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//Another view : Erika//

あの人の呼び出しはいつも突然だ。

こっちの都合など気にせず、呼びたいときに呼び出す。

まあ、呼び出しだけではなく、あらゆる面でこっちに配慮しないのだが。

昼夜通して灯された明かり。

停滞した空気。

時間が流れていることを知らせてくれるのは、お香の煙だけだ。

もぞりと、御簾の奥で影が動く。

【??】「お前のお気に入り、支倉と言ったか」

突然、しゃべりだした。

【瑛里華】「誰がお耳に?」

【??】「いいのに目をつけたな」

質問の答えは返ってこない。

【??】「なかなかいい味をしている」

【瑛里華】「っっ!」

全身が凍りつく。

まさか、

まさか……、

支倉くんの血を……。

そんな、いきなり。

【??】「少し味見をしただけだ」

私の動揺を見透かしたかのように言葉を続ける。

少し安堵を覚えつつ、頭の中には寮でのやりとりが浮かんでいた。

……手のケガに思い当たる。

なるほど。

体を傷つけ、味見をしたということか。

【瑛里華】「……」

奥歯を噛む。

一瞬でも安堵した自分が恨めしい。

そもそも、傷をつけただけでも許せるものではないのに。

だが、ここは我慢するところ。

あの人の機嫌を損ねれば状況が悪化するだけだ。

【瑛里華】「学院までいらっしゃったのですか?」

【??】「自分の餌場に行って何か不都合があるか?」

【瑛里華】「いえ」

【??】「ふん」

【??】「して、いつ眷属にするつもりだ?」

【瑛里華】「今は様子を見ています。近いうちに必ず」

【??】「どう様子を見るというのだ?」

【瑛里華】「なにぶん学院でのことですから、慎重の上にも慎重を期さなくては」

ぱちりと、扇を畳む音が響いた。

【??】「あれだけの上物だ。逃げられぬうちに眷属にしろ」

【??】「それが貴様のためだ」

【瑛里華】「はい」

何が私のためだと言うんだろう。

輸血用血液がある今、どこに眷属など作る必要がある。

【??】「吸血鬼は吸血鬼らしく生きよ」

【瑛里華】「……」

【??】「返事をせい」

【瑛里華】「……はい」

再び扇が鳴る。

【??】「まあよい。眷属を作らねば屋敷に戻すだけだ」

【??】「母としては、貴様にまっとうな吸血鬼になってほしいものだがな」

まっとう?

必要もないのに人を傷つけるのがまっとうか。

時代錯誤もいいところだ。

【瑛里華】「わかりました」

【??】「下がれ」

できるだけ速やかに立ち上がる。

一秒たりとも長くここにはいたくない──

はずだ。

【瑛里華】「失礼します」

自分の情動にかすかな違和感を覚えつつ、部屋を退出した。

【??】「小賢しいことよ」

【??】「……しかしあの血、どういうことだ」


//Another view ends//

//Possibly a date change here//


朝。

いつもの時間に寮の玄関を出る。

お、あれは……。

前方に副会長発見。

【孝平】「おす、副会長」

駆け寄って声をかけた。

【瑛里華】「あ、おはよう……支倉くん」

【孝平】「どうした、テンション低いな」

【瑛里華】「ちょっと夢見が悪くて」

【孝平】「前もそんなこと言ってたよな」

【孝平】「どんな夢なんだ?」

【瑛里華】「えーと……」

【瑛里華】「あんまり覚えてないかも」

困ったように眉を曲げて言う。

【孝平】「あるよな、起きたら忘れてること」

【孝平】「ま、テンション上げていこう」

【瑛里華】「ええ」

副会長に笑顔が戻った。

始業前の廊下を教室に向かう。

【女子生徒A】「ねえねえ聞いた?」

【女子生徒B】「え、なに?」

【女子生徒A】「昨日の夜、吸血鬼が出たんだって」

【瑛里華】「っっ!?」

隣を歩いていた副会長が、びくりと硬直した。

【孝平】「……」

問題発言をした女の子たちは、笑いながら通りすぎていく。

単なる噂話のようだが……。

【孝平】「どういうことだ?」

【瑛里華】「……」

副会長は答えない。

血が引いたように顔は蒼白になっている。

【孝平】「副会長」

【瑛里華】「え、あ、なに?」

やっと俺を見る副会長。

【孝平】「もしかして、副会長が見られたのか?」

【瑛里華】「違うと思うわ」

【孝平】「そうすると、会長かな」

【瑛里華】「直接聞いてみないことには何とも言えないわ」

【瑛里華】「姿を見られるなんて自殺行為だし、おそらく兄さんじゃないと思うけど」

そう言いながらも顔は不安げなままだ。

【孝平】「俺は、放課後までに情報集めてみるよ」

【孝平】「噂の出所とか、何を見たのかとか」

【瑛里華】「ええ、お願いね」

副会長がか細く微笑む。

自分が見られたわけではない──

副会長はそう言ったが、やはり不安なのだろう。

今回の噂がよくある怪談だったとしても、彼女にとっては辛い状態のはずだ。

実際に姿を見られたらどうなるか、リアルな実験を見せられてるようなものなのだから。

放課後。

監督生室には役員全員が集まっていた。

【瑛里華】「例の噂については聞いてるわね」

【伊織】「今日はどこに行っても、吸血鬼話だったからねえ」

【伊織】「聞いてないほうがモグリだよ」

【瑛里華】「支倉くん、詳細は調べてくれた?」

【孝平】「ああ、一通りね」

今日の昼休み。

朝の宣言通り、俺は聞き取り調査を行った。

【孝平】「目撃者は5年4組の女の子」

【孝平】「昨日の夜9時半ごろ、礼拝堂近くで屋根の上に黒い人影を見た」

【孝平】「その人影は、女の子に気づくと寮の方へ飛び去ったらしい」

【征一郎】「血を吸っているところを目撃したわけではないのだな」

【孝平】「はい」

【瑛里華】「飛び去った人影については何かわかってるの?」

【孝平】「顔は見えなかったけど、体型は女の子に見えたと言ってる」

【孝平】「長い髪で、マントを羽織ってたってことだ」

【伊織】「瑛里華じゃないのか?」

【瑛里華】「私が教会の屋根に上るわけないでしょ」

【伊織】「そうだよねぇ……」

つまらなそうに言う。

【孝平】「副会長が見られた方がよかったんですか」

【伊織】「その方が面白いだろ?」

【瑛里華】「面白いわけないでしょ、まったく」

【征一郎】「聞いた限りでは、人間離れした運動能力とマントという服装が、吸血鬼を連想させたようだな」

【瑛里華】「でしょうね」

【瑛里華】「しかも、目撃者が連想したのは映画に出てくるような吸血鬼でしょう?」

【瑛里華】「本物の吸血鬼なら、わざわざ目立つ格好なんてしないと思うわ」

【白】「でも、礼拝堂の屋根から飛び去るなんて普通の人にはできません」

【孝平】「鳥かなんかの見間違いじゃないか?」

【瑛里華】「礼拝堂なんていかにもな場所だし、先入観でそれっぽく見えたんでしょ」

副会長の表情にもかなり明るさが戻っていた。

とりあえずは一安心だ。

【征一郎】「ところで、人影が目撃された時間だが……」

【征一郎】「夜9時半といえば門限を過ぎている。なぜそんな時間に生徒が出歩いている」

【孝平】「最近できた彼氏と、礼拝堂近くのベンチで語り合ってたんだそうです」

【伊織】「あれだね」

【伊織】「そのカップルは、ホラー映画だと真っ先にやられるタイプだ」

【孝平】「仲良くしゃべってる程度なら大丈夫でしょう」

【孝平】「それ以上進むと、第一被害者になる可能性大ですが」

【白】「どういうことですか?」

【征一郎】「知らなくていい」

【白】「?」

白ちゃんは、ほんと純粋だよな。

【伊織】「で、どうする? いちおう調べてみるか?」

【瑛里華】「そうねえ……」

【瑛里華】「見間違いだとは思うけど、私たちの他に吸血鬼がいないとは断定できないし」

【伊織】「というわけで頼むよ、征」

【征一郎】「わかった、夜の外出許可を取っておこう」

東儀先輩が席を立ち、部屋を出ていく。

【瑛里華】「はあ」

副会長が大きくため息をつく。

【孝平】「お疲れだな」

【瑛里華】「自分には関係ないってわかってても、吸血鬼って単語が思わず気になっちゃうのよね」

無理もないと思う。

今日の学院は吸血鬼話で持ちきりだった。

笑う生徒、

怯える生徒、

吸血鬼の弱点を話し合う生徒、

本物の吸血鬼である副会長にとっては、どれも気持ちがいいものじゃないだろう。

そりゃ疲れもする。

【伊織】「この程度で神経をすり減らすなんて、瑛里華も若いな」

【瑛里華】「平気な兄さんがおかしいのよ」

【伊織】「バレたら終わり、これは昔っから変えようのない事実だ」

【伊織】「そのくらい、覚悟しておくべきことさ」

【瑛里華】「その覚悟はできてるわ」

【瑛里華】「ただ、みんなを騙してるみたいなのが心苦しくて」

吐き出すように言う。

【孝平】「騙してなんかないさ」

【瑛里華】「そうかしら」

【孝平】「誰だって言えないことの一つや二つあるだろ? それと一緒だ」

【孝平】「裏切ってるなんてことは絶対ない」

【瑛里華】「……」

副会長が俺の顔を見る。

少しだけ驚いていた顔が、優しい笑顔に変わる。

【瑛里華】「ありがとう、支倉くん」

【白】「瑛里華先輩、元気を出してください」

【瑛里華】「ええ」

そう言って副会長は笑う。

【伊織】「ありがたいものじゃないか」

会長が席を立ち窓際へ移動し、外を見ながら口を開いた。

【伊織】「大切にしたいな、支倉君みたいな良き理解者は」

【伊織】「世の中には、裏切っていい人といけない人がいるからね」

【瑛里華】「わかってるわ」

二人に持ち上げられ、こそばゆい気分だ。

【孝平】「しっかり調査して、こんな噂はさっさとなくそう」

【白】「はい、頑張りましょう」

午後9時。

生徒会役員が監督生室に集合した。

門限を過ぎているので、いちおう電気は消してある。

【瑛里華】「征一郎さん、白は?」

【征一郎】「寮に帰した」

【征一郎】「こういう時、白は足手まといになる」

そうは言っているが単に心配だったのだろう。

【瑛里華】「ほーんと、妹思いね」

からかうように副会長が言う。

【征一郎】「こほん、そういうことではない」

【伊織】「支倉君」

【伊織】「システム・コンフリクト、略して?」

シスコンと言わせたいらしい。

【孝平】「シスフリ」

【伊織】「ということだ、このシスター・フリークめ」

【征一郎】「違う」

拾われた。

【瑛里華】「はいはい、ウダウダやってないで行きましょう」

五月も半ば。

闇夜を走り抜ける風が、濃い緑の香りを運んでくる。

【瑛里華】「……」

副会長が軽く手を挙げた。

それにうなずき、俺たちは歩き始める。

隊列は、副会長、俺、東儀先輩、会長の順。

もしものことを考え、前後を吸血鬼が守る形だ。

噴水まで下りてきた。

周囲の建物の明かりは消えている。

暗い闇の中で、火災報知器の赤い非常灯だけが獣の目のように光っていた。

副会長が礼拝堂を指さす。

吸血鬼らしき人影の目撃地点だ。

礼拝堂へと続く階段は、暗い森に吸い込まれている。

足音を忍ばせて先へ進む。

苔に足を取られそうになりながら、一歩一歩石段を踏みしめる。

階段の両脇は鬱蒼と茂る広葉樹の森。

月の光は届かない。

【孝平】「……」

その建物が現れた。

昼ならば歴史を感じさせる壁の黒ずみ。

だが今は、地面から這い上がった影がしがみついているようだ。

ぐるりと周囲を見回す。

……。

不審なものは見当たらない。

副会長が歩きだす。

建物を一周した。

何も見つからない。

副会長に視線を送ると、軽く肩をすくめた。

……次の場所へ移動だ。

2時間ほど見回りを続けてから、俺たちは寮を目指していた。

【孝平】「空振りか」

【瑛里華】「向こうにも都合があるのかもね」

【瑛里華】「気長にいきましょう」

【孝平】「そうだな」

吸血鬼らしき人物が実在するのかしないのか、

目撃されたのは偶然なのか故意なのか、

学院関係者なのかそうでないのか、

わからないことばかりだ。

となれば、しばらくは見回りを続けるしかない。

【伊織】「見つからなければ、それはそれで構わないさ」

【征一郎】「生徒さえ危険な目に遭わなければ我々としては問題ない」

【孝平】「そうですね」

このまま何事もなければ、噂もそのうち消える。

それならそれでいい。

【かなで】「そこ行く四人組~、止まりなさ~い」

【瑛里華】「あら」

【孝平】「かなでさん」

【かなで】「遅くまでご苦労」

【伊織】「悠木姉こそ精が出るね」

【かなで】「いおりん、それはお互いさま」

【かなで】「で、首尾は?」

【征一郎】「異常はない」

【孝平】「見回りしてるの知ってたんですか?」

【かなで】「このわたしの情報網をもってすれば……」

【征一郎】「外出許可を取りに行った際に教えただけだ」

【かなで】「せいちゃん……たまにつれない」

【征一郎】「いつもだ」

【かなで】「きびしー」

【瑛里華】「ほんと、お元気ですね」

【かなで】「もち」

【かなで】「元気も余ってるし、明日は風紀委員会も夜のお散歩に出ようかな」

【孝平】「あんまりおおっぴらに動くと、噂が大きくなりますよ」

【かなで】「ちっさいこと言わないの」

【瑛里華】「支倉くんの言う通りです。ここは生徒会に任せて」

【孝平】「ま、そういうことで」

【かなで】「面白そうなのになぁ」

【伊織】「まあまあ悠木姉、ここは抑えて」

【伊織】「俺が女子大浴場ツアーに付き合ってあげるから」

【かなで】「ほんと!?」

【かなで】「……なんて言うかシーーール」

ぺたし

会長の額にシールが貼られた。

すかさず、ぺりっとはがす会長。

【伊織】「おおっ、新しい絵柄だ!」

【かなで】「昨日作ったの」

【伊織】「俺のシールコレクションがまた充実したよ」

【伊織】「ありがとう悠木姉」

【かなで】「はっはっはっは」

【伊織】「はっはっはっは」

ついていけねえ。

【??】「貴方がた、門限が過ぎているのですから静かになさい」

鋭い声とともに現れたのは……、

【孝平】「し、シスター」

左手にはフライパン、右手にはおたま。

神をも滅ぼす最強装備だ。

【瑛里華】「今夜は外出許可を出していただいて、本当にありがとうございました」

場を取りなすように副会長が前に出る。

【孝平】「おかげで、しっかり見回りができました」

【シスター天池】「構いません、平穏な学院生活のためですから」

【シスター天池】「ところで、外出は許可しましたが騒ぐのは許可していませんよ」

【シスター天池】「早く部屋にお戻りなさい」

【孝平】「了解です」

【シスター天池】「千堂君、貴方は生徒会長でしょう?」

【シスター天池】「生徒たちの規範にならないでどうするの」

【伊織】「申し訳ない、志津子ちゃん」

【シスター天池】「その呼び方はやめなさい」

【伊織】「テレなくてもいいじゃない」

【シスター天池】「千堂君」

フライパンを構えるシスター。

【征一郎】「ほら、行くぞ」

【伊織】「ん?」

東儀先輩が会長の首根っこを捕まえる。

そして寮に引きずっていった。

【シスター天池】「……えー、こほん」

【シスター天池】「貴方がたも早くお戻りなさい」

【かなで】「うん。じゃあね、まるちゃ……」

物騒なことを言いかけたかなでさんの口を塞ぐ。

【瑛里華】「では、失礼します」

【孝平】「失礼します」

【かなで】「んー、んー」

俺はかなでさんを引きずって寮へ入った。

世話が焼ける。


//May 15//

門限が過ぎ──

俺たちは、また監督生棟前に集合していた。

【瑛里華】「じゃ、行くわよ」

【孝平】「おう」

小声で気合いを入れる。

少し歩くと、肌にじっとりと汗がにじんできた。

地球温暖化かなんだか知らないが、五月にしてはむっとした夜だ。

なんか嫌な感じだ。


//Switch to Yuki sisters' POV//

【陽菜】「お、お姉ちゃん、戻った方がいいよ」

【かなで】「みんなの夜を守るのは、風紀委員の役目」

【かなで】「それにさ、吸血鬼なんているわけないじゃない」

【陽菜】「そ、それはそうだけど……」

【陽菜】「なんの音だろう?」

【かなで】「あああぁぁぁひなちゃん、あれ、あれあれあれあれあれっ」

【陽菜】「え、あれって……」

【かなで】「追いかけなきゃっ」

【陽菜】「お姉ちゃんっ」


//Switch back to Kouhei//


礼拝堂に到着し、ぐるりと周囲を見回る。

怪しい人影はない。

……今日も空振りか。

【伊織】「瑛里華」

【瑛里華】「ええ、来るわ」

二人の視線を追う。

見ているのは……、

空だ。

初めカラスだと思った。

すぐに誤りだと気づく。

急速に接近するそれは、カラスと呼ぶには大きすぎた。

俺たちの頭上を越え、影は礼拝堂の屋根に着地した。

銅板葺きの屋根が重い音を響かせる。

【孝平】「マジか……」

人間にできることじゃない。

影がこちらに背を向けたままゆっくりと直立する。

不意に吹いた風が、まとっていたマントをひるがえらせた。

裾から覗く白い脚二本。

風に舞う長い髪。

女性だ。

【瑛里華】「貴女、顔を見せなさい」

【??】「……」

風がやみマントが静止する。

影も微動だにしない。

【瑛里華】「見せないなら、見にいくわよ」

副会長の身体が沈む。

ガッと石畳を蹴る音。

【孝平】「……」

次の瞬間、副会長の身体は屋根よりも高い位置にあった。

影の動きが人外なら、副会長のそれもまた同様だ。

副会長の高度が頂点に達したとき、影の重心が下がる。

【??】「っっ」

副会長とすれ違うように、影が夜空に吸い込まれる。

その姿は、さながら放たれた黒い矢。

わずかに遅れて、副会長が矢の軌跡を追う。

//Switch to Erika's POV//

【瑛里華】「あーもー」

前方でひるがえるマントとの距離は、徐々に開いていた。

完璧に運動不足。

学院生活の中で、力をセーブする癖がついていたようだ。

【瑛里華】「待ちなさいっ」

叫んでみたところで聞こえるわけがない。

空を切る音で自分の声すら聞こえにくいのだから。

【瑛里華】「くっ」

身体が重力に引かれ始めた。

向こうはまだ力強く前進している。

早く次の跳躍に入らねば。

人間生活のカセを外して跳躍すれば、きっと追いつくはずだ。

着地地点を探す。

校舎の横。

よし。

スカートを押さえ、着地姿勢に入る。

【瑛里華】「えっ」

誰かが着地地点に走ってきた。

あれは……、

……。

悠木陽菜。

よりにもよって、悠木陽菜!

【瑛里華】「最低」

【陽菜】「きゃあっ!」

着地の衝撃が足の裏から脳天まで突き抜ける。

靴のかかとが豪快にすり減る感触。

まあ、そんなことはどうでもいい。

問題は……、

目の前で腰を抜かしている、悠木さんだ。

【陽菜】「ぁ……ぁ……ぁ……」

元から丸い目をまん丸に見開いて、私を見ている。

後ずさることもできず、ただもじもじと手足を動かす。

膝が開かないあたり、育ちの良さが窺える。

【陽菜】「せせ……せんどう、さん?」

//Switch back to Kouhei//

急いで階段を駆け下りた。

副会長が飛んでいったのは新敷地の方角だ。

一刻も早く追いつかなくては。

校舎の脇まで下りてきた。

【伊織】「まずいな」

【孝平】「何がです」

【伊織】「ま、すぐわかる」

少し走ると人影が見えた。

副会長だ。

【孝平】「え……」

ぎょっとした。

副会長の足下に誰かが座っている。

見慣れたその姿は──

陽菜だ。

陽菜がどうしてこんなところに?

黒マントの正体が陽菜?

まさか、そりゃないだろ。

【瑛里華】「……」

副会長は、呆然としている陽菜を沈痛な面持ちで見下ろしていた。

【孝平】「副会長」

副会長がこっちを見る。

無言でまた視線を陽菜へ戻した。

【陽菜】「こ、こうへい……くん」

陽菜は涙目。

石畳にへたり込んだまま、俺たちの顔を順に見回している。

【伊織】「見られたのか?」

会長が副会長に問う。

声はいつもと変わらない。

【瑛里華】「……ええ」

対して副会長は、ようやくしぼり出したような声を出す。

【陽菜】「あ、あの……こうへい、くん?」

陽菜がすがるような目で俺を見る。

【孝平】「何があったんだ、陽菜?」

【陽菜】「えっと……あの、あの……」

【孝平】「大丈夫だ、落ち着いて」

【陽菜】「う、うん……」

【陽菜】「その……千堂さんが、空から突然……」

降ってきたのか。

……なんてタイミングだ。

副会長はどうするつもりだろう。

俺みたいに記憶を消すのか?

だとしたら、俺はそれを見過ごすのか?

いろんな思考が頭の中を駆けめぐる。

【伊織】「見たのなら、忘れてもらおう」

さらりとした口調で会長が言う。

【孝平】「か、会長」

【陽菜】「え、なに? どういうこと?」

陽菜がおろおろと俺を見る。

放っておけば、会長は容赦なく記憶を消すだろう。

たしかに、変なことに巻きこむより忘れてもらった方が彼女のためかもしれない。

記憶がなくなる期間だって、きっと一日か二日だ。

だが。

その一日二日に、陽菜にとって大切な記憶が含まれていないとは限らない。

【伊織】「時間かけても仕方ないし、さっさと済ませようか」

【孝平】「待ってください」

【伊織】「なんだい?」

【孝平】「少し待ってもらえませんか?」

【征一郎】「待ってどうする?」

【孝平】「陽菜に、俺と同じ立場になってもらうってのはどうです?」

【伊織】「増えるなら誰でもいいってわけじゃないんだけどね」

【孝平】「だからって、今すぐじゃなくても」

【伊織】「けどねえ、それでもし俺たちが面倒な目に遭ったらどうする?」

【孝平】「陽菜は、広めたりしないと思います」

【陽菜】「ど、どういうこと、広めるって何を?」

まったく状況が把握できていない陽菜は、ただきょろきょろと周囲を窺うばかりだ。

【伊織】「悪いけど、ギャンブルはしたくないな」

【伊織】「瑛里華、さっさと済ませてくれ」

【瑛里華】「え?」

【伊織】「子供じゃないんだし、自分のまいた種は自分で刈り取ってもらわないと」

副会長が唇を噛む。

苦渋に満ちた表情をしていた。

俺の記憶を消そうとしていたときと同じ表情だ。

まっとうな神経を持ってる人なら、他人の記憶を消せば相当な罪悪感に苛まれるはずだ。

会長みたいにさっぱり割り切れればいいが、副会長はそうではないだろう。

副会長に、そんな思いはさせたくない。

だが、副会長は一歩前に踏み出した。

やる気……なのか?

【孝平】「副会長っ」

【瑛里華】「……」

【陽菜】「こ、孝平くん、何? どうしたらいいの?」

陽菜が俺の脚にすがりつく。

副会長が、陽菜に向かって一歩踏み出した。

マジか。

【かなで】「あー、いたいた」

本敷地の方から、聞き慣れた声が飛んできた。

かなでさんだ。

【征一郎】「どうして悠木が」

【陽菜】「あ、あの、吸血鬼を探しに行くって」

【陽菜】「止めたんですけど、どうしても聞かなくて……」

最低のさらに下を行く状況だ。

陽菜の記憶を消すのを目撃されれば、かなでさんの記憶も消さなきゃいけない。

こうしている間にも、かなでさんはこっちへ向かって走っている。

事態は急を要する。

【孝平】「陽菜、よく聞いてくれ」

【陽菜】「う、うん」

【孝平】「わけがわからないと思うが、ここであったことは絶対秘密にしてくれ」

【孝平】「かなでさんにも内緒だ」

【陽菜】「え、えーと……」

【孝平】「あとできちんと説明するから、頼む」

自信も根拠もないが、ここは勢いで押し切ろう。

【陽菜】「わ、わかった」

【孝平】「すまん、陽菜」

【伊織】「おいおい、支倉君」

【孝平】「ここで被害者を増やしてもいいことないですよ」

【伊織】「ふむ」

会長が腕を組む。

副会長がほっとしたように息をついた。

災いが福に転じたかはともかく、かなでさんには感謝だ。

【かなで】「やあやあ、生徒会の諸君」

かなでさんが到着した。

【伊織】「やあ、悠木姉」

【かなで】「あれ? ひなちゃん、どうかしたの?」

【孝平】「ああ、ちょっとつまづいたんです」

と、陽菜の手を取って立ち上がらせる。

まだ膝に力が入らないようだが、なんとか立ってもらう。

【陽菜】「あ、うん、暗かったからちょっと」

【かなで】「ケ、ケガしてない?」

【陽菜】「うん、大丈夫」

【かなで】「こーへー、ちゃんと注意してあげてね」

【かなで】「もしものことがあったら、大変なことになるよ、こーへーが」

【孝平】「気をつけます」

かなでさんに、大変な目に遭わされるらしい。

【征一郎】「しかしな、悠木」

【征一郎】「それ以前に、二人がここにいることが問題だろう? 何時だと思ってる」

【かなで】「風紀委員長として、学院の夜を守るのは当然の義務」

胸を張るかなでさん。

【孝平】「でも、どうして本敷地の方から?」

【かなで】「並木道のとこで見たの、吸血鬼らしき人影を」

【かなで】「ひなちゃんも見てるはずだよ」

【陽菜】「はい、私も見ました。黒い影が空を飛んでいたんです」

【かなで】「本敷地の方に向かってたから、監督生棟まで探しに行ったんだけど」

【瑛里華】「どうでした?」

【かなで】「ダメだった」

渋面を作るかなでさん。

【伊織】「俺たちは礼拝堂にいたけど何も見なかったね」

【征一郎】「ああ、特に変わったことはなかったな」

噴水広場を時計の中心とすると──

10の数字が礼拝堂、12が監督生棟に当たり、噴水広場とはそれぞれ別の階段でつながっている。

俺たちが礼拝堂からの階段を駆け下りていたころ、かなでさんは監督生室への階段を上っていたというわけだ。

【かなで】「だったら、どこ行ったんだろ?」

【孝平】「鳥と見間違えたんじゃ?」

【かなで】「違うって。すごく大きかったんだから」

両手を大きく広げるかなでさん。

【伊織】「ともかく大手柄だよ悠木姉。寮で詳しいことを聞かせてくれないか?」

【かなで】「りょーかい」

会長が寮へ戻る流れを作る。

新敷地に消えた吸血鬼らしき人影も気になるが……。

まずは状況を落ち着かせるのが先決だろう。

【孝平】「じゃあ、寮へ戻りましょう」

【征一郎】「そうだな。外出許可を取っているとはいえ、もう遅い」

【かなで】「よーし、レッツリターン」

かなでさんが先頭に立って歩きだす。

次いで会長と東儀先輩。

【孝平】「陽菜、とりあえずは寮に行こう」

【陽菜】「孝平くん……」

心配そうに俺を見る。

【孝平】「大丈夫、悪いようにはしないから」

【陽菜】「うん、信じるね」

無理やり笑顔を作って、陽菜は会長たちのあとについていく。

最後にポツリと副会長が残った。

立ち尽くす姿には、覇気の欠片もない。

【孝平】「さあ、副会長も」

【瑛里華】「え、ええ」

表情は陽菜よりも暗く重い。

何かに怯えるような、不安に満ちた表情だ。

【孝平】「大丈夫、何かいい方法があるさ」

【孝平】「帰ってから、一緒に対応を考えよう」

自分で言っておいてどうかと思う。

何か策があるわけじゃない。

ただ、それしか言葉が思いつかなかったのだ。

【瑛里華】「……ええ」

苦しげに答え副会長が歩きだす。

ふらつきそうになる肩を手でそっと支える。

【瑛里華】「ありがとう」

【孝平】「いや」

それっきり無言になる。

街灯に照らされた寮までの道程。

明るいはずの石畳を、俺たちは暗闇を歩くように進んでいった。

かなでさんからの聞き取りは三人に任せ、俺は陽菜のケアに回った。

といっても、明日の放課後に事情を説明するので、それまでは何も言わずにいてくれと頼んだだけ。

不安をぬぐい去るには遠く及ばないが、不確定な未来に放り出すよりはいいだろう。

部屋に戻り、俺は電話を取る。

プルルルル……プルルルル……

プルルルル……プルルルル……

プルルルル……プルルルル……

プルルルル……プルルルル……

なかなか出ない。

風呂にでも入ってるのか……。

プルルルル……プルルルル……

プルルルル……プルルルル……

【瑛里華】「はい」

【孝平】「あ、俺。今電話して大丈夫?」

【瑛里華】「ええ……大丈夫よ」

暗く落ち込んだ声だった。

相当まいってるな。

【孝平】「かなでさんの話は終わったのか?」

【瑛里華】「ついさっきね」

【孝平】「新情報は?」

【瑛里華】「例の吸血鬼が並木道の方から来たってことくらい」

【孝平】「そうか」

重苦しい沈黙が訪れた。

互いに、吸血鬼らしき人物のことを話したいわけじゃない。

ただ切り出しにくかったのだ。

【瑛里華】「悠木さん、どうだった?」

少しして副会長が口を開く。

【孝平】「まだ混乱してるみたいだったけど」

【孝平】「詳しいことは明日の放課後に説明することにして、とりあえず落ち着かせた」

【瑛里華】「そう」

【瑛里華】「支倉くんには迷惑を掛けるわね」

【孝平】「構わないさ」

【孝平】「それより、副会長……どうするんだ?」

【瑛里華】「そ、それは……」

副会長が言い淀む。

再び彼女が口を開くまでには、しばらく時間がかかった。

【瑛里華】「吸血鬼としては、忘れてもらうのがきっと……」

ため息混じりに言った。

言葉は煙のように受話器から這い出て、俺の胸をぎゅっと締めつけた。

【孝平】「陽菜なら、大丈夫じゃないか?」

【瑛里華】「記憶を消さずに正体を明かすというの?」

【孝平】「そうだ。あいつは秘密を人に言いふらすタイプじゃない」

【瑛里華】「……」

副会長の返事はなく、唇を湿らせる音だけが聞こえた。

【孝平】「記憶を消せば副会長がいろいろ背負うことになる」

【孝平】「会長みたいに割り切れないなら、やめた方がいいと思う」

吸血鬼の命に終わりはない。

一度罪の意識を背負ったら、どこまでも付き合っていくことになる。

それは自分の胸に抜けないトゲを刺すようなものだ。

消えない疼痛に、いつかは心が負けてしまう気がする。

【瑛里華】「人ひとりの記憶を消すというのは、そういうことよ」

【孝平】「記憶を消すのは自衛かもしれないけど、それで自分が辛い目に遭ったら結局一緒じゃないか」

【瑛里華】「それでも、正体がバレて追い出されるよりはマシ」

【瑛里華】「学院の様子を見たでしょ?」

【瑛里華】「みんな怖がったり、面白がったり……バレれば私たちが矢面に立つのよ」

【孝平】「……それは」

バレたとき苦しむのは俺ではない。

無責任すぎて、先を言えなくなる。

【瑛里華】「しょせん吸血鬼は吸血鬼。どこまで行ってもこの学院の一員にはなれないのよ」

みんなの先頭に立って学院生活を盛り上げている副会長。

その彼女が、自分と生徒たちを別のものとして考えている。

理屈ではわかる。

でも、胸の中は哀しさでいっぱいになった。

【孝平】「副会長、自分を含めたみんなが楽しめる学院を作るのが目標だって言ってたじゃないか」

【瑛里華】「たしかにそうだけど……」

【瑛里華】「今回みたいなことになれば、誰かの記憶を奪うことでしか私は自分の生活を守れないのよ」

【瑛里華】「その私が自分も含めて楽しもうなんてズルいでしょ?」

【孝平】「そんなことない」

反射的に否定する。

副会長にそんなことを言ってほしくない。

ただそれだけだった。

【孝平】「奪わなければいいじゃないか」

【孝平】「陽菜だったら大丈夫だって」

【瑛里華】「でも……」

戸惑いを見せる副会長。

戸惑うってことは、心の中では受け入れて欲しいって気持ちがあるわけだ。

なら、あとは……、

【孝平】「勇気出してみたらどうだ?」

【孝平】「俺みたいに平気なヤツもいるんだし」

【瑛里華】「失敗したらどうするのよ」

俺に責任を取れと?

【孝平】「一緒に転校でもするか」

【瑛里華】「ばっかじゃないの」

思いっきり言われた。

【瑛里華】「それで何が解決するのよ」

【孝平】「しないな」

【瑛里華】「真面目な話してるんだけど」

【孝平】「深刻に考えりゃ結論出るのかよ」

【孝平】「結局、やるかやらないかの二択さ」

【瑛里華】「それはそうだけど……」

【孝平】「もし本当に陽菜が受け入れてくれなかったら、俺も一緒に付き合うよ」

【孝平】「一人で転校するよりはいいと思う」

【瑛里華】「むしろプレッシャーなんだけど」

【孝平】「ははは、そのくらいの方がやる気出るだろ」

【瑛里華】「もう、ほんとバカなんだから」

副会長が苦笑する。

【孝平】「副会長には楽しくやって欲しいんだ」

【孝平】「いつも頑張ってるんだから、そのくらい当たり前」

【瑛里華】「ありがとう」

【瑛里華】「でも、そんなに肩入れしなくてもいいのよ」

【瑛里華】「支倉くんは巻きこまれただけなんだし」

【孝平】「今さら言うなっての」

激しくツッコんだ。

【孝平】「そういう配慮は生徒会役員になる前にしてくれ」

【孝平】「もはや一蓮托生だろ」

くすりと、電話の向こうで副会長が笑う。

【瑛里華】「支倉くん、お人好しとか言われない?」

【孝平】「言われないな」

【孝平】「誰にでも気をかけてるわけじゃないし」

一瞬の静寂。

かなり恥ずかしいことを言った気がするが……もう遅いか。

【瑛里華】「……そ、そうなんだ」

【孝平】「そうだ」

【瑛里華】「へえ」

【孝平】「なんだよ?」

【瑛里華】「なんでもないわ」

【瑛里華】「それじゃ、お風呂入るね」

【孝平】「ああ、風呂でもなんでも入れ」

【瑛里華】「なんで怒ってるのよ」

照れ隠しだ。

【孝平】「ともかく、陽菜のこと考えてみてくれよ」

【瑛里華】「……わかったわ」

気がつくと副会長の声はずいぶん和らいでいた。

【孝平】「じゃあな」

【瑛里華】「ええ……」

【瑛里華】「電話してくれてありがとう、支倉くん」

その言葉を最後に電話が切れた。

携帯を持ったままベッドに転がる。

ディスプレイに汗がついていた。

副会長だって、正体を知った上で付き合ってくれる人が欲しいのだと思う。

ただ、リスクが大きいから躊躇しまくっている。

今回のことは俺が抱えていた問題と根っこは一緒だ。

俺は、転校でいずれ失ってしまうから親しい友人を作らなかった。

副会長は、受け入れられる可能性が低いから正体を打ち明けなかった。

本当は自分を知って欲しいのに、自分をさらけ出さない。

必要なのは勇気だ。

まあ、失敗した場合のリスクが違いすぎるし一緒にするのも失礼な話だが……。

だが、クサりかけてた俺を立ち直らせてくれたのは副会長だ。

彼女にはできるかぎりのことをしてあげたい。

私のことは気にしないで貴方は先に行って、みたいなのは御免だ。

さて、どうなるか……。

根拠はない。

根拠はないが、なんとなく副会長は勇気を出してくれる気がした。