FANDOM


門限前の午後8時52分。

並木道に人影はなく、街灯の明かりがぼんやりと石畳を照らしている。

俺は監督生室に忘れたノートを回収し、寮へ向かっていた。

【孝平】「お?」

並木道の真ん中に猫がいる。

闇が凝り固まったように真っ黒な猫だ。

黒猫が道を横切るのは不幸の前兆と言うが、見つめられるのはなんの前兆なんだろう?

そんなことを考えつつ進む。

【黒猫】「な~ぉ」

1メートル程度まで近づいたところで猫が鳴いた。

話しかけるような声の調子に、思わず足を止める。

【黒猫】「なー」

【孝平】「ん、どうした?」

屈み込んで手を出してみる。

猫は少しだけ俺の手を見て、ふいと顔を逸らした。

右前足で顔を洗い始める。

おいこら、と言いかけた瞬間、

背筋に悪寒が走った。

【孝平】「っっ」

振り返る。

……誰もいない。

気のせいか。

また前を向く。

【孝平】「……」

猫がいなくなっていた。

ぽた、

ぽた、

石畳に、赤い水滴が落ちている。

【孝平】「?」

差し出したままの手の甲から血が流れていた。

【孝平】「おわ」

痛みはほとんどない。

猫にひっかかれたのか?

ぜんぜん気がつかなかった。

とりあえずハンカチを当てる。

あとで消毒しとこう。

【瑛里華】「あら、支倉くん」

上から副会長が下りてきた。

【孝平】「よう」

【瑛里華】「忘れ物あった?」

【孝平】「バッチリだ」

【孝平】「気づくのが遅かったら門限でアウトだった」

【瑛里華】「間に合ってよかったじゃない」

【瑛里華】「ま、もしアウトになったときは、言ってくれればノート貸してあげるから」

【孝平】「さんきゅ。そんときは頼むよ」

じゃ、と別れかけたところで、

【瑛里華】「支倉くん、どこかケガしてない?」

副会長が足を止める。

【孝平】「ああ、ちょっとな」

手に巻いたハンカチを見せる。

少し血がにじんでいた。

【瑛里華】「み、見せなくて……いいから」

副会長がじりっと後ずさった。

顔が真っ赤だ。

これは……あれか?

吸血鬼的な反応か。

【孝平】「やっぱり、飲みたくなったりするのか?」

【瑛里華】「な、ならないわよ」

その態度は肯定しているようなものだが。

【瑛里華】「私は人から吸わないの」

【孝平】「エレガントじゃないんだっけ?」

【瑛里華】「そういうこと」

【瑛里華】「だいたい、一緒に生活してる人から吸う気になんてならないでしょ」

【瑛里華】「輸血用血液で十分」

【孝平】「なるほどな」

代替品があるなら、わざわざ嫌な思いをして人間から血を吸うことはない。

【孝平】「でも、それはそれで吸血鬼らしくないな」

【瑛里華】「悪かったわね」

【瑛里華】「支倉くんに、親みたいなこと言われるとは思わなかった」

【孝平】「すまん、気に触ること言った」

【瑛里華】「あ、気にしないで。こっちも言ってなかったんだし仕方ないわ」

よくわからんが、吸血鬼のご家庭にもいろいろあるようだ。

それこそ人間には想像もつかない苦労があったりするのだろう。

【瑛里華】「それより、傷は大丈夫?」

【孝平】「大したことない。野良猫にひっかかれただけだ」

【瑛里華】「野良猫?」

【孝平】「撫でようとしたらやられた」

【瑛里華】「まったく……」

副会長が、呆れたように笑う。

【瑛里華】「バイ菌入らないようにね」

【孝平】「ちゃんと消毒しとく」

【孝平】「じゃ、また明日」

【瑛里華】「ええ、おやすみなさい」

軽く手を振って副会長と別れた。