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//Continuation from August 29//

寮に着いた頃には、もう真っ暗だった。

【孝平】「……ちょっと、ゆっくりしすぎましたね」

【かなで】「あ、あははははは」

照れ隠しで大げさに笑ってみたり。

でも、つないだ手は放さなかった。

誰かに見られても構わない。

そのままぶんぶんとつないだ手を振りながら、寮に入っていく。

【かなで】「……」

【孝平】「? どうしました?」

廊下を歩いていると、かなでさんが立ち止まった。

視線は、廊下の窓。

薄暗い夜に佇む、ケヤキの姿。

【かなで】「ちょっと、寄っていってもいいかな」

【孝平】「……はい」

かなでさんはにっこりと笑って、中庭に続くドアへと歩いていった。

しんとした夜だった。

不思議と虫の声も聞こえず、静寂を保っている。

明日になれば、この場所もにぎやかになるだろう。

たくさんの人に見守られながら、ケヤキは最後の時を迎える。

……今は、かなでさんがケヤキと過ごす最後の夜なのだ。

この学校に入学してからずっと一緒だったケヤキとの、別れを惜しむひととき。

【かなで】「いろんなこと、あったねえ」

【かなで】「筋肉痛になるまで穴を掘ったり、肥料まいたり……」

【かなで】「こーへーとケンカしたり、いちゃいちゃしたり、いちゃいちゃしたり……」

【孝平】「そ、そんなにいちゃいちゃしてないじゃないですか」

【孝平】「……ここでは」

【かなで】「はて、どうだったかな?」

すっとぼけた。

【かなで】「でも、ちゅーはしたよ。ちゅー」

【孝平】「さて、どうでしたっけ?」

【かなで】「もー」

頬を膨らませてから、穏やかな顔になってケヤキに手をついた。

【かなで】「……ごめんね。守ってあげられなくて」

さらさらとやわらかな風が吹く。

周囲の木々が、内緒話をしてるみたいにざわめいている。

【かなで】「みんなの願い事を抱えすぎて、疲れちゃったのかな」

【かなで】「ごめんね……」

【孝平】「かなでさんは、この木に何か願ったことあるんですか?」

いつか聞こうと思って、なかなか聞けなかったこと。

するとかなでさんは、こくんとうなずいた。

【かなで】「いおりんは、願いが叶うわけないなんて言うけどね」

【かなで】「わたしは、この木には不思議な力があると思うなあ」

【かなで】「……だって、本当に叶ったんだもん」

どんな願いなんですか、とか、聞いてもいいのだろうか。

気になる。

【かなで】「気になる?」

【孝平】「ええ、まあ」

【かなで】「ふふふ」

【かなで】「6年前だよ。まだこの寮ができる前の話」

【かなで】「ここらへんは、こーへーともよく遊びに来たでしょ? 覚えてる?」

【孝平】「なんとなく」

はっきりと覚えているわけではない。

あの頃は、まだ幼かった。

【かなで】「仲のよかった男の子が、転校しちゃったの」

【かなで】「だからひなちゃんと一緒に、このケヤキに祈ったんだ」

【かなで】「もう一度、あの男の子が島に帰ってきますようにってね」

6年前に転校した男の子。

それは──

俺か?

【かなで】「ね? 叶ったでしょ?」

【孝平】「……」

知らなかった。

二人が、そんなことを願ってくれていたとは。

【かなで】「この子がいなくなっても、みんなの思いはなくならないんだよね」

【かなで】「ずっとずっと、在り続けるんだよね」

【かなで】「こーへーのおかげで、それがわかったから……」

【かなで】「明日は笑顔で、この子とさよならできる」

かなでさんは、ゆっくりと目を閉じた。

【かなで】「今まで、本当にありがとう……」

声の一粒一粒が、夜空に溶けていく。

今までありがとう。

明日は笑顔でさよならできるように。

……俺も最後に、そう祈りを込めた。

//August 30//

翌日。

秋晴れのような、さわやかな午後だった。

今日は、穂坂ケヤキ伐採記念式典の日。

早い時間から、多くの寮生たちが中庭につめかけていた。

今回、ケヤキ伐採を任された園芸業者の姿もある。

【伊織】「こんなに人がいっぱい来ると思わなかったな」

意外に集まりがよくて、会長は複雑そうな顔になった。

【孝平】「みんな、それだけケヤキのことが大切だったんですよ」

【伊織】「……ふうん、すごいね」

【伊織】「ただの木なのに」

会長は、この木の御利益に関してかなり懐疑的だ。

リアリストな吸血鬼っていうのも、どうなんだろうと思うが。

【かなで】「こーへー」

【孝平】「かなでさん」

出入口のドアから、かなでさんがひょっこり顔を出した。

【孝平】「もうすぐ始まりますよ」

【かなで】「うん」

記念式典といっても、別に理事長や学院長が出てくるわけではない。

寮生を代表して会長が斧を持ち、まずケヤキに一振り。

そのあとは、専門の業者におまかせして切り倒してもらうという、それだけの内容だ。

【かなで】「なんか、緊張するね」

【孝平】「はい」

俺たちが緊張したってしかたないのに、緊張してしまう。

あの木がなくなったあとの中庭は、いったいどんな景色なのだろう。

きっと、たぶん。

ここに足を踏み入れる機会は、かなり少なくなると思う。

もともと、転校当初はこんなとこめったに訪れなかったのだ。

なのにいつのまにか、日参するようになっていた俺。

……今になって、じんわりと寂しさが広がっていく。

【伊織】「紳士淑女の皆さん、ごきげんよう」

【伊織】「ただいまより、穂坂ケヤキ伐採記念式典を始めます」

会長のスピーチに、盛大な拍手が起こる。

いつのまに、マイクなんか用意していたのか。

【伊織】「えー、穂坂ケヤキは樹齢百年」

【伊織】「なんと百年もの間、恋する乙女たちの願いを叶え続けてきました」

よく言う。信じてないくせに。

【伊織】「百年目の今、残念ながら寿命を迎えてしまったわけではありますが」

【伊織】「このケヤキと過ごした思い出は、みなさんの胸に残り続けるでしょう」

【伊織】「……もちろん、ボクの胸にも」

静かな拍手から、大きな拍手につながっていく。

【瑛里華】「……しらじらしい」

そばにいた副会長がぼやく。

多少しらじらしくはあるが、珍しくまともなスピーチだった。

【伊織】「では寮生を代表して、俺が一太刀いかせていただきます」

【伊織】「そのあとは、プロフェッショナルな方々にバトンを渡すことにしましょう」

隣にいた東儀先輩が、会長に斧を渡す。

ケヤキのそばにいた寮生たちが、ざわわっと離れていった。

ざわめきが止み、一瞬にして静かになる。

誰もが固唾を呑んで、会長とケヤキを見守っていた。

【伊織】「では……」

【かなで】「ま、待って!」

突然、かなでさんが大きく挙手をした。

みんなが一斉にこちらを向く。

【伊織】「どうしたのかな?」

あからさまな笑顔で会長は答える。

どうしたんだ、かなでさん。

やっぱり、まだ納得できてないのだろうか。

などと考えていると、

【かなで】「その役目、わたしにやらせてもらえないかな」

……。

【孝平】「えっ」

【伊織】「え?」

俺と会長は同時に声をあげた。

あまりに予想外すぎる提案だった。

【かなで】「いおりん、お願い。わたしがやりたいの」

【かなで】「わたしがこの手で、この子を送り出してあげたいの」

【伊織】「……」

会長は少し考えていたようだったが、やがてかなでさんに斧を手渡した。

【伊織】「危ないから気をつけてね」

【かなで】「ありがとう」

かなでさんは、ぎゅっと斧を握る。

そして、ゆっくりと振り上げた。

……寮長としての、最後の幕引き。

ケヤキにしてあげられること。

自分の手で、送り出すことの意味。

……。

たぶん、これがかなでさんにとっての、本当の別れなのだ。

これがかなでさんなりの、責任の取り方なのだ。

痛くないはずはない。

心が痛まないはずがない。

それでも、かなでさんは──

【かなで】「……えぃっ!」

ザクッ……!

鈍い音を立てて、斧がケヤキに刺さる。

女の子の力では、それほど大きなダメージにはならない。

でも、痛かったはずだ。

かなでさんの心には、確実にそれ以上の傷が入ったはずだ。

俺には、それがわかった。

【かなで】「……」

斧を握るかなでさんの瞳から、一粒だけ涙が落ちる。

笑顔なのに、涙。

その涙を見つけたのは、俺だけではなかったようだ。

【女子生徒A】「寮長、お疲れ様でした!」

【男子生徒A】「お疲れ!」

【女子生徒B】「ありがとうございました!」

【かなで】「みんな……」

拍手とともに、声援が飛ぶ。

涙を浮かべている寮生もいる。

涙と笑顔の入り交じった、温かい空気が中庭に漂った。

【伊織】「では皆さん、拍手で送り出してあげましょう」

会長の合図とともに、準備をしていた園芸業者がケヤキを囲んだ。

チェーンソーの電源を入れ、その刃先をケヤキにあてがっていく。

【かなで】「……っ」

根元から、真横に刃が進入する。

容赦のない断絶だった。

百年かけて培ってきたものが、一瞬にして失われていく様。

【かなで】「バイバイ……」

バイバイ。

さようなら。

でも、思い出はここに在り続ける。

この中庭に、心に、ずっと。

……。

やがて、大きな音を立ててケヤキが倒れた。

【伊織】「……なんだか締まらない風景だね」

【孝平】「ですね」

ケヤキがなくなったあとの中庭は、ものすごく殺風景だった。

間が抜けているというか、何か足りないというか。

木一本で、これほどまでに違うのかと驚くほど。

記念式典が終わり、俺と会長と副会長だけが残っていた。

なんとか後片づけも終わり、一安心といったところだ。

【瑛里華】「また新しい木を植える?」

【伊織】「いいんじゃないか? このままで」

【伊織】「それに、ここの土はガーデニングに不向きのようだ」

【伊織】「やるとなったら、本格的に予算を立ててやらないとな」

副会長が苦々しい顔をした。

そんな予算はどこにもないと、表情が物語っている。

……やっぱり、寂しいものだ。

ひたすら穴掘りを繰り返した日々が、遙か昔のことのようで。

まだ一ヶ月も経っていないのに。

俺ですらこんなに寂しいのだから、かなでさんの喪失感はよほどのものだろう。

表向きは元気に振る舞っていたが、かなり落ち込んでいるに違いない。

【瑛里華】「悠木先輩は?」

【孝平】「部屋に戻ってる」

【瑛里華】「……大丈夫かしらね」

【孝平】「どうだろう」

【伊織】「やっぱり、代わりの木を植えた方がいいかな?」

【孝平】「いや、それもどうかと……」

あのケヤキの代わりにはならないと思う。

新たに植えるにしたって、あの思い出のケヤキじゃなければ意味がないのだ。

どうにかして、かなでさんを元気づけたい。

いったい、どうすれば……。

……。

【孝平】「なあ?」

【瑛里華】「?」

【孝平】「そういや、あのケヤキって切ったあとどうなっちゃうんだ?」

【瑛里華】「木材加工所に運ばれてるんじゃない?」

【瑛里華】「まあ樹病を患っていたから、全部を再利用することはできないでしょうけど」

【孝平】「……」

【孝平】「てことは、使える部分は残されてるってこと?」

【伊織】「ああ、そういうこと」

【伊織】「それが何か?」

……俺、いいこと思いついてしまったかも。

//August 31//

【かなで】「な、何? どーしたのっ?」

【孝平】「いいからいいから」

朝イチで、かなでさん拉致に成功。

問答無用で体操着に着替えさせ、どたどたと廊下を突っ走る。

【かなで】「あ、あのねこーへー」

【かなで】「わたしはね、こーへーのどんな要求にも応えるつもりではいるけどね?」

【かなで】「朝っぱらから、その、体操着でっていうのはマニアックっていうか……」

何やら盛大に誤解されているらしい。

まあおもしろいから、誤解させたままにしておくか。

【かなで】「でも、そうだよね。今日は夏休み最後の日だもんね」

【かなで】「最後くらい、景気よくいこうぜーって気持ちもわからないではないよ?」

わけのわからないことを言い始めた。

俺は必死に笑いをこらえる。

【孝平】「かなでさんが素直な人でよかったです」

【孝平】「一緒に、景気のいい思い出を作りましょう」

【かなで】「う……こーへーがそう言うなら……」

真っ赤になった。

【かなで】「ねえ、ほんとにどこ行くの?」

【孝平】「外です」

【かなで】「外!?」

【かなで】「朝から、外?」

【孝平】「はい」

【かなで】「む、むりだよ!」

【かなで】「そんなの絵日記に書けないよ!」

【孝平】「書けますって」

【かなで】「ええぇえぇっ」

勝手にパニックに陥るかなでさんの手を握り、俺は中庭に続くドアを開けた。

【かなで】「こーへー、ちょっとまっ……」

中庭に出た瞬間、かなでさんは足を止める。

わけがわからないといった顔。

両手を口にあて、ゆっくりと中央に歩いていった。

【かなで】「これは……」

【孝平】「穂坂ケヤキを加工してもらったんです」

中庭の真ん中に準備しておいたのは、いくつかの木材。

昨日、業者に頼み込んで、ケヤキの一部をカットしてもらったのだ。

時間がなかったのでおおざっぱなカットになってしまったが、それでも十分だ。

【孝平】「この木材を使って、ベンチを作りましょう」

【孝平】「中庭に置いて、みんなに使ってもらうんです」

【かなで】「……っ」

かなでさんは、木材のそばにしゃがみ込んだ。

そっと指で触れ、俺を見上げる。

【かなで】「こーへーが、用意してくれたの?」

【かなで】「わたしのために?」

【孝平】「俺はただ運んだだけです。カットしたのは業者ですから」

【かなで】「でも、こーへーが考えてくれたんだよね?」

【孝平】「まあ、そうです」

かなでさんを元気づける方法。

一度倒したケヤキは、もう二度と戻らない。

だったら、別の形でケヤキを蘇らせればいい。

いつでもそばにいられるように。

【孝平】「……喜んでもらえました?」

【かなで】「あたりまえだよ」

【かなで】「こんなに景気のいいプレゼントが待ってるなんて……」

【かなで】「ありがとう。こーへー!」

かなでさんに、ようやく笑顔が戻った。

……そう。

俺は、この笑顔が見たかったんだ。

ずっとこの笑顔を見たいと思っていたのだ。

かなでさんが笑っていてくれるなら、俺はどんなことでもできそうな気がするから。

【かなで】「……こんな感じでいいのかな?」

【孝平】「たぶん」

二人して、手探り状態でベンチを組み立てていく。

【かなで】「そっかー。だから体操着か」

【孝平】「なんだと思ったんですか?」

【かなで】「ふっふ~、なんでもないよ?」

にやにやにやにや。

【孝平】「ご機嫌ですね」

【かなで】「おかげさまで」

【かなで】「ねね、このベンチ、修智館学院の新名所になるよね?」

【孝平】「でしょうね」

【かなで】「きっとさ、また新しい言い伝えが生まれるんだよ」

【かなで】「このベンチに座って告白すると、両思いになれるとか」

【かなで】「このベンチに座ってキスすると、永遠の愛が約束されるとか!」

かなでさんの目がきらきらと輝く。

女の子って、ほんとにこの手の話が大好きだ。

【孝平】「じゃあ、試してみますか?」

【かなで】「……えっ?」

【孝平】「ニスが乾いたら」

【かなで】「……ぅ」

頬を赤らめ、俺を見つめる。

くりくりとした目に、吸い込まれそうになる。

【かなで】「う、うぅ」

【かなで】「乾くまで、我慢できない」

【孝平】「へっ?」

【かなで】「こーへー、ちゅーしよ。ちゅー」

【孝平】「わっ、ちょっと!」

【孝平】「ニスが、ああぁっ」

【かなで】「あはは、えぃっ」

俺に飛びつき、ちゅー爆弾を頬にお見舞いしてくるかなでさん。

最高に恥ずかしくて、最高に幸せな時間。

そんな時間を俺にくれるのは、かなでさんだけだ。

ずっとずっと、いつまでも。

いつまでもそばにいてください。

ニスが乾いて、ベンチに座ったら。

俺は真っ先に、そう願いをかけるだろう──

//ED//