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//May 16//

放課後を告げるチャイムが鳴った。

さっそく陽菜に声をかける。

【孝平】「陽菜、これから空いてるよな?」

【陽菜】「う、うん……もちろん」

ぎこちなく笑顔を作る。

見ていて痛々しくなる表情だ。

【孝平】「行こうか」

【陽菜】「わかった」

陽菜は小さくうなずくと、教科書類を手早く鞄に入れる。

ぱちりと鞄の金具が止まる音が、妙に寂しく聞こえた。

噴水まで無言で歩いてきた。

陽菜はうつむきがちに地面を見つめている。

【孝平】「なあ陽菜」

【陽菜】「なに?」

【孝平】「昨日みたいなこと、俺も経験済みなんだ」

驚いたように陽菜が顔を上げる。

【陽菜】「孝平くんも?」

【孝平】「ああ。詳しく説明できなくて悪いけど」

【陽菜】「いいの……少し、安心したよ」

【孝平】「少し怖いかもしれないけど、大丈夫だから」

【陽菜】「うん」

この先どうなるかは副会長次第だ。

記憶を消すことを選べば、こうして交わした言葉もすべてなかったことになる。

とんでもない罪悪感だ。

すべてを投げ捨てて謝りたくなる。

直接手を出さない俺ですらこうなのだ。

もし陽菜の記憶を消したら、副会長はどれだけの苦痛を背負うのだろう。

建物を前にして、陽菜は緊張にこわばっていた。

【孝平】「さ、行こう」

【陽菜】「……うん」

通い慣れた部屋。

室内には、白ちゃん以外の役員が揃っていた。

【陽菜】「こ、こんにちは」

【伊織】「よく来たね、悠木妹。ま、かけてくれ」

【陽菜】「あ、はい」

陽菜が俺の顔を窺う。

俺は先に椅子へ腰を下ろし、隣の席を勧めた。

少し震える手でスカートを直し、陽菜は椅子に座る。

【伊織】「昨夜は大変だったね」

会長が穏やかな表情で口を開いた。

【陽菜】「はい」

【伊織】「話は広めたりしてないよね?」

【陽菜】「孝平くんにそう言われてましたから、誰にも」

【伊織】「いい心がけだ」

【陽菜】「今日、詳しいことを説明してもらえると聞いたのですが」

【伊織】「ああ」

と、会長は副会長に視線を送った。

副会長は、じっと陽菜を見つめている。

【陽菜】「あの……」

視線をさまよわす陽菜をよそに、副会長が立ち上がる。

【瑛里華】「説明の必要はないわ」

必要がないって……。

【孝平】「副会長っ」

【征一郎】「支倉、これは瑛里華の問題だ」

東儀先輩がいつもと変わらない調子で言う。

どうしてこんな時まで、いつも通りなんだ……。

【陽菜】「千堂さん?」

【瑛里華】「悠木さん、お願いがあるの」

【陽菜】「な、なに?」

【瑛里華】「私がいいって言うまで、目をつぶってもらえないかしら?」

陽菜に近づきながら副会長が言う。

【陽菜】「……でも」

【瑛里華】「悪いようにはしないわ」

陽菜が何かを決心するように唇をかむ。

そして、目をつむった。

【孝平】「副会長、考え直してくれ」

【瑛里華】「支倉くん、悠木さんが心配するでしょ」

冷然とした声。

【孝平】「……」

やる気だ。

【瑛里華】「悠木さん……大丈夫よ」

言葉が切れたそのとき――

空気がざわめいた。

【伊織】「ほう」

紅い瞳を見るのは二度目だった。

内側からあふれ出す不可視の力が、髪を巻き上げその存在を示す。

陽菜も異変を感じているのか、膝の拳を強く握りしめている。

【孝平】「考え直してくれ」

【瑛里華】「決めたことだわ」

右手を伸ばし陽菜の額に触れる。

陽菜の柔らかな髪がかすかに舞った。

【陽菜】「千堂さん」

陽菜の唇が動く。

【瑛里華】「なに?」

【陽菜】「信じてるから。悪いようにしないって言ったこと」

一瞬だけ、副会長の目が見開かれた。

【瑛里華】「そう……ありがとう」

副会長の右手が光を帯びる。

【孝平】「やめろっ」

腕をつかみ引き離そうとする。

だが、ぴくりとも動かせない。

【孝平】「副会長が辛くなるだけだっ」

【瑛里華】「どうかしらね」

副会長の口角が自嘲気味に吊り上がった。

【孝平】「副会長っ!」

ぱしっ!!

静電気に似た音。

陽菜の上体が軽く反る。

そのまま、ゆっくりと椅子の背にもたれた。

【孝平】「陽菜……」

今、目の前で人ひとりの記憶が失われた。

陽菜の数日間が消えたのだ。

【瑛里華】「すぐに目を覚ますわ」

副会長が乱れた髪をなでつけながら言う。

【伊織】「瑛里華、お前……」

会長が険しい視線を副会長に向ける。

【瑛里華】「そうよ」

受け流すように副会長が微笑した。

なんだ?

なにかあったのか?

【孝平】「失敗したとか言わないよな」

【瑛里華】「大丈夫」

【孝平】「じゃあ……」

【瑛里華】「見てればわかるって」

副会長が俺の言葉を遮る。

【陽菜】「ん……」

陽菜の口から声が漏れた。

【孝平】「陽菜、おい」

【陽菜】「あ……あれ……」

目を開いた陽菜が、ぼんやりとテーブルの一点を見つめる。

そして、手を額に当てた。

【陽菜】「え、ええと……」

視線を上げ、周囲を窺う。

顔が副会長を向いて止まった。

【陽菜】「そんな、まさか……」

陽菜の目が見開かれる。

死人にばったり出会ったような顔だ。

【陽菜】「も、もしかして……」

【陽菜】「えりちゃんなの?」

【孝平】「……」

えりちゃん?

なんだそりゃ?

何が起こってるんだ?

【瑛里華】「久しぶりね」

副会長の言葉には、少し寂しそうな響きがある。

【陽菜】「うそ……こんなの……」

陽菜が口を押さえた。

瞳からはポロポロと涙がこぼれる。

【征一郎】「これが瑛里華の考えか」

【瑛里華】「ええ」

【瑛里華】「昨日の記憶を消さないのに、昔のことは消したままなんて変でしょ?」

ふと、思い当たる。

陽菜は、過去の記憶の一部を失っていたはずだ。

副会長がそれを「昔のこと」と言ったとすれば──

【孝平】「陽菜、昔のことを……」

【陽菜】「孝平くん……」

陽菜が俺を見る。

涙が次々と溢れ、膝の上ではじけていく。

【陽菜】「私……」

声を詰まらせる。

【孝平】「思い出したのか」

陽菜がゆっくりとうなずいた。

【孝平】「……」

監督生室に、陽菜のすすり泣く声が響く。

【孝平】「副会長、陽菜と知り合いだったのか」

【瑛里華】「ずいぶん昔の事よ」

で、何かあって記憶を消した。

副会長は二度も陽菜の記憶を消すところだったのか。

そういや、副会長はどことなく陽菜に遠慮していた気がする。

【瑛里華】「いろいろあって、私が悠木さんの記憶を消したの」

【孝平】「そうか……」

怒るべきなのかもしれなかった。

だが、そうするにはもう副会長の気持ちを知りすぎていた。

【陽菜】「孝平くん……千堂さんを責めないで」

ハンカチで涙をぬぐいながら、陽菜が口を開く。

【陽菜】「お礼を言わなくちゃいけないのは私なの」

【孝平】「どういうことだ?」

【陽菜】「えっと……それは……」

辛そうに言い淀む陽菜。

ここは急がなくてもいいだろう。

【孝平】「ま、教えてくれるのはもう少し落ち着いてからでいいさ」

【陽菜】「あ、うん」

【瑛里華】「お茶淹れてくるわ。一息入れましょう」

副会長が給湯室へ消えた。

甘いミルクティーの香りが漂っている。

一息ついた後、吸血鬼の説明がなされた。

内容は、前に俺が聞いたものと同じだ。

陽菜はやや呆然としつつも、なんとか理解しようと必死に話に耳を傾けていた。

【伊織】「ま、とりあえずはこんなところだね」

【陽菜】「は、はい」

【瑛里華】「他の人に話す話さないは、悠木さんに任せるわ」

【伊織】「おや、いいのかい?」

【瑛里華】「いいのよ」

静かな表情で副会長が言う。

陽菜なら、興味本位で人に広めたりはしないだろう。

【陽菜】「千堂先輩、心配しないで下さい」

【陽菜】「無闇にしゃべったりはしませんから」

【伊織】「ふむ……頼むよ、悠木妹」

【陽菜】「はい」

【陽菜】「千堂さん」

陽菜が副会長の方を向く。

【瑛里華】「なに?」

【陽菜】「これからもよろしくね」

【瑛里華】「ええ、こちらこそ」

少し間を置いて、副会長が答えた。

【陽菜】「では、私はこの辺で失礼します」

と、陽菜が立ち上がる。

【孝平】「陽菜」

【陽菜】「ん?」

【孝平】「ありがとうな」

【陽菜】「なんのこと?」

会長や副会長の素顔を受け入れてくれたのが嬉しかったのだが……。

たしかに、礼を言うのは的外れか。

【孝平】「あ、いや……気にしなくていい」

【陽菜】「ふふっ、ヘンなの」

【陽菜】「それじゃ、また明日ね」

【孝平】「送るよ」

【陽菜】「大丈夫、自分でも不思議なくらい元気だから」

【陽菜】「では、失礼します」

きれいなお辞儀をして、陽菜は監督生室から出ていった。

【伊織】「支倉君、振られたね」

【孝平】「そういうのじゃないですから」

軽く流しつつ姿勢を崩す。

ようやく緊張が解けた。

【征一郎】「まさか、正体を明かすとはな」

【伊織】「それも、過去の記憶を復活させるおまけ付き」

【伊織】「どういうつもりだ?」

【瑛里華】「そうね……」

ティーカップで揺れる紅茶を眺めながら、副会長が言葉を探す。

【瑛里華】「なんとなくかしら」

【瑛里華】「受け入れてくれる人が増えたの、兄さんは嬉しくない?」

【伊織】「俺にとっては今更だね」

【伊織】「記憶を消す人が増えないことだけを祈るよ」

肩をすくめる会長。

【瑛里華】「寂しいわね」

【伊織】「お前ほど若くないってだけだ」

【伊織】「しかし、今回のことをあの人が知ったらなんて言うかな」

副会長の表情が硬くなる。

【孝平】「あの人っていうのは?」

【伊織】「俺たちの親さ」

【征一郎】「伊織」

東儀先輩がたしなめるように口を開く。

【伊織】「まあいいじゃないか」

口の端をゆがめて笑う。

犬歯がわずかに顔を覗かせた。

【伊織】「極端に古風な人でね、人間は餌であり天敵であるってのが座右の銘なのさ」

【瑛里華】「いいでしょ、あの人の話は」

副会長が紅茶を飲み干す。

なんだか、親子仲があまり良くないようだ。

【孝平】「……」

ふと、気になることがあった。

吸血鬼って人間と同じように子孫を作るのか?

副会長の顔を見る。

直接、聞いたら絶対怒られる……つーかセクハラか。

【瑛里華】「なに?」

【孝平】「いや、なんでもない」

【孝平】「ところで、陽菜は生徒会役員にしないんですか?」

【孝平】「俺のときは、記憶を消すか生徒会役員になるか二択だったのに」

【征一郎】「彼女は既に美化委員で多忙だ」

【孝平】「ああ、そうでした」

これ以上の委員会活動は無理か。

残念だけど仕方ないな。

【瑛里華】「さてと」

副会長が立ち上がった。

【瑛里華】「そろそろ帰るわ。久しぶりに力を使ったから疲れちゃった」

【伊織】「そのほうがいい」

【孝平】「じゃ、送るよ」

【瑛里華】「あら、私も送ってくれるの?」

【孝平】「まあね。吸血鬼騒ぎも落ち着いてないし」

【伊織】「俺たちはもう少し残るよ」

【征一郎】「今日はゆっくり休んでくれ」

【征一郎】「例の吸血鬼探しは、また明日から再開しよう」

【孝平】「わかりました」

使い終わった食器をお盆に載せ、片づける。

【瑛里華】「それじゃ、また明日」

【孝平】「お疲れさまです」

夕日の中を副会長と歩く。

【孝平】「今回は大変だったな」

【瑛里華】「そうね」

【瑛里華】「でも、悠木さんの記憶を戻せて良かった」

夕日に照らされた横顔からは、安堵と疲労の色が見て取れた。

【瑛里華】「記憶がないことで、すごく苦労したんでしょうね」

【孝平】「ああ」

昔、陽菜と続けていた文通。

手紙を通じてではあるが、彼女が記憶を失うのをリアルタイムで見ていた。

【孝平】「でも、副会長と陽菜が知り合いだったとは思わなかった」

【瑛里華】「昔、少しだけ一緒に遊んだことがあるの」

【瑛里華】「ひどいわよね、そんな友達の記憶を消すなんて」

【孝平】「すまん、言葉が見つからない」

【瑛里華】「簡単に慰めてくれるよりはいいわ」

【孝平】「何があったか聞いていいか?」

副会長が眩しそうに西日を見つめる。

【瑛里華】「悠木さんに聞いてみて」

【瑛里華】「私が教えるのは簡単だけど、彼女がどう思っているかの方が重要よ」

【孝平】「ああ、わかった」

ただ陽菜の言葉を待つ。

それが責任の取り方だと考えているのだろう。

何が副会長を赦すのか、俺にはわからない。

罪悪感を背負い続けていくのかもしれないし、もしそうなら寿命のない彼女には酷な話だ。

【孝平】「陽菜が話してくれるのを待つよ」

副会長がうなずく。

男子と女子とを分ける階段まで来て、副会長がはたと足を止めた。

【瑛里華】「支倉くんにはお礼を言わなくちゃね」

【孝平】「なんのことだ?」

副会長が髪をなでつけながら言葉を選ぶ。

【瑛里華】「昨日の電話がなかったら、勇気を出せずにいたと思う」

【孝平】「ああ、そのことか」

【瑛里華】「ありがとう、支倉くん」

【孝平】「大したことはしてないさ」

【瑛里華】「私にとっては重要だったわ」

【瑛里華】「これから、なんだか変わっていけそうな気がしてしまうくらい」

副会長が穏やかな表情で言う。

それだけで、俺のしたことは無駄ではなかったと思えた。

【孝平】「力になれてよかったよ」

【孝平】「俺もほら、生徒会に入るときは副会長に気合い入れてもらったから」

【瑛里華】「そうだったかしら」

【孝平】「俺もあれで変われたってとこがあるんだ」

【孝平】「だから恩返しみたいなもんさ」

【瑛里華】「私はただ、言いたいことを言っただけだと思うわ」

【孝平】「それは昨日の俺も同じだ」

【瑛里華】「そう」

眼を細める副会長。

切なげな表情に、抱きしめたい衝動がわき起こる。

それは、彼女のこんな表情を初めて見たからかもしれない。

【孝平】「……」

もしかして……、

副会長を好きになっちまったか?

【瑛里華】「どうしたの?」

【孝平】「いや」

心の火照りを、苦笑とともにかき消す。

【孝平】「とにかく、今日はお疲れさま」

【瑛里華】「お互いにね」

【孝平】「ゆっくり休むんだぞ」

【瑛里華】「ええ、わかったわ」

視線を合わせてから、俺は自室へと向かう。

【瑛里華】「支倉くん」

呼び止められた。

振り返る。

副会長は、別れたままの位置で立っていた。

【孝平】「どうした?」

【瑛里華】「肩に葉っぱがついてる」

【孝平】「ん?」

両肩を手で払ってみる。

何も落ちない。

【瑛里華】「あはは、冗談」

【孝平】「なんだそりゃ」

【瑛里華】「ちょっと、からかってみたかったの」

【瑛里華】「じゃ、また明日ね」

【孝平】「おう」

俺が踵を返すより早く、副会長は階段を駆け上っていった。

どういう、からかい方だよ……。

だが不思議と、嫌な気分はしなかった。


//Another view : Erika//

【瑛里華】「はぁ……はぁ……」

なんだろう、この感じ。

胸の中が、がらんどうになるような感覚。

暗く冷たい闇が胸から這い出し、体中を浸食していく。

こんなの初めてだ。

いつからこうなった?

【瑛里華】「……支倉くん?」

そうだ、支倉くんと別れたときからだ。

支倉くん。

その名をイメージした瞬間、胸の空洞がふくれあがる。

なんて冷たい感覚だろう。

これが恋なの?

だとしたら、世の人はこんなに冷え冷えとした感覚と向き合っているのか。

胸を押さえる。

深呼吸をする。

不意に、支倉くんの首筋がまぶたの裏によみがえった。

熱い衝動が後頭部にわき上がる。

まずい。

早く……部屋に。

鉛のように重い身体を動かし、部屋を目指した。


//Another view ends//

//May 17//


放課後。

吸血鬼探しに同行していなかった白ちゃんに、事の顛末を話した。

もちろん陽菜の件も。

【白】「知ってくれる方が増えるのは、いいことだと思います」

一通りの説明を聞いて、白ちゃんは嬉しそうに言う。

【征一郎】「知らせるというのは背負わせる事でもある」

【征一郎】「彼女の心労も忘れないようにな」

【白】「え、えと……はい」

よくわからないのか、戸惑いつつ返事をした。

【伊織】「征はいちいち固いな」

【伊織】「知らせた以上はどうしようと向こうの勝手だろ」

【伊織】「何かあったとしても教える方が悪い」

【征一郎】「そういう片づけ方もあるが、好きではない」

【伊織】「やれやれ」

【瑛里華】「あ、もうこんな時間」

副会長が時計を見上げる。

門限の30分前だ。

【孝平】「白ちゃんはそろそろ寮に戻った方がいいな」

【白】「わかりました」

【伊織】「寮まで送ろう」

【白】「そんな。ただでさえお役に立てないのに、お手数をかけるわけには」

【伊織】「例の吸血鬼、9時過ぎだけに現れるとは限らないよ」

【伊織】「人気のない並木道を歩いていると、突然背後に……」

【白】「ひ……」

カタカタ震えている。

【征一郎】「余計なことを言うな」

【征一郎】「白、伊織の言うことは気にせず、早く帰れ」

【白】「は、はい」

なんか不憫になってきた。

【孝平】「みんなで白ちゃんを送りましょう」

【孝平】「今夜の捜索は寮から始めるってことで」

【瑛里華】「そうね。どっちにしろ並木道方面も巡回しなきゃいけないし」

【伊織】「おお、それなら征も安心だ」

【征一郎】「なぜ俺の名が出る」

【伊織】「じゃ、決定」

【征一郎】「人の話を聞け」

消灯と施錠を確認したころには、門限20分前になっていた。

【瑛里華】「さ、行きましょうか」

副会長の号令で、俺たちは歩き始める。

噴水広場への階段は相変わらず暗い。

月の明かりを頼りに注意深く歩を進める。

【瑛里華】「誰か来る」

広場へ着くなり副会長が俺たちを制止した。

緊張が走る。

【伊織】「おや、意外な人に会うもんだね」

会長が新敷地へと続く長い下り階段に視線を送る。

もちろん、俺にはまだ見えていない。

【孝平】「……」

足音が先に聞こえた。

歩調は速くなく、革靴を履いているのか音質は硬い。

固唾を呑んで闇の彼方を見つめる。

【征一郎】「白、下がっていろ」

【白】「は、はい」

白ちゃんが東儀先輩の後ろに回る。

【伊織】「来るぞ」

やがて……

その人が姿を現した。

見慣れた学院の制服に、黒くて長い髪。

対照的に白い肌。

【孝平】「紅瀬さん……」

紅瀬さんが、吸血鬼騒ぎの元凶?

まさか、な。

困惑する俺をよそに、紅瀬さんは表情一つ変えぬまま近づいてくる。

【瑛里華】「こんばんは」

【桐葉】「探したわ、吸血鬼さん」

【瑛里華】「っっ」

【桐葉】「先日は挨拶もできなくてごめんなさい」

しれっと言った。

【伊織】「今日はマントなしかい?」

【桐葉】「ええ」

【桐葉】「もう姿を隠す必要はないから」

マジなのか。

信じられないが……事実のようだ。

【孝平】「まさか、紅瀬さんが吸血鬼だったなんて思わなかった」

【桐葉】「吸血鬼ではないわ」

【桐葉】「眷属よ」

【白】「え」

白ちゃんが目を丸くする。

【孝平】「ケンゾク?」

【桐葉】「知らないところを見ると、貴方は吸血鬼ではないのね」

【孝平】「ああ」

紅瀬さんが少し残念そうな顔をする。

【桐葉】「すると、吸血鬼は……」

【瑛里華】「私と兄さんよ」

【桐葉】「そう」

紅瀬さんが、二人をじっと見つめる。

どうするつもりだ?

……。

…………。

【桐葉】「ふう」

少しして紅瀬さんはため息をついた。

【瑛里華】「人の顔を見てため息つかないでよ」

【桐葉】「あら、ごめんなさい」

【瑛里華】「貴女、私たちをおびき出したのよね?」

【桐葉】「そうね」

【孝平】「どういうことだ?」

【瑛里華】「吸血鬼騒ぎを起こせば、本物の吸血鬼が黙っていないと思ったんでしょ」

【桐葉】「意外と頭が回るのね」

【瑛里華】「ふん」

【瑛里華】「それで、目的は何?」

【桐葉】「主を捜しているの」

【瑛里華】「主を?」

【伊織】「あいにく、俺にも瑛里華にも眷属はいない」

【桐葉】「そう」

小さくため息をつく紅瀬さん。

【征一郎】「俺たちを害するつもりはないようだな」

【桐葉】「主かどうかがわかればいいわ」

場の空気が少し緩んだ。

【孝平】「副会長、ケンゾクとかアルジってなんだ?」

【瑛里華】「あ、支倉くんには説明してなかったわね」

【伊織】「じゃ、これから説明しよう」

【伊織】「紅瀬ちゃん、聞きたいこともあるし監督生室へ来てもらっていい?」

【桐葉】「構わないわ」

【白】「兄さま、わたしも同席させてください」

【征一郎】「む……」

【征一郎】「好きにするといい」

【白】「はいっ」

白ちゃんは寮へ帰すものだと思ってた……。

判断基準がよくわからない。

【瑛里華】「それじゃ、行きましょうか」

監督生室へ着いてからしばらく、眷属の説明に時間が割かれた。

眷属は吸血鬼の血を飲まされた人間のことだ。

ちなみに、主というのは血を飲ませた吸血鬼のことらしい。

あとは、細かい身体的特徴の話が続く。

【孝平】「能力的には、血を吸わなくていい吸血鬼ってことか、変な話だけど」

【瑛里華】「あとは、味覚が弱かったり、ときどき活動が止まったりするらしいわね」

と、紅瀬さんを見る。

【桐葉】「週に1、2回、どうしようもなく眠くなるわ」

【孝平】「昼間でも?」

【桐葉】「時間帯はバラバラね」

【孝平】「じゃあ、ときどき授業フケるのって」

【桐葉】「そういうことよ」

【瑛里華】「私、謝らなくてはいけないわね」

【瑛里華】「去年は、授業をサボるたびに注意してしまったし」

【桐葉】「気にしてないわ」

さらりとした調子の紅瀬さん。

【瑛里華】「とにかく謝っておくわ」

【瑛里華】「ごめんなさい」

【桐葉】「どういたしまして」

【瑛里華】「人が謝ってるのに、どうして貴女はそうなのよ」

紅瀬さんの素っ気ない対応に、副会長がぶすっとした顔をする。

【桐葉】「気にしていないことを謝られても困るの」

【孝平】「まあまあ」

副会長をなだめる。

【伊織】「あと、説明し忘れたことはあるかな?」

【瑛里華】「大事なこと忘れてるでしょ」

【瑛里華】「眷属は主の命令に逆らえないってこと」

【伊織】「おお、そうだった」

【孝平】「そりゃ辛いな」

紅瀬さんを見てみる。

表情に変化はなかった。

【伊織】「で、そんな眷属であるところの紅瀬ちゃんは、主を探してると」

【瑛里華】「自分の主くらい見てわからないの?」

【桐葉】「記憶を消されているのよ」

【桐葉】「主の顔も名前も知らないわ」

【瑛里華】「なんですって」

副会長が苦虫をかみつぶしたような顔をする。

先日、陽菜の件があったばかりだ。

記憶の話には敏感になっているんだろう。

【孝平】「それは、探すなってことなんじゃないのか?」

【桐葉】「命令されてるの、探せって」

【瑛里華】「な、なによそれ」

【孝平】「顔も名前も知らないのに、どうやって探すんだよ?」

【孝平】「主が意図的に記憶を消したっていうなら、マトモじゃないぞ」

【桐葉】「そうかもしれないわね」

【孝平】「腹が立たないのか?」

【桐葉】「立つときもあれば、立たないときもあるわ」

【孝平】「……」

紅瀬さんはまるで他人事のように流す。

熱くなってるこっちがバカみたいだ。

【孝平】「わけがわからん」

【桐葉】「いいわ、それで」

まあ、当人にはいろいろ思うところがあるのかもしれないが。

【孝平】「会長、紅瀬さんの記憶を取り戻すことはできないんですか?」

【伊織】「記憶を封じた本人じゃないと、元に戻すのは難しいな」

【孝平】「そうでしたか」

【伊織】「残念ながらね」

【伊織】「ところで紅瀬ちゃん、主がこの学院にいるのは確かなのかい?」

【桐葉】「おそらくは」

【桐葉】「先日、強く存在を感じたわ」

【伊織】「それで吸血鬼騒ぎを起こしたわけか」

紅瀬さんが眉だけで肯定する。

【瑛里華】「でも、これからどうするの? 私たちが主ではないわけだし」

【桐葉】「吸血鬼は貴方たちだけ?」

【伊織】「いや、もう一人いる」

【征一郎】「伊織……」

東儀先輩が顔をしかめた。

もう一人っていうのは、会長の親御さんのことだろう。

【桐葉】「会わせてくれないかしら」

【伊織】「話をしてみてもいいが……」

【伊織】「その代わり」

会長が言葉を切った。

【桐葉】「なに?」

【伊織】「生徒会役員にならないかい?」

【瑛里華】「ちょ、ちょっと待ってよ」

【伊織】「いいじゃないか、同族みたいなものなんだし」

【伊織】「紅瀬ちゃんだって、吸血鬼が近くにいた方がいいことあるかもしれないぞ」

【伊織】「どう?」

【桐葉】「……」

【白】「紅瀬先輩、一緒にお仕事しましょうっ」

珍しく白ちゃんが大きな声を出す。

【桐葉】「……わかったわ」

【伊織】「よし、決まりだ」

【白】「よかったです」

満面の笑みの白ちゃん。

【孝平】「白ちゃんって、紅瀬さんと知り合い?」

【白】「あ、いえ、そういうわけでは」

【白】「ただ、嬉しくて」

【桐葉】「喜んでるところ悪いけど、もう一人の吸血鬼に会えなければ、すぐ辞めるわよ」

【白】「あ、は、はい……」

しゅんとしてしまった。

【伊織】「じゃ、白ちゃんをガッカリさせないように頑張ろうかな」

【桐葉】「お願いします」

紅瀬さんが頭を下げた。

軽くだが。

【瑛里華】「衝撃映像ね」

【桐葉】「ふん」

【桐葉】「それで、私は何をすればいいのかしら」

【征一郎】「放課後は顔を出してくれ」

【征一郎】「その場で必要な仕事をやってもらうことになるだろう」

【伊織】「とりあえずは、中間試験が終わってからだね」

【桐葉】「はい」

短く答えて立ち上がる。

【孝平】「帰るのか?」

【桐葉】「まだ何かある?」

【孝平】「いや、門限過ぎてるぞ」

【桐葉】「窓から入るわ」

【桐葉】「それより、東儀さんの心配でもしたら」

【白】「わ、わたしは窓から入れません」

紅瀬さんが少しだけ頬を緩める。

【桐葉】「それじゃ」

ぱたん

紅瀬さんが出ていった。

【征一郎】「伊織、どういうつもりだ?」

腕組みをしつつ会長をにらむ東儀先輩。

【伊織】「いや、つい口から出ちゃってね」

【瑛里華】「あの人に会わせて、もしもの事があったらどうするのよ?」

【伊織】「さあ」

【征一郎】「少しは考えて発言したらどうだ」

東儀先輩が眉間に皺を寄せる。

副会長が「もしもの事」と言ったくらいだ。

やっぱりヤバい人なんだろうか。

【孝平】「紅瀬さんって、親御さんの眷属なんですか?」

【伊織】「可能性はあると思うね」

【伊織】「あの人、眷属を何人も持ってるみたいだから」

【孝平】「一人の吸血鬼につき、眷属は一人じゃないんですね」

【伊織】「そうみたいだね」

【瑛里華】「眷属を作れ作れってよく言ってる人だから、よっぽど好きなんでしょ眷属が」

【孝平】「眷属って、そんなに重要なのか?」

【瑛里華】「昔は重要だったかもね」

【白】「今も大切だと思いますが」

【瑛里華】「どうかしら」

【瑛里華】「さ、もう遅いし帰りましょう」

この話は打ち切り、とばかりに手を振る副会長。

時計を見ると、もう10時半だった。

【孝平】「結局、白ちゃんはどうしようか?」

【伊織】「俺が抱えて部屋まで送ろう」

【白】「い、いえ、それはちょっと」

【征一郎】「シスター天池へは俺が話しておく、心配するな」

腕組みを解いて東儀先輩が立ち上がる。

【伊織】「さすが、兄さまは頼りになるね」

【白】「はい」

会長のからかい言葉も、白ちゃんの前では褒め言葉になってしまった。

白ちゃん……大物だ。


//Another view : Seichiro//


【征一郎】「瑛里華は結局、女子生徒の記憶を解放しました」

【??】「よくよくの出来損ないよな」

伽耶様が、脇息に左肘を置き上半身を預ける。

右手でもてあそぶ扇には、露草が涼しげに描かれていた。

【伽耶】「なぜあたしの言うことがわからんのだ」

【伽耶】「あれの入れ知恵か?」

【征一郎】「支倉という男子生徒の言葉に、何か感じるところがあったようです」

【伽耶】「支倉?」

【征一郎】「今年から生徒会の役員になった男子生徒です」

【伽耶】「ああ」

ぱちりと扇を閉じる。

【征一郎】「ご存じなのですか?」

【伽耶】「なかなか気の利いた血の味をしていてな」

【伽耶】「どうやら、混ざりものがあるらしい」

【征一郎】「まさか、伽耶様」

【伽耶】「お前も、支倉とやらに肩入れしているようだな」

喉の奥で、くつくつと笑う。

【伽耶】「安心しろ、少し味を見ただけだ」

紅瀬の言葉を思い出す。

たしか、主の存在を強く感じたと言っていた。

つまりは、支倉と接触するために伽耶様が……

【征一郎】「学院にいらっしゃったのですか?」

【伽耶】「悪いか?」

【征一郎】「いえ」

悪いとは言えない。

学院はもともと伽耶様が創設されたものだ。

【征一郎】「支倉の血の味が変わっているというのは、どういうことですか?」

【伽耶】「わからん。ただ何やら隠し味があるようでな」

やはり、以前行った検査の結果は間違っていなかったようだ。

だが、いったいどうして支倉の血に混ざりものが。

【伽耶】「あの出来損ない、まだその男を眷属にしないのか?」

【征一郎】「今のところは慎重に様子を窺っているようです」

【伽耶】「ほう?」

伽耶様が俺を見る。

すべて見透かされるような視線だ。

実際のところ、瑛里華には眷属を作る気がない。

それに気づかれたとき、伽耶様はどうされるのか。

いや、もう気づかれているのかもしれない。

【伽耶】「まあよい」

【征一郎】「ところで、紅瀬桐葉という眷属をご存じですか?」

【伽耶】「……」

扇を持つ手が止まった。

【征一郎】「主を探しているということでしたが」

【伽耶】「ふん」

やはり伽耶様の眷属か。

【征一郎】「伊織が、近々、伽耶様に会わせると約束しました」

【伽耶】「あの男、余計なことばかりする」

扇を投げ捨て、親指の爪を噛む。

いつもの癖だ。

俺は棚の小箱からヤスリを取り出す。

【征一郎】「爪が痛みます」

【伽耶】「気に入らぬなら、お前が整えろ」

目の前に突き出された小さな手。

親指だけでなく他の指の爪も荒れていた。

【征一郎】「伸びが遅いのですから、お控え下さい」

【伽耶】「うるさい」

手を取り、親指から順に整えていく。

この桜貝のような爪は、何度血に濡れたのか。

【征一郎】「お会いになるのですか?」

【伽耶】「さて」

空いた手で、けだるげに髪をいじる伽耶様。

【征一郎】「やはり、ご自身から会われるつもりはなかったのですね」

記憶を消して探すよう命令するなど、悪趣味もいいところだ。

いや、伽耶様らしいとも言えるのか。

【伽耶】「これは鬼ごっこなのだ。鬼の前に自分から出ていくやつがあるか」

【征一郎】「むごいことを」

【伽耶】「ヤツも恨んでいるだろうよ」

愉快そうに伽耶様は言う。

【伽耶】「だが、長くやってゆくには必要なことだ」

【伽耶】「多くの感情は時の流れとともにすり減るが、そうでないものもある」

憎しみか。

伽耶様の仰ることは正しいのかもしれない。

だが、その果てに何があるというのか。

【征一郎】「紅瀬がここに来れば、記憶を解放されるのですか?」

【伽耶】「ヤツ次第だ」

【伽耶】「もともと記憶は弱くしか封じておらん。念じ続ければいつかは解ける」

【征一郎】「伽耶様、そちらのお手を」

無言でもう一方の手が出された。

【征一郎】「他の眷属は捨ててしまわれたのに、彼女は別なのですね」

【伽耶】「玩具をどうしようとあたしの勝手だ」

【伽耶】「そうだ……」

【伽耶】「せっかく桐葉との再会をお膳立てしてくれたのだ。あの男には礼を考えねばな」

そう言う表情は、玩具で遊ぶ子供さながらだった。

なぜ、こうなってしまったのか。

それが人智を越えた時の流れ故なら、俺に何ができるというのだろう。

放課後になった。

//Another view ends//