつ引いている。

そこそこ排水がうまくいっているのかもしれない。

【かなで】「水……引いてるよね」

【孝平】「はい」

【孝平】「でも、まだ完全じゃないから安心はできません」

底の方にはまだ水が残っている。

この水が全部引かないということは、まだ掘りが甘いってことだ。

もしくは、水はけの悪い粘土層だったとか。

後者の場合だと、問題は根深いかもしれない。

【孝平】「もうちょっと様子を見てみましょう」

【孝平】「明日になっても水が引かないようなら、別の手段を考えます」

【かなで】「……うん」

すぐに結果の出ない作業だけに、じれったくなるのは致し方ない。

はたして、俺たちのやってることに意味なんてあるのだろうか。

なんて、考えちゃいけないことを考えてしまいそうになる。

かなでさんの前では、せめて笑顔でいなきゃ。

一番ケヤキのことを心配しているのは、この人なんだ。

俺はかなでさんの添え木となる。

……。

たとえ、結果が出なかったとしても──

//Another view : Kanade//

あの人は、いつもそこにいた。

ケヤキの木に寄り添うようにして。

まるで家族を見守るような、優しい瞳で。

来る日も、来る日も。

【前寮長】「……去年はね、もっとたくさん葉がついていたの」

【前寮長】「でも、今年はこれだけ。どうしてかしらね」

細い肩と、透けるような白い肌。

病気がちだった先輩は、夏でも長袖のカーディガンを欠かさなかった。

【かなで】「先輩、ケヤキの心配してる場合じゃないですよ?」

【かなで】「微熱があるんですから、早く部屋に戻って寝ないとだめじゃないですか」

【前寮長】「ふふ、そうね」

【前寮長】「でも私、この子が心配なのよ」

【かなで】「わたしは先輩の方が心配です」

どうして先輩は、いつも自分のことを後回しにするんだろう。

見ていてハラハラしてしまう。

だからこそ、こうやって一緒にケヤキの世話をしてしまうのかもしれない。

【かなで】「先輩、お願いですからあんまり無理しないでください」

【前寮長】「ありがとう。心配してくれて」

【前寮長】「でも、私にできることは限られているの」

【前寮長】「この寮にいられるのも、あと少し……」

学校を休みがちだった先輩は、寮での生活を何よりも大切にしていた。

どんな人でも、この寮にいる間は笑顔でいられるように。

外でつらいことがあっても、寮に帰ったらほっとできる空間であるように。

……。

そして、大好きな寮を見守る穂坂ケヤキが、いつまでも元気でいられるように。

【かなで】「先輩、わかりました」

【かなで】「わたしが次の寮長に立候補します」

【前寮長】「……悠木さんが?」

【かなで】「はい。あとのことは任せてください」

【かなで】「そうしたら、先輩も安心して卒業できますよね?」

わたしなんかで、寮長がつとまるのかどうかはわからない。

でも、先輩の安心する顔が見たかった。

わたしは先輩が大好き。

いつでも人を思いやることのできる先輩の優しさを、尊敬してる。

その優しさを、少しでもわたしが受け継ぐことができたら……。

【前寮長】「悠木さんなら、素晴らしい寮長になれると思うわ」

【前寮長】「でも、もしかすると……あなたにつらい思いをさせてしまうかもしれない」

先輩は少しだけ寂しそうな顔で、ケヤキを見上げた。

つらい思いって、どういうこと?

【前寮長】「だけど……」

【前寮長】「……あなたに、すべてを託すわ」

【前寮長】「寮を見守るこの木を、守ってあげて」

そう言って、先輩ははかなげな笑みを浮かべた。

//Another view ends//

//August 4//

ざくっ。ざくっ。

今日も、ひたすら溝を掘り続ける。

8月の太陽は容赦なく俺を照りつけ、体力を奪っていく。

せめてケヤキの葉っぱが生い茂っていたら、もう少し涼しかっただろうに。

などと、ケヤキに八つ当たりしてもしかたがない。

ざくっ。ざくっ。

【孝平】「はぁ……」

やれることはやってきた二週間だった。

溝を掘り、肥料をまき、土を変えた。

用務員のおじさんに頼んで消毒もしてもらった。

だけど……。

やはり、そう簡単に成果は現れない。

枝は枯れ、根元は腐朽し、樹皮も剥がれつつある。

この分だと、台風の季節が来たらどうなってしまうのだろう。

一抹の不安を隠しきれなかった。

ケヤキには元気になってもらいたい。

切られるなんてことだけは避けたい。

でも、もし倒れてしまったら?

寮生の誰かに被害が及んだら?

そうなったら、かなでさんは……。

【かなで】「こーへー、ジュース買ってきたよ」

出入口のドアが開き、かなでさんが戻ってきた。

【かなで】「ちょっと休憩にしよっか?」

【孝平】「はい。ありがとうございます」

ジュースを受け取り、二人してケヤキのそばに座る。

じっとしてるだけで、汗がぶわっと噴き出てくる。

【かなで】「ごめんね、疲れたでしょう?」

【孝平】「運動不足を解消するいいチャンスです」

【孝平】「体脂肪も2パーセント減ったし、いいことずくめですよ」

【かなで】「あはは」

【かなで】「こーへーは優しいね」

かなでさんの横顔に、ほんの少しだけ疲労の色が見えた。

無理もない、と思う。

日中は寮の仕事やケヤキの世話をして、夜はいつも遅くまで勉強してる。

いったい、いつ寝てるんだろうと思うほどだ。

【かなで】「こーへー、毎日わたしに付き合ってくれなくてもいいんだよ?」

【かなで】「たまにはさ、へーじと遊びにいったりしなよ。夏休みなんだし」

【孝平】「成果も出さずに、呑気に遊びにいったりできません」

【孝平】「それに遊びにいくなら、かなでさんとのデートが優先です」

【孝平】「前に約束しましたよね?」

みんなで海に行ったあの日。

俺は、かなでさんを好きなところに連れていくと約束した。

ただしハワイ以外で。

【かなで】「……覚えててくれてたんだ」

【孝平】「当然ですよ」

夏休みはまだまだある。

夏休みが無理なら、二学期が始まってからでもいい。

何も焦ることはないのだ。

【孝平】「さて、もう一踏ん張りしますか」

俺は立ち上がり、再びシャベルを手に取った。

休憩が長く続くと、どうしても立ち上がるのがおっくうになってしまう。

【孝平】「かなでさんは、もう少し休んでいてくださいね」

【かなで】「もういっぱい休んだよ」

【孝平】「休んでませんから」

【かなで】「へーき。それに、わたしも体脂肪落としたいもんね」

言い出したら聞かないんだ、この人は。

かなでさんはバケツを取り、掘り返した土をどんどん入れていく。

ざくっ。ざくっ。

奥に進むにつれて、だんだんと土の質感が変わってきた。

より湿っぽく、重みが増してきたような気がする。

これはかなり手強い。

ガツンッ

【孝平】「いてっ!」

【かなで】「どうしたの!?」

シャベルが大きな石にぶちあたった。

骨がじんじんとしびれている。

【孝平】「大丈夫です。石があっただけですから」

【かなで】「怪我はない?」

【孝平】「はい」

俺は手を押さえながら穴の中を覗き込んだ。

マジででかい石。

どーすんだこれ。

炎天下と相まって、意識が遠くなっていく。

でも、ここで悠長に意識を失ってる場合じゃない。

俺はシャベルを掲げ、果敢に立ち向かった。

ガツンッ

……予想以上にでかい。

これのせいで水はけが悪かったんじゃないか?

ガツンッ

【孝平】「くっ」

【かなで】「こーへー、大丈夫?」

【孝平】「はい、大丈夫です」

相手はたかが石一個なのに。

自分の無力さを痛感する。

所詮、おまえは何もできないんだと言われているようで。

……石に自我があるわけでもないのに。

ガツンッ

ガツンッ

【かなで】「こーへー、もういいよ」

【かなで】「手、痛めちゃう」

【孝平】「あともう少しなんです」

【孝平】「もう少しで、どかせますから」

なぜ俺は、こんなにムキになっているんだろう。

自分のやっていることが無駄だと思いたくないから?

本当は、心のどこかで諦めているから?

かなでさんによく思われたいから?

わからない。

わからないけど……。

ガツンッ!

【孝平】「……っ!」

【かなで】「こーへー!」

かなでさんが、俺の腕をつかむ。

ものすごい力だ。

咎めるような目で俺を見上げる。

やがて、その視線が。

ふと、俺の頭上に移った。

【かなで】「あ……」

ひらひらと舞い落ちるもの。

……羽根?

大きな鳥の羽根だった。

かなでさんはその羽根を受けとめ、さらに上へと視線を移した。

ばさばさばさっ

鳥のはばたく音がして、俺も空を見上げる。

……。

【かなで】「……あっ」

【かなで】「こーへー、見て」

かなでさんは指をさした。

ケヤキの木の枝へと。

俺はシャベルを置き、その方向へと歩いていく。

【かなで】「これ……芽だよね?」

【かなで】「芽が出てるよね?」

それはよく目をこらさなければわからない、ささやかなものだったけど。

確かに、枝から芽が生えていた。

わずかに緑の葉が開いている。

以前までは、確かにこんなものは生えていなかった。

【かなで】「こーへー、やったよ!」

【かなで】「この子、ちゃんとまだ生きてるんだよ」

【かなで】「まだ、生きようとしてるんだよ……っ」

かなでさんの瞳に涙が浮かぶ。

空から舞い降りた羽根を握り締め、真摯なまなざしでケヤキを見上げている。

──本当だ。

まだ、生きてる。

生きようとしているのだ。

何がきっかけとなって芽吹いたのかはわからない。

たまたま偶然が重なっただけかもしれない。

それでも、俺は嬉しかった。

骨の痛みや筋肉痛や血豆が全部チャラになるぐらい、嬉しかったのだ。